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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第12章

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第53話 お礼は、まだ早うございますわ



 花婿が帰ったあと、マリアンヌが茶器を下げに来た。


「よい方でございますね」


「そう見えまして」


「……お見えになりませんので」


「見えますわ。よい方に」


   ◇


 マリアンヌは、それ以上は訊かない。


 訊かずに茶器を盆に載せ、少しだけ主人の顔を見てから下がっていく。この侍女は、主人の言葉の後半を拾うのが上手い。今日拾ったのは、見えますわ、のほう。


   ◇


 証は、どこにもない。


   ◇


 あの男が持参金を何に使うつもりか。南の町に誰を囲っているか。羊毛の商いをどう食うつもりか。全部聞こえたが、聞こえただけである。


 この目のことは、誰も知らない。知っているのは王城の書き物机に向かっている男ただ一人で、その男にしても、何が聞こえたかを証すことはできない。


   ◇


 男爵に知らせる手はある。


 知らせて、どうなるか。証のない話を持ち込めば、ただの悪口になる。悪名の女が、古い友の家の縁談にけちをつけた。王都はそう言うだろう。男爵は迷い、伯爵は怒り、父は顔を潰される。それで婚礼が止まる見込みは薄い。


   ◇


 降りる手もある。


 降りれば、別の誰かが立つ。モンフォール家の縁者か、伯爵の友人か。その誰かは、祭壇の前ですらすらと唱えるはずだ。この婚姻に偽りなし、と。中身を気にせずに。


 それで、婚礼は挙がる。


   ◇


 ヴィオレッタは、どちらも取らなかった。


 取らない理由は、花嫁のためではない。


 会ったこともない羊毛屋の娘を、救ってやる筋はない。救いたいとも思っていない。ただ、あの男はこちらの口を道具に使うつもりでいる。嘘をつかぬという評判を、自分の嘘の箔にするつもりでいる。


   ◇


 口は、貸しておりませんの。


   ◇


 それだけのことだった。


   ◇


 衣装合わせは、その週の終わりにあった。


 証人は、婚礼の家から衣装を一枚贈られる習いになっている。モンフォール家の仕立て部屋に通されると、伯爵の妹のオディールが先に来ていた。花婿の叔母にあたる、四十がらみの女だ。


   ◇


 オディールは、マリアンヌの袖を見て笑った。


 声は立てない。扇の陰で、口の端だけを上げる。上げたまま、隣の針子に何か囁く。針子も笑う。


 マリアンヌの袖は、少し古い仕立てだった。


 子爵家の娘が、自分の給金で一枚だけ誂えた余所行き。主人の供で出るとき、いつもそれを着てくる。


   ◇


 ヴィオレッタは、何も言わない。


 言わずに衣装を合わせ、礼を言って帰る。


 その晩、王妃付きの女官に宛てて、短い手紙を一通書いた。王妃の冬の聖歌の席は、毎年翌月に改まる。オディールが十年座り続けてきた席だが、今年の名簿にその名が載ることはないだろう。代わりに座るのは、南の男爵家の若い娘になる。


   ◇


 理由を知る者は、誰もいないことになる。


 マリアンヌにも、知らせる気はない。袖のことで主人が人を落としたと知れば、この侍女は次から余所行きを着てこなくなる。それは困る。


   ◇


 花嫁に会ったのは、婚礼の前の日。


 教会で稽古がある。花嫁と花婿が並び、証人が立ち、司祭が段取りを確かめる。明日の本番で誰も迷わぬよう、一度だけ通しておく習いだ。


 エレーヌ・ブリュネは、十九になる。


 小柄で、色が白く、髪を飾らずに後ろでまとめている。顔立ちは地味で、目だけがよく動く。落ち着きなく、ではない。相手の手元を見て、足元を見て、それから顔を見る。品物を検める者の目つき。


   ◇


 羊毛を見て育った娘の目である。


   ◇


「証人をお引き受けくださったと、伺いました」


「ええ」


「……ありがとう存じます」


「お礼は、まだ早うございますわ」


「……早い、とは」


「婚礼は明日でございましょう。済んでから、お礼をおっしゃるかどうか、お決めになればよろしいわ」


「済んでから」


「ええ。済みましたら」


   ◇


 エレーヌは、少し首を傾げた。


 内側を見る。


 静かだ。


 静かだが、空っぽではない。この娘は、自分がどういう縁組をさせられているかを、おおよそ分かっている。古い家が金を欲しがり、父は家柄を欲しがっている。自分はその間に置かれた品物にすぎない。


 分かっていて、諦めていた。


   ◇


  ――父が決めたことだもの。


   ◇


  ――断る口は、わたしにはない。


   ◇


 ヴィオレッタは、目を逸らした。


 気の毒に思ったからではない。品物を検める目を持った娘が、自分の値札だけは検めずにいる。それが少し、見ていて退屈だった。


   ◇


 稽古は、滞りなく進む。


 司祭が誓いの言葉を読み、ベルトランが復唱し、エレーヌが小さな声で続ける。花嫁の側の証人は、男爵の弟。祭壇の前へ出て、慣れた口ぶりで唱える。


 この婚姻に偽りなし、と神の御前に申し上げます。


   ◇


「では、花婿の側の証人殿」


 司祭が、こちらを見た。


   ◇


「明日、申しますわ」


   ◇


 教会の中が、少しだけ静まる。


「……稽古でございますので、一度」


「明日、申しますわ。稽古で申しても、申したことに変わりはございませんもの」


 司祭は困った顔で笑った。


 悪名の令嬢の気まぐれ、と取ったのだろう。この手の令嬢に逆らっても得はないと、教会の者はよく心得ている。


   ◇


「では、明日」


「ええ。明日」


 ベルトランの内側が、一瞬だけ曇る。曇って、すぐに晴れた。


   ◇


  ――気位の高い女だ。稽古で口を開くのが嫌なのだろう。


   ◇


 ちょうどいい読み違いである。


   ◇


 ただ一人、エレーヌだけがこちらを見ていた。


 見ているのは、顔ではない。口元だ。稽古で唱えなかった口が、明日は何を言うのか。品物を検める目で、じっと検めている。


   ◇


 その晩、マリアンヌが髪をほどいた。


 ほどきながら、一度だけ手を止める。止めて、鏡の中の主人を見た。


「お嬢様」


「なんですの」


「明日、唱えられますので」


 ヴィオレッタは、鏡の中の侍女を見返す。


 この侍女に、主人の内側は視えない。外しか見ない。ただ、外をよく見る。稽古の場で主人が口を閉じたのを、教会の誰より正しく見ていたのはこの侍女だ。


   ◇


「唱えられるものなら、唱えますわ」


「……はい」


「そう、お約束いたしましたもの」


   ◇


 マリアンヌは、髪をほどく手をまた動かしはじめる。


 動かしながら、小さく言った。


「唱えられないのでございますね」


 ヴィオレッタは、答えない。


   ◇


 答えないのが、答えだった。

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― 新着の感想 ―
ヴィオレッタいいですね。そしてマリアンヌとのやりとりがいつも小気味いい。 次の話が楽しみです。
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