第46話 わたくしは、同じことしか申しませんの
南の間には、卓を一つだけ置かせた。
丸い卓である。上座も下座もない。五つの椅子を等しく並べ、どの椅子からも、ほかの四人の顔が見えるようにした。
「お嬢様。席次は、いかがいたしましょう」
「決めませんわ」
「……決めない」
「丸い卓でございますもの。お好きなところにお座りいただけばよろしいの」
◇
マリアンヌは、黙って茶器を並べた。
並べる手が、いつもより少しだけ遅い。この侍女は、今日の卓がどういう卓なのかを、主人よりよく分かっていた。
最初に来たのは、グランモン侯爵夫人である。
約束の刻限より、ちょうど四半刻早い。七十年、この女は約束に遅れたことがないのであろう。遅れる者を待たせるより、待つほうを選んできた女の早さであった。
「本日は、お招きありがとう存じます」
「お越しくださって、ありがとう存じますわ」
◇
次がブノワ子爵夫人、最後がアンリエットである。
三人は、互いの顔を見て、それぞれ別の顔をする。
侯爵夫人は眉を上げ、子爵夫人は目を伏せ、アンリエットは扇の陰で口を開けた。三つの集まりの頭が、一つの卓を囲んでいる。王都で、それを見たことのある者は、たぶん一人もいなかった。
◇
「ヴィオレッタ様。これは、どういう」
「お茶会でございますわ、アンリエット様」
「それは、分かりますけれど」
「イザベル様も、お見えになりますの」
三人が、同じところで息を止めた。
止めて、三人とも、少しだけ頬を緩めた。緩め方がそれぞれ違う。けれど、緩んだ理由は同じであった。あの娘が来るのなら、今日の茶会はまともなものになるであろう、と。
◇
イザベルは、刻限ちょうどに来る。
扉が開いて、灰色の衣装が見える。見えた瞬間、ヴィオレッタはその内側を視ていた。
◇
跳ねた。
◇
ほんの一瞬である。卓の顔ぶれを見て、この娘の内側が、はっきりと跳ねた。
◇
すぐに押し込まれた。
押し込んだあとに、別の色が上がってくる。計算の色であった。この顔ぶれで、北の話は出ない。出させない。話を別のほうへ運べばいい。
◇
――嘘をつけない女は、罠を張れない。
◇
イザベルの内側は、そう言っていた。
この娘は、ヴィオレッタの噂をよく知っている。嘘をつかない、という噂である。嘘をつかない女は、腹芸ができない。腹芸のできない女が、罠を張れるはずがない。この三人を集めたのは、たまたまであろう。
筋は通っている。通っているから、この娘は扉のところで引き返さなかった。
◇
「ごきげんよう、皆さま」
イザベルは、丁寧に礼をした。
礼の角度が、三人のちょうど真ん中に向いていた。侯爵夫人に深すぎず、アンリエットに浅すぎず、子爵夫人に向けて、ほんの少しだけ目を伏せる。一つの礼で三人ぶんを済ませる。器用な娘である。
◇
茶会は、穏やかに進んだ。
進めたのは、イザベルである。
春の庭の話をし、花の話をし、今年の聖堂の祭りの話をした。どの話も、三人のうち誰か一人だけに寄らない。寄らないように、話の端を順に三人へ渡していく。渡された三人は、それぞれ気持ちよく答えた。
◇
ヴィオレッタは、ほとんど喋らなかった。
喋る必要がない。訊きたいことは一つしかなかった。訊く頃合いを、待っていただけである。
二杯目の茶が注がれたところで、アンリエットが言う。
「ヴィオレッタ様、今日はずいぶんお静かですのね」
「そうでございますか」
「いつもは、もっと、その」
「刺しますものね」
◇
アンリエットが、扇で口を隠した。
侯爵夫人が咳払いをし、子爵夫人が小さく祈りの言葉を呟く。イザベルだけが、穏やかに笑っていた。
「今日は、一つだけ伺いたいことがございますの」
ヴィオレッタは、茶碗を置く。
◇
「イザベル様。北の国では、どちらのお屋敷においででしたの」
◇
卓が、静まる。
イザベルの笑みが、そのままの形で止まる。
止まった笑みの下で、内側が一気に濁っていく。三人の顔が、この娘の中で同時に並んだ。茶会の娘。サロンの夫人。婦人会の夫人。三つの部屋で、三つの答えを置いてきた、その三人である。
◇
「まあ、ヴィオレッタ様」
イザベルは、小さく首を傾げた。
「先日も、お話ししましたのに」
◇
うまい。
◇
答えずに、答えたことにする。先日も話した、と言っておけば、ここで同じ話を繰り返すのは無作法になる。この娘は、一番危うい場所から、一番自然な言葉で逃げようとしていた。
◇
「ええ。伺いましたわ」
◇
ヴィオレッタは、それだけ言った。
言って、茶碗を持ち上げる。
それきり、何も足さない。
足さなくても、卓には三人いる。三人とも、先日の話を覚えている。先日も話した、と言われれば、人は先日の話を思い出す。思い出したことは、口に出したくなる。
◇
「そうそう」
◇
最初に口を開いたのは、アンリエットである。
「王子殿下の妹君の、遊び相手をなさっていたのでしょう。向こうにいらしたあいだ、ずっと」
侯爵夫人の扇が、止まる。
「……辺境伯夫人のお屋敷と、伺いましたけれど」
侯爵夫人は、アンリエットのほうを見ずに言った。
「母君の従姉の。十一の年から、こちらへ戻るまで」
◇
ブノワ子爵夫人が、胸の前で組んでいた手をほどく。
「わたくしどもは、聖ウルスラの修道院で、と」
「……修道院」
「八年、ずっと祈りの日々を、と」
◇
卓が、音を失った。
◇
三人が、互いの顔を見る。
