第27話 持参金は要らぬ、と書いてまいりましたので
返書は、雪の残る朝に届いた。
◇
南の封蝋であった。この国では使わない、赤の濃すぎる蝋である。指で押せば跡が残りそうなほど厚く盛ってあり、盛り方に慣れがなかった。
――上等の蝋を、はじめて使った者の盛り方。
◇
ヴィオレッタは自分で封を切った。
自分で切るのは、自分で出した書状の返事だからである。
半年前、彼女は南の小国へ縁談を持ちかけた。
リュエル王国。山を二つ越えた先にあり、版図はこの国の三十分の一ほどしかない。それでも王家は王家であり、王太子は王太子であった。
◇
持ちかけた相手は、王都に逗留していたリュエルの使節である。
書状を三度やり取りし、あとは向こうの返事を待つだけになっていた。花嫁は、侍女のマリアンヌ。