第36話 よく当たると評判の占い師に、わたくしを占わせてみましたの 前編
王都で占いが流行りはじめたのは、雪の消えるころである。
マダム・ベリエ。四十の半ばで、太っており、声が低い。北の生まれだというが、それも本人の言い分でしかない。西の通りの二階に部屋を借り、水を張った鉢を前に置いて、客の手を取る。それだけの商売であった。
◇
当たる、という評判が立った。
立ちはじめると、早い。王都の女というのは、当たる話をなにより好む。半月で予約が二月先まで埋まり、伯爵家の馬車が西の通りに並ぶようになった。
デュボワ伯爵夫人の娘が、いちばん最初の評判であった。
鉢の水を覗いたマダムが、手を取ったまま言ったという。おめでとうございます、と。娘はまだ誰にも言っていなかった。医者にすら診せていなかった。
◇
次が、メルシエ男爵家の借財である。
三月のうちに家が傾くと言われ、男爵は笑って帰る。二月後に、本当に傾いた。
三つ目は、失せ物である。
子爵夫人が一年探していた耳飾りを、マダムは鉢の水も見ずに言い当てた。冬の外套の、左の袖の折り返しの中。開けたら、あった。
◇
三つ当たれば、王都では本物になる。
本物になったマダムは、値を三倍にした。三倍にしても客は減らなかった。むしろ、高いほうがよく当たると皆が言いはじめる始末である。
値を上げてから、マダムは客を選ぶようになった。
一日に三人まで。紹介のない者は取らない。取らない相手が増えるほど、取ってもらえた家は自慢する。商売としては、うまいやり方であった。
◇
断られた家の娘が泣いた、という話まで流れてくる。
泣くほどのものかと思うけれど、泣くのであろう。当たると評判の女に会えないというのは、自分だけが明日を知らされないということであった。
◇
ヴィオレッタは、そのころ何も言わなかった。
当たる女がいる。それだけのことであろう。人の手を取って水を覗く商売より、よほど悪いことをしている者が、この王都には掃いて捨てるほどいる。
気が変わったのは、四月の第二週である。
◇
ベルナールが、朝のうちに書斎へ来た。
この執事が朝に来るのは、金の話か、家の中の話のどちらかである。今日は後者の顔をしていた。
「お嬢様。妙な話を耳に致しました」
「どのような」
「西の占い師が、当家のことを申しておるそうでございます」
◇
「うちの、何を」
「お嬢様が、朝にお召し上がりになるものを」
ヴィオレッタは、羽根ペンを置いた。
朝に何を食べるか。どうでもよい話である。どうでもよい話であるから、外に漏れる理由がない。
◇
「ほかには」
「お嬢様が、去年の秋から東の温室にお入りにならぬこと。書斎の鍵を、ご自分でお持ちであること」
「まあ」
「それから、寝室の燭台の数を」
「どこで、そのような話を」
「西の通りでございます。手前の姪が、伯爵家に上がっておりまして」
「その姪御が、占っていただいたと」
「はい。順番を待つあいだに、控えの間で聞いたそうでございます」
◇
控えの間で聞いた、というのがまた悪い。
占いというのは一対一でするものである。それを控えの間まで届く声でやっているなら、届けるつもりでやっている。当たった話を待っている客に聞かせれば、その客は次も来る。
◇
燭台の数である。
人の心が視えると申し上げるより、よほど気味が悪い。心は誰にでも一つずつあるけれど、燭台の数を知っているのは、その部屋に入る者だけであった。
「種は、お分かりですわね」
「……使用人でございましょう」
「ええ」
◇
占いというものに、水は要らない。
要るのは、鉢ではなく口である。娘の懐妊を先に知るのは医者ではない。洗濯場の女である。家が傾くのを先に知るのは当主ではない。台所に出入りする商人であった。
◇
マダム・ベリエは、王都の口を買っている。