見て、それから、三人とも同じほうを向いた。
灰色の衣装の娘のほうである。
「……三か所とも、おりましたの」
イザベルが言った。
声は、まだ柔らかかった。
「北の国に八年もおりますと、いろいろなところに」
◇
「ずっと、と仰いましたわ」
アンリエットが言った。
責める声ではない。ただ、覚えていることをそのまま口にしただけである。
「わたくしどもにも、十一の年から戻るまで、と」
侯爵夫人が言った。
「わたくしどもにも、八年ずっと、と」
子爵夫人が言った。
◇
ずっと、が三つ並んでいた。
◇
ヴィオレッタは、何も言っていない。
三つの答えを言ったのは、イザベル本人である。三つを思い出したのは、三人の客である。ヴィオレッタがしたのは、四度目に、一度目と同じことを訊いただけであった。
「イザベル様」
◇
侯爵夫人が、ゆっくりと扇を閉じる。
「ヴィオレッタが、殿下を軽んじているというお話。あれは、あなたから伺ったのでしたわね」
アンリエットが、顔を上げた。
「え。わたくしたちは、ヴィオレッタ様が殿下にしがみついておいでだと」
◇
子爵夫人が、目を閉じる。
「……わたくしどもは、信心がない、と」
イザベルの内側が、崩れはじめていた。
崩れる音は、外には聞こえない。聞こえないが、崩れていく順番は、ヴィオレッタにはよく視えた。一つ目の嘘が倒れ、二つ目が倒れ、三つ目が倒れる。倒れた嘘に寄りかかっていた別の嘘が、支えを失って次々に傾いていく。
◇
最後に傾いたのは、ポーリーヌの話であった。
「ポーリーヌ様のことも」
アンリエットの声が、小さくなる。
「言い交わしたお相手がいらっしゃる、と。騎士の方だと、イザベル様から」
「……楽師だと、伺いました」
子爵夫人が言った。
言ってから、自分の口を押さえた。あの縁談を渋った奥方は、この夫人の婦人会の者である。
◇
騎士と、楽師。
◇
一人の娘の婚約を壊した話が、壊した先ごとに、違う男になっていた。
「……ひどい」
アンリエットが、はじめて扇を下ろしたまま言った。
イザベルは、立ち上がった。
立ち上がって、卓を見下ろす。見下ろした顔には、もう柔らかいものが何も残っていなかった。薄い青の目が、まっすぐにヴィオレッタを捉えている。
◇
「罠を、お張りになったのね」
◇
「張っておりませんわ」
ヴィオレッタは、座ったまま言った。
「同じことを、四度伺っただけでございます。アンリエット様のお茶会で一度。侯爵夫人のサロンで一度。婦人会で一度。今日、ここで一度」
◇
「わたくしは、同じことしか申しませんの」
◇
「覚えておく必要がございませんもの」
◇
イザベルの唇が、震える。
「……あなただって、悪女でしょう」
「ええ」
「わたくしと、何が違うの」
ヴィオレッタは、茶碗を置いた。
「わたくしの悪いところは、全部本当でございますの。侍女を気まぐれで馘首にいたしますし、気にくわない方の縁談も潰しますわ。どれも、わたくしの名でいたしました」
◇
「あなたは、わたくしの名に、していないことを足しておいでになった」
◇
「悪いことをなさるなら、ご自分の名でおやりなさいまし」
◇
イザベルは、何も言わずに部屋を出ていく。
出ていく背に、マリアンヌが扉を開けた。開け方が、いつもより丁寧であった。
残った三人は、しばらく黙っている。
黙っているあいだに、三人の内側がそれぞれに動いていく。自分がどの嘘を信じ、どの嘘を人に回したか。回した先で、誰が何を失ったか。数えていくうちに、三人とも茶に手をつけなくなった。
◇
「ヴィオレッタ」
侯爵夫人が、最初に口を開いた。
「園遊会の席は、元に戻させます」
「どちらでも構いませんわ」
「わたくしが構います」
ヴィオレッタは、少しだけ眉を上げた。
どこかで聞いた言い回しである。この王都には、こういう女が何人かいるらしい。
◇
イザベルがどこにいたのかは、十日後に分かった。
侯爵夫人が、北の国の知人に書状を送って調べさせたのである。返書を、そのままヴィオレッタのところへ回してきた。
◇
北の国の、娘の心得を直す寄宿の家。
◇
口の過ぎる娘、手癖の悪い娘、嘘の止まらぬ娘を、家から離して預かる家であった。イザベルは十一の年にそこへ送られ、八年、そこにいた。
◇
ずっと、というのだけは本当だったのである。
◇
「八年でも、直らないものはございますのね」
◇
ヴィオレッタは、返書を卓に置いた。
イザベルは、翌月にまた北へ戻された。今度は、いつ戻るとも聞いていない。
ポーリーヌの縁談は、戻らなかった。
子爵家の母親は詫びに来たが、ポーリーヌのほうが断った。一度壊れた縁を、一度疑った家と結び直す気はない、と。
◇
「賢い方ですわね」
「……お嬢様は、何も、なさらないのですか」
「わたくしが壊したのではございませんもの」
マリアンヌは、それ以上訊かなかった。
訊かずに、湯を注いだ。いつもより、少しだけ熱い湯であった。
「マリアンヌ」
「はい」
「あなた、先日、話せば分かると申しましたわね」
「……はい」
◇
「分かりましたでしょう。話したのは、あの方のほうでございましたけれど」
侍女は、湯を注ぎ終えて、姿勢を戻した。
◇
「お嬢様は、どちらにおいででも、同じことを仰いますね」
「ほかに言いようがございませんもの」
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