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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第8章

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第41話 嘘をおつきにならないと、伺いましたの

 西の国ベルガルドから招きが届いたのは、秋の終わりである。


 王太子の誕生を祝う舞踏会で、例年なら公爵が出る。今年は父の腰が悪く、代わりに娘が出ることになった。アルヴェール公爵家とベルガルド王家は、祖父の代からの付き合いである。欠けば角が立つ。


   ◇


 その晩、マリアンヌが髪をほどきながら訊いた。


「お嬢様が、お出になるのでございますか」


「わたくしが参りますのよ」


「お嫌でございますか」


「嫌ですわ。けれど、行かねばもっと嫌なことになりますもの」


   ◇


 アルベールは同行しない。


 王太子が他国の舞踏会に軽々しく顔を出すものではない、というのが表向きの理由である。内側の理由は聞くまでもない。この男は、退屈な場所に足を運ぶくらいなら書類を三束片づけるほうを選ぶ。


 出立の前の日に王城へ上がると、書き物の手を止めずにこう言った。


「向こうで、何かしでかすなよ」


「しでかしませんわ」


「そなたは、しでかさぬと言って、しでかす」


「では、しでかしたら一つ残らずお知らせいたしますわ」


「……それでよい」


 供は、マリアンヌと侍従のロランである。


   ◇


 ロランは公爵家に三十年仕える老人で、外国の作法に通じている。ベルガルドの言葉はこちらとほとんど変わらないが、敬称の使い方がいくらか違う。違うところで恥をかかぬよう、父が付けてよこした。


 馬車で六日かかった。


「お嬢様。ベルガルドは、はじめてでございますか」


「はじめてですわ。あなたは」


「子供のころに一度。父の供で」


「どのような国でしたの」


「……寒うございました」


「それだけ」


「はい。寒さしか覚えておりません」


   ◇


 ヴィオレッタは、少し笑った。


 この侍女は、覚えていないことを覚えているふりをしない。そこが気に入っている。


 ベルガルドの王都は、こちらより小さく、こちらより古い。石が黒く、屋根が低く、通りが細い。道の両側に並ぶ家々は、どれも窓を小さく作っていた。冬の長い国の造りである。


   ◇


 王城に着いた晩、ロランが一つだけ念を押した。


「お嬢様。こちらでは、お客人でございます」


「存じておりますわ」


「お客人が、ご当家の内のことに口を挟まれますと」


「外交の話になりますのね」


「……はい。お嬢様がお口を開かれれば、それは公爵家が口を開いたことになります。公爵家が口を開けば、お国が口を開いたことになります」


   ◇


「では、何か問われたら」


「ベルガルドには、古い作法がございます。お客人が王家の前で問われたときは、はいか、いいえでお答えする。それ以上は申さない」


「それ以上は」


「申せば、口を挟んだことになりますので」


   ◇


「不便な国ですこと」


「お客人を守るための作法でございます。はいといいえしか申さぬ客は、何を申しても咎められませんので」


   ◇


 ヴィオレッタは、しばらく黙っていた。


「では、黙っておりますわ」


「お願い申し上げます」


「わたくし、黙るのは得意でございますのよ」


 嘘ではない。


 嘘をつけない人間は、黙ることで生きている。言えないことを言わずに済ませる術は、ほかの誰よりも磨いてきた。


   ◇


 舞踏会は、翌々日の晩であった。


 大広間は、こちらの半分ほどの広さである。そのぶん人が詰まり、灯が近く、声がよく響いた。三百人ばかりの客のうち、見知った顔はひとつもない。見知った顔がないというのは、ヴィオレッタにとって、そう悪い場所ではなかった。


