↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第7章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/60

第39話 わたくし、下手でございますの

 ドラン男爵家が潰れたと聞いたのは、二月の半ばである。


 ベルナールが朝のうちに書斎へ来て、短く伝えた。館は明日にも人手に渡り、当主は領地へ引き、息子は王都を出るという。傾きはじめてから、二月と経っていない。早すぎる。


   ◇


 ヴィオレッタは、羽根ペンを置いた。


 あの家は、二年ばかり生かしてある。


 潰すのは簡単であった。二年前に手は届いていたし、届いたところで惜しむ者もいない。残したのは、残しておくほうが使えたからである。


   ◇


 噂を運ばせるのに、ちょうどよい家であった。


 当主は口が軽く、息子は欲が深い。こちらが一つ言えば、三日で王都の端まで届く。汚れ仕事を回す先としても重宝した。公爵家の名を出さずに済む手が一つあるかないかで、できることはずいぶん変わる。


   ◇


 飼っていた、と言ってしまえばそれまでである。


「潰れ方が、妙でございます」


「妙、とは」


「借りは去年の秋から重うございました。それでも回っておったのです。回らなくなったのは、先月でございます」


   ◇


「何がございましたの」


「ご子息が、東の館に通っておいででした」


「東の館」


「賭場でございます。半年で、領地の三年ぶんを溶かしておられます」


 半年で三年ぶんというのは、溶かし方として速い。


   ◇


 賭けというのは、勝ったり負けたりするものである。勝ったり負けたりしていれば、三年ぶんが半年で消えることはない。負け続けたということで、負け続けるというのは、それはそれで不自然であった。


   ◇


  ――下手なだけかしら。


   ◇


 下手な者は、途中でやめる。やめられなくなるのは、たまに勝つからである。


 東の館は、ヴェルニュ伯爵家の次男が持っていた。


 ジュリアンという名の、二十五になる男である。次男であるから家は継がない。継がぬ者が身過ぎのために始めた遊び場が、この二年で王都いちばんの賭場になっている。


   ◇


 賭けの種は、三枚という札であった。


 各人に三枚配り、二枚を表に伏せ札を一枚残す。伏せ札を含めた組み合わせで競い、途中で降りることもできる。それだけの遊びである。覚えるのに四半刻もかからない。


   ◇


 覚えやすい遊びほど、身上をつぶす。


 東の館へ行ったのは、その週の終わりである。


 賭場といっても、薄暗い部屋ではない。灯は明るく、酒はよく、給仕は若い。玄関に案内が立ち、外套を預かり、名を聞いて奥へ通す。段取りは、そのあたりの夜会より整っていた。


