第54話 申し上げられませんわ
婚礼の朝は、よく晴れた。
聖堂は王都の西にある古いもので、モンフォール家が代々婚礼を挙げてきた場所だ。石の床は冷たく、天井は高い。窓の色硝子から入る光が、祭壇の前の段に赤と青の斑を落としている。
◇
客は、二百人ほど。
右の席にモンフォール家の縁者と、伯爵の古い友人たち。左の席にブリュネ家の取引先と、羊毛の組合の顔役たち。座り方で、どちらがどちらかすぐに分かる。右は背もたれに背をつけ、左は浅く腰かけていた。
◇
父は、右の三列目にいる。
ヴィオレッタは祭壇の脇の証人の席に座った。向かいには、花嫁の側の証人である男爵の弟。
マリアンヌは壁際に立っている。
余所行きの、少し古い仕立ての袖。今日も、それを着てきていた。
◇
花婿が先に祭壇の前へ出た。
ベルトランは仕立て下ろしの上着を着て、襟を立て、髪を整え、背筋を伸ばして立つ。右の席から、満足げな溜息がいくつか漏れる。
内側は、晴れている。
◇
――今日で、片がつく。
◇
持参金の受け渡しは、婚礼の明くる日と決まっている。その日のうちに払う先が三つ。払えば、伯爵家の蔵は息をつく。男爵家の帳場に入れた男には、来月から帳簿を預けさせる。南の町の家には、今夜のうちに使いを出す。
この男の頭の中で、明日はもう済んでいた。
◇
花嫁が入ってくる。
男爵の腕に手を添えて、ゆっくりと通路を歩いてくる。衣装は白で、飾りは少なく、布だけがいい。羊毛ではない。南の絹だ。羊毛屋の娘が、羊毛を着ずに嫁ぐ。左の席の顔役たちが、それを見て小さく頷き合っていた。
◇
エレーヌの顔は、静かだった。
内側も、昨日と変わらない。品物になると決めた娘の静けさで、何も探していない。父の腕から花婿の腕へ手が移るときも、色は少しも揺れなかった。
男爵のほうは、違う。
◇
娘の手を離すとき、男爵はほんの一瞬、ヴィオレッタのほうを見た。
見て、すぐに目を戻す。
◇
――頼む。
◇
一語だけ。
ヴィオレッタは、扇を膝の上で閉じた。
なるほど、と思う。
花婿の側の証人に、偽りを口に乗せぬ者を立てよ。あれは、この男の出した条件だった。古い家の跡取りを疑いながら、疑いを口にする証がない。だから、自分の代わりに疑ってくれる者を、祭壇の前に立たせた。
悪名の令嬢に睨まれても揺らがない婿なら、それでいい。揺らぐなら、それが答えになる。この男が買ったのは、こちらの口と、こちらの目つきだ。
◇
わたくしの口を、お使いになりましたのね。
◇
腹は立たない。
花婿よりは、いくらか筋のよい使い方である。
◇
司祭が、誓いの言葉を読みはじめた。
古い言い回しで、長い。病めるときも、健やかなるときも、という例の文句が三度出てくる。ベルトランは一句ずつよく通る声で復唱し、エレーヌは小さな声でそれに続く。
◇
ベルトランの内側は、復唱のあいだ何も動かなかった。
病めるときも、と言いながら、南の町の家の払いを数えている。健やかなるときも、と言いながら、帳場に入れた男の名を思い浮かべている。口と内側が、まるで別の部屋で暮らしていた。
◇
誓いが終わる。
「では、証人の方々」
司祭が、花嫁の側を見た。
男爵の弟が立ち上がり、祭壇の前の段に出る。慣れた足取りだ。身内の婚礼で、何度もこの役をやってきたのだろう。
「この婚姻に偽りなし、と神の御前に申し上げます」
◇
すらすらと唱えて、席に戻る。
聖堂のどこからも、何の音もしない。誰もが聞き慣れた言葉で、誰もがもう次の言葉を待っている。婚礼の最後の、決まりきった一言。これが済めば、司祭が二人の手を重ね、鐘が鳴る。
◇
「花婿の側の証人殿」
ヴィオレッタは、立ち上がった。
祭壇の前の段へ出る。色硝子の赤と青が、足元に落ちている。花婿と花嫁が、すぐ横に並んでいた。ベルトランの横顔は、隙がなく、明るい。
司祭が、目で合図をする。
◇
ヴィオレッタは、口を開いた。
◇
そして、閉じる。
◇
聖堂が、静まる。
静まったことに、はじめは誰も気づかない。決まりきった一言が来るはずの場所に、何も来ない。来ないと気づくまで、少し間があった。
右の席で、誰かが咳払いをする。
司祭が、もう一度目で合図をした。
◇
ヴィオレッタは、司祭を見返す。
◇
「申し上げられませんわ」
◇
聖堂が、音を失った。
◇
「……証人殿」
「偽りなし、とは申せませんの」
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