ひとりやふたりではない。あれだけの数を当てるには、家ごとに一人ずつ要る。伯爵家に一人、男爵家に一人、子爵家に一人。買って、飼って、水を張った鉢の前で使う。
◇
「当家にも、おりますのね」
「……申し訳ございません」
「あなたが謝る話ではございませんわ」
執事が謝るのは、執事の仕事だからである。
仕事でする謝罪に値打ちはない。ヴィオレッタは、その種の言葉を受け取らないことにしている。受け取れば、次から誰もが謝って済ませるようになる。
◇
誰が売っているかは、その日の午後に知れた。
◇
公爵家に入る者は、思いのほか多い。仕立屋、靴屋、庭師、香を納める店、氷を運ぶ男。そのうち寝室まで入るのは、ほんの数人であった。
◇
数人のうち、燭台を数える理由のある者は、一人しかいない。
◇
その日の午後、髪を結わせた。
公爵家には抱えの髪結いがいない。週に二度、外から女が来る。テレーズという、三十ばかりの女であった。腕は悪くない。口数は少ない。
鏡の前に座り、髪を預けながら、ヴィオレッタはその女を視た。
◇
色が立っている。
薄く、細く、しかし絶え間なく。伏せているものを抱えたまま、毎週この部屋へ入ってくる者の色であった。
「テレーズ」
「はい」
「あなた、燭台をお数えになりまして」
櫛が、止まった。
◇
止まってから、また動く。動かしたのは腕であって、頭ではない。頭のほうは、鏡の中でまっ白になっていた。
「……なんのことでございましょう」
「いくらで、お売りになりましたの」
答えは返らなかった。
返らなくても、内側が答える。額までは分からない。ただ、その額をこの女が「安かった」と思っていることだけは、はっきり視えた。
◇
――安く売られましたわね。
◇
腹が立ったのは、そこである。
売られたことではない。安く売られたことであった。うちの寝室の燭台が、髪結い一人の半年ぶんの手間賃に化けている。値をつけたのはマダムで、受けたのはこの女で、どちらにも相談された覚えがない。
◇
「明日から、来なくてよろしいですわ」
「お嬢様、あの」
「お怒りではございませんの。あなたの値づけが気にくわないだけでございます」
「……お嬢様」
「なんですの」
「わたくしは、悪い話は一つも申しておりません」
◇
女は、そこだけは強い声で言った。
朝に何を食べるか。燭台が何本か。書斎の鍵を誰が持っているか。どれも悪い話ではない。悪い話ではないから、売ってよいと思った。思うところまでは、責める気になれない。
◇
「ええ。悪い話ではございませんわ」
「では」
「悪くない話を、安くお売りになりましたのね」
テレーズは道具を片づけて帰った。
帰り際に一度だけ振り返ったが、ヴィオレッタは鏡のほうを見たままであった。
◇
同じ週に、もう一つ潰した。
北の菓子屋が、春の宴の納めを取りかけていた。占いとは何の関わりもない店である。ヴィオレッタは別の店の名を一度出し、それで話が消えた。
理由は、去年の暮れに、あの店の主人が扉を押さえながら目を伏せたからである。
伏せる者が嫌いなだけであった。
◇
もう一つ、腹に据えかねていることがある。
メルシエ男爵家である。
あの家は、この春に潰すつもりでいた。二年前に公爵家の領地の水を勝手に引いた家で、証を揃えるのに一年半かけていた。その矢先に、占いのほうが先に潰した。
◇
占いで潰れた家は、潰れたことにならない。
当たった話になるだけである。一年半が、水の泡であった。
◇
――横取りでございますわ。
◇
マリアンヌが妙なのは、そのころからであった。
湯を運んでくる手つきは変わらない。書状の仕分けも、髪の結い直しも、いつもどおりである。ただ、外に出る日が増えた。買い物にしては、戻りが遅い。
◇
ヴィオレッタは、しばらく黙って見ていた。
黙っていられたのは、この侍女の色が濁っていなかったからである。伏せているものはある。ただ、それは主人に向いていない。
四月の終わりに、訊いた。
◇
「西の通りに、行っておいでですわね」
盆が、少し傾いた。
「……申し訳ございません」
「叱っておりませんわ。何を占っていただきましたの」
「妹のことでございます」
マリアンヌは子爵家の長女である。
下に妹が三人いて、いちばん上が今年で十七になる。嫁ぎ先の当てがない。父は当てにならず、家には金がない。
◇
「あの女は、なんと」
「春のうちに、良い話が参ると」
「そう」
「……はい」
良い話が参る、である。
誰にでも言える。言われた者は、それを聞くために三月ぶんの給金を払う。
「そのとき、あなたは何をお話しになりましたの」
「なにも」
「なにも、とは」
「……訊かれるままに、お答えいたしました」
◇
それである。
占いというのは、客のほうが喋る商売であった。座って、手を取られて、あれこれ訊かれる。答えているうちに、答えた中身を当てられたと思って帰る。帰ってから、自分が何を喋ったかは覚えていない。
◇
「わたくしのことも、訊かれまして」
「……はい」
「お答えになりましたのね」
「妹のことばかり考えておりまして」
◇
「何を訊かれましたの」
「……お嬢様は、朝はどのようにお過ごしか、と」
「それだけ」
「お仕えするのは、おつらくないか、とも」
◇
「お答えになりまして」
「つらくはございません、と申し上げました」
「まあ、嘘をおつきになりましたのね」
「嘘ではございません」
◇
ヴィオレッタは、そこで少し黙った。
◇
黙ったのは、言い返す言葉が出てこなかったからである。この侍女は、たまにこういうことを、顔色ひとつ変えずに置いていく。
マリアンヌは、そこで頭を下げた。
長く下げていた。この侍女は、下げている時間の長さで償おうとする癖がある。ヴィオレッタは、その癖が嫌いであった。
◇
「お顔をお上げなさい」
「……はい」
「妹御は、三人でございましたわね」
「はい」
「では、三人ぶん働いていただきますわ。頭を下げても、妹は嫁ぎませんもの」
慰めなかった。
慰めれば、この侍女は楽になる。楽になれば、また喋る。喋らせないためには、楽にしないほうが早かった。
◇
五月の頭に、ヴィオレッタは指輪を失くした。
母の形見である。細い金の環に、小さな石が一つ。父が母に贈り、母が死ぬ前に外して置いていった。値打ちで言えば、たいしたものではない。
失くした、と家じゅうに言った。
◇
朝の食堂で言い、昼に執事に言い、夕方に侍女たちの前で言った。心当たりを訊いて回り、蔵を開けさせ、馬車の座席の下まで探させた。三日かけて、ずいぶん騒いだ。
失くしてはいない。
右手の薬指に、はめている。
その上から手袋をしていた。この季節、令嬢が昼に手袋を外すことはない。外さなければ、誰にも見えない。
◇
――嘘は、申しておりませんわ。
◇
厳密には、申している。
失くしたと言ったのだから、嘘である。この女は嘘を生涯で三度と決めており、一度目は、とうに使い終わっていた。これが二度目にあたる。
使うと決めたからには、惜しまない。
三日騒いで、四日目に諦めた顔をした。諦めた顔をするのはうまくないので、代わりに不機嫌な顔をした。そちらは得意である。家じゅうが、指輪の話をしなくなった。
◇
漏れる道は、こちらで開けておいた。
テレーズを切ったあと、代わりの髪結いを入れていない。代わりに、洗濯場の女を一人、朝の仕度に上げた。この女がよく喋ることは、家じゅうが知っている。
喋る者を切るのは簡単である。
切らずに置いておけば、こちらの言いたいことだけを外へ運んでくれる。指輪の話は、三日目の夕方に、この女の前でもう一度した。それで足りた。
◇
話さなくなったころに、外へ漏れる。
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