   ◇


 客の半分は、見知った顔である。


 伯爵家の三男。侯爵家の甥。名の通った家の若い当主。家を継がぬ者か、継いだばかりで金の重さを知らぬ者ばかりであった。


 ヴィオレッタが入ると、部屋の音が半分になった。


   ◇


 半分になって、また戻る。戻り方が速い。この手の場所は、驚くのが下手な者から先に酔っている。


「これは、驚きました」


 声のほうへ顔を向けると、若い男が立っていた。


 背が高く、身なりがよく、笑い方に隙がない。二十五という年に見合わぬ落ち着きがある。落ち着いている者は、たいてい同じ場面を何度も踏んでいた。


   ◇


「ジュリアン・ド・ヴェルニュと申します」


「存じておりますわ」


「お嬢様のようなお方が、こちらへおいでとは」


「客ではいけませんの」


「とんでもございません」


 言いながら、この男の内側は少しも慌てていない。


   ◇


 公爵令嬢が賭場に来る。ふつうなら、断るか、丁重に帰らせる。この男は迎え入れた。迎え入れるほうが得だと、卓ふたつぶんのあいだに数え終えている。


「卓に、お着きになりますか」


「ええ。三枚と伺いましたわ」


「お教えいたしましょうか」


「けっこうですわ。四半刻で覚えられるのでございましょう」


   ◇


 卓には六人が着いていた。


「これはこれは。アルヴェールのお嬢様と同じ卓とは」


「ごきげんよう」


「お手柔らかに願いますよ」


「お手柔らかにいたしますわ。負けて差し上げるという意味ではございませんけれど」


   ◇


 笑いが起きる。


 この手の場所で笑いが起きるのは、場が安いからである。安い場でしか、公爵令嬢の言葉は冗談にならない。


「お嬢様。伏せ札は、最後までお開けにならなくて結構でございます」


「降りてもよろしいのね」


「いつでも。降りるのも、この遊びのうちでございますから」


「まあ。ずいぶん優しい賭けですこと」


   ◇


 優しい賭けほど、長く続く。


 長く続けば、卓に残る金は増える。


 その晩、ヴィオレッタは負けた。


 覚えるのに四半刻はかからなかった。かからなかったが、それと勝つのとは別の話である。二刻で、公爵家の一季ぶんの雑費にあたる額が卓の向こうへ行った。


   ◇


 ベルナールは馬車で三度、同じことを言った。


「お嬢様。おやめくださいませ」


「まだ二度目もございませんわ」


「二度目があるのでございますか」


「ございますわね」


 負けたから行くのではない。


 あの卓で、一度だけ妙なものを見た。それを確かめるまでは、やめようがなかった。


   ◇


 ヴィオレッタの目は、人の内側を色と声で拾う。


 拾えるのは、そこまでである。手先の動きは見えない。袖の中も、卓の下も、札の裏も見えない。人がいま何を隠しているかは分かるけれど、どう隠しているかは分からなかった。


   ◇


 だから、いかさまの手口は視えない。


 視えるのは、たった一点だけである。


   ◇


  ――この男、いま自分の勝ちを知っておりますわね。


   ◇


 札が配られる前に、ジュリアンの内側が動いた回があった。


 配る前である。


 まだ誰の手も決まっていない。決まっていないのに、この男は自分が勝つことを知っていた。知っている者の色は、静かで、平らで、待っているだけになる。賭けている者の色ではない。


   ◇


 二度目に行ったのは、三日後であった。


「またおいでとは」


「悔しゅうございましたの」


「さようでございましょうとも。皆さま、そう仰せになります」


「皆さま、そのあとどうなさいますの」


「……三度目にお越しになります」


   ◇


 正直な男である。


 嘘をつく必要のないところでは、この男は嘘をつかない。つかずに済ませられる場所を、よく分かっていた。


 その晩も負けた。負けながら、ヴィオレッタは札を見ていない。


 見ていたのは、胴元の内側だけである。二十回ばかり卓を回して、配る前に色の動いた回を数えた。三回あった。三回のうち二回で、ジュリアンは大きく取っている。


   ◇


 三度目は、翌週。


 この晩は二十五回で、四回。


 四回とも、ジュリアンが取った。


 やっている、というところまでは、これで済んだ。


 済んだところで、何にもならない。


「この方はいかさまをしておいでですわ」と言ったところで、負けた客の言いがかりである。ヴィオレッタの目は、この十七年、ただの一度も証になったことがない。八つの年に銀器の盗人を言い当てて、代わりに別の下働きが追い出されて以来、彼女はそれを数えるのをやめている。


