第47話 贋物と存じて、買いましたのよ
絵を売る男が王都に来たのは、秋の初めである。
ドミニク・ヴァスール。四十の半ばで、髪を後ろで結い、指が細く、爪がいつも磨いてある。北の国を長く回っていたという。回ってきた土産が、荷馬車二台ぶんの絵であった。
◇
売り方が、うまかった。
店は構えない。王都の家を一軒ずつ回り、応接の間で包みをほどく。ほどきながら、絵の話をする。誰が、どこで、どういう心持ちで描いたか。一枚につき四半刻は喋る。喋り終えるころには、聞いた側がその絵を惜しくなっている。
◇
公爵家に来たのは、九月の末であった。
「アンセルムの、晩年のものでございます」
包みから出てきたのは、窓辺の女を描いた小さな板絵である。
「お嬢様は、絵をご覧になりますか」
「見ますわ。分かりはいたしませんけれど」
「分かる必要はございません。よい絵は、分からぬ方の足も止めますので」
◇
足は、たしかに止まった。
止まったところで、この男は喋りはじめる。喋り方に順序があった。まず絵の話、次に画家の話、最後に持ち主の話。値の話は、こちらから訊くまでしない。
アンセルムは、百年ほど前の北の画家であった。工房を持たず、弟子もわずかしか取らず、生涯に描いたものは数えるほどしかない。真作は、王家と大貴族の蔵にしかない。王都の絵好きが一生に一度見られるかどうか、という画家である。
◇
ヴィオレッタは、絵を見た。
◇
よく描けている。
窓から入る光が、女の頬で一度止まって、それから首筋へ落ちていく。止め方が巧い。百年前の筆かどうかは、ヴィオレッタには分からない。分からないが、巧いことだけは分かった。
◇
それから、男の内側を見た。
◇
――贋物だ。
◇
はっきりしていた。
この男は、これが本物でないことを知っている。知っていて、本物として売りに来ている。迷いも、後ろめたさもない。仕入れ値と売り値の差を、もう三度は数え終えた顔であった。
「おいくらですの」
◇
ヴァスールが額を言った。
ベルナールの眉が、はっきりと動いた。二十年この家の財布を握ってきた男の眉である。動いた先で、この執事が何を考えたかは聞かなくても分かる。
「買いますわ」
「……お嬢様」
「買うと申しました」
「お待ちくださいませ。せめて、絵師に見せてからでも」
「見せませんわ。わたくしが気に入りましたの」
◇
「よろしいのでございますか。お一つ、お確かめになりませんと」
「何を」
「来歴でございます。お求めの前にご覧いただくのが、筋でございますので」
「あとで拝見しますわ」
ヴァスールが、丁寧に頭を下げた。
下げた先で、内側がひとつ跳ねる。
◇
――軽い。
◇
――この娘は、目が利かない。
なるほど、とヴィオレッタは思った。
軽いと思われるのは、こちらの得である。軽い客のところへは、商人は何度でも来る。
二枚目は、十月に入ってすぐ持ってきた。
こちらは川の絵であった。一枚目より大きく、値も倍ほどする。ヴィオレッタは、また買った。
◇
買ってから、裏を見た。
板の裏に、来歴の紙が貼ってある。
絵には来歴がついて回る。誰が描き、誰が持ち、誰から誰へ渡ったか。その紙があるかないかで、値はずいぶん変わる。ヴァスールの絵には、どれも丁寧な来歴がついていた。
◇
その紙に、公爵家の名があった。
先々代の年に、アルヴェール公爵家所蔵。
ヴィオレッタは、ベルナールを呼んだ。
「うちに、こういう絵がございましたの」
「……ございません」
「一度も」
「一度もございません。絵の目録は、わたくしが預かっております。アンセルムの名は、ただの一度も出てまいりません」
◇
執事の声が、途中から低くなった。
この男は、公爵家の財と名が汚されることにだけは、主人より先に腹を立てる。二十年、そうやって生きてきた男である。
「では、これは嘘ですわね」
「嘘でございます」
「うちの名が、贋物の箔に使われておりますのね」
◇
ヴィオレッタは、紙を指でなぞった。
絵を贋物で売るのは、商人の勝手である。買うほうが見る目を持てばよい。腹も立たない。
うちの名を、その紙に書くのは別であった。
公爵家の名は、こちらが二百年かけて育てたものである。育てた名に、他人が勝手に値札を貼っている。貼った値札で、他人が儲けている。
◇
――気にくわないわ。
◇
「旦那様に、申し上げますか」
「いりませんわ」
「ですが、お家の名でございます」
「わたくしの家の名ですわ」
ベルナールは、それ以上言わなかった。
言わずに、二枚目の代金を数えて渡した。渡す手つきが、一枚目より遅かった。遅いのは、この執事なりの抗議である。
◇
同じ月に、ヴィオレッタは一つ潰している。
王都の額縁屋である。公爵家の出入りを三十年許していた店で、腕は悪くない。その店の主人が、二枚目の絵を届けに来たとき、絵を横目で見て、口の端を少しだけ動かした。
動かしただけである。何も言っていない。
◇
