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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第10章

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第47話 贋物と存じて、買いましたのよ


 絵を売る男が王都に来たのは、秋の初めである。


 ドミニク・ヴァスール。四十の半ばで、髪を後ろで結い、指が細く、爪がいつも磨いてある。北の国を長く回っていたという。回ってきた土産が、荷馬車二台ぶんの絵であった。


   ◇


 売り方が、うまかった。


 店は構えない。王都の家を一軒ずつ回り、応接の間で包みをほどく。ほどきながら、絵の話をする。誰が、どこで、どういう心持ちで描いたか。一枚につき四半刻は喋る。喋り終えるころには、聞いた側がその絵を惜しくなっている。


   ◇


 公爵家に来たのは、九月の末であった。


「アンセルムの、晩年のものでございます」


 包みから出てきたのは、窓辺の女を描いた小さな板絵である。


「お嬢様は、絵をご覧になりますか」


「見ますわ。分かりはいたしませんけれど」


「分かる必要はございません。よい絵は、分からぬ方の足も止めますので」


   ◇


 足は、たしかに止まった。


 止まったところで、この男は喋りはじめる。喋り方に順序があった。まず絵の話、次に画家の話、最後に持ち主の話。値の話は、こちらから訊くまでしない。


 アンセルムは、百年ほど前の北の画家であった。工房を持たず、弟子もわずかしか取らず、生涯に描いたものは数えるほどしかない。真作は、王家と大貴族の蔵にしかない。王都の絵好きが一生に一度見られるかどうか、という画家である。


   ◇


 ヴィオレッタは、絵を見た。


   ◇


 よく描けている。


 窓から入る光が、女の頬で一度止まって、それから首筋へ落ちていく。止め方が巧い。百年前の筆かどうかは、ヴィオレッタには分からない。分からないが、巧いことだけは分かった。


   ◇


 それから、男の内側を見た。


   ◇


  ――贋物だ。


   ◇


 はっきりしていた。


 この男は、これが本物でないことを知っている。知っていて、本物として売りに来ている。迷いも、後ろめたさもない。仕入れ値と売り値の差を、もう三度は数え終えた顔であった。


「おいくらですの」


   ◇


 ヴァスールが額を言った。


 ベルナールの眉が、はっきりと動いた。二十年この家の財布を握ってきた男の眉である。動いた先で、この執事が何を考えたかは聞かなくても分かる。


「買いますわ」


「……お嬢様」


「買うと申しました」


「お待ちくださいませ。せめて、絵師に見せてからでも」


「見せませんわ。わたくしが気に入りましたの」


   ◇


「よろしいのでございますか。お一つ、お確かめになりませんと」


「何を」


「来歴でございます。お求めの前にご覧いただくのが、筋でございますので」


「あとで拝見しますわ」


 ヴァスールが、丁寧に頭を下げた。


 下げた先で、内側がひとつ跳ねる。


   ◇


  ――軽い。


   ◇


  ――この娘は、目が利かない。


 なるほど、とヴィオレッタは思った。


 軽いと思われるのは、こちらの得である。軽い客のところへは、商人は何度でも来る。


 二枚目は、十月に入ってすぐ持ってきた。


 こちらは川の絵であった。一枚目より大きく、値も倍ほどする。ヴィオレッタは、また買った。


   ◇


 買ってから、裏を見た。


 板の裏に、来歴の紙が貼ってある。


 絵には来歴がついて回る。誰が描き、誰が持ち、誰から誰へ渡ったか。その紙があるかないかで、値はずいぶん変わる。ヴァスールの絵には、どれも丁寧な来歴がついていた。


   ◇


 その紙に、公爵家の名があった。


 先々代の年に、アルヴェール公爵家所蔵。


 ヴィオレッタは、ベルナールを呼んだ。


「うちに、こういう絵がございましたの」


「……ございません」


「一度も」


「一度もございません。絵の目録は、わたくしが預かっております。アンセルムの名は、ただの一度も出てまいりません」


   ◇


 執事の声が、途中から低くなった。


 この男は、公爵家の財と名が汚されることにだけは、主人より先に腹を立てる。二十年、そうやって生きてきた男である。


「では、これは嘘ですわね」


「嘘でございます」


「うちの名が、贋物の箔に使われておりますのね」


   ◇


 ヴィオレッタは、紙を指でなぞった。


 絵を贋物で売るのは、商人の勝手である。買うほうが見る目を持てばよい。腹も立たない。


 うちの名を、その紙に書くのは別であった。


 公爵家の名は、こちらが二百年かけて育てたものである。育てた名に、他人が勝手に値札を貼っている。貼った値札で、他人が儲けている。


   ◇


  ――気にくわないわ。


   ◇


「旦那様に、申し上げますか」


「いりませんわ」


「ですが、お家の名でございます」


「わたくしの家の名ですわ」


 ベルナールは、それ以上言わなかった。


 言わずに、二枚目の代金を数えて渡した。渡す手つきが、一枚目より遅かった。遅いのは、この執事なりの抗議である。


   ◇


 同じ月に、ヴィオレッタは一つ潰している。


 王都の額縁屋である。公爵家の出入りを三十年許していた店で、腕は悪くない。その店の主人が、二枚目の絵を届けに来たとき、絵を横目で見て、口の端を少しだけ動かした。


 動かしただけである。何も言っていない。


   ◇


 翌週、公爵家の額縁はよその店に替わった。理由は誰にも言っていない。笑うなら、こちらに聞こえるように笑えばよろしい。聞こえないところで笑う者が、いちばん気にくわなかった。


