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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第13章

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第58話 仮面の下は、存じておりますの

 ヴィオレッタは、窓のほうへ歩いていく。


 窓際に、黒い仮面の男が一人立っていた。


 飾りのない黒で、羽も宝石もついていない。衣も黒く、襟が高い。誰とも話さず、杯も持たず、ただ広間を見渡していた。舞踏会の客にしては、愛想がなさすぎる。


 内側は、氷点下であった。


 王都で、これほど冷たい色を持つ者は一人しかいない。


   ◇


「ごきげんよう」


 黒い仮面が、こちらを向いた。


「……白鳥か」


「ええ。似合いまして」


「似合わぬ。そなたの好みではなかろう」


「替えましたの」


「誰と」


「伯爵夫人の、娘御と」


 黒い仮面の下で、氷がわずかに軋んだ。


「……名は口にしてはならぬ決まりだったな」


「口にしておりませんわ。どなたの娘御とも申しておりません」


「申しておる」


「伯爵夫人とは、申しました。どちらの伯爵夫人かは、申しておりませんわ」


   ◇


 男は、しばらく黙っていた。


「見つけたな」


「見つけましたわ」


「顔も、声も、出しておらぬ。衣もいつもと違う。それで、どうやって」


   ◇


「仮面の下は、存じておりますの」


   ◇


 黒い仮面が、少しだけ傾いた。


 この男は、知っている。ヴィオレッタが人の内側を覗くらしいということを、王都でただ一人、早くから察していた。察していて、言わない。言わないから、こちらも答え合わせをしない。


「殿下の中身は、王都でいちばん冷とうございますもの。間違えようがございませんわ」


「褒めておるのか」


「見分けておりますの」


   ◇


「見つけられるものなら、と書いた」


「ええ。拝見いたしました」


「見つけられぬと思うておった」


「殿下は、見つからぬようにお立ちでございましたものね」


 窓際の、灯のいちばん届かない場所である。黒い衣は壁の影に溶け、仮面も影と同じ色をしている。わざわざ探しにくいところを選んで、この男は立っていた。


「隠れておられましたの」


「試しておった」


「同じことでございますわ」


 男の内側で、氷が少しだけ鳴る。笑う手前の音である。


   ◇


 男が、手を差し出した。


「踊れ」


「お誘いに、なっておりませんわ」


「踊ってくれ」


「……よろしゅうございますわ」


 三曲目は、広間の真ん中で踊った。


 真ん中というのは、いちばん人の目が集まる場所である。白鳥の仮面の女と、黒い仮面の男。名は誰も口にしない。口にしないまま、広間じゅうが二人を見ていた。見て、内側でそれぞれの名を呼んでいる。


   ◇


  ――白鳥。あれは、デュフレーヌの。


   ◇


  ――では、あの黒は誰だ。


   ◇


 白鳥の仮面は、オデットのものである。衣が違うと気づく者はいても、仮面を見て真っ先に浮かぶのは、白鳥を選んだ家の娘の名であった。人は、衣より先に顔のまわりを見る。


 黒い仮面は、誰の名も呼ばせなかった。


「一つ訊く」


 踊りながら、男が言う。


「百合の娘を、どうするつもりだ」


「どうもいたしませんわ」


「助けぬのか」


「助けませんわ。助けを求められておりませんもの」


   ◇


「求められたら」


「お断りいたしますわ」


 男の内側で、細い渦が一つ立つ。


 面白がる色であった。


   ◇


 三曲目が終わっても、男は手を離さない。


「次も踊るのか」


「ええ。鐘が鳴るまで、ここにおりますわ」


「真ん中にか」


「真ん中に、でございます」


 広間の真ん中は、いちばん人の目が集まる。集まった目は、そのまま証になる。鐘が鳴るとき、白鳥の仮面がどこにいて、誰と踊っていたか。百人が見ていれば、百人が覚えている。