翌週、公爵家の額縁はよその店に替わった。理由は誰にも言っていない。笑うなら、こちらに聞こえるように笑えばよろしい。聞こえないところで笑う者が、いちばん気にくわなかった。
三枚目を持ってきたとき、ヴァスールは椅子に座る前に包みをほどいた。
◇
「本日は、お嬢様にぜひとご用意いたしました」
「まあ。わたくしに」
「お目が、お若いのに確かでいらっしゃる。売る者には、それが何よりでございます」
目が確かだと言われたのは、生まれてはじめてである。
この男の内側は、そのときも同じ一語を鳴らしていた。軽い、である。褒める言葉と思っている言葉が、これほどまっすぐに食い違う者も珍しい。
◇
三枚目と四枚目は、十一月に買った。
四枚で、公爵家の一季ぶんの費えに近い額になる。四枚とも、来歴にアルヴェール公爵家の名があった。
噂は、三枚目のころから立ちはじめた。
アルヴェールの令嬢が、北の絵を買い集めている。目が利かぬのに買い集めている。あれは絵を見ているのではなく、値札を見ているのだ、と。
◇
「王都で、そう申しておりますそうで」
マリアンヌが、湯を注ぎながら言った。
「そう」
「……お否みになりませんの」
「否みませんわ。事実ですもの」
「事実、でございますか」
「ええ。わたくし、目が利きませんの。絵の良し悪しは分かりませんわ」
◇
嘘ではない。
絵の良し悪しは分からない。分かるのは、売りに来た男が何を思っているかだけである。それは絵を見る目ではなかった。
「では、贋物とご存じで」
「存じておりますわ」
「……四枚とも」
「四枚とも」
マリアンヌの手から、急須が少し傾いた。
◇
「ではなぜ、お買いになりますの」
「申し上げても、証になりませんもの」
ヴィオレッタは、茶碗を持ち上げて、飲まずに置いた。
あの男が贋物と知って売っていることは、視えている。視えているだけである。
この目で視たものを、人に納得させる術を、彼女は十七年探して、まだ見つけていない。八つの年に銀器の盗人を言い当てて、代わりに別の下働きが屋敷を追われて以来、数えるのはやめていた。
◇
贋物でございます、と言ったところで、負けた客の言いがかりになる。
「絵師にお見せになっては。本物かどうか、見分けのつく方がおられましょう」
「おりますわね」
「では」
「見分けがついて、どうなりますの」
マリアンヌが、口をつぐんだ。
◇
絵師が贋物だと言う。ヴァスールは驚いてみせる。私も騙されました、と言う。仕入れた先はもう北へ帰った、と言う。それで終いである。
◇
騙された者は、罪に問えない。
◇
「あの方に、ご自分で言っていただきますわ」
「……贋物だと、でございますか」
「いいえ」
◇
「本物だと、でございます」
◇
マリアンヌは、分からない顔をした。
分からなくて当然である。ヴィオレッタ自身、その形がはっきりしたのは、四枚目の来歴を読んだときであった。
先々代の年に、アルヴェール公爵家所蔵。
この一行は、どこかから拾ってきたものである。まるきりの出まかせなら、もっと当たり障りのない家を書く。わざわざ公爵家の名を書いたのは、公爵家とアンセルムのあいだに、何かがあると知っていたからであった。
◇
ヴィオレッタは、ベルナールにもう一度訊いた。
「うちとアンセルムに、縁はございませんの」
「絵は、ございません」
「絵は」
「……お待ちくださいませ」
執事が戻ってきたのは、二刻あとである。
古い帳を抱えていた。表紙が擦り切れていて、紐が二度切ってつないである。この家の、祖父の代の帳であった。
◇
「納めております」
「どちらへ」
「王室へ」
ヴィオレッタは、顔を上げた。
「先々代が、王家へ献上いたしております。北の画家アンセルムの板絵、一点。窓辺の女」
◇
窓辺の女。
◇
いま、公爵家の南の廊に掛かっている一枚目と、同じ題である。
「その絵は、いまどちらに」
「王室の蔵でございましょう。献上したものは、戻ってまいりません」
「表に出ておりますの」
「……存じません。ただ、わたくしは見たことがございません」
◇
三十年、この執事は王城に出入りしている。
その男が見たことがないのなら、王都のほとんどの者は見ていない。蔵にしまわれた絵は、そういうものである。
ヴァスールは、公爵家がアンセルムを持っていたという話だけを、どこかで拾った。
拾って、来歴に書く。
書いたところまでは、うまい仕事であった。
◇
ただ、この男は、その絵がいまどこにあるかを調べなかった。
◇
――調べる必要が、ございませんものね。
◇
蔵の絵は出てこない。出てこないものと、自分の絵が並ぶことはない。並ばないかぎり、来歴の一行は誰にも確かめられない。
◇
並べてしまえばよい。
◇
「ベルナール」
「はい」
「王室御用達の口は、どのようにして取るものでしたかしら」
執事の顔が、はじめて上がった。
◇
「……お嬢様」
「あの方に、取らせて差し上げますわ」