 三枚目を持ってきたとき、ヴァスールは椅子に座る前に包みをほどいた。


   ◇


「本日は、お嬢様にぜひとご用意いたしました」


「まあ。わたくしに」


「お目が、お若いのに確かでいらっしゃる。売る者には、それが何よりでございます」


 目が確かだと言われたのは、生まれてはじめてである。


 この男の内側は、そのときも同じ一語を鳴らしていた。軽い、である。褒める言葉と思っている言葉が、これほどまっすぐに食い違う者も珍しい。


   ◇


 三枚目と四枚目は、十一月に買った。


 四枚で、公爵家の一季ぶんの費えに近い額になる。四枚とも、来歴にアルヴェール公爵家の名があった。


 噂は、三枚目のころから立ちはじめた。


 アルヴェールの令嬢が、北の絵を買い集めている。目が利かぬのに買い集めている。あれは絵を見ているのではなく、値札を見ているのだ、と。


   ◇


「王都で、そう申しておりますそうで」


 マリアンヌが、湯を注ぎながら言った。


「そう」


「……お否みになりませんの」


「否みませんわ。事実ですもの」


「事実、でございますか」


「ええ。わたくし、目が利きませんの。絵の良し悪しは分かりませんわ」


   ◇


 嘘ではない。


 絵の良し悪しは分からない。分かるのは、売りに来た男が何を思っているかだけである。それは絵を見る目ではなかった。


「では、贋物とご存じで」


「存じておりますわ」


「……四枚とも」


「四枚とも」


 マリアンヌの手から、急須が少し傾いた。


   ◇


「ではなぜ、お買いになりますの」


「申し上げても、証になりませんもの」


 ヴィオレッタは、茶碗を持ち上げて、飲まずに置いた。


 あの男が贋物と知って売っていることは、視えている。視えているだけである。


 この目で視たものを、人に納得させる術を、彼女は十七年探して、まだ見つけていない。八つの年に銀器の盗人を言い当てて、代わりに別の下働きが屋敷を追われて以来、数えるのはやめていた。


   ◇


 贋物でございます、と言ったところで、負けた客の言いがかりになる。


「絵師にお見せになっては。本物かどうか、見分けのつく方がおられましょう」


「おりますわね」


「では」


「見分けがついて、どうなりますの」


 マリアンヌが、口をつぐんだ。


   ◇


 絵師が贋物だと言う。ヴァスールは驚いてみせる。私も騙されました、と言う。仕入れた先はもう北へ帰った、と言う。それで終いである。


   ◇


 騙された者は、罪に問えない。


   ◇


「あの方に、ご自分で言っていただきますわ」


「……贋物だと、でございますか」


「いいえ」


   ◇


「本物だと、でございます」


   ◇


 マリアンヌは、分からない顔をした。


 分からなくて当然である。ヴィオレッタ自身、その形がはっきりしたのは、四枚目の来歴を読んだときであった。


 先々代の年に、アルヴェール公爵家所蔵。


 この一行は、どこかから拾ってきたものである。まるきりの出まかせなら、もっと当たり障りのない家を書く。わざわざ公爵家の名を書いたのは、公爵家とアンセルムのあいだに、何かがあると知っていたからであった。


   ◇


 ヴィオレッタは、ベルナールにもう一度訊いた。


「うちとアンセルムに、縁はございませんの」


「絵は、ございません」


「絵は」


「……お待ちくださいませ」


 執事が戻ってきたのは、二刻あとである。


 古い帳を抱えていた。表紙が擦り切れていて、紐が二度切ってつないである。この家の、祖父の代の帳であった。


   ◇


「納めております」


「どちらへ」


「王室へ」


 ヴィオレッタは、顔を上げた。


「先々代が、王家へ献上いたしております。北の画家アンセルムの板絵、一点。窓辺の女」


   ◇


 窓辺の女。


   ◇


 いま、公爵家の南の廊に掛かっている一枚目と、同じ題である。


「その絵は、いまどちらに」


「王室の蔵でございましょう。献上したものは、戻ってまいりません」


「表に出ておりますの」


「……存じません。ただ、わたくしは見たことがございません」


   ◇


 三十年、この執事は王城に出入りしている。


 その男が見たことがないのなら、王都のほとんどの者は見ていない。蔵にしまわれた絵は、そういうものである。


 ヴァスールは、公爵家がアンセルムを持っていたという話だけを、どこかで拾った。


 拾って、来歴に書く。


 書いたところまでは、うまい仕事であった。


   ◇


 ただ、この男は、その絵がいまどこにあるかを調べなかった。


   ◇


  ――調べる必要が、ございませんものね。


   ◇


 蔵の絵は出てこない。出てこないものと、自分の絵が並ぶことはない。並ばないかぎり、来歴の一行は誰にも確かめられない。


   ◇


 並べてしまえばよい。


   ◇


「ベルナール」


「はい」


「王室御用達の口は、どのようにして取るものでしたかしら」


 執事の顔が、はじめて上がった。


   ◇


「……お嬢様」


「あの方に、取らせて差し上げますわ」

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