↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第11章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/64

第52話 杯 ――お信じにならなかったのは、あなただけ(前編)

晩餐の客は、七人であった。


ボーモン伯爵夫人と、その娘クラリス。マルソー侯爵夫人と、その妹。老いた男爵夫妻がひと組。それから末席に、医者のギヨーム。


公爵は領地へ出ていて留守である。長い卓の上座には、ヴィオレッタがひとりで座っている。壁際にはマリアンヌが控え、給仕の采配はベルナールが執っていた。


燭台は十二。秋の晩餐にしては、少し明るすぎる。明るくしておけと言ったのはヴィオレッタで、理由は誰にも言っていない。


七人ぶんの腹の内が、スープの湯気と一緒に卓の上を漂っている。


 ――公爵様のお留守に、仲直りの晩餐ですって。


 ――あの方が、よくクラリス嬢をお許しになったこと。


 ――早く帰りたいものだ。膝が冷える。


「まあ、お医者様まで」


マルソー侯爵夫人が、スープの皿越しに声を上げた。


「公爵家では、晩餐にお医者様をお呼びになるのが近ごろの流行りですの?」


「先生は、父の古いお友達でございますの。父の留守に、お席を埋めていただきましたわ」


ギヨームは白い髭の下で、困ったように笑った。なぜ呼ばれたのか、本人にもまだ分かっていない。


マルソー侯爵夫人は、それからも皿が替わるたびに何か言った。魚の小ささには触れなかったが、魚の話はした。スープの塩の話もした。燭台の数まで数えている。


 ――この方は、次からお名前を外しましょう。


ヴィオレッタはそれだけ決めて、あとは夫人の話を聞いていない。


   ◇


クラリスは、ほとんど食べていなかった。


皿に手はつけている。ナイフも動かしている。けれど口へ運ぶ量が少ない。目だけが、ときどき酒棚のほうへ滑っていく。


そのたびに、赤黒い色が立つ。


 ――まだ。まだ出てこない。


 ――肉のあとか。肉のあとに出すと言っていた。


隣の伯爵夫人は、娘の様子にまるで気づいていない。ひと月ぶりに外へ連れ出せたのが嬉しいのだろう。男爵夫人を相手に、娘が小さいころ庭の池へ落ちた話をしている。


母親のまわりには、色がひとつも立っていなかった。この方は、本当に何もご存じない。


肉の皿が下げられた。


ベルナールが、銀の盆に瓶を一本のせて入ってくる。埃は払ってあるが、封蝋はそのまま。ボーモン家の紋が、燭台の火を受けて鈍く光った。


「ボーモン伯爵家のクラリス様より、お嬢様へ頂戴いたしました品でございます」


執事が客の前で封を切った。蝋が割れ、栓が抜かれる。


クラリスの肩から、目に見えて力が抜けていった。


 ――開いた。


 ――あとは注がせて、飲むのを見ればいい。


伯爵夫人が、娘の手にそっと自分の手を重ねた。


「この子ったら、ずっと気にしておりましたのよ。あの夜のことで、ヴィオレッタ様にお嫌われしたのではないかと」


「クラリス様がお気になさることでは、ございませんわ」


ヴィオレッタは微笑んだ。


嫌っていないとは、ひと言も言っていない。


ベルナールが杯に酒を注ぐ。杯はひとつだけ。深い赤が、燭台の下で黒く見えた。


執事は盆を持ったまま、上座へ歩きかけた。


「ベルナール」


「は」


「その杯は、クラリス様の前へ」


   ◇


卓の上の腹の内が、一斉に止まる。


それから、一斉に鳴りはじめた。


 ――え?


 ――毒見をさせるおつもり? まさか。


 ――からかっておいでなのよ。あの方らしいこと。


クラリスの顔から、血の気が引いていく。


「あの、ヴィオレッタ様。わたくしは、お酒が」


「存じておりますわ。お弱いのでしょう」


ヴィオレッタは扇を開いた。


「それから、あなたがわたくしを恨んでおいでなことも、存じております」


老いた男爵夫人が、フォークを皿に落とした。


誰も拾わない。夜会の葡萄酒の一件も、ランベール家の断りの書状も、この卓の全員が知っている。


「恨まれる覚えは、ございますもの。ですから、恨んでおいでの方からいただいたものを、わたくしが先にいただくわけにはまいりませんの。お持ちになった方が、先にひと口。昔からの作法でございましょう」


「そんな……わたくし、恨んでなど」


「では、なおのこと、お飲みになれますわね」


クラリスの指が、卓の縁を掴んだ。


「……何か、入っているとでもおっしゃいますの」


「何も入っておりませんわ」


ヴィオレッタは、まっすぐに答えた。


嘘をつかない女だということは、王都の誰もが知っている。この女が「入っていない」と言うなら、入っていないのである。


卓の客たちの肩から、少しずつ力が抜けていく。マルソー侯爵夫人など、もう笑いかけていた。


ただひとり、クラリスだけが抜けなかった。


 ――入っていない?


 ――そんなはずはない。わたしが、この手で。


 ――替えられた? いつ。封は、いま目の前で切った。紋も、年も、同じ。


色が、見たこともないほど濃くなる。


信じれば、二十日かけて組み立てたものが、もうどこかで崩れていることになる。信じなければ、この杯には毒がある。どちらを選んでも、飲めば終わりだと思っている顔である。


ヴィオレッタは、その色をゆっくり眺めた。


怯えの色は、眺めていて飽きない。人がいちばん正直になるのは、こういうときだ。夜会で杯を傾けた娘の腹の内は、あの夜、愉快そうに揺れていた。いまは、震えている。


「クラリス」


伯爵夫人が、小声で娘をつついた。


「頂戴なさい。ひと口だけでいいのよ。せっかくのお心遣いなんですから」


母親は、何も知らない。


クラリスは杯を持った。手が震えて、縁から赤いものが一筋、白い卓布へ落ちる。


ひと月前、藤色の絹の上を走ったのと、同じ色だった。


飲んだ。


ひと口ではなく、ふた口。杯を置いたとき、中身は半分に減っていた。

お読みいただき、ありがとうございました!

皆様にお願いです

ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に

応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。