↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第19章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
89/110

第78話 授業料は、前払いでございますわ

 その娘は、金貨の袋を卓に置いてから、名乗った。


「ノエミ・ガルニエと申します。ガルニエ商会の、ひとり娘でございます」


 ガルニエ商会は、南の港から絹を運んでくる店である。十年ほど前に王都へ出てきて、いまでは大通りに店を三つ構えている。父親は、去年、男爵の位を金で買った。


   ◇


 娘は、十七だという。


 仕立てのよい淡い黄の衣を着て、背筋をまっすぐに伸ばしていた。目が、よく動く。応接間の調度を、ひとつずつ値踏みしている目である。絹商の娘らしく、窓掛けの織りにだけは、少し長く目が留まった。


  ――南の糸。三十年は前のもの。いまは、もう織れる者がいない。


 値踏みの声まで、正直である。


   ◇


「ヴィオレッタ様に、お願いがございまして」


 ノエミは、ひと息に言った。


「悪女の作法を、教えていただきたいのです」


   ◇


 マリアンヌが、茶器を取り落としかけた。


 ヴィオレッタは、扇を開かない。娘の顔を、そのまま見ている。


「どなたを、お落としになりたいの」


「ヴィルヌーヴ子爵家の、アデライド様でございます」


 ノエミは、少しも悪びれない。人を落としたいと口にするとき、貴族の娘なら、まず扇で口もとを隠す。この娘は、隠さない。扇を持っていないのである。


   ◇


 話は、すぐに分かった。


 ロシニョール伯爵家の三男、ティエリに、縁談が二つ来ている。ひとつは、古い子爵家の娘アデライド。もうひとつは、金のある商家の娘ノエミ。伯爵家は、金のほうに傾きかけていて、それをアデライドが、茶会のたびにそっと押し戻しているのだという。


 押し戻し方は、笑顔である。


   ◇


 アデライドなら、ヴィオレッタも茶会で何度か見かけている。


 誰にでも同じ角度で笑い、誰の悪口も、自分の口からは言わない娘であった。言うときは、隣の者に言わせる。言わせておいて、自分は困ったように眉を下げてみせる。


 笑顔の下の色は、いつ見ても、薄く濁っている。濁ったまま、表には一滴も滲ませない。


 王都の茶会では、ああいう娘がいちばん長生きをする。


   ◇


「あの方、わたくしの前では、にこにこしておいでです」


 ノエミの声が、硬くなる。


「先月の、デュボワ伯爵夫人の茶会でございました。わたくし、黄色の衣で参りましたの。うちの店でいちばんよい、南の黄でございます」


 娘は、自分の膝の上の黄を、指でつまんだ。


「アデライド様のお隣の方が、仰いましたわ。成り上がりは、色の選び方で分かりますわね、と。あの方は、困ったように笑っただけ。何も仰らないの。仰らないまま、皆さまが笑うのを待っておいででした」


