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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第16章

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第71話 お金は、置いていらして

 ラサール夫人の屋敷の門は、その日のうちに閉ざされた。


 門の前の様子は、夕方には出入りの者の口から、公爵家の厨にまで届いている。


 閉ざされた門の前に、馬車が並んだという。夫人たちが代わる代わる門を叩き、取次の者が代わる代わる同じことを言う。奥様は、お加減がすぐれません。南の浅瀬から船が着けば、皆様の金貨は必ずお返しいたします。


   ◇


 必ず、と取次は言うらしい。


 言わされている者の口である。


   ◇


 門の前で引き返した夫人も、半分ほどいたそうだ。


 南の浅瀬から船が着けば。そう言われれば、着くまでは待つほかない。待っているあいだは、自分の一粒が嘘だったとは思わずに済む。人は、損をしたと認めるより、待つほうを選びたがるものだ。


   ◇


 翌朝、宝飾店の主人が公爵家に来た。


 ルグランという、南通りに店を構える男である。公爵家がこの店に品を預けたのは、これがはじめてであった。


   ◇


 預けたのは、母の形見の指輪。留め金を締め直してほしいと書き添えて、ラサール夫人のサロンから戻った翌日に、ベルナールに持たせてある。仕上がったら、主人がじかに届けること。条件は、それだけだ。


   ◇


「たしかに、お直しいたしました」


 主人が、天鵞絨の小箱を開けた。


 ヴィオレッタは、指輪を指にはめる。留め金は、きちんと噛み合っていた。口は重いが、手は確かな男らしい。


「ルグラン」


「は」


「昨日から、真珠を売りに来る奥様が多いでしょう」


   ◇


 主人の手が、帽子のつばの上で止まった。


「……どうして、それを」


「多いでしょう、とお訊きしておりますの」


「は。たいそう多うございます。それが、困ったことに。どれも、うちで穴を開けた珠でございまして」


   ◇


「穴で、分かりますの」


「分かります。うちは、穴を両側から半分ずつ開けますので。真ん中で、ほんの少しだけ、ずれが残ります。南の港の職人は、片側から一息に抜きます」


   ◇


 ずれで嘘が知れるのは、人も珠も同じらしい。


「どなたに、お売りになった珠ですの」


「ラサール様でございます」


 主人が、ため息をつく。


「この一年ほど、ひと月に一度、箱でお買い上げいただいておりました。南の浅瀬の真珠が採れぬ時期のための、と伺っておりましたが」


「その話、売りに来た奥様がたには」


「まだ、いたしておりません。お客様の買い物を、ほかのお客様に申し上げるわけにはまいりませんので」


 口が重いのは、商いの作法でもあるらしい。


   ◇


「では、訊かれたら、お答えなさいまし」


「よろしいので」


「嘘でなければ、何を申し上げても構いませんわ。わたくしは、正直な店としか付き合いませんの」


   ◇


 主人は、帽子を胸に当てたまま、深く頭を下げた。公爵家の出入りになれるかどうかが、いまの一言にかかっている。そう分かった者の頭の下げ方である。


   ◇


 昼までに、話は王都を一周した。


 浅瀬の真珠は、王都の宝飾店の箱から出てきたもの。箱の代金は、新しく入った夫人たちの金貨から出ている。売りに来た夫人に訊かれるたび、ルグランは同じ話を、同じ口の重さで繰り返したらしい。


   ◇


 夕方には、夫人たちの夫が動いた。


 伯爵が、子爵が、男爵が、妻の首から外した一粒を握って、ラサール夫人の屋敷へ押しかける。夫人たちは待つほうを選んだが、夫たちは待たない。妻が金の話を人前でしないのは作法でも、夫が妻の金を取り戻しに行くのは、作法の外である。


   ◇


 門は、開かなかった。


   ◇


 屋敷の裏手から、荷馬車が一台、港のほうへ出ていったのは、その晩のことである。


   ◇


 同じ晩、ヴィオレッタはベルジェ伯爵家の大奥様に、短い手紙を書いた。


 書いたのは、南へ出る船の日と刻限だけ。誰が乗るとも、何を積むとも書いていない。


   ◇


 船の出る朝、ヴィオレッタは港にいた。


「お嬢様。何も、わざわざ」


 マリアンヌが、外套の襟を立てている。港の風は冷たい。冬至の前の、灰色の朝であった。


「見送りですわ」


「見送り、でございますか」


「会の主を、会の者が見送るのは、当たり前でございましょう」


   ◇


 南へ出る船は、桟橋の奥に一隻だけ泊まっていた。


 荷が積み込まれている。木箱、樽、布で包んだ長いもの。積み込みを指図しているのは、ラサール夫人の屋敷の執事である。


 その少し後ろに、厚い外套の女が立っていた。


   ◇


 頭巾を深くかぶっていても、ふくよかな肩の線で分かる。両手は、外套の中に隠したまま。大粒の三つ並んだ指輪を、今日は見せていない。


 桟橋の手前には、もう人が集まっている。


 妻の首から一粒を外してきた夫たちである。その後ろに、港の衛兵が控えていた。


   ◇


 衛兵を連れてきたのは、ベルジェの大奥様であった。


 手紙に書いていないことまで、あの老婦人は読む。三十年、伯爵家の台所を回してきた女だ。両脇に座らせていた嫁が二人、首に一粒ずつつけていたことも、忘れてはいないだろう。