   ◇


 誰も、まだこちらを知らない。


 知らないはずであった。


 入って四半刻もしないうちに、囁きが立った。


   ◇


  ――あれが、ヴィオレッタ。


   ◇


  ――聖女を落とした娘だそうよ。


   ◇


  ――嘘をつかないんですって。


   ◇


 噂は国境を越える。越えるときに少し形が変わるが、芯は変わらない。こちらの国で二年かけて立った名は、西の国にも三月遅れで届いていた。


 隣に立った伯爵夫人が、扇の陰から話しかけてきた。


「ヴィオレッタ様でいらっしゃいますわね」


「ええ」


「お噂どおりの方ですこと」


「どのような噂でございましょう」


「……お美しい、と」


「まあ。それは初耳ですわ」


 夫人の内側が、慌てて取り繕った。


 噂の中身は、美しいではない。恐ろしい、である。ヴィオレッタはそれを知っていて、知らないふりもしなかった。


   ◇


「わたくしが耳にしておりますのは、性格が悪い、というほうでございますけれど」


「……」


「どちらも本当でございますわ。ご安心なさいまし」


 夫人は、扇を二度鳴らして離れていった。


 王太子レオポルドは、二十三である。


   ◇


 背が高く、髪が明るく、声が大きい。客の一人ひとりに声をかけて回り、声をかけられた者はみな嬉しそうにした。嬉しそうにさせるのが得意な男であった。得意なことが、それしかないのであろう。


「ヴィオレッタ様。遠路はるばる」


「お招きにあずかりまして」


「こちらの冬はお寒いでしょう。どうか、ごゆるりと」


 内側は、明るかった。


 隣国からヴィオレッタが来た、珍しい、面白い。それだけの色である。深くもなく、濁りもない。この男は、目の前にあるものしか見ない性分であった。


   ◇


 王太子の婚約者は、少し離れたところにいた。


 シャルロット・ド・ヴィルヌーヴ。侯爵家の娘で、十九になる。灰色がかった衣装を着て、髪を低く結い、扇も持たずに立っていた。美しくないわけではない。美しく見せる気がないだけである。


   ◇


「ようこそ、おいでくださいました」


「お招きにあずかりまして」


「……」


 それきり、令嬢は黙った。


 話の接ぎ穂を探している様子もない。挨拶が済んだら黙る、と決めている顔であった。


 内側を見た。


 静かである。


 静かで、少し疲れている。王太子のほうを一度も見ないが、見ないようにしているのではなかった。見ても仕方がないと、とうに諦めた者の静けさである。


   ◇


  ――この方は、嫌われておいでですのね。


   ◇


 嫌われているのは、見れば分かる。


 王太子はこの婚約者に一度も近寄らず、一度も目を向けず、一度も名を呼ばない。三百人の客が全員それを見ていて、全員が見ないふりをしていた。


 王太子が近寄っていたのは、別の娘である。


   ◇


 リリアーヌ・デュラン。男爵家の娘で、十八。小柄で、目が大きく、笑うと片頬にえくぼができた。淡い桃色の衣装を着て、王太子の半歩後ろをついて歩いている。


 可憐であった。


 可憐に見えるように、よく作られている。


   ◇


 ヴィオレッタは、その内側を見た。


   ◇


  ――計算。


   ◇


 一言で済む色であった。笑顔の下で、この娘は部屋じゅうを数えている。誰がどこに立ち、誰が王太子を見ていて、誰が自分を見ているか。数えて、並べて、どこに置けば得かを考えている。


 嫌いではない、とヴィオレッタは思った。


   ◇


 正直な色である。取り繕う前の人間は、たいていこういう色をしている。


 リリアーヌのほうから、近づいてきた。


 王太子が別の客に捕まった隙である。半歩後ろから一歩前に出て、そのままこちらへ滑るように来た。来かたに無駄がない。


   ◇


「ヴィオレッタ様」


「ごきげんよう」


「お目にかかれて光栄でございます。お噂は、かねがね」


「わたくしの噂は、あまりよいものがございませんでしょう」


「いいえ」


 リリアーヌは、首を小さく横に振った。


「ヴィオレッタ様は、嘘をおつきにならないと伺いましたの」


   ◇


 ヴィオレッタは、娘の目を見た。


「ええ。つきませんわ」


「本当に、一度も」


「……ほとんど一度も」


「まあ」


 娘は、目を丸くしてみせた。


 丸くしてみせながら、内側は別のことを言っている。


   ◇


  ――使える。


   ◇


 ヴィオレッタは、その一語を聞いた。


 聞いて、何も言わなかった。


 言うことがないからである。この娘が何に使うつもりなのかは、まだ視えない。使える、と思ったことだけが視えた。思ったことは罪ではない。罪でないものを咎める趣味はなかった。


   ◇


「殿下とは、長いお付き合いでいらっしゃいますの」


「……一年ほどでございます」


「まあ、短い」


「短うございますけれど、殿下はお優しくて」


「お優しい方は、婚約者をお持ちでも、ほかの方にお優しいのね」


 リリアーヌの笑顔が、一拍だけ止まった。


 止まって、すぐに戻る。戻り方が速い。この娘は、止まったところを見られるのに慣れていた。


「……ヴィオレッタ様は、はっきりと仰いますのね」


「嘘がつけませんもの」


「そう、でしたわね」


   ◇


「こちらの国には、いつまで」


「祝いが済みますまで、三日ほど」


「では、明日もお目にかかれますわね」


「さあ」


「明日は、夜会のあとに庭の灯りを点けますの。とても綺麗でございますから、ぜひ」


 リリアーヌは、礼をして離れた。


 離れ方も、よく作られていた。去り際に振り返らない。振り返らない者のほうが、人は覚える。


「お嬢様」


 マリアンヌが、扇の陰から言った。


「あの方、何かお企みでございましょうか」


「企んでおりますわね」


「何を」


「分かりませんの」


   ◇


「……お止めにならないのですか」


「止めようがございませんわ。まだ何もしておりませんもの」


 それに、ロランとの約束がある。


 ここではヴィオレッタは客である。客は、主の家の内のことに口を挟まない。挟めば、国の話になる。


   ◇


 黙っていると決めていた。


 翌日は、昼のうちに一つ片づけた。


 ロランが、宿所の廊で王城の下働きと立ち話をしていた。立ち話の中身は大したことではない。こちらの宿所の薪が足りぬという、それだけの話であった。


 ヴィオレッタは、その晩のうちにロランを国へ帰すことにする。


「お嬢様。わたくしが、何か」


「下働きと親しゅうございましたわね」


「……薪の話でございます」


「ええ。薪の話でございました」


 老人は、しばらく黙っていた。


   ◇


「わたくしは、ここでお嬢様をお守りする役目でございます」


「守っていただくことは、ございませんわ」


「……では、明日からの作法は」


「黙っておりますもの。作法は要りませんでしょう」


 ロランは、翌朝に発った。


 薪の話をしたからではない。下働きの前で、主家の懐具合を口にしたからである。宿所の薪が足りぬと言えば、公爵家が安く見られる。安く見られるのは嫌いであった。


 マリアンヌは、何も言わなかった。


 言わずに、老人の荷をまとめるのを手伝い、馬車を見送り、戻ってきてから湯を運んだ。湯は少しぬるかった。


   ◇


 その晩の夜会は、昨夜より小さかった。


 百人ばかりの客が、王城の東の翼に集まる。楽師は三人。酒はよく、灯は少なめで、話し声は低い。昨夜の大広間とは違い、親しい者だけを集めた席である。


 夜会が引けると、庭に灯が入った。


 リリアーヌの言ったとおり、美しかった。黒い石の庭に、小さな灯が百ほど並んでいる。冬の空気が澄んでいて、灯のひとつひとつが輪郭をもって見えた。


 ヴィオレッタは、庭へ降りる石段の上に立っていた。


   ◇


 石段は長く、幅が広い。降りきったところに噴水があり、その先に灯の道が続く。客の半分は庭に降り、半分はまだ回廊に残っていた。


 石段の中ほどに、二人の娘がいた。


 シャルロットと、リリアーヌである。


 シャルロットは石段を下りてきて、リリアーヌは上がってきていた。すれ違う位置である。すれ違うだけなら、何も起きない。


 ヴィオレッタのところからは、五段ほど上になる。


 二人の顔が、よく見える。


   ◇


 シャルロットが、道を空けようとして、半歩右へ寄った。


 リリアーヌが、同じ側へ寄る。


 袖が、触れた。


   ◇


 そして、リリアーヌが落ちた。


   ◇


 後ろへ。


 三段ほど、背中から滑るように落ちていく。落ちた先で、小さく声を上げた。


   ◇


 回廊の客が、振り返った。


 庭の客が、見上げる。


 石段の中ほどに、手を伸ばしたままのシャルロットが立っていた。伸ばした手の先に、倒れたリリアーヌがいる。


 手を伸ばしたのは、助けようとしたからである。


 ただ、それは石段の上からしか分からない。下から見れば、突き飛ばした手に見えた。


   ◇


 ヴィオレッタは、それを全部見ていた。


 目で見たものがある。


 それとは別に、聞いていたものがある。


 袖が触れた瞬間、リリアーヌの内側は一言だけ言った。


   ◇


  ――いま。


   ◇


 落ちていくあいだ、娘の内側は静かであった。恐れの色がない。痛みを待つ色もない。ただ、段を数えている色であった。


 シャルロットの内側は、違った。


   ◇


  ――何が。


   ◇


  ――何が、起きたの。


   ◇


 それだけである。


 ヴィオレッタは、扇を開いた。


 開いて、顔の下半分を隠した。隠したのは、表情が動いたからではない。動かないのを人に見られたくなかったからである。


 下で、声が上がりはじめていた。


「シャルロット様が」


「いま、押されたのでは」


「リリアーヌ様、お怪我は」


 王太子が、回廊から駆け降りてくる。


 駆け降りて、リリアーヌを抱き起こし、それから婚約者を見上げた。見上げた顔に、はじめて色がついていた。明るいだけだった内側が、一色に塗りつぶされている。


   ◇


 怒りである。


「シャルロット」


 王太子が言った。


「そなた、何をした」


 シャルロットは、答えなかった。


 答えられなかったのであろう。何が起きたのかを、この令嬢は分かっていない。分かっていない者は、弁明の言葉を持たない。


   ◇


 リリアーヌが、王太子の腕の中で小さく首を振った。


「殿下、いいえ、わたくしが足を」


「庇うな」


「ですが」


「庇わずともよい。皆が見ておる」


 皆が見ていた。


 見ていたのは下からである。下から見れば、手を伸ばした令嬢と、落ちた娘しか見えない。石段の上から見ていた者は、ほとんどいなかった。


   ◇


 ほとんど、である。


 リリアーヌが、王太子の肩越しに、一度だけ石段の上を見た。


 ヴィオレッタと、目が合った。


 合わせたのは、娘のほうである。


 合わせて、すぐに逸らした。逸らしたときの内側は、昨夜と同じ一語を言っていた。


   ◇


  ――使える。


   ◇


 ヴィオレッタは、ようやく分かった。


 昨夜、庭の灯を見に来いと誘われた理由である。


 灯を見せたかったのではない。見せたかったのは、石段のほうであった。庭へ降りる客は、みな石段の上で一度立ち止まる。立ち止まったところで、下で何かが起きれば、否でも目に入る。


   ◇


 証人を、選んでいたのである。


   ◇


 嘘をつかないと評判の、ヴィオレッタを。


   ◇


 ただ、なぜ自分なのかが分からない。


 嘘をつかぬ証人は、あの娘にとっていちばん扱いにくいはずである。見たものを見たとおりに言われれば、困るのはあの娘のほうであった。困ると分かっていて選ぶ者はいない。選んだからには、困らぬと踏んだ理由がある。


   ◇


 その理由が、まだ視えなかった。


「お嬢様」


 マリアンヌの声が、後ろからした。


「……ご覧に、なりましたか」


   ◇


「見ましたわ」


   ◇


「何を」


「全部」


   ◇


 その晩のうちに、王城から使いが来た。


 明日の昼、王妃陛下の御前にて、王太子殿下より申し上げたき儀これあり。ついては、ヴィオレッタ様にも、ご臨席を賜りたく。


   ◇


 臨席、と書いてある。


   ◇


 臨席というのは、座って見ていろという意味ではない。呼ばれたら立て、という意味であった。


 ヴィオレッタは、その書状を燭台の火にかざした。


 かざしただけで、燃やしはしない。


「マリアンヌ」


「はい」


「ロランを帰したのは、早うございましたわね」


「……はい」


「作法が要るようになりましたわ」


   ◇


 侍女は、黙って頭を下げる。


 下げたまま、少しだけ笑ったように見えた。見えただけで、たぶん気のせいである。この侍女は、主人の失策を笑うような女ではない。


   ◇


 笑われても、仕方のない失策ではあった。




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