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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第12章

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第55話 代わりに、お代をいただきます


 司祭が、成らぬと告げる。声は震えていたが、言葉は短い。鐘は鳴らない。二百人が、鐘の鳴らない聖堂から一人、また一人と出ていく。


 ヴィオレッタは段を降りた。


 降りる途中で、ベルトランの横を通る。この男は、まだ祭壇の前から動けずにいた。


 すれ違いざま、扇の陰で、ベルトランにだけ届く声を落とす。


   ◇


「南の町へのお使いは、今夜お出しになりますの」


   ◇


 ベルトランの顔から、色が抜けた。


 内側が、悲鳴に近い音を立てる。誰から聞いた。いつから知っている。ほかに何を知っている。問いが次々に湧いて、どれにも答えが出ない。


 ヴィオレッタは、答えを置いていかなかった。訊いただけである。訊くのは、嘘ではない。


   ◇


 聖堂の外の階段には、人が溜まっていた。


 右の席にいた伯爵の古い友人たちが、伯爵を囲んでいる。三人、四人。どの顔も、婚礼の客の顔ではない。貸した金の行方を案じる顔だ。


 持参金を当てにしてモンフォール家が借りを重ねていたことは、王都でも知られた話だった。知られていて、誰も口にしなかった。婚礼が挙がれば、借りは消える。消えるものを口にする者はいない。


 挙がらなかったいま、黙っている理由はどこにもない。


 遅れて出てきたベルトランに、囲みの一人が声をかけた。古い友人の顔を、もうやめた声で。


「若殿。明日の払いのお話を、今日のうちに伺えますかな」


 ベルトランは、返事をしない。できないのだろう。階段の上で足を止めたまま、伯爵の背と、囲む男たちと、左の席から出てきた羊毛の顔役たちの目のあいだで、立ち尽くしている。


   ◇


 ヴィオレッタは、男爵に呼び止められた。


「アルヴェールのお嬢様」


「ヴィオレッタで結構ですわ」


「……ヴィオレッタ様。なんとお礼を申し上げれば」


「お礼は要りませんわ」


   ◇


「代わりに、お代をいただきます」


   ◇


 男爵が、目を見開く。


「わたくしの口を、お使いになりましたでしょう。お貸しした覚えはございませんけれど」


「……それは」


「お使いになったのでしたら、お代はいただきますわ。商いでございますもの」


 男爵の内側で、一瞬、算盤が回る。


 回って、すぐに止まった。止まったところで、この男は小さく笑う。市場で、値切られる側が値切る側を気に入ったときの笑い方。


   ◇


「いかほど」


「布を一反」


「……布」


「羊毛ではなく、南の絹を。仕立ての腕のよい者もつけてくださいまし」


 ヴィオレッタは、聖堂の階段の下に目をやった。


 マリアンヌが、馬車の脇で待っている。余所行きの、少し古い仕立ての袖。風に、その裾が少しだけ揺れていた。


   ◇


「どなたの、お召し物で」


「わたくしの侍女の、余所行きでございます。袖が古うございますの」


 男爵は、侍女のほうを見た。


 見て、それからこちらを見る。品物を検める目で検めて、何を見つけたのかは分からない。ただ、この男は深く頭を下げた。


   ◇


「承りました」


   ◇


「それから、ひとつお訊きしても」


「なんなりと」


「男爵のお帳場に、近ごろモンフォール様のお口利きで入った方は、いらっしゃいまして」


   ◇


 男爵の顔が、止まる。


 内側の算盤が、今度は止まらなかった。帳場の顔ぶれ。先月入った男の名。その男の推し主。この男の手が、すでに触れた帳簿。一つずつ弾かれて、弾かれるたびに、男爵の顔から笑いが引いていく。


「……おります」


「そうですの」


「お嬢様は、何を」


「お訊きしただけですわ。見たものではございませんもの」


   ◇


 男爵は、しばらく黙っていた。


 黙ってから、もう一度頭を下げる。今度は、さっきより深い。


「明日、検めます」


「ご随意に」


 ヴィオレッタは、階段を降りていった。


   ◇


 馬車の中で、マリアンヌは何も言わなかった。


 言わずに、窓の外を見ている。聖堂の鐘楼が、鳴らないまま遠ざかっていく。


   ◇


 屋敷に着く少し前に、侍女はようやく口を開いた。


「唱えられませんでしたね」


「ええ」


「……絹を、お頼みになりましたね」


「聞こえておりましたの」


「風向きが、よろしゅうございましたので」


「お礼は要りませんわよ」


「申し上げておりません」


「よろしい」


   ◇


 マリアンヌは、窓の外に目を戻す。


 戻しながら、古い袖の裾を、指で一度だけ撫でた。


   ◇


 その晩、父に呼ばれた。


 父は書斎の椅子に座ったまま、長いこと娘を見ている。内側の勘定は、もう済んでいるらしい。済んで、思っていたより悪くない数字が出たようだ。


   ◇


「モンフォールの借りが、どれほどあったか知っておるか」


「存じませんわ」


「私も知らなんだ。今日の夕方、三軒から問い合わせが来た。あの家に貸しておったが、そちらは大事ないか、と」


「大事ございませんでしたの」


「……あれが婚礼を挙げておれば、明日は私のところへ来ておった。古い友の家の保証人に、名を出してくれと」


   ◇


 父は、それきり黙る。


 黙ってから、もう一度だけ口を開いた。


「顔は、潰れたぞ」


「存じておりますわ」


「……それでよい」


 書斎を出るとき、ヴィオレッタは扉のところで振り返った。


「お父様」


「なんだ」


「わたくしが唱えられないことは、ご存じでしたでしょう」


   ◇


 父は、答えない。


 答えずに、書類に目を落とした。


 落とした目の奥で、勘定とは別の色が、ほんの少しだけ立っている。娘を貸すのは安いと踏んだあの朝、この男は、娘が何を唱え、何を唱えぬかを、どこかで分かっていたのだろう。


   ◇


 分かっていて、貸した。


   ◇


 この家の者は、皆、口の使い方をよく知っている。

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