第37話 よく当たると評判の占い師に、わたくしを占わせてみましたの 後編
六月の茶会は、公爵家の庭で開いた。
招いたのは二十家ほどである。デュボワ伯爵夫人。子爵夫人。メルシエ男爵の縁者。マダムに当てられた者を、選んで並べた。
◇
そして、マダム・ベリエを呼んだ。
占い師を茶会に呼ぶのは、この春の流行である。流行でなくても、公爵家から招かれて断る女はいない。マダムは新しい外套を着て来た。値の張る外套であった。
「本日はお招きにあずかり」
「よくお越しくださいましたわ」
「お嬢様のお噂は、かねがね」
「わたくしの噂は、あまり良いものがございませんでしょう」
◇
「いいえ。良いも悪いもございません。わたくしどもは、視えるものを申し上げるだけでございます」
なるほど、と思った。
この女は口がうまい。口がうまいのは、うまくなければ食えなかったからであろう。そこは責める気になれない。
◇
内側を視た。
濁ってはいる。ただ、罪の色ではない。
この女は、自分のしていることを悪いと思っていなかった。買った話で人を慰めて、金を取る。慰められた側は喜んでいる。誰が損をしているのか、本人には分かっていない。
◇
分かっていない者は、伏せない。
伏せない者からは、何も立たない。
◇
――では、こちらで作るしかございませんわね。
◇
庭に、円卓を並べてある。
二十人が座り、二十人が見ている。占いというのは見世物であるから、人が多いほど盛り上がる。マダムは慣れた手つきで鉢を置き、水を張り、袖をまくった。
「どなたから、まいりましょうか」
◇
デュボワ伯爵夫人が、手を挙げた。
この方は、こういう場で最初に手を挙げる。挙げれば注目が集まり、集まれば得をすると思っている。たいていの場合、それは正しい。
「わたくしを、もう一度」
「かしこまりました」
◇
マダムが夫人の手を取り、水を覗く。
「……お宅では、近ごろ、犬をお飼いになりましたね」
「まあ。先月でございますわ」
「白い犬でございましょう。耳の片方だけ、色が違う」
円卓が沸いた。
夫人が扇を鳴らして笑い、隣の夫人がのぞき込み、三つ向こうの卓まで声が届く。犬の耳の色など、その家に入る者しか知らない。
◇
ヴィオレッタは、静かにそれを見ていた。
うまい。実によくできている。当たる話を一つ置いてから、次の客に移る。置かれた一つが、次の客の信用になる。
二人目が男爵夫人、三人目が子爵家の娘であった。
どちらも当たった。娘のほうは、涙ぐんでいた。言い当てられたのは、去年の冬に姉と喧嘩をしたという、ただそれだけの話である。
◇
「わたくしからも、よろしいかしら」
庭が、静かになった。
公爵令嬢が自分を占わせる。それだけで、この茶会は明日の王都の話になる。二十人が身を乗り出した。
「お手を、拝借いたします」
ヴィオレッタは、左手を出した。
◇
手袋は、外さなかった。占いに手袋を外す決まりはない。マダムは布ごしに手を取り、鉢の水を覗き、しばらく黙った。
黙っている時間の長さも、商売のうちである。
「……お嬢様は、朝に、蜂蜜をお使いになりませんね」
◇
円卓が、どよめいた。
「ええ、使いませんわ」
「パンは、二切れ」
「そのとおりでございます」
「お茶は、濃いめを一杯きり」
「よくご存じで」
ヴィオレッタは、一つずつ認めていく。
否定もしない。首も傾げない。当たるたびに、静かに頷く。頷くたびに、円卓のどよめきが大きくなった。
◇
「去年の秋から、東の温室にはお入りになっておられません」
「入っておりませんわ」
「書斎の鍵は、ご自分でお持ちでいらっしゃる」
「持っておりますの」
「寝室の燭台は、四つ」
「四つでございます」
◇
デュボワ伯爵夫人が、扇で口を覆った。
覆いながら、隣の夫人と目を合わせている。あのマダムは本物だ、という顔である。当たれば当たるほど、この場の全員が、この女を信じていく。
ヴィオレッタは、それを待っていた。
◇
当たる話ばかりを続けさせる。続けさせて、この女に、自分は視えるのだと思わせる。思わせなければ、次の一歩を踏まない。
「マダム」
「はい」
「ほかには、何が視えまして」
女は、水を覗いた。
覗きながら、少しだけ間を空ける。ここまでの六つは、全部買った話であった。買った話は、そろそろ尽きている。
◇