 男は、それ以上は訊かなかった。


 訊かずに、四曲目の輪へ足を向ける。


   ◇


 東の小部屋のほうへ、百合が動いたのは、鐘の少し前である。


 マリアンヌが、壁際から目で知らせた。


 知らせを受けるまでもない。広間の端で、赤い色と白い色が、絡まるように東の廊下へ消えていくのが見えた。四曲目の終わりの、いちばん人の目がゆるむ頃合いであった。


   ◇


 男は、娘の手を取ったまま歩いていた。


 娘は、ついていくしかない。振りほどいて走れば、百合の仮面が廊下じゅうの目を引く。目を引いたまま鐘が鳴れば、外れた仮面の下を全員に見られる。見られるくらいなら、人のいない小部屋のほうがまだましだと、この娘は思ってしまった。


   ◇


 ヴィオレッタは、東の廊下のほうへ目を向けなかった。


 向けなくても、色は届く。赤は廊下の奥で止まり、白はそのそばで小さく縮こまっている。小部屋の扉が閉まる音までは、さすがに聞こえない。聞こえないかわりに、奥の札の間のあたりで、別の色が一つ立ち上がった。


   ◇


  ――入った。


   ◇


 伯爵夫人の内側である。廊下の女中の合図か何かで、知らせを受けたのであろう。色は落ち着いていて、待っていたものがようやく来た、という温度をしていた。


   ◇


 札の間の扉が開いたのは、それからすぐである。


 伯爵夫人が出てきた。


 仮面は、紫の羽のついた大ぶりのものである。老公爵夫人の腕を取り、年配の夫人を四人ほど連れて、まっすぐ広間へ入ってきた。札の間で、ずっと一緒に札を打っていた顔ぶれであった。


 夫人は、広間の中央で立ち止まる。


   ◇


 立ち止まって、扇を半分だけ開いた。


「皆さま。たったいま、女中から妙な話を聞きましたの」


 広間の音が、半分になった。


「東の小部屋に、殿方と二人きりでお入りになったご令嬢がおいでだとか」


 ざわめきが、輪のように広がっていく。


 夫人は、扇の陰で小さく首を振った。


 困ったような、気の毒がるような振り方である。


   ◇


「まさかとは思いますけれど。……アルヴェールのヴィオレッタ様では、と」


 広間が、静まり返った。


 静まり返ったのは、中身のせいではない。


   ◇


 名を口にしたからである。


   ◇


 百年続く決まりであった。鐘が鳴るまで、誰も名を口にしてはならない。破った者は一人もいない。その決まりを、主催の家の女主人が、鐘の前に、広間の真ん中で破っていた。


 老公爵夫人が、伯爵夫人の腕から手を離す。


「……あなた」


 老いた声は小さかったが、広間の端まで届いた。


「いま、お名を」


   ◇


 伯爵夫人の内側が、そこで一度だけ揺れた。


 揺れて、すぐに立ち直る。名を口にしたことより、急ぐことのほうが大事であった。鐘はもうすぐ鳴る。鳴る前に、皆を東へ連れていかねばならない。


「お叱りは、あとでいくらでも。ですが、王太子殿下の婚約者のお名に関わることでございますもの。まいりましょう、皆さま」


   ◇


 夫人は、東の廊下へ歩きだした。


 年配の夫人たちが続き、若い客たちがそのあとを追った。人の流れが、一本の川のように廊下へ吸い込まれていく。


 ヴィオレッタは、広間の真ん中から動かなかった。


 黒い仮面の男も、動かない。


 二人のまわりだけ、人が引いていた。


 マリアンヌが、壁際からそっと寄ってきて、一歩うしろに立つ。


「お嬢様は、お行きにならないのですか」


「名を呼ばれましたもの。呼ばれた者が、のこのこ見に行くものではございませんわ」


「……左様でございますね」


 侍女の内側は、少しだけ笑っていた。

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( ゜∀゜)o彡° ヴィオレッタと殿下は何だかんだで破れ鍋に綴じ蓋ですねぇ。
( ゜∀゜)o彡°ワクワク
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