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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第16章

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番外編 おいしい、とは仰いません 〜侍女マリアンヌの手記〜

 お嬢様は、おいしい、とは仰いません。


 嘘をおつきにならない方ですから、おいしくないものを、おいしいとは仰らない。それは分かります。けれど、おいしいものにも仰らないのです。


 お気に召した皿は、黙って空になって戻ってまいります。お気に召さない皿は、「下げなさい」の一言で、半分残って戻ってくる。それきりでございます。


   ◇


 厨頭のゴーティエは、先代様のころからこの家の竈を守ってきた男です。


 白い髭に、粉のついた前掛け。腕は確かで、王宮の料理番から声がかかったこともあるそうですが、断ったと聞いております。


 その男が、お嬢様の口から「おいしい」を一度も聞いたことがない。


 皿を下げて厨へ戻るたびに、ゴーティエはわたくしの顔を見ます。


「何と仰った」


「何も」


「空か」


「空です」


 それだけで、髭がほんの少し持ち上がる。空の皿が、ゴーティエにとっての「おいしい」なのでございます。


   ◇


 その厨頭が、この冬で竈を降りることになりました。


 目が、ずいぶん悪くなったのです。塩の壺と砂糖の壺を、匙で舐めてからでないと取り違えるようになった、と本人は笑っておりました。厨の若い者たちは、笑えない顔をしていましたけれど。


 降りる日まで、ひと月。


「一度でいい」


 ある晩、ゴーティエは竈の火を落としながら申しました。


「一度でいいから、あのお嬢様の口から、おいしいと聞いてみたかった」


   ◇


 お嬢様のことは、好きではございません。


 これは何度でも書いておきます。


 けれど、ゴーティエのことは好きです。お仕えしはじめたころ、叱られて泣いていたわたくしに、焦げたパンの耳を砂糖で煮て食べさせてくれたのは、あの男でした。


 ですから、ひと月のうちに、お嬢様に「おいしい」と言わせてみせると決めたのです。


   ◇


 一度目は、正面から参りました。


「お嬢様。本日のスープは、いかがでございましたか」


「いつもの味ですわ」


 それだけ。


 二度目は、ゴーティエが腕によりをかけました。鴨を三日かけて煮て、砕いた木の実を衣にして、皿の縁に金の粉まで振って。


 お嬢様は、ひと口召し上がって、ナイフをお置きになる。


「手が込んでおりますこと」


 皿は、半分残って戻ってまいりました。


 厨で、ゴーティエは長いこと、その皿を見つめたまま動かない。


   ◇


 三度目は、わたくしが策を練ったのです。


 お嬢様は嘘をおつきにならない。ならば、どちらかを選ばねばならないように、お訊ねすればよい。


「お嬢様。このお菓子と、昨日のお菓子と、どちらがおいしゅうございましたか」


 お嬢様は、扇の陰でわたくしを眺めておいででした。


「お前が何を言わせたいのか、よく分かりましたわ」


「……」


「どちらも、食べられないほどではございませんでしたわね」


 負けでございます。


   ◇


 最後の日の前の晩、湯を張っていると、お嬢様が衝立の向こうから仰いました。


「ゴーティエは、明日まででしたわね」


「……はい」


「そう」


 それきりです。お嬢様が、使用人の辞める日を覚えておいでだとは、思ってもみませんでした。


   ◇


 ゴーティエの最後の日は、雪になりました。


 最後の晩の皿に、ゴーティエは凝ったものを何も作っておりません。


 毎晩お出ししている、玉葱と根菜のスープ。お嬢様が幼いころから、この家の晩には必ず一杯出てくる、あのスープです。


「これでいい」


 ゴーティエは、そう申しました。


「最後に、いちばん作ってきたものを出す」


 わたくしは、黙って盆を運びました。


 お嬢様はいつものようにスープを召し上がり、いつものように何も仰らない。皿は、空になって戻ってまいりました。


 厨で、ゴーティエは空の皿を受け取って、「空か」と申しました。


「空です」


 髭が、ほんの少しだけ持ち上がる。


 それで、終わりのはずでございました。


   ◇


 厨の扉が開いたのは、ゴーティエが前掛けを外したときです。


 お嬢様が、立っておいででした。


 公爵家のご令嬢が厨へお下りになるのを、わたくしははじめて見ました。若い者たちは、皿を持ったまま固まっている。薪割りに回された給仕の少年など、斧を握ったまま口を開けておりました。


 お嬢様は、竈のそばのゴーティエの前まで歩いていかれて、仰いました。


「あなたのスープは、毎日、同じ味でしたわ」


   ◇


 それだけです。


 おいしいとも、ありがとうとも、仰いませんでした。


 ゴーティエは、前掛けを握りしめたまま、深く頭を下げております。白い髭の先が、震えていた。


 お嬢様は、それをご覧にもならずに、厨を出ていかれました。


   ◇


 あれが褒め言葉だったのかどうか、わたくしには分かりません。


 ゴーティエには、分かったようでございます。


 あとで、ゴーティエはわたくしにこう申しました。毎日同じ味にするのが、いちばん難しいのだ、と。季節で野菜の甘みは変わる。薪の具合で火も変わる。それを毎晩、同じところに揃えるのが料理番の腕なのだ、と。


「あのお嬢様は、それをずっと分かっていなさった」


 嘘をおつきにならない方の「同じ味」は、たぶん、ほかの方の「おいしい」より重いのでしょう。


 お嬢様のまわりには、毎日、顔色を変える者ばかりが集まってまいります。毎日同じものがひとつくらいあってもよいと、お思いだったのかもしれません。


   ◇


 新しい料理番が厨に入ったのは、その翌日のことです。


 お嬢様は、その者を厨から呼び出して、ひと言だけ仰いました。


「ゴーティエと同じ味にできなければ、ひと月で出ていっていただきます」


 新しい料理番は、青い顔で厨へ戻ってまいりました。


 いまは毎日、町はずれのゴーティエの家に通って、スープを教わっております。


   ◇


 今のところ、皿は半分残って戻ってまいります。


 ひと月は、もうすぐでございます。

お読みいただき、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
ヴィオレッタは性悪ということになっているけれど、本当は優しいですね。 人に対する態度は酷いなと思うこともあるけど、人の真意が読めるなら そうなっても仕方ないかなとも思います。 なんだかんだで気に入って…
ゴーティエが辞めちゃう前に新しい料理番を入れとくべきでしたね 同じ味になるまで習ってから交代しないと間が空いちゃう
( ゜∀゜)o彡°(´~`)モグモグ
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