尽きたところで、盛る。
占い師というものは、そこで必ず盛る。客が待っているからである。待っている客の前で「これ以上は視えません」と言える者は、この商売を続けられない。
「……失われたものが、ございますね」
◇
円卓が、しんとした。
「お嬢様は、この春、大切なものをお失いになりました」
「まあ」
「金の、環でございましょう。小さな石が、一つ」
二十人が、息を呑んだ。
誰も知らない話である。公爵家の中で三日騒いだだけで、外へは出していない。出していないものを、この女が言い当てた。
◇
デュボワ伯爵夫人が、声を上げた。
「まあ、母君の」
「ご存じでしたの」
「存じません。いま、はじめて」
マダムの顔に、余裕が戻る。
内側の色も、同じであった。この女はいま、確かに勝ったと思っている。買った話でここまで来て、最後に人の心の傷を当てた。そう思っている。
◇
「お悲しみでございましょう。ですが、ご案じなさいますな」
「といいますと」
「あの環は、水の底には視えません。まだ、この家のどこかにございます」
◇
ヴィオレッタは、右手の手袋を外した。
◇
薬指に、金の環がある。
小さな石が、一つ。
◇
庭が、音を失った。
◇
鉢の水が、わずかに揺れている。揺らしたのは風ではない。マダムの手であった。
「……お嬢様」
「はめておりますわ。三日ほど騒ぎましたけれど、ずっとこの指に」
誰も、何も言わない。
二十人が、ついさっき自分の目で見たものを、順番に数え直している。
蜂蜜。パン。茶。温室。鍵。燭台。その六つが当たって、七つ目が外れた。犬の耳の色も、姉との喧嘩も、みな同じ水から出てきたはずである。
◇
外れたのが最後の一つだけであったのが、いちばん悪い。
六つ当てた者が七つ目を外せば、人は七つ目のほうを疑う。その疑いは、前の六つまで遡る。遡られて困るのは、六つとも本物ではなかった側であった。
◇
外れ方が、悪すぎた。
◇
「マダム。いまのは、どこで視えましたの」
「……水に」
「水に」
「はい。水に、確かに」
「妙でございますわね」
ヴィオレッタは、指輪を光にかざした。
「失くしたと申しましたのは、わたくしの口でございます。うちの者が聞いて、外へ出しましたのでしょう。あなたが視ておいでなのは、水ではございませんわ」
◇
「わたくしの口でございましょう」
◇
マダムは、答えられなかった。
答えれば、買ったと認めることになる。認めなければ、水に嘘が映ったことになる。どちらを選んでも、同じところに落ちる。
落ちる者は、たいてい、三つ目を選ぼうとする。
◇
「……お嬢様。試されましたのですね」
「ええ」
「そのようなことをなさって、何になりますでしょう」
「何にもなりませんわ。気にくわなかっただけでございます」
◇
「……お嬢様は、わたくしが偽りを申していると」
「一つだけ、と申し上げております」
「一つでございますか」
「ええ。六つは、本当のことでございましたわ。うちの者が申したとおりに」
◇
マダムの口が、半分開いたまま止まった。
◇
「本当のことばかり申し上げる商売を、わたくしは知っております。人の口から入れて、人の口へ出す商売でございます。それは、噂と申しますの」
「わたくしは、噂売りではございません」
「では、水のほうをお信じになりますのね」
◇
女は、答えを選びそこねた。
選びそこねた顔を、二十人が見ている。占いの客というのは、当たるところを見に来る。外れるところを見せられると、二度と戻らない。
円卓のほうが、先に動いた。
デュボワ伯爵夫人が、扇を下ろしている。下ろした顔が、白い。この夫人の娘の懐妊を、マダムは誰より早く言い当てた。医者より早く。
◇
医者より早く知っていたのは、誰か。
「……マダム」
夫人の声が、低くなった。
「あなた、うちの誰から、お聞きになりましたの」
子爵夫人が立ち上がった。
耳飾りの場所を当てられた夫人である。外套の左の袖の折り返し。あれを畳んだのは、屋敷の女中であった。
◇
「わたくしの家では、どなたを」
「お待ちくださいまし、わたくしは」
「お答えなさい」
二十人が、一斉に同じことを考えている。
自分の家の誰かが、この女に喋った。喋った中身は、この女が金に換えた。換えた金の出どころは、自分が払った占い料である。
◇
自分の秘密を、自分の金で買い戻していた。