   ◇


「皆さまは、お笑いになって」


「お笑いになりました」


 ノエミは、まばたきをしない。


「わたくしも、笑いました。笑うほかに、どうしてよいか分からなくて」


   ◇


 娘の内側は、まっすぐであった。


  ――負けたくない。あんな、笑うだけの女に。


  ――公爵令嬢は、誰にも笑われない。誰も、あの人の前では笑わない。


 ずれは、ほとんどない。思ったとおりのことを、そのまま口にしている。貴族の娘には、まずいない型である。


   ◇


「わたくしが悪女だと、どなたにお聞きになったの」


「王都じゅうが、そう申しております」


「そう」


 ヴィオレッタは、卓の上の袋を見た。


 ずっしりと重そうな袋で、口の紐が、きつく結んである。


   ◇


 悪女と呼ばれて、久しい。


 陰で言われ、面と向かって言われ、ときには詩にまでされた。けれども、その呼び名に金を払いに来た者は、この娘がはじめてである。


 悪くない、とヴィオレッタは思った。


   ◇


「ベルナール」


 扉の脇に控えていた執事が、音もなく進み出る。


 袋を手に取り、重さを手のひらで確かめる。紐をほどいて中をのぞき、また結ぶ。その間、ほんのひと呼吸。


「よい金貨でございます。縁を削ったものも、ございません」


 金の話になると、この執事は誰より早い。


   ◇


「お父上の、お金かしら」


 ヴィオレッタが訊くと、ノエミは首を振った。


「わたくしの、持参金の前渡しでございます。父に、ねだりました。縁談の支度に要るのだと申して」


 嘘ではない。娘の内側も、同じことを言っている。


  ――縁談の支度。本当のこと。何に使うか、言わなかっただけ。


 言わなかっただけ、を、この娘はもう知っている。


   ◇


「お引き受けいたしますわ」


 ヴィオレッタは、ようやく扇を開いた。


「ただし、授業料は、前払いでございますわ。お返しはいたしません。途中でおやめになっても、うまくいかなくても」


「かまいません」


 ノエミは、まばたきひとつしない。


   ◇


 ベルナールが、袋を持って下がっていく。


 足取りが、いつもより少しだけ軽い。金庫に落ちる金貨の音を、この執事はたぶん、礼拝堂の鐘の音より好んでいる。


 マリアンヌは、その背中を見送ってから、主人のほうへ目を戻した。何か言いたい顔をしている。言わずに、茶を注ぎ直した。


   ◇


「では、最初の決まりを申しますわ」


 ノエミが、膝の上で手を組む。


 書きつけるものは、何も出さない。頭で覚える気で来た娘の顔である。


「第一条。嘘を、つかないこと」


   ◇


「……嘘を、でございますか」


 娘の顔が、きょとんとする。


「悪女の、作法で」


「悪女の、作法で」


   ◇


「ですが」


 ノエミは、身を乗り出した。


「嘘をつかずに、どうやって人を落とすのです。あの方は、わたくしのことを悪く言います。わたくしも、あの方のことを悪く言わなければ」


「悪く言うのに、嘘は要りませんわ」


 ヴィオレッタは、茶碗を取り上げる。


   ◇


「本当のことで足りないのでしたら、あなたは、落とすべきでない方を落とそうとしておいでなのよ。本当のことで足りるのでしたら、嘘は、足を引っぱるだけですわ」


 ノエミが、黙る。


 黙って、その言葉を、頭のどこかへしまいこむ顔になった。


   ◇


「嘘は、強すぎますの。強すぎるものは、使った者のほうへ跳ね返ります」


 ヴィオレッタは、それだけ付け足した。


 自分がたった一度の嘘を抱えて生きていることまでは、この娘に教えるつもりはない。授業料に、そこまでは入っていない。


   ◇


「……覚えました」


 ノエミが、うなずく。


「第一条。嘘をつかないこと」


「よろしいわ。明日から、毎日、はじめにお訊きしますわよ。第一条は、と」


「毎日、でございますか」


「毎日、ですわ。続きは、明日」


   ◇


 ノエミは立ち上がり、深く膝を折った。


 扉のところで、娘の内側が、小さく立つ。


  ――第一条。……でも、ひとつくらいなら。


   ◇


 娘が帰ったあと、マリアンヌが茶器を片づけながら、ようやく口を開いた。


「お嬢様。本当に、お教えになるのですか」


「お金を、いただきましたもの」


「ですが、あの方は」


   ◇


「アデライドが落ちようと、ノエミが落ちようと、わたくしの知ったことではございませんわ」


 ヴィオレッタは、窓の外を見た。


 ガルニエ商会の馬車が、門を出ていく。黄の衣の娘が、窓から一度だけ、こちらを振り返る。


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を閉じた。


 扉のところで聞いた声を、思い出している。ひとつくらいなら、と娘は思った。ほかは全部守って、ひとつだけ。


 前払いにしておいて、よかったのである。


お読みいただき、ありがとうございました!

皆様にお願いです

ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に

応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。