第48話 御用達には、目録が要りますの
王室御用達というのは、看板ではない。
王室が品を買う商人の名を、蔵方が帳に載せる。それだけの話である。載れば、王都の家が競って同じ商人から買う。載らなければ、どれだけ品がよくても、王都の一等の家には入れない。
値が変わる。三倍に変わる者もいる。
◇
載せるかどうかを決めるのは、蔵方頭のモレルであった。
六十に近い男で、髪が白く、声が小さい。王室の蔵を四十年預かっている。物を買う目ではなく、物を疑う目で生きてきた男であった。
ヴィオレッタは、その男に書状を出した。
◇
北から来た絵商人がいる。王都の家がよく買っている。御用達の口を、一度お調べになってはいかがか。そう書いた。
推すとは書いていない。
調べてみてはどうか、としか書いていない。推せば、こちらの名が保証になる。保証をした者は、あとで一緒に落ちる。
◇
ヴァスールが公爵家に来たのは、書状を出した四日後である。
来たときの顔が、いつもと違った。
「お嬢様。蔵方から、お呼び出しが」
「まあ。よろしゅうございましたわね」
「お嬢様が、お口添えを」
「口添えはいたしませんわ。一度お調べになっては、と申し上げただけでございます」
◇
嘘ではない。
ヴァスールの内側は、それを聞いていなかった。
聞いていたのは、口添え、という一語だけである。この男の中で、公爵令嬢が推してくれたという話が、もう出来上がっていた。出来上がったものは、こちらが崩さなければ、そのまま立っている。
◇
――これで、乗った。
◇
「お嬢様には、なんとお礼を申し上げてよいか」
「お礼は要りませんわ」
「では、せめて次の一枚を、お値を引いて」
「それも要りませんわ。値は、いつもどおりでけっこうでございます」
◇
値を引かれては困る。
◇
四枚は、いつもどおりの値で買った。いつもどおりの値で買ったからこそ、いつもどおりの来歴がついてくる。
御用達の審査は、半年かかるのがふつうである。
品を検め、来歴を検め、扱ってきた家に人を出して確かめる。蔵方が四十年かけて作った手順で、そこを飛ばした商人は一人もいない。
◇
今度は、二月で済むことになった。
早いのは、ヴィオレッタの書状が先に届いていたからである。書状には推すと書いていないが、届いたという事実だけで、手順は早くなる。公爵家の名とは、そういうものであった。
◇
王城に上がったのは、その晩である。
アルベールは、書き物の手を止めずに聞いている。聞き終えてから、筆を置いた。
◇
「絵を買ったそうだな」
「四枚、買いましたわ」
「王都では、そなたが目利きを気取って贋物を掴まされたと申しておる」
「掴まされておりませんわ」
◇
「では、本物か」
「贋物でございます」
◇
アルベールの眉が、わずかに動く。
「知って買ったか」
「知って買いました」
「……なぜだ」
「申し上げますと、お止めになりますもの」
アルベールは、しばらく黙っていた。
この男の内側は、いつも氷点下である。その氷の中に、細い渦が一つ立った。面白がる色であった。
◇
「一つ残らず出せと申したはずだ」
「出すものが、まだございませんの」
「四枚の贋物は、出すものではないのか」
「四枚の贋物は、わたくしの持ち物でございます」
「……一つだけ、お願いがございますの」
「申せ」
「蔵の絵を、一枚出していただきとうございます」
◇
「どれだ」
「北の画家アンセルムの板絵。窓辺の女。先々代が献上いたしましたもの」
アルベールは、訊かなかった。
なぜ、とも、どうするつもりだ、とも訊かない。この男は、訊けば答えが返り、返った答えを引き受けねばならなくなることを知っている。今日は引き受けないほうを選んだらしい。
◇
「出しておこう」
「ありがとう存じますわ」
「そなた、しでかすな」
「しでかしますわ」
◇
目録を書く日は、十二月の初めであった。
王城の、蔵方の控えの間である。長い卓が一つあり、片側にモレルと書役が二人、向かいにヴァスールが座った。ヴィオレッタは、壁際の椅子に座らせてもらった。
座らせてもらった、というのが正しい。
◇
本来、御用達の審査に部外の者は入れない。入れたのは、この件を蔵方に知らせたのがこちらだからである。知らせた者には、見届ける筋がある。
「扱いの品を、一点ずつお書きください」
モレルが言った。
「品の名。画家の名。描かれた年。それから、どなたの手をどう渡ってきたか」
「かしこまりました」
「御用達の目録でございます。お書きになったものは、王室が本物と見なします」
◇
ヴァスールの手が、少しだけ止まった。
止まったのは、ほんの一瞬である。
内側で、算盤が一度だけ回った。回って、すぐに止まる。この男は、来歴を書くのが仕事であった。書くのが仕事の者に、書けと言われるのは、恐ろしいことではない。
◇
――書ける。
◇
「万一、異なりました場合は」
「私の名にかけて、異なりはいたしません」
ヴァスールは、書きはじめた。
◇
速かった。
◇
迷いがない。
字は大きく、行は詰めず、書き損じが一つも出ない。来歴を書くというのは、この男にとって、覚えていることを写す作業ではなく、組み立てる作業であった。組み立て慣れた者の手は、思い出す者の手より速い。