◇
メルシエ男爵の縁者が、立ったまま震えていた。
この家は、三月で傾くと言われて傾いている。傾いたのは占いのせいではない。ただ、傾く前に外へ漏れたせいで、貸してくれる先が一斉に引いた。引いたのは、占いを聞いた者たちであった。
◇
「……では、うちは」
「お黙りなさいまし」
デュボワ伯爵夫人が、静かに言った。
この夫人は、こういうときに場を仕切る。仕切れば損をしないと思っている。たいていの場合、それも正しい。
「ここで騒いでも、名は出ませんわ。名を出させるのは、うちに帰ってからでございましょう」
◇
二十人が、同じことを思い浮かべた。
自分の家の玄関と、そこに並ぶ顔である。
ヴィオレッタは、茶を一口飲んだ。
こうなると、もう何もしなくてよろしい。二十人が二十家の門を叩いて、二十人の使用人が今夜じゅうに出ていく。マダムはそのあいだ、何度も同じ質問に答えることになる。
◇
衛兵を呼ぶ必要はない。
この女は、法に触れることを一つもしていなかった。人の話を聞いて、聞いた話を別の場所で言っただけである。罪には問えない。
◇
問えないものは、罰するに限る。
◇
「マダム」
「……はい」
「西の部屋は、いつまでお借りですの」
「秋まででございます」
「では、秋までにお回りなさいまし」
女が顔を上げた。
「王都の家を、一軒ずつでございます。どちらの家の、どなたから、いくらで何を伺ったか。ご自分の口でお伝えなさい」
「……そのようなことを」
「なさらなくても構いませんわ。そのときは、わたくしが申し上げますもの」
◇
マダムの内側が、はじめて濁った。
罪の色である。悪いことをしたと思っていない女が、悪いことをしたと言われる場所に立たされて、ようやく濁った。
ヴィオレッタは、その色を眺めた。
眺めて、別に何も感じなかった。人が濁るところを見るのは、六つのころから飽きるほど見ている。
◇
鉢は、卓に残された。
水が張ってある。庭の木の影が映っていて、それ以外は何も映っていない。当たり前である。水というのは、そういうものであった。
マダムは、その日のうちに鉢を置いて帰った。
◇
翌週から、西の通りに馬車は並ばなくなった。並ばなくなるどころか、あの外套を着た女が歩いているだけで、店が戸を閉めるようになったという。
王都を回ったかどうかは、聞いていない。
回らなかったのであろう。回れば、行く先々で何かを投げられる。投げられずに済ませたければ、王都を出るしかない。夏の終わりには、西の部屋も空いていた。
◇
テレーズは、どこにも雇われなかった。
髪結いというのは、家の中に入る商売である。売った女を入れる家はない。ヴィオレッタは何も手を回していない。回す必要がなかった。
マリアンヌには、何も言っていない。
◇
あの茶会に、この侍女も立っていた。立って、最初から最後まで見ていた。自分が西の通りで喋った中身が、どこへ行ったのかも、見て分かったであろう。
その夜、湯がぬるかった。
ヴィオレッタは何も言わなかった。言えば、詫びさせることになる。詫びさせれば、この侍女はまた長く頭を下げる。
◇
数日して、マリアンヌのほうから口を開いた。
「お嬢様」
「なんですの」
「妹に、話が参りました」
「どちらから」
「北の、御領地の代官の家でございます。次男の方で、来年に分家を立てられるそうで」
「良い話ですの」
「……悪くはございません」
「では、あの女の占いは当たりましたのね」
マリアンヌは、湯を注ぐ手を止めた。
◇
止めてから、首を横に振った。
「お嬢様が、お回しになったと伺いました」
「まあ。どなたから」
「ベルナール様から」
あの執事は、口が堅いのか軽いのか、いまだに分からない。
「礼は要りませんわよ」
「申し上げておりません」
「よろしい」
◇
湯気が、ゆっくり上がっている。
「お嬢様。ひとつだけ、伺ってもよろしゅうございますか」
「どうぞ」
「あの指輪でございます。三日も探させて、ずっとおはめでいらしたのですね」
「ええ」
「……お嬢様は、嘘をおつきにならないと伺っておりました」
◇
ヴィオレッタは、右手を持ち上げた。
薬指の環が、燭台の火を一つぶんだけ返した。
「生涯で、三度と決めておりますの」
「……あと二度」
「いいえ」
◇
「あと一度でございますわ」




