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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第14章

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第62話 かあちゃんが、教えてくれた

 噂は、三日で王都を一周した。


 公爵家の門の前には、朝から人が立つようになった。


 野次馬である。屋敷の窓に子どもの影が映らないかと、首を伸ばして待っている。門番が追い払っても、昼にはまた別の顔が並んだ。父は三日のあいだ書斎から出ず、使用人たちは廊下で声を落として話すようになっていた。


   ◇


 ヴィオレッタは、いつもどおりに暮らした。


 朝に帳を見て、昼に客を断り、夕方に厨の仕入れを確かめる。その合間に、子どもを食べさせた。子どもはよく食べる。食べて眠り、眠って起きると、また食べる。三日目には、頬に少しだけ色が戻っていた。


   ◇


 四日目に、ドルヴィエ伯爵夫人が見舞いに来た。


 四十半ばの、よく笑う女である。応接の間に入るなり、両手でヴィオレッタの手を包んだ。


「たいへんでございましたわね。王都の口というのは、本当に心ないこと。わたくし、一言も信じておりませんのよ」


   ◇


  ――攫ったと言われて、黙っているしかない。いい気味。


   ◇


 手を包む力が、言葉より強かった。


「ありがとう存じますわ」


「ですけれど、お気をつけあそばせ。孤児院の後援は、子を慈しむ方が務めるもの。陛下も、そのあたりは」


「お考えになりますでしょうね」


 夫人の後ろに、侍女が一人控えていた。


   ◇


 三十ばかりの、目立たぬ女である。地味な灰色の服に、飾りのない帽子をかぶっていた。帽子の縁に、リボンを留めていたらしい針の跡が、二つ残っている。


 内側は、落ち着いていなかった。


   ◇


  ――あの子、ここにいるのね。顔を合わせなければ、いい。


   ◇


 そのとき、扉が少しだけ開いた。


 リゼットであった。マリアンヌが目を離した隙に、廊下を伝ってきたのであろう。手に、焼き菓子を一つ持っている。応接の間を覗き込んで、こちらを見つけ、顔を明るくした。


 明るくしたまま、夫人の後ろの侍女を見た。


   ◇


 焼き菓子が、床に落ちる。


 リゼットは扉の陰に隠れ、隠れたまま出てこない。小さな足音が、廊下を走って遠ざかっていった。


「まあ」


 夫人が、扇を口元に当てた。


「人見知りのお子でございますのね」


「そのようでございますわ」


   ◇


 侍女の顔は、動かない。


 動かないのが、少しだけ上手すぎた。市場で、こちらを見ないふりをしていた女と、同じ上手さである。


   ◇


 証には、ならない。


   ◇


 子どもが菓子を落とした。侍女の帽子に針の跡がある。どちらも、ただそれだけのことであった。


 夫人が帰ったあと、ヴィオレッタは一つ潰している。


 夫人の見舞いに付き添ってきた、若い男爵令嬢であった。応接の間で一言も喋らず、喋らないあいだずっと、内側で笑っていた。悪女が噂に縛られて困っているのを、楽しんでいたのである。


   ◇


 翌月の公爵家の園遊会の招待名簿から、その令嬢の名が消えた。


 理由は、名簿を預かるベルナールにも言っていない。


 リゼットは、洗濯物を畳む小部屋にいた。


 乾いた敷布の山の陰に、膝を抱えて座っている。泣いてはいない。泣かない子であった。


   ◇


「出ていらっしゃい」


「……」


「あの方は、お帰りになりましたわ」


 リゼットは、出てこなかった。


 出てこないかわりに、手が動いている。山から敷布を一枚引き出して、膝の上で広げ、端と端を合わせて畳んでいく。四つに畳み、角を指で押さえて、きちんと揃える。それを、もう一枚。もう一枚。


   ◇


 手つきが、速い。


 五つの子どもの手つきではない。何百枚も畳んできた手である。角の揃え方が、屋敷の洗い場の女たちと同じであった。


「お上手ですのね」


「……かあちゃんが、教えてくれた」


 言ってから、リゼットは手を止めた。


   ◇


 止めて、こちらを見上げる。見上げた顔が、怯えていた。言ってはいけないことを言った、という顔である。


 ヴィオレッタは、何も訊かなかった。


 訊けば、この子は黙る。黙れば、もう畳まない。畳んでいるあいだだけ、この子は台詞を忘れていた。


   ◇


「わたくしの敷布も、畳んでくださいます」


「……いいの」


「ええ。洗い場の者が、角を揃えるのが下手ですの」


 リゼットは、もう一枚引き出した。


 その晩、マリアンヌを呼んだ。


「明日、川の洗い場を回ってちょうだい」


「洗い場、でございますか」


「北の橋の下から、南の水門まで。五つか六つの娘を、近ごろ見なくなった洗濯女がいないか」


   ◇


 マリアンヌは、少しだけ目を見開いた。


「……お嬢様。あの子は」


「敷布の角を、指で押さえて揃えますの。手の甲が荒れていて、爪の際が白い。灰汁を使う者の手ですわ」


「それで、洗い場を」


「ええ。かあちゃん、と言いましたもの」


   ◇


 おかあさま、ではない。


   ◇


 かあちゃん、である。市場で言わされた言葉と、自分の口から出た言葉は、同じ母を指していない。

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