番外編 ちょうどよい湯でございました 〜侍女マリアンヌの手記〜
お嬢様は、湯の加減でわたくしの機嫌をお測りになります。
気づいたのは、お仕えするようになってしばらく経ったころのこと。ぬるい湯を張った晩に限って、お嬢様はわたくしに用を言いつけず、さっさとお休みになる。熱い湯の晩には、湯船の縁から「何かありましたの」と一言だけ。
それからというもの、わたくしは湯で返事をすることにしております。
口に出せば叱られることも、湯ならば叱られません。湯がぬるいのは、薪が湿っていたせいにできますもの。
◇
ただ、あの三日間の熱い湯だけは、わざとではございません。
母から手紙が来たのです。セリーヌの持参金を、真珠の会に納めてしまったと。二人を誘って一粒届いたけれど、もう誘える相手がいない、と。
手紙の字は、震えておりました。
セリーヌは、わたくしのすぐ下の妹です。秋に縁談がまとまりかけていて、相手は気のいい次男坊で、本人もまんざらではなかった。それが、持参金がなくなったと知れたら、先方の母親がどんな顔をするか。
◇
湯を張りながら、そんなことばかり考えておりました。考えているうちに、薪をくべすぎる。三日続けて、くべすぎたのでございます。
三日目の晩、お嬢様は湯船の縁に指をかけたまま、足をお入れになりませんでした。
「湯が、熱いのですけれど」
衝立の陰で、いっそ水を頭からかぶりたい気分でございました。湯でごまかすのは得意なのに、湯に本音が出てしまっては、どうにもなりません。
◇
話してしまったのは、お嬢様が「お言いなさい」とおっしゃったからです。
お嬢様に「お言いなさい」と言われて、言わずに済んだ者を、わたくしは知りません。
そのあとのことは、書くまでもないでしょう。お嬢様は会にお入りになり、茶会に王都じゅうの夫人を呼び、全員をお誘いになった。
◇
あの茶会のあいだ、わたくしは一度も母を見ておりません。
見れば、母がどんな顔で首の一粒を握っているか、分かってしまう。分かってしまえば、壁際に立っていられなくなる。侍女が茶会の途中で壁際を離れるわけにはまいりません。
ですから、床を見ておりました。磨き上げた床に、真珠の光が落ちて、ちらちらと揺れているのを。
◇
あとで知ったことを、ひとつ書いておきます。
ガルニエ子爵家の令嬢が、仕立屋に春の衣装を断られた件です。
仕立屋のお針子に、二番目の妹の幼なじみがおりまして。断るように言いつけたのはアルヴェール公爵家だと、その子がこっそり教えてくれました。理由は、仕立屋も知らないそうです。
わたくしは知っております。
あのサロンで、あの娘は、わたくしを上から下まで眺めていた。子爵家の娘が侍女とは、という顔で。
◇
誤解のないよう書いておきますが、あれはわたくしのためではございません。
お嬢様は、ご自分の後ろに立っているものを値踏みされるのが、お嫌いなだけ。わたくしが花瓶でも、同じことをなさったはずです。
ですから、お礼は申し上げておりません。今後も申し上げる予定はございません。
◇
港の朝のことも、書いておきます。
木箱の蓋が外されて、金貨がざらざらと光ったとき、わたくしは思わず「あの中に、セリーヌの」と口にしておりました。
お嬢様のお答えは、「あるでしょうね」。それから、「どの一枚がそうなのかは、もう誰にも分かりませんけれど」と。
慰めでも何でもない、ただの本当のことです。お嬢様は、慰めをおっしゃらない。慰めというのは、たいてい少しだけ嘘が混じるものですから。
それでも、あのとき少しだけ、肩が軽くなったのを覚えております。どの一枚か分からないのなら、どの一枚でもいい。半分戻れば、その半分はセリーヌのものです。
◇
母は、戻ってきた金貨を前に泣いて、お礼に伺いたいと申しました。
お嬢様は「要りませんわ」と、それだけ。
残りの半分のことは、わたくしの口からは申し上げられませんでした。言いかけて、やめたのです。やめたのに、お嬢様は「欲を出したぶんは、欲を出した者が払うものだと、お前の母に伝えなさい」とおっしゃる。
そこまでは、よろしいのです。腹は立ちましたが、そのとおりでございますから。
ずるいのは、そのあと。
「わたくしの金貨も、半分しか戻っておりませんの。わたくしも、払いますわ」
公爵家のご令嬢が、子爵家の母と同じ顔をして、損をした話をなさる。
笑ってしまいました。衝立の陰で、声を殺して。あれは、わたくしの負けでございます。
◇
その晩の湯は、ちょうどよく張りました。
わざとです。
ちょうどよい湯の日は、何も起きていない日。お嬢様は、そう思っておいでです。何も起きていないことにしてほしかったのでございます。母のことも、セリーヌのことも、衝立の陰で笑ったことも。
お嬢様は湯に足をお入れになって、何もおっしゃいませんでした。
何もおっしゃらないのがいちばんの返事だと、わたくしは思うことにしております。
◇
セリーヌの縁談は、半分の持参金のまま、まとまりました。
先方の母親も、あの日の広間で、首に一粒つけていたのだそうです。持参金が半分になった理由を、一度も訊かずに済んだのは、そのせいでしょう。
婚礼の前の晩、セリーヌがわたくしの部屋に来て、寝台の端に腰かけました。
「お姉様のお嬢様って、どんな方?」
「最低な方よ」
「……お姉様、笑ってる」
「笑ってません」
「笑ってる」
妹というのは、まことに面倒なものでございます。
◇
最後に、ひとつだけ。
母は、首の一粒を売りませんでした。
売れば、いくらかにはなったはずです。それを、わたくしのところへ持ってまいりました。
「これを、お嬢様に」
「受け取る方じゃないわ」
「お礼に伺うのは、断られたのでしょう。せめて、これだけでも」
母は、わたくしの手に一粒を押しつけて、帰ってしまいました。
お嬢様が受け取るはずがございません。ですから、お渡ししておりません。
お嬢様の宝石箱の、いちばん下の段の隅に、黙って入れておきました。
◇
金貨を納めて、一粒も受け取らなかった方の箱に、いま一粒入っております。
穴は、両側から半分ずつ開けてあるそうです。真ん中に、ほんの少しだけ、ずれが残っていると。
お嬢様は、まだお気づきでございません。
お読みいただき、ありがとうございました!
皆様にお願いです
ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に
応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪




