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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第8章

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第42話 はい か、いいえでお答えくださいまし



 王妃の御前というのは、謁見の間のことであった。


 国王は臥せっている。この冬で三度目だという。王が出られぬ場では、王妃が座を預かる決まりで、今日の座もそうなっていた。玉座の隣の、一段低い椅子に王妃が着き、その脇に宰相が立つ。


   ◇


 臨席の者は、五十人ほどである。


 侯爵家と男爵家の当主。廷臣が十数人。昨夜の夜会にいた令嬢たち。それに、ヴィオレッタと、その侍女。


 ヴィオレッタの席は、東の壁際の、いちばん端に用意されていた。


 客の席である。客というのは、いちばん見やすく、いちばん口を出しにくい場所に座らされる。


「お嬢様」


 マリアンヌが、後ろから小さく言った。


「お口は」


「開きませんわ」


「……はい」


「呼ばれるまでは」


   ◇


 侍女は、それきり黙った。


 呼ばれるまでは、と言ったのを聞き逃さなかったのであろう。この侍女は、主人の言葉の後半を必ず拾う。


   ◇


 王太子が進み出たのは、座が整ってすぐのことである。


 昨夜と同じ明るい髪で、昨夜より少し青い顔をしていた。眠っていないのであろう。眠れぬほど腹を立てた者の顔で、腹を立てていられるうちは、人は自分が正しいと信じていられる。


   ◇


「母上。本日は、お聞き届けいただきたき儀がございます」


「申しなさい」


「シャルロット・ド・ヴィルヌーヴとの婚約を、破棄いたしたく存じます」


 謁見の間が、揺れた。


 揺れたのは、ほんの一瞬にすぎない。一瞬で収まったのは、誰もがそれを予想していたからであった。予想していたことが、予想どおりの口から出た。驚く者はいない。驚いたふりをする者が、何人かいただけである。


   ◇


 シャルロットは、父の侯爵の隣に立っていた。


 昨夜と同じ灰色の衣装であった。着替える気もなかったのであろう。背筋を伸ばし、手を前で組み、王太子のほうを見ていない。見ても仕方がないと、昨夜と同じ顔をしている。


「理由を申しなさい」


 王妃が言った。


 王妃の声は、低く、よく通る。


 内側は、疲れていた。この場を開きたくなかった、と王妃は思っている。開けば、息子の愚かさが五十人の前に出る。出ると分かっていて、止められなかった。


   ◇


「シャルロットは、この半年、リリアーヌ・デュランに対し、数々の非道を働いております」


「数々とは」


「まず、衣装を汚しました。夏の園遊会の折、リリアーヌの衣装に墨を」


「見た者は」


「おります」


 王太子が手を上げると、一人の娘が前に出る。


 シャルロットの侍女である。ニノンという名の、十七ばかりの娘であった。前に出て、膝をつき、声を震わせた。


「シャルロット様が、墨壺を」


「確かか」


「……はい。シャルロット様のお言いつけで、わたくしが墨壺をお持ちいたしました」


「持っていって、どうした」


「シャルロット様が、リリアーヌ様のお裾に」


「そなたは、止めなかったのか」


「……お止めできる立場ではございません」


   ◇


 シャルロットの肩が、わずかに動いた。


 動いただけで、何も言わない。


 ヴィオレッタは、ニノンの内側を見た。


  ――母さんの薬代。


 それだけであった。


 恨みも、怒りもない。主人を落としたいという色でもない。ただ、この娘には、誰かが金を渡している。渡された金の使い道が、内側で鳴り続けていた。


   ◇


  ――買われておりますわね。


「次に、悪口を」


 王太子は続けた。


「リリアーヌの出自を蔑み、男爵家の娘ごときがと、方々で言いふらしました」


 二人目の証人が出る。


 昨夜の夜会にいた令嬢である。伯爵家の娘で、王太子と目を合わせるたびに頬を染めていた。


   ◇


「わたくしが、この耳で伺いました」


「どこで」


「春の茶会で、シャルロット様が、リリアーヌ様のことを」


 内側は、軽かった。


  ――これで、殿下に覚えていただける。


 それだけの色である。嘘をついていることに、この令嬢はさほど重さを感じていない。王太子の役に立つことのほうが、よほど重いのであろう。


   ◇


 三人目は、招待状の話であった。


 王家の夏の宴の招待状を、シャルロットが握りつぶした、という。証人は子爵家の娘で、声が小さく、何度も言い直した。


 内側は、怯えていた。


  ――言わないと、父の。


 続きは、聞こえなかった。聞こえなくても、分かる。この娘は脅されている。脅しているのが誰かまでは視えないが、脅されていることだけは、嘘をつく者の色よりもはっきりと立っていた。


   ◇


 三人とも、嘘であった。


 ヴィオレッタには、それが全部聞こえている。


 聞こえていて、口を開けない。


 ここで立って、この娘たちはみな嘘をついておりますわと言えば、それは隣国の公爵家が、ベルガルド王家の内のことに口を出したことになる。出した口の中身が正しかろうと、関係はない。正しさで外交をする国は、どこにもなかった。


   ◇


 マリアンヌの指が、後ろから袖に触れた。


 止めようとしたのではない。確かめたのであろう。主人がまだ座っているかどうかを。


 座っていた。


「ヴィルヌーヴ侯」


 王妃が、侯爵のほうを向いた。


「娘御について、何か申すことは」


「……畏れながら、殿下のお申し立てには、娘の不徳もございましょう」


「不徳」


「家の躾が行き届かず、お恥ずかしい限りでございます」


   ◇


 娘を庇わない言い方であった。


 庇わないどころか、先に詫びている。詫びておけば、あとで家に向く咎めが少しは軽くなる。この男の勘定は、たぶん正しかった。


「シャルロット」


 王妃が言った。


「申し開きは」


 シャルロットは、しばらく黙っている。


「わたくしは、しておりません」


   ◇


 それだけであった。


「……それだけか」


「それだけでございます」


「墨壺のことも、茶会のことも、招待状のことも」


「しておりません」


 弱い、とヴィオレッタは思った。


 していないと言うだけでは、何も言っていないのと同じである。していない者はたいてい、していないことを証す術を持たない。持たないなら、せめて言葉を尽くすべきであった。この令嬢は、それもしない。


   ◇


 内側を見た。


 静かであった。


 昨夜と変わらない。何が起きているのかは、この令嬢にも分かっている。分かっていて、言い返す気がない。言い返しても、この場の誰も聞かないと知っているからである。


   ◇


 侯爵が、娘の隣で咳をした。


 父親である。父親の内側は、もう娘のほうを向いていなかった。


   ◇


  ――家に、傷がつかぬように。


 この婚約が破れたあと、ヴィルヌーヴ侯爵家がどれだけ王家から離れずに済むか。それだけを、この男は数えていた。娘を庇えば、王太子の不興を買う。買わぬためには、黙っているのがいちばん安い。


   ◇


 黙っている者が、ここにもう一人いた。


   ◇


「最後に」


 王太子の声が、一段大きくなった。


「昨夜、庭の石段にて、シャルロットはリリアーヌを突き落としました」


 謁見の間が、ざわついた。


 昨夜の話は、今朝までに王城じゅうに広まっている。広まっているが、まだ誰も正式には口にしていない。いまそれが、王太子の口から出た。


   ◇


「突き落とした、と」


「はい。皆が見ておりました」


「リリアーヌ、傷は」


「……手首を少し、痛めましてございます。大したことは」


「大したことではない、と申すか」


「殿下にご心配をおかけしとうございませんので」


 健気な言い方であった。


 健気に聞こえるように、言葉の順まで整えてある。王太子の顔が、それでまた一段赤くなった。


「皆とは」


「……庭と回廊におった者、数十人が」


「その者たちは、何を見た」


「シャルロットが手を伸ばし、リリアーヌが落ちるところを」


   ◇


 王妃は、しばらく黙っていた。


「手を伸ばし、落ちるところを見た。それは、押したところを見たのとは違うであろう」


 王太子の顔が、赤くなる。


 王妃は、息子を庇っていない。ただ、筋の通らぬことを筋の通らぬまま通すことが、この人にはできなかった。内側に、それがはっきり出ている。息子を止めたい、ではない。この場をまともに閉じたい、であった。


   ◇


「下から見た者は、押したか押さぬかまで分かりますまい」


「……それは」


「上から見ておった者はおらぬのか」


 謁見の間が、静かになった。


 上から見ていた者は、いない。昨夜、石段の上で立ち止まっていた客は、ほんの数人であった。数人のうち、誰も名乗り出ていない。


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を膝の上で閉じたまま座っていた。


 黙っていると、決めている。


 決めているのは、ロランと約束したからである。ロランは国に帰したが、約束は帰していない。客は、主の家の内のことに口を挟まない。


 挟まなければ、この場はどう閉じるか。


   ◇


 王妃は、手を伸ばしたことと押したことは違うと言った。言った以上、上からの証がなければ、石段の件は通らない。墨壺と茶会と招待状は、嘘でも三つ並んでいる。三つあれば、婚約を破るには足りる。


 シャルロットは、しなかったことで落ちる。


 落ちるのは、この令嬢である。ヴィオレッタではない。


   ◇


  ――わたくしには、関わりのないことですわ。


 そのときであった。


「おそれながら」


 リリアーヌが、前に出た。


 昨夜と同じ淡い桃色の衣装で、左の手首に白い布を巻いている。石段で痛めたのであろう。痛めたように見えるように、巻き方がよく考えられていた。


   ◇


「上から、ご覧になった方がおいでです」


「誰か」


 リリアーヌは振り返り、東の壁際の、いちばん端の席を見た。


「隣国からお越しの、ヴィオレッタ様でございます」


 五十人が、一斉にこちらを向く。


「ヴィオレッタ様は、嘘をおつきにならない方だと伺っております。隣国でも、そう評判の方でございます。どうか、お客人のお作法で、お尋ねくださいまし」


   ◇


 お客人のお作法で、と娘は言った。


 ヴィオレッタは、そこでようやく腑に落ちた。


   ◇


 はいか、いいえ。


   ◇


 この国の客は、王家の前で問われたとき、はいかいいえでしか答えない。ロランが念を押していった、あの古い作法である。答える中身は、問う側が決める。問われたことにしか、客は口を開けない。


 嘘をつかぬ者に、はいかいいえで答えさせる。


 問いを選ぶのは、こちらではない。


   ◇


 見たものを全部言われれば困る。けれど、全部は言わせない。都合のよいところだけを問えば、嘘をつかぬ口は、都合のよいところだけに「はい」と言う。はいを並べれば、並べた順に話ができあがる。


 隣国から来た、嘘をつかないと評判の、ヴィオレッタ。


   ◇


 この国でいちばん重い「はい」である。


   ◇


「ヴィオレッタ様」


 王妃が、こちらを見ていた。


「お客人に、このようなことをお願いするのは心苦しい。ほかに上から見ておった者がおらぬ。作法どおり、はいか、いいえでお答えくださればよい」


「……かしこまりましたわ」


   ◇


 ヴィオレッタは、立ち上がる。


   ◇


 問いは、王太子が立てた。


 王太子の手に、一枚の紙がある。字は王太子のものではなかった。丸みがあって、よく整っていて、女の手である。


「昨夜、石段の上におられましたか」


「はい」


   ◇


「シャルロットとリリアーヌが、すれ違うのをご覧になりましたか」


「はい」


   ◇


「シャルロットは、手を伸ばしましたか」


「はい」


 謁見の間が、ざわめいた。


   ◇


「リリアーヌは、落ちましたか」


「はい」


   ◇


「シャルロットの手は、リリアーヌのほうへ向いておりましたか」


「……はい」


 ざわめきが、ひとつの音にまとまりはじめる。


   ◇


 五つとも、本当のことであった。


 伸ばしたのは、落ちたあとである。向いていたのは、落ちた者へ伸ばしたからである。けれど、いつ伸ばしたかは問われていない。なぜ向いていたかも問われていない。問われていないことは、答えられない。


   ◇


 五つの「はい」が、並んだ順に一つの話になっていく。


 手を伸ばした令嬢と、その手の先で落ちた娘。昨夜、下から見ていた者たちが見たものと、寸分違わぬ話である。嘘をつかぬヴィオレッタが、五度それを認めた。


 リリアーヌの内側を見た。


 静かであった。段を数えていた昨夜と、同じ色である。この娘は、いま場を数えている。数えて、足りたと思っていた。


   ◇


  ――これで、終わり。


   ◇


 王太子が、紙を下ろした。


 下ろした顔に、安堵が広がっている。問いは、そこで尽きていたのであろう。


「母上。お聞きのとおりでございます」


 王妃が、ゆっくりと口を開いた。


「伸ばした。向いていた。落ちた。それは、先ほども申した。手を伸ばし、落ちるところを見た、というだけのことです。押したとは、まだ誰も申しておらぬ」


   ◇


 謁見の間が、静まった。


 王太子の顔から、安堵が半分ほど引いていく。紙の上に、もう問いは残っていない。


   ◇


 リリアーヌが、半歩前に出た。


 この娘は、ここで止まるわけにいかなかった。五つの「はい」で、話は九分まで立っている。残りの一分を埋めなければ、王妃はこの破談を通さない。埋める問いは、一つしかなかった。


   ◇


「おそれながら、わたくしから一つだけ、お尋ねしてもよろしゅうございますか」


「……申しなさい」


 リリアーヌは、ヴィオレッタのほうへ向き直った。


 潤んだ目であった。昨夜、石段の下から一度だけ合わせてきた目と、同じ目である。


   ◇


「ヴィオレッタ様。シャルロット様の手は、わたくしに触れましたか」


   ◇


 娘の内側は、落ち着いていた。


 触れたのは確かである。石段で、肩に何かが当たった。当たった瞬間に、この娘は後ろへ身を投げている。当たったものを、確かめる暇はなかった。確かめる必要もないと思っていた。


 手を伸ばした令嬢と、肩に当たった何か。


 この娘の頭の中では、その二つが、とうに一つになっていた。


   ◇


 ヴィオレッタは、娘の目を見た。


   ◇


「いいえ」




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