第70話 全員、お誘いいたしましたわ
公爵家の茶会に、呼べるだけの夫人を呼んだ。
招待状は、ベルナールが幾晩もかけて書いた。宛名の数を聞いたとき、執事は一度だけ天井を見ている。茶葉と菓子の代金を、頭の中で数えた顔である。数え終えると、何も言わずに筆を取った。
◇
当日、庭に面した大広間は、昼前から埋まりはじめた。
王都の夫人たちである。侯爵夫人も、伯爵夫人も、子爵夫人も、男爵夫人もいる。公爵家の茶会を断る家は、王都にはほとんどない。
◇
首に、耳に、指に、真珠が光っていた。
一粒の者が多い。二粒の者が、ちらほら。真珠をつけていない夫人も、半分ほどいる。つけていない夫人たちは、つけている夫人たちの首もとを、さりげなく盗み見ていた。
◇
ラサール夫人も来ている。
大粒の三つ並んだ指輪を、今日は両手にはめていた。広間を見渡す顔が、ゆるみきっている。
――これだけ集めてくれるなんて。冬至まで待つまでもない。
◇
広間の隅に、地味な灰青の衣の夫人がひとり、身を縮めて座っていた。
マリアンヌの母である。首には、真珠が一粒。娘の持参金と引き換えに届いた一粒だ。
◇
マリアンヌは、壁際に控えている。
母のほうを、一度も見ない。見ないように、目を床に落としていた。
◇
茶が一巡したところで、ヴィオレッタは立ち上がった。
広間の話し声が、すうっと引いていく。公爵令嬢が茶会の途中で立つのは、何かを言うときである。何を言うのか、皆が待っていた。
「皆様。本日は、お越しくださいまして、ありがとう存じます」
胸元から、あの札を取り出す。
◇
金の縁取りの、真珠の絵の札である。真珠をつけた夫人たちの何人かが、はっと胸に手を当てた。同じ札を、皆、持っているのだ。
「わたくし、先日、真珠の会に入りましたの」
◇
広間が、ざわめいた。
声のざわめきも、腹の内のざわめきも、明るい。公爵令嬢が入った。これで、会はもっと大きくなる。ラサール夫人の腹の内など、ほとんど歌い出しそうになっていた。
◇
「会の決まりで、新しい方をお誘いすることになっておりますの。その前に、決まりを読み上げますわ。一言一句、そのままに」
ヴィオレッタは、札を裏返した。
「入るときに、金貨を納めること」
「新しく二人を誘えば、真珠を一粒受け取ること」
「誘われた者がまた二人を誘えば、誘った者にもう一粒」
そこで、ひと呼吸置く。
「真珠の数は、会の内でも外でも、口にせぬこと。慎みは、会の誉れである」
◇
読み終えて、札を下ろした。
広間は、静かである。誰もが知っている決まりだった。知ってはいても、声に出して読まれるのを聞くのははじめて、という顔が並んでいる。
◇
「以上でございます。それでは」
ヴィオレッタは、広間を見渡した。
「皆様を、お誘いいたしますわ」
◇
「全員」
◇
ラサール夫人の顔が、ほころんだ。
ほころんだまま、ヴィオレッタの次の言葉を待っている。
「まだ会においででない方は、お入りになれば、明日から、お一人につき二人ずつお誘いくださいまし。お誘いにならなければ、真珠は届きませんもの。決まりでございますから」
◇
真珠をつけていない夫人のひとりが、おずおずと手を挙げた。
若い男爵夫人である。
「あの……二人と申しますと、どなたを、お誘いすれば」
「あなたのお知り合いを」
「わたくしの、知り合い」
男爵夫人は、広間を見回した。
◇
見回して、そのまま、目が止まらなくなる。
姉がいる。従姉妹がいる。夫の兄嫁がいる。娘の名付け親もいる。茶会で顔を合わせる夫人も、教会で隣に座る夫人も、皆、この広間にいた。
誰もが、同じように広間を見回しはじめている。
見回した先で、目が合う。合った相手も、同じことを考えている顔だった。
◇
「……わたくしがお誘いできる方は」
口を開いたのは、窓際に座っていた老婦人である。