◇
一点につき、十行は書く。画家の名、描かれた年、描かれた土地。北のどの工房で下地が作られ、どの弟子が絵具を溶いたか。それから所蔵の移りを、古い順に並べていく。修道院から男爵家へ、男爵家から商会へ、商会から自分の手へ。
◇
書きながら、ときどき顔を上げて、モレルに話しかけた。
「この一点は、裏板に虫の食いがございます。北の冬は乾きますので、虫が入るのは南で保たれた証でございまして」
「ほう」
「こちらは、絵具の下に別の下描きが見えます。アンセルムは、板を二度使う癖がございましたので」
「よくご存じですな」
「二十年、絵ばかり見てまいりましたので」
◇
モレルの内側が、少しずつ緩んでいく。
この蔵方は、疑う目で生きてきた男である。疑う目を持つ者ほど、詳しい話に弱い。詳しく語れる者は、詳しさのぶんだけ本物に見える。
ヴィオレッタは、壁際で黙っていた。
一言も口を挟まない。挟む必要がなかった。この部屋でいま起きていることは、ヴィオレッタが望んだとおりの形をしていた。
◇
書きはじめて二刻で、三十点を越える。
「お嬢様のお手元の四点も、お書きいたしましょうか」
ヴァスールが、こちらを向いた。
言い出したのは、この男のほうである。
「よろしいのですの」
「もちろんでございます。お嬢様のお持ちの四点は、私の扱いの中でも上のものでございますから」
「では、お願いいたしますわ」
◇
ヴィオレッタは、それだけ言った。
頼んだのではない。頼まれたので、承知しただけである。
ヴィオレッタは、四枚を蔵方の卓に並べさせた。
窓辺の女。川。冬の市。老人の手。どれも、南の廊に掛けてあったものである。運ばせるとき、ベルナールが一度だけ、本当によろしいのですかと訊いた。訊かれたので、よろしいと答えた。
◇
ヴァスールは、四点を書いた。
書きぶりは、ほかの三十六点と変わらない。板の厚み、絵具の層、裏板の虫食い。見てきた者にしか書けないことを、十行ずつ並べていく。並べ終えるたびに、この男は満足そうに息をついた。
四点とも、所蔵の移りの三行目に、同じ一行が入った。
◇
先々代の年に、アルヴェール公爵家所蔵。
◇
書き終えて、ヴァスールは末尾に署名した。
署名は、丁寧であった。名前の最後の一画を、少し長く払う癖がある。四十点のどれにも、同じ払いがあった。
モレルは、四十点ぶんの紙を揃え、端を打って重ねた。
重ねた紙束に、書役が二人がかりで通し番号を振っていく。振り終えたものは、蔵方の帳に貼られる。貼られた紙は、剥がされない。
◇
目録は、蔵方に納められた。
◇
納められたものは、返らない。
◇
その週のうちに、噂が回った。
北の絵商人が、王室御用達になるらしい。あの絵は本物だったらしい。アルヴェールの令嬢は、目が利かないどころか、王都の誰より早く見抜いていたらしい。
噂というのは、こういうふうに向きを変える。
◇
半月前まで、王都はヴィオレッタを笑っていた。
笑っていた口が、同じ顔で褒めはじめる。褒める理由も、笑っていた理由と同じくらい薄い。薄いものは、また簡単に向きを変える。それも承知のうえであった。
「ラング伯爵夫人が、お見えでございます」
「どなた」
「……三枚、お買いになった方でございます」
◇
伯爵夫人は、目録の話をしに来た。
自分の三枚も、目録に入れてもらえないか。入れば、家の格が上がる。入らなければ、入った家に見劣りする。夫人の内側は、その勘定でいっぱいであった。
「ヴァスールさんに、お口添えを」
「口添えはいたしませんわ」
「まあ。ですが、お嬢様のお四枚は」
「あの方が、ご自分で書くと仰いましたの」
◇
「では、わたくしのぶんも、あの方に」
「そうなさいまし」
ヴィオレッタは、止めなかった。
止めれば、この夫人は助かる。助けてやる筋はない。三枚を見る目がなかったのは、この夫人の目である。目のない者が損をするのは、絵の世界では当たり前であった。
◇
夫人が帰ったあと、マリアンヌが茶を下げにきた。
「……お止めになれば、よろしかったのに」
「なぜ」
「あの方は、損をなさいます」
「なさいますわね」
「お嬢様は、四枚も損をなさっておいでです」
「ええ」
「それで、よろしいのですか」
◇
「よろしいですわ。わたくしは、損をすると承知で買いましたの。あの方は、得をすると思って買っておいでです。同じ損でも、中身が違いますわ」
マリアンヌは、それ以上訊かなかった。
訊かずに、湯を注いだ。いつもより、ほんの少しぬるかった。
◇
ベルナールは、最後まで渋っていた。
「お嬢様。贋物を、王室にお納めになるのでございますか」
「納めませんわ」
「ですが、目録には」
「目録に載っただけでございます。まだ、一枚も納めておりません」
「献上の日取りが、決まったそうでございます」
「いつ」
「年明けの、七日でございます。蔵方の広間で、ご当主様がたの前で」
◇
ヴィオレッタは、茶碗を持ち上げた。
持ち上げて、口をつける前に、一度だけ窓のほうを見る。
蔵の絵は、その日に出されることになっている。
◇
窓辺の女が、二枚並ぶ。