   ◇


 ラサール夫人が、こちらを見た。


 頭巾の下の顔が、ひきつる。


  ――なぜ、あの女まで。


   ◇


 ヴィオレッタは、桟橋の手前で足を止めた。


 衛兵が、積み込みの手を止めさせている。執事が抗う声が、風にちぎれて届いた。奥様は、南のご実家にお戻りになるだけで。荷は、奥様のお持ち物で。


 衛兵の長が、木箱のひとつに手をかける。


   ◇


 蓋が、外された。


 中身は、金貨である。


 袋に分けもせず、箱の底から縁まで、ざらざらと詰め込まれている。朝の灰色の光の下で、それだけが妙に明るい。


 桟橋に集まった男たちのあいだから、低い声が漏れた。


「お嬢様。あの中に、セリーヌの」


「あるでしょうね。どの一枚がそうなのかは、もう誰にも分かりませんけれど」


   ◇


 ラサール夫人は、もう逃げようとはしなかった。


 逃げる先がない。船に乗れば、荷は置いていくことになる。荷を持っていこうとすれば、船に乗れない。


 夫人は、ゆっくりと頭巾を外した。外して、ヴィオレッタのほうへ一歩だけ歩み寄る。


「ヴィオレッタ様。あなたも、会に入っておいでですのよ」


   ◇


「ええ。入りましたわ」


「金貨を、お納めになった」


「納めましたわ」


「でしたら、あなたも、お仲間でございましょう。あなたも誘ったのですもの。決まりどおりに」


 夫人の腹の内が、すがりつくように尖っていた。


  ――道連れにしてやる。公爵令嬢が誘ったと言えば、少しは。


   ◇


「お仲間でございますわ」


 ヴィオレッタは、うなずいた。


「全員お誘いして、どなたもお入りになりませんでした。わたくしの真珠は、まだ一粒も届いておりませんの」


 ラサール夫人の口が、薄く開く。


 金貨を納めて、一粒も受け取っていない会の者。道連れにするには、いちばん向かない相手である。


   ◇


「ですから、会の者として申し上げますの。会の主が、南へお帰りになるのでしたら」


 ヴィオレッタは、木箱のほうへ目をやった。


「南の海の真珠は、南でお採りになればよろしいわ」


   ◇


「お金は、置いていらして」


   ◇


 ラサール夫人の口が、開いたまま止まった。


 止まった口から、何も出てこない。道連れにするはずだった公爵令嬢は、会の者として、会の主に、見送りの言葉を言っただけである。


 衛兵の長が、夫人の腕を取った。


 夫人は、もう抗わない。そのあとどこへ移されたのか、ヴィオレッタは訊いていない。


   ◇


 金貨は、王都に戻った。


 戻ったが、全部ではない。ラサール夫人がこの一年で宝飾店に払った箱の代金と、屋敷の真珠色の絹の代金とが、もう消えている。夫人たちの手に戻ったのは、納めた金貨のほぼ半分であった。


 マリアンヌの母のもとにも、半分が戻る。


 セリーヌの持参金の、半分。


   ◇


 その金貨が届いた日の晩、マリアンヌは湯を張りながら言った。


「お嬢様。母が、お礼に伺いたいと」


「要りませんわ」


「……それと、母が。残りの半分のことを」


 マリアンヌは、そこで言葉を切った。


 切って、続けない。続ければ、主人に金を乞うことになる。乞えば主人がどう答えるかを、この侍女は知っている。


   ◇


「欲を出したぶんは、欲を出した者が払うものだと、お前の母に伝えなさい」


「……はい」


「わたくしの金貨も、半分しか戻っておりませんの。わたくしも、払いますわ」


 衝立の向こうで、侍女が小さく笑った気配がした。


   ◇


「それから、お嬢様。セリーヌの縁談の先方から、使いが参りまして」


「何と」


「持参金は、半分で構わない、と。先方の母親も、あの日、広間におりましたそうで。首に、一粒」


「でしたら、持参金が半分になった理由を、訊かずに済む家ですわね」


   ◇


 ヴィオレッタは、湯に足を入れた。


 ちょうどよい。


 ちょうどよい湯の日は、何も起きていない日である。



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