ベルジェ伯爵家の大奥様であった。夫を早くに亡くし、三十年、伯爵家の台所をひとりで切り盛りしてきた女だ。真珠は、つけていない。つけているのは、両脇に座らせた二人の嫁のほうである。
「皆、この部屋においでですわ。しかも、もう、ヴィオレッタ様に誘われておしまいになった」
◇
広間が、しんとした。
しんとしたなかで、誰かが小さく息を吐く。吐いた息が、隣の夫人の耳に届く。届いた耳の持ち主が、首もとの真珠に、そっと手をやった。
◇
「では」
別の声がした。
首に一粒をつけた、伯爵夫人である。
「では、わたくしの二粒目は、どこから参りますの」
◇
言ってから、伯爵夫人は口を押さえた。
二粒目と言えば、いまが一粒だと知れる。真珠の数を、口にしたのと同じだ。会の決まりを、破ったのである。
◇
破ったことを、誰も咎めない。咎めるかわりに、向かいの席の夫人が言った。
「わたくしも、一粒でございます」
「わたくしもですわ」
「わたくしは、二粒。でも、二つ目は、半年前に一度きり」
◇
声が、次々に上がっていく。
一粒。二粒。また一粒。口にしてはならない数が、広間じゅうで、ばらばらと口にされた。口にしてみれば、どれも小さな数である。三粒をつけている者は、ひとりもいない。
ラサール夫人の、両手の指輪を除けば。
◇
ベルジェの大奥様が、茶碗を置いた。
「南の海の浅瀬で、真珠が採れるのでございましょう」
老婦人の声は、穏やかである。
「浅瀬の実りなら、誰を誘わずとも、浅瀬で採れますでしょうに。なぜ、二人を誘わねば届きませんの」
誰も、答えなかった。
答えられる者は、ひとりしかいない。皆の目が、そのひとりのほうへ、ゆっくりと動いていく。
◇
ラサール夫人は、立ち上がっていた。
顔から、血の気が引いている。
――あの女。あの女、全部、口にさせた。
「ヴィオレッタ様。何ということを」
「決まりにないことは、何ひとつ、いたしておりませんわ」
ヴィオレッタは、札を胸元にしまった。
「決まりを読み上げて、お知り合いを二人ずつ、とお願いしただけでございます。真珠の数を口にしてはおりませんし、口にせよとも申しておりません」
◇
「お知り合いが皆ここにおいでなのは、わたくしがお呼びしたからですけれど。呼んではならないとは、札のどこにも書いてございませんでしたわ」
ラサール夫人の唇が、震える。
震えて、何か言おうとして、言わずに閉じた。言えば、浅瀬の話をもう一度しなければならない。浅瀬の話をすれば、なぜ誘わねばならぬのか、もう一度訊かれる。
◇
夫人は、扇も持たずに広間を出ていった。
◇
残された広間で、最初に席を立ったのは、マリアンヌの母である。
首の一粒を、握りしめていた。娘の持参金と引き換えにした一粒だ。それを合図にしたように、ほかの夫人たちも次々に立ち上がる。
出口で、マリアンヌの母は一度だけ振り返った。
振り返った先に、壁際の娘がいる。娘は、まだ床を見ていた。
◇
半刻もしないうちに、公爵家の門から、馬車が次々に出ていく。
どの馬車も、同じ方角へ向かった。ラサール夫人の屋敷のほうである。
◇
ベルナールが、窓辺で門を見下ろしていた。
「茶菓の残りは、いかがいたしましょう」
「使用人で分けなさい」
◇
「かしこまりました。……それと、お嬢様」
「何ですの」
「先日お訊ねの、南へ出る船でございますが。冬至の前に一度きりで、三日後の朝に港を出るそうでございます」
ヴィオレッタは、扇を閉じる。
冬至の船、とあの女の腹の内は言っていた。サロンから戻ったその日に、ヴィオレッタはこの執事にひとつだけ調べものを頼んである。理由は言っていない。執事のほうも、訊かずに調べてきた。
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