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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第17章

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第74話 あの晩も、この位置でございました

 三日目の午後、ヴォードレイ侯爵家の控えの間には、人がいっぱいに詰めかけていた。


 侯爵夫人がいる。ヴェルヌ子爵と子爵夫人、その間に、目を赤くしたクロエ。あの晩、回廊に居合わせた夫人たちが数人。壁際には、侯爵家の家令が控えている。白髪の、背筋のまっすぐな老人である。


 ガストンは、扉の近くに立っていた。


   ◇


 ヴィオレッタは、マリアンヌを連れて入った。


 扇には、まだ札を挟んである。侍女の字の、あの一行。


 マリアンヌは、主人の半歩後ろで、顔を伏せている。昨夜から、ひと言も口をきいていない。


   ◇


「お声は、まだお戻りにならないのね」


 侯爵夫人の問いに、ヴィオレッタは札を見せて答えた。


「よろしいわ。では、ガストン様。あの晩ご覧になったことを、もう一度、皆様の前で」


   ◇


「かしこまりました」


 一歩前に出て、ガストンはヴィオレッタに向き直る。


「あの晩、この控えの間に、お一人でおいででしたね」


 ヴィオレッタは、うなずいた。


「窓辺の椅子の上の、青い手提げに、お手を触れられた」


 うなずく。


   ◇


「手提げを、隣の小卓へお移しになった」


 うなずく。


「それから、空いた椅子にお掛けになった」


 うなずく。


 夫人たちのあいだから、ため息が漏れる。首が縦に動くたびに、話が一枚ずつ重なっていく。クロエが、母親の袖をつかんでいた。


   ◇


 ガストンの声に、熱がこもりはじめる。


「そのあと、しばらく、庭のほうをご覧になっていましたね。ガラス戸の、向こうを」


 ヴィオレッタは、うなずいた。


「まるで、誰かに見られていないか、お確かめになるように」


   ◇


 ヴィオレッタは、動かない。


 うなずきもせず、首も振らない。


「お答えになれないようで」


 ガストンが、気の毒そうに眉を下げる。夫人たちが、顔を見合わせた。


   ◇


 男の腹の内が、浮き立っていた。


  ――いける。あとひと押し。


  ――見せてやればいい。あの女が、自分であの椅子に座るところを。


   ◇


 ガストンが、侯爵夫人に願い出る。あの晩ここにいなかった方々にも、自分が何を見たのかを、見ていただきたい。自分はあの晩のとおり扉のところに立つので、公爵令嬢にも、あの晩のとおりに動いていただけないか。


「私が何を見たのか。皆様の目で、お確かめいただきたいのです」


 侯爵夫人が、ヴィオレッタを見る。


 ヴィオレッタは、うなずいた。


   ◇


 家令が、クロエの手提げを受け取り、窓辺の椅子の上に置く。


 ガストンが扉の外に出て、細く開けた隙間の前に立った。侯爵夫人と、何人かの夫人が、その後ろに並ぶ。回廊から、男と同じ高さで、部屋の中をのぞく形である。


   ◇


 ヴィオレッタは、扉の内側から、部屋の奥へ歩いた。


 刺繍の衝立の脇を回る。窓辺へ。椅子の上の手提げを取り上げ、小卓に移す。椅子に腰を下ろし、ガラス戸のほうを見る。


 あの晩と、同じであった。


 違うのは、ガラス戸の向こうの庭が明るいことだけ。今日は、植え込みの陰に、誰もいない。


   ◇


「ほら、ご覧ください。ああして、手提げを」


 扉の外で、ガストンの声がした。


 その声に、侯爵夫人の声がかぶさる。


「ガストン様」


   ◇


「わたくしには、衝立しか見えませんけれど」


   ◇


 回廊が、静まる。


 後ろの夫人たちも、首を伸ばし、背伸びをし、それから黙った。扉の隙間から見えるのは、刺繍の衝立の、牡丹の花ばかりである。窓辺も、椅子も、小卓も、その向こうに隠れていた。


   ◇


  ――衝立。


 ガストンの腹の内で、短い声がする。


  ――こんなもの、あったか。あの晩、庭からは、横向きで。


「……あの晩は、衝立が、もっと奥に寄せてございました。それで、見えたのです」


 男の声が、かすれている。


   ◇


「いいえ」


 壁際から、声がした。


 家令である。


「あの晩も、この位置でございました」


   ◇


 老人は、衝立のそばへ歩み寄り、その縁に手を添えた。


「夕刻に、私が、この手で立てました」


 夜会のあいだ、婦人がたが裾を直す部屋である。回廊から奥が見えぬよう、夜会のたびに同じ場所に立てている。老人はそう言って、床を指さした。磨かれた床板に、小さなへこみが四つ。衝立の脚は、そのへこみに、ぴたりと収まっている。


