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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第15章

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番外編 灰だらけでございました 〜侍女マリアンヌの手記〜

 あの方の不器用を帳面に書くのは、はじめてである。


 帳をご覧になれば、執事より早く間違いを見つけておしまいになる。客を断るのも、人を切るのも、扇ひとつで済む。


 指先だけが、からきしである。


   ◇


 まず、蝋燭のことを書く。


 礼拝堂の蜜蝋を、一本くすねた。


 くすねた、と書くほかない。燭台係のエミールじいさんは、蝋燭の長さを毎朝指で測る。一本足りなければ執事に言いに行く。執事は、蜜蝋の値段をそらで言える。


   ◇


 抜いたあとに、自分の部屋の獣脂の蝋燭を立てておいた。


 翌朝、エミールじいさんは燭台の前で長いこと首をかしげていた。匂いを嗅いで、何も言わずに去っていく。


 言えば、毎朝ちゃんと測っていなかったことになる。


 あの者には、すまないことをした。


   ◇


 一晩目のことを書く。


 あの方は蜜蝋を指でのばし、暖炉の灰を包もうとなさった。のばしすぎて破れる。破れたところから灰がこぼれる。こぼれた灰を、袖でお払いになる。


「お嬢様、袖が」


「見ればわかりますわ」


 あの方は、袖をしばらくご覧になった。


「……白いのですけれど」


「灰色でございます」


   ◇


 絨毯は、もっとひどい。


 亡き奥様のお選びになった、深い葡萄色である。葡萄色に灰は、よく目立つ。私は夜中に這いつくばり、刷毛で一粒ずつ掃いた。


 あの方は、そのあいだも寝台の端で蝋をのばしておいでだった。


「お嬢様。今夜は、もう」


「もう一つだけですわ」


   ◇


 もう一つ、が九つ続いた。


 九つとも、割れている。


   ◇


 明け方、袖を洗い場へ持っていった。


 暖炉の掃除をお手伝いなさった、と言った。屋敷に信じる者は一人もいない、と前の晩にあの方へ申し上げたばかりの言い訳である。


 誰も信じなかった。


 信じないまま、誰も何も訊かない。公爵家の洗い場の女たちは、訊かぬほうがよいことを心得ている。


 黙って袖を洗い、黙って私の顔を見た。


 少しだけ、気の毒そうな顔であった。


   ◇


 二晩目に、厚みが決まる。


 決めたのは、あの方ではない。爪の厚みくらいでございます、と私が横から申し上げた。妹たちの髪を結うとき、髪油を手のひらにのばす厚みが、ちょうどそのくらいである。


 あの方は、私の顔をしばらくご覧になってから、爪の厚みにのばされた。


 一つ、割れずに残った。


   ◇


 その晩、あの方は湯浴みからお戻りになったばかりである。


 髪を拭く間も惜しんで、湿った手のまま握られる。


 開く。


 灰は、出なかった。掌に、泥がへばりついている。


   ◇


「出ませんわね」


「出ておりません」


「出ておりますわよ。貼りついているだけですわ」


「それは、出ていないと申します」


   ◇


 あの方は、それきり黙って、泥の掌をご覧になっていた。


 長かった。


 手巾をお渡ししても、すぐにはお取りにならない。


「乾いた手でないと、出ませんのね」


「さようでございますね。……それが、何か」


「いいえ。覚えておくだけですわ」


 そう仰って、ようやく手を洗いにいかれた。


 私は、その「覚えておく」を帳面に書いた。何を覚えておかれるのかは、書いていない。分からなかったからである。


   ◇


 三晩目は、私が包んだ。


 手を出すなと言われる前に、出してしまう。妹たちで覚えたやり方である。


 あの方が手を洗っておいでのあいだに、蝋をのばし、灰を包み、小皿に七つ並べておいた。


 あの方は、何も仰らなかった。手を念入りにお拭きになって、一つを取り、小指の付け根に挟まれる。


   ◇


 私は、あの方より指が器用である。


 妹が三人いる。三人ぶんの髪を結い、三人ぶんの綻びを繕い、三人ぶんの泣き言を聞いてきた。指と耳は、それで鍛えられた。


 あの方は、どなたかの髪を結ってさしあげたことがない。


   ◇


 夜明け前に、あの方は掌を開かれた。


 白い灰が、音もなくこぼれた。


「……出ましたわね」


「マリアンヌ。あなた、包むのがお上手ね」


「お嬢様が、お下手でいらっしゃるだけでございます」


 言うまいと決めていたことである。


 言いながら、私はもう絨毯を掃いていた。


   ◇


 掃きながら、いまのお言葉を宮廷の物差しに当ててみた。


 布地をお褒めになるのが、最上級。よくお仕立てになりましたこと、は縫い代が足りないという意味である。


 包むのがお上手ね、は、どちらにも載っていない。


 載っていないものは、測れない。測れないので、帳面には言葉だけを写しておいた。


   ◇


 小皿の粒を数えておく。


 七つ包んで、夜明けに一つ使った。六つ。


   ◇


 夜会のことを書く。


 私は広間の壁際にいた。


 侯爵夫人が「お試しになりませんこと」と言ったとき、私は、あの方の右手ではなく天井の燭台を見ていた。


 壁際の侍女の目が動けば、誰かがそちらを見る。だから見ない。


 手袋の粒は、私が包んだものである。


   ◇


 広間から、音が消えた。


 消えたので、出たのだと分かった。


 燭台から目を下ろすと、あの方の足もとに、白い灰が少し舞っている。


 五つ。


   ◇


 大聖堂の朝、小皿から一つを取って、お渡ししようとした。


「要りませんわ」


「ですが、出なければ」


「出しませんのよ。今日は」


   ◇


 そこで、二晩目の泥の掌を思い出した。


 はじめからそのおつもりだったのかどうか、私は知らない。訊いていない。


 訊けば、たぶん答えが返ってきてしまう。


   ◇


 聖堂で、あの方の手からは何も出なかった。


 あの男の手からは、泥が出た。


 二晩目に、あの方の掌にへばりついていたのと、同じ泥である。


   ◇


 柱の陰で、私は両手を握っていた。


 あの方の「出ませんわ」から、あの男の掌が開くまで、ずいぶん長かった。


 どのくらい長かったかは、感想なので書かない。


   ◇


 屋敷に戻ってから、あの方は残りの粒を捨てるよう仰った。


「全部ですわよ」


「かしこまりました」


   ◇


 その晩、厨に菓子の注文が出た。


 七つである。


 落ちたのは、あの男と侯爵夫人の二人。二人でも、七つは七つのままであった。


   ◇


 五つのうち、四つは暖炉にくべた。蜜の匂いが、少し部屋に残る。


 一つは、私の小箱に入っている。


   ◇


 あの方は、数えておいでではない。


 残りは捨てたかとお訊きになったら、捨てましたと申し上げるつもりである。


 私は、嘘のつけるほうの女なので。


   ◇


 最後に、これを書く。


 三晩目の夜明けの「出ましたわね」は、いつもより少しだけ声が高かった。


 見たものではなく聞いたものだが、帳面には書いておく。


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― 新着の感想 ―
結構マリアンヌの手記が好きだったりする
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