   ◇


 証が立たないなら、手口のほうを人に見つけさせるしかない。


 ところが、手口が視えない。


 残っているのは、時刻だけであった。


 いつ色が動くか。何の直後に動くか。手口が視えなくとも、手口が動き出す合図なら拾える。拾えるものだけを拾うのが、この目の使い方であった。


   ◇


 四度目の晩から、ヴィオレッタは卓のまわりを見はじめた。


 札を見ない。客も見ない。給仕と、椅子と、酒器の動きだけを追った。


 三晩かかった。


 数えるのは、ベルナールに手伝わせた。


「お嬢様。何を数えておるのでございますか」


「給仕の足でございます」


「……足」


「どの者が、いつ、どこを通ったか。それだけ書き留めてくださいまし」


   ◇


「札のほうは、よろしいので」


「札は見ても分かりませんもの」


「……はあ」


「わたくし、下手でございますから」


 執事は、言われたとおりに書いた。


 二十年この家の帳を書いてきた男である。意味の分からぬものを正確に書き留める腕にかけては、王都でも指の折れるほうであった。


   ◇


 給仕は六人いる。うち一人だけ、卓の後ろを通る回数が多い。


 ポールという若い男であった。


 背が低く、手が大きく、足音を立てずに歩く。酒を運び、灰を取り替え、空いた椅子を直す。仕事は丁寧で、丁寧すぎるということもない。


   ◇


 この男が胴元の後ろを通った回の、次の配りである。


 通らなかった回には、色は動かない。


 通った回には、必ず動く。


 ヴィオレッタは、五晩ぶん数えた。


   ◇


 外れは一度もない。


   ◇


「ベルナール」


「はい」


「あの給仕が通った回と、胴元が取った回を、並べてくださいまし」


「……並べましてございます」


「合っておりますわね」


「合っております。気味が悪いほど」


「これで、何が申せますか」


「何も申せませんわ」


「は」


「給仕が歩いた。胴元が勝った。それだけでございます。どちらも罪ではございません」


   ◇


 執事は、書き留めた紙を見下ろして黙った。


 二十年ぶんの几帳面さで並べた表が、何の役にも立たない。役に立たないものを作らせたのは、こちらである。


 手口は、やはり視えない。札を渡しているのか、合図だけなのか、椅子に何か仕込むのか。そこは分からずじまいである。分からなくてよかった。


   ◇


 分かっているのは、合図のほうであった。


 その五晩のあいだに、王都でも一つ潰している。


 北の菓子屋が、春の宴の納めを取りかけていた。賭場とは何の関わりもない店である。ヴィオレッタが別の店の名を一度出し、それで話が消えた。


   ◇


 理由は、去年の暮れに、あの店の主人が扉を押さえながら目を伏せたからである。


 伏せる者が嫌いなだけであった。


 ベルナールは、三度目のあたりから何も言わなくなった。


 言わなくなったのは、諦めたからではない。帳を見て、この主人が溶かしている額を数えて、口で止まる段階を過ぎたと判じたのであろう。二十年この家の財布を握ってきた男である。


   ◇


 止めに来たのは、マリアンヌであった。


「お嬢様。もう、およしくださいませ」


「まだ終わっておりませんの」


「お負けが続いております」


「ええ。負けておりますわ」


「勝てぬものに張り続けるのは、ドランのご子息と同じでございます」


   ◇


 ヴィオレッタは、茶碗を持ち上げて、飲まずに置いた。


 正しい。


 半年で三年ぶんを溶かした男と、五晩で似た溶かし方をしている女と、外から見れば区別がつかない。区別をつけるのは、こちらの頭の中にしかないものであった。


   ◇


「あなた、わたくしが下手だとお思いですのね」


「……お上手ではございません」


「そうですわね」


「お嬢様」


「あと一晩でございます。それで終いにいたしますわ」


 マリアンヌは下がらない。


 下がらずに、湯の温度を確かめる手つきで言う。


   ◇


「終いにならなかったら」


「そのときは、あなたのお給金から引きますわ」


「……なぜ、わたくしから」


「止められなかった者の責でございましょう」


 言ってから、少しやりすぎたと思った。


 思ったが、取り消さない。取り消せば、言ったことが嘘になる。


   ◇


 六晩目に行くと決めたのは、前の晩である。


   ◇


「明日でございますか」


「明日ですわ」


「何をなさいます」


「席を替えていただきますの」


   ◇


「……それだけで」


「それだけですわ」


「お嬢様。手口は、まだお分かりでないのでございましょう」


「分かりませんわね」


   ◇


「分からぬまま、勝てますので」


「勝てますわ。手口を分かる必要がございませんもの」


   ◇


 ベルナールは、そこで口をつぐんだ。


   ◇


 つぐんでから、翌朝、帳から金を出した。渋りもせずに出したのは、二十年でこれが二度目である。


 

お読みいただき、ありがとうございました!

皆様にお願いです

ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に

応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。