   ◇


「扉の隙間から、斜めに見れば」


 ガストンが言いかける。


 侯爵夫人が、黙って扉の隙間に顔を寄せた。右から。左から。しゃがんで、もう一度。


 立ち上がって、首を横に振る。


   ◇


「奥の窓辺が見えますのは、庭の、あのガラス戸の前からだけでございます」


 家令は、そう続けた。


 あの晩、夜会が引けたあとで見回ると、ガラス戸の掛け金が外れていたという。夕刻に家令が自分で掛けたもので、掛け金は内側からしか外せない。


   ◇


 誰かが、部屋の中から庭へ出た。


 出て、外から、窓辺を見ていた。


 部屋じゅうの目が、ゆっくりと、扉の外の男のほうへ動いていく。


   ◇


 家令が、もうひとり呼んだ。


 あの晩、帰りの客の靴を拭いていた下男である。まだ少年といってよい。帽子を握ったまま、少年は言った。


「ラヴェル様の靴に、黒い土がついていました。ガラス戸の前の花壇は、前の日に土を入れ替えたばかりです。黒い土は、あそこにしかありません」


   ◇


「でたらめだ」


 扉を押し開けて、ガストンが入ってくる。顔が、白い。


「その女は、うなずいたではありませんか。手提げに触れた、と。一人だった、と」


「ええ。拝見いたしましたわ」


 侯爵夫人が、扇を閉じた。


「ヴィオレッタ様は、あなたのおっしゃったことに、ひとつ残らずうなずかれました。全部、本当だったのでしょうね。あなたがご覧になったとおりに」


   ◇


「庭から」


 侯爵夫人は、ひと言だけ付け足した。


   ◇


 ガストンの口が、開いたまま止まる。


 そのとき、クロエが母親の手を振りほどいて、前に出た。


「ヴィオレッタ様。お祖母様のロケットを、お取りになりましたか」


 娘の声は、震えている。


   ◇


 誰も、その問いを、まだ一度も口にしていなかった。


 この二日、王都じゅうが答えを決めていたのに、訊いた者はひとりもいない。


 ヴィオレッタは、娘の目を見た。


 首を、横に振る。


   ◇


 ヴェルヌ子爵が、供の者を呼んだ。


 ガストンの下宿へ、人が走る。ロケットは、その日の夕方、男の文箱の底から出てきた。蓋には、一度こじ開けられた跡があったという。


 中に誰の絵が入っていたのかは、子爵家の外には出ていない。ヴィオレッタも、知ろうとは思わない。


   ◇


 侯爵家の衛兵に腕を取られて回廊を引かれていくとき、ガストンが一度だけ振り返った。


「知っていたのか。あの晩、庭に、誰かいると」


 ヴィオレッタは、うなずいた。


 男の顔が、くしゃりと潰れる。


 ラヴェル伯爵が次男を家から出したのは、それから十日ほどのちのことである。賭け札の卓のある館は、どこも、あの男の名では扉を開けなくなった。


   ◇


 四日目の朝、声が戻った。


 まだ、かすれている。湯殿で、ヴィオレッタは、浴槽の縁に指をかけた。


「……ぬるいですわ」


「存じております」


 衝立の向こうで、マリアンヌが言う。


「お嬢様が、私に、ひと言も言わせてくださらなかったので」


   ◇


 ヴィオレッタは、ぬるい湯に足を入れた。


「お前が、蜂蜜湯を取りに行っておりましたと言えば、あの男は、そこで黙りましたわ」


 衝立の向こうが、静かになる。


   ◇


「……では、首をお振りになっていたら」


 侍女の声が、少しだけ低い。


「誰かに見られていないか確かめるように、とあの者が申したとき。違うと、首をお振りになっていたら」


「嘘になりますわ。確かめておりましたもの。見られていないか、ではなくて、誰に見られているのかを」


   ◇


「首も、口のうちでございますのよ」


   ◇


 しばらくして、衝立の向こうから、湯を足す音がした。


 一杯。もう一杯。


 湯が、少しずつ、ちょうどよくなっていく。



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― 新着の感想 ―
ヴィオレッタは好感度は低い(これは原作強制力もあるのかなぁ?)のに、信用度は絶大なのが凄いんですよね。 嘘をつかないという実績もさることながら、相手を自爆させる場を作るのが上手いというか。
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