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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第15章

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番外編 よく似た猫でございました 〜侍女マリアンヌの手記〜

 お嬢様は、朝が早うございます。


 わたくしが起きるより先に、お嬢様の寝台がもう冷えている。そういう朝が、月に何度かございました。


 はじめのうちは、気にも留めておりません。眠れない晩もおありだろう、と思っておりました。


 気になりはじめたのは、厨の者の話を聞いてからです。


   ◇


「お嬢様の言いつけでな。前の晩の肉の切れ端を、小皿にとっておくことになっている」


 厨の者は、首をひねっておりました。


「朝には、小皿ごと、なくなっている」


 何にお使いになるのか、誰も知らない。訊いた者もいない。この家で、お嬢様に理由をお訊ねする者はおりません。


 わたくしも、訊きませんでした。


 かわりに、ある朝、早く起きたのでございます。


   ◇


 まだ暗いうちに、お嬢様は外套を羽織って、裏庭へお出になりました。


 手には、厨の小皿。


 わたくしは、物置の陰から見ておりました。


 裏庭の、塀の崩れたところ。そこにお嬢様が小皿を置かれると、どこからともなく、猫が出てまいります。


 一匹、二匹、三匹。ぜんぶで、五匹。


   ◇


 お嬢様は、しゃがみもなさいません。立ったまま、扇を胸に当てて、猫を見下ろしておいでです。


 そして、お呼びになりました。


「オベール。うるさいですわ」


 いちばん大きな声で鳴いていた、まだら猫に。


「ルフェーヴル。あなたは、皿が出るときだけ来ますのね」


 塀の上から、皿を見るなり飛び降りてきた、痩せた灰色の猫に。


「ペラン。人の皿に顔を突っ込むのはおよしなさい」


 ほかの猫を押しのけて、二皿目を狙う太った猫に。


 わたくしは、物置の陰で口を押さえました。


 どれも、知っている名でございます。


   ◇


 オベール伯爵夫人は、王都でいちばん声の大きい女。


 ルフェーヴル男爵は、宴の招きがあるときだけ公爵家に顔を出す男。


 ペラン子爵夫人は、茶会の菓子を、自分の皿に取りすぎる女。


 よく、似ております。


 腹が立つほど、似ております。


   ◇


 見つかったのは、四日目の朝です。


「マリアンヌ」


 お嬢様は、こちらをご覧にもならずに仰いました。


「物置の陰は、冷えますでしょう」


 出ていくほかございません。


「……猫に、人の名を」


「似ておりますもの」


「似ていれば、よろしいのですか」


「猫は、お世辞を申しませんから」


   ◇


 お嬢様は、小皿を爪先で少し押しやって、太った猫から痩せた猫のほうへ肉を寄せなさいました。


「人の名をつけておけば、人に会ったときに、猫の顔を思い出せますの。オベール伯爵夫人がどれほど大きな声で話しても、あの猫だと思えば、腹も立ちませんわ」


 そう仰って、少しだけ、お笑いになった。


 お嬢様が笑うのは、たいてい、誰かが損をするときです。誰も損をしないときにお笑いになるのを、わたくしはあの朝、はじめて見ました。


   ◇


 困ったことになったのは、その月の末でございます。


 オベール伯爵夫人が、お茶に見えました。


 お通ししたのは、庭に面した小さな客間。窓が、少し開いていた。


 開いていたのが、いけなかったのです。


 まだら猫が、窓から入ってまいりました。


 伯爵夫人が、高い声を上げます。


「まあ、可愛らしい。公爵家では、猫をお飼いですの?」


「飼ってはおりませんわ。来るだけですの」


「お名前は?」


 わたくしの背中を、冷たいものが走りました。


 お嬢様は、嘘をおつきにならない。


   ◇


「わたくしが勝手に呼んでいる名なら、ございますわ」


「まあ、ぜひ伺いたいわ」


 お嬢様は、まだら猫をご覧になって、それから伯爵夫人をご覧になりました。


「オベール、と」


 客間が、しんといたしました。


 わたくしは、盆を落とさないように、両手に力をこめるのが精いっぱい。


 伯爵夫人の顔が、見る見るうちに赤くなってまいります。


 怒りの赤では、ございませんでした。


「まあ……! まあ、わたくしの名を? ヴィオレッタ様が、猫に、わたくしの名を?」


 喜んでいるのです。


   ◇


 なぜ自分の名なのかを、この女は一度も訊きませんでした。


 訊けば、お嬢様はお答えになったでしょう。声の大きいところが、よく似ておりますの、と。


 訊かなかったのは、伯爵夫人にとって、たいへんな幸いでございます。


 その日のうちに、伯爵夫人は三軒の客間でこの話をしたそうです。王都でいちばん声の大きい女ですから、三軒で済んだのは、むしろ控えめなほうでしょう。


   ◇


 翌週から、困ったことが増えました。


「ヴィオレッタ様。わたくしの名の猫は、まだおりませんの?」


 茶会のたびに、夫人たちがお嬢様にそう訊いてくる。


 お嬢様は、扇の陰で微笑んで、同じことしか仰いません。


「似た猫が参りましたら」


 嘘ではございません。


 似た猫が来ないかぎり、名はつかない。そして、似た猫が来たときにどんな理由で名がつくのかを、夫人たちはまだ知らないのです。


   ◇


 最後に、書いておかねばならないことがございます。


 裏庭に来る猫は、五匹でした。


 オベール、ルフェーヴル、ペラン。あと二匹。


 一匹は、片目の白い老猫で、めったに塀から降りてこない。お嬢様は、この猫を「ベルナール」とお呼びになります。皿には寄りつかないのに、ほかの猫が喧嘩を始めると、いつのまにか下りてきて、間に座っている猫です。


 これは、少し分かる気がいたしました。


   ◇


 残りの一匹は、黒い雌猫でございます。


 毎朝来るのに、決してお嬢様の足もとには寄らない。小皿から少し離れたところに座って、お嬢様をじっと睨んでいる。撫でようと手を伸ばされれば、毛を逆立てて唸る。


 それでいて、自分のぶんだけは、きっちり食べて帰っていく。


 ある朝、わたくしは、とうとうお訊ねしてしまいました。


「お嬢様。あの黒いのは、何とお呼びに」


 お嬢様は扇を閉じて、わたくしをご覧になります。


 嘘をおつきにならない方でございます。


「マリアンヌ、と」


   ◇


 わたくしは、あの猫が嫌いです。


 今朝も来ておりました。撫でさせはしませんでしたが、皿はきちんと空にしてまいりました。


 腹が立つほど、よく似ております。

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