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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第17章

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第73話 お書きになれば、済みますのに

 帰りの馬車の中で、マリアンヌはずっと膝の上の手を握りしめていた。


 車輪が石畳を噛む音だけが、しばらく続く。


「お嬢様」


 侍女が、ようやく口を開いた。


「あの者は、一度も訊きませんでした。お嬢様がロケットをお取りになったかどうかは」


   ◇


 ヴィオレッタは、うなずいた。


「控えの間にいたか。お一人だったか。手提げに触れたか。訊いたのは、それだけでございます。どれも、本当のことばかり」


 マリアンヌの声が、少しずつ低くなる。


「本当のことだけを並べて、盗ったとは言わない。言わなくても、聞いた者は皆、盗ったのだと思います」


   ◇


 この侍女は、外を見る目を持っている。


 回廊で、主人の首が三度縦に動くのを見ていたのは、あの場の誰もが同じであった。訊かれなかった問いのほうに気づいたのは、たぶん、この娘だけである。


   ◇


 翌朝、ベルナールが来た。


 朝に来るときは、金か、家の中の話である。今朝は、家の外の話を持ってきた。


「王都じゅうが、昨夜の話でございます」


 執事は、いつもの平らな声で言った。


「公爵令嬢が、子爵家の令嬢のロケットを。首でお認めになった、と」


   ◇


 ヴィオレッタは、蜂蜜湯の椀を置く。


「それと、ヴォードレイ侯爵夫人から、お手紙が」


 ベルナールが、封を切った書状を差し出す。


「明日の午後、侯爵家の控えの間にて、昨夜のことを改めてお訊ねしたい、と。ヴェルヌ子爵家の方々と、ラヴェル伯爵家のガストン様もおいでになるそうで。ガストン様の、お申し出だそうでございます」


   ◇


 明日。三日目である。


 医者の言ったとおりなら、声はまだ戻らない。


「お断りいたしますか」


 ヴィオレッタは、首を横に振った。


   ◇


 昼過ぎに、そのガストンが、見舞いに来た。


 手に、蜂蜜の壺を提げている。


「お喉に、よろしいかと」


 応接間の長椅子に浅く腰かけて、ガストンは壺を卓に置いた。ベルナールが、壺を取り上げる。取り上げて、蓋を開けて、匂いを嗅いだ。


   ◇


「ありがたく、頂戴いたします」


 執事の声は、平らなままである。壺を下げに行くとき、マリアンヌの耳もとで、ひとこと囁いたのが聞こえた。


「市場の、いちばん安い蜜だ」


 金の話になると、この執事は誰より早い。


   ◇


「昨夜は、ご無礼をいたしました」


 ガストンが、膝の上で手を組んだ。


「私も、つらいのです。見たことを申し上げただけで、ヴィオレッタ様を責めるつもりは、少しもございませんでした。明日も、見たとおりを申し上げるだけです」


   ◇


 男の腹の内は、口よりずっとよく喋っていた。


  ――盗ったかとは、訊かない。訊けば、首を横に振られる。


  ――本当のことだけ訊けばいい。手提げに触れた。一人だった。全部うなずく。うなずくしかない。


  ――あとは、聞いた連中が勝手に決める。


  ――あの女は、庭を見ていた。見られたかもしれない。先に盗人にしておけば、あとで何を言っても言い逃れになる。


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を開かずに、男を見ていた。


 この男は、賭け札の卓で負けが込んでいる。ヴェルヌ子爵家の娘のロケットに、何が入っているのかも知っている。


  ――ヴェルヌの親父なら、言い値で買い戻す。娘の婚約が流れるよりは。


   ◇


 そこまでは、どうでもよかった。


 ロケットが誰のものであれ、子爵家が何を払わされるのであれ、ヴィオレッタの知ったことではない。


   ◇


 気にくわないのは、ひとつだけである。


 この男は、ヴィオレッタが嘘をつかないことを、自分の道具だと思っている。王都じゅうが知っている、公爵令嬢は嘘をつかない、という一行を、借りもせずに持ち出して、自分の盾にした。


   ◇


「明日、お声は、まだお戻りにならないのでしょうね」


 ガストンが、気づかわしげに言う。


 ヴィオレッタは、うなずきも、首を振りもしなかった。明日のことは、明日にならなければ分からない。分からないことに、首は動かさない。


 男は、それを肯定と取ったらしい。


  ――声が戻る前に、片をつける。戻れば、あの女は「でも」と言う。


   ◇


 ガストンが帰ったあと、マリアンヌが、小さな石板と白墨を持ってきた。


「お嬢様。これに、ひと言、お書きくださいまし」


 石板を、ヴィオレッタの膝の上に置く。


「盗っておりません、と。それだけで、ようございます。明日、皆様の前でそれをお見せになれば」


   ◇


 ヴィオレッタは、石板を膝から下ろした。


 白墨も、その上に置く。


「お嬢様」


 マリアンヌの声が、高くなった。


「お書きになれば、済みますのに」


   ◇


 済む。


 石板に否と書けば、明日の控えの間で、それを掲げれば、それで済む。公爵令嬢が書いたのだから、誰も疑わない。あの男は引き下がり、ロケットは見つからず、話はそこで終わる。


 終わらせては、困るのである。


   ◇


 否と書けば、あの男は黙る。


 黙られては困る。あの男には、明日、もっと喋ってもらわなければならない。昨夜、何を見たのか。どこで見たのか。どんなふうに見えたのか。


 嘘をつかない女の首が縦に動くたびに、あの男は、もっと喋りたくなるはずであった。


   ◇


「では、私が申し上げます」


 マリアンヌは、引き下がらない。


「お嬢様は、喉が痛くて、蜂蜜湯をお待ちになっていただけだと。私が、台所へ」


 ヴィオレッタは、侍女の顔を見た。


 首を、横に振る。


   ◇


「……私には、言わせてくださいませんの」


 ヴィオレッタは、もう一度、首を横に振った。


 マリアンヌは、それ以上、何も言わなかった。


 石板を抱えて、部屋を出ていく。扉の閉まる音が、いつもより少しだけ大きい。


   ◇


 その晩の湯は、ぬるかった。


 ぬるいと言いたくても、声が出ない。


 衝立の向こうで、侍女が黙って湯を足す気配もない。ヴィオレッタは、ぬるい湯に肩まで浸かり、天井を見上げた。


   ◇


 明日は、三日目である。


 あの男は、扉が細く開いていたので、と言った。回廊から、中が目に入った、と。


 ヴィオレッタは、目を閉じた。


 あの控えの間の、扉を入ったところに何があったかを、ひとつずつ思い出していく。

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