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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第14章

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第63話 お母様にしか、お返しいたしませんわ

 マリアンヌが出かけているあいだに、もう一日が過ぎた。


 王妃の御前で孤児院の後援が決まるのは、十日目である。残りは、四日になっていた。


 六日目の朝に、男が来た。


 門番が通したのは、男がリゼットの名を出したからである。応接の間に入ってきたのは、五十がらみの、くたびれた上着の男であった。帽子を両手で持ち、腰を低くしている。


   ◇


「あの子の叔父でございます」


 内側を見るまでもなかった。


 男の色は、薄く、平らで、どこにも引っかかりがない。自分の言葉を、自分の言葉だと思っていない者の色である。頼まれて、覚えて、運んできた。運んできたものの中身に、この男は何の思い入れも持っていなかった。


   ◇


 男は、すらすらと喋った。


 覚えてきた言葉の喋り方である。どこで切るか、どこで声を落とすかまで、きちんと決まっていた。


「母親は、去年の冬に亡くなりまして。手前が引き取って育てておりましたところ、市場ではぐれまして。それを、お嬢様がお連れになったと伺いました」


「お連れいたしましたわ」


「でしたら、お返しを願えますか。……王都では、その、お嬢様が攫ったなどと申す者もおりまして。お返しくだされば、手前から、そうではないと申して回ります」


   ◇


  ――返してくれれば、それで済む。子どもさえ連れて帰れば、あとは奥方様が。


   ◇


 ヴィオレッタは、茶を一口飲んだ。


 なるほど、と思う。


 噂はもう、王都を一周した。一周すれば、子どもは要らない。要らない子どもを手元に置かれていると、困るのはあちらであった。いつ、どこで、何を口にするか分からない。今のうちに引き取って、王都から消してしまいたい。


   ◇


 しかも、返さなければ、攫ったことになる。


 叔父だと名乗る者が引き取りに来て、公爵家がそれを追い返した。その話が明日の王都を回れば、市場の噂は噂でなくなる。返せば子どもは消え、返さなければ悪女が残る。どちらを選んでも、あちらの損にはならない。


   ◇


 よくできた手であった。


「一つ、伺ってもよろしゅうございますか」


「なんなりと」


「あの子は、市場で、わたくしに何と申しましたかしら」


 男の口が、止まった。


「……おかあさま、と」


「ええ。おかあさま、と申しましたの」


   ◇


「ですから、わたくしは、あの子をお母様にお返しいたしますわ」


「母親は、死んだと」


「伺いましたわ」


「でしたら」


「では、お墓を教えてくださいまし。お参りいたしますわ」


 男は、答えられない。


 墓はない。ないものの在り処は、教えようがなかった。教えたところで、行けば分かる。分かれば、この男は帰る家を失う。


   ◇


 内側が、ぐらぐらと揺れていた。


   ◇


  ――墓。そんなことまで、聞いてない。


   ◇


「あなたは、あの子の叔父でございますのね」


「……さようで」


「では、あの子は、あなたを見て、叔父さまと呼びますわね」


 ヴィオレッタは、マリアンヌの代わりに控えていた若い侍女に目で合図をした。


 侍女が、廊下へ出る。ほどなくして戻ってきたとき、侍女の後ろの扉の陰に、藁の色の髪が少しだけ見えていた。


   ◇


 リゼットは、扉の陰から男を見ていた。


 見て、それから、扉の向こうへ消えた。走って遠ざかる足音が、廊下に残る。


 男を叔父と呼ぶ声は、どこからも聞こえなかった。


「人見知りのお子でございますのね」


 ヴィオレッタは、茶碗を置く。


「叔父さまにも、人見知りをなさるなんて」


   ◇


 男の額に、汗が浮いていた。


「わたくしは、あの子の母ではございません」


「ですから、あの子は、あの子のお母様にお返しいたします。お母様にしか、お返しいたしませんわ。お母様がおいでになるまで、わたくしがお預かりいたします」


   ◇


「それまで、どなたにもお渡しいたしませんの」


   ◇


 男は、帽子を握りしめたまま帰っていった。


 門を出ていく背中を、二階の窓からリゼットが見ている。見ていて、窓枠を握る手に力が入っていた。


   ◇


  ――あのひと、しらない。


   ◇


 子どもの内側は、それだけを繰り返していた。


 男が帰ったあと、ヴィオレッタはしばらく応接の間を出なかった。


 窓の外で、門の前の野次馬が、帰っていく男を目で追っている。男が何をしに来たかは、夕方までに王都じゅうに伝わるであろう。叔父が引き取りに来て、追い返された。それで十分であった。中身を確かめる者はいない。


   ◇


 マリアンヌが戻ってきたのは、その日の夕方である。


 裾が泥で汚れていた。川沿いの洗い場を、北の橋から南の水門まで、本当に全部回ってきたのであろう。息が上がっている。


「おりました」


「どちらに」


「南の水門の手前でございます。マルトという洗濯女で、十日ほど前から娘の姿が見えぬと」


「探しておいででしたの」


「探しておりました。ただ、番所には届けておらぬと」


「なぜ」


   ◇


 マリアンヌは、少し言いよどんだ。


「……貸したのだそうでございます」


「貸した」


「はい。青いリボンの帽子の女が来て、娘を七日だけ貸せと。お屋敷の慈善の芝居に子役が要る、七日で返す、銀貨を三枚やる、と」


「それで、お貸しになった」


「冬を越す薪代が、ございませんで」


   ◇


 ヴィオレッタは、窓のほうを見た。


 七日で返すはずであった。八日目に、子どもは公爵家にいた。母のもとへ戻す手はずを狂わせたのは、市場で子どもを連れて帰った自分である。


「マルトは、いまどちらに」


「……門の外に、おります」


「お連れしたの」


「お連れしようとしたのですが、入らぬと申しまして。娘を金で貸した母親が、公爵様のお屋敷の門をくぐれるものか、と」


   ◇


 ヴィオレッタは、立ち上がった。


 階段を下り、玄関を出て、門まで歩く。日が落ちかけていて、石畳が冷たい。門の外の野次馬は、夕餉の頃合いで、もうまばらになっていた。


 門の脇に、女が一人立っていた。


 痩せた女である。手が赤い。指の節が太く、爪の際が白かった。リゼットと同じ手であった。


   ◇


 内側を見るまでもない。見れば、震えている。娘を貸した恥と、娘に会いたい気持ちとが、同じ強さで震えていた。


 女は、ヴィオレッタを見て、膝をつこうとした。


「おやめなさい」


 女の膝が、途中で止まる。


「あなたが、あの子のお母様ですの」


「……はい」


「でしたら、膝をおつきになる必要はございませんわ。わたくしは、あの子をお預かりしているだけですもの」


   ◇


 女の目から、涙が落ちる。


「返して、いただけますので」


「お返しいたしますわ」


「ただし、明後日まで、お待ちくださいまし」


 女が、顔を上げた。


「明後日、王妃陛下の御前で、あの子を攫ったかどうかを問われる場がございますの」


   ◇


「そこへ、あなたにおいでいただきます」



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― 新着の感想 ―
暴れん坊将軍の様に社会の悪を成敗していくと、貴族の大半が排除されてしまいそうですね。伏魔殿だなぁ。。。
( ゜∀゜)o彡°
( ゜∀゜)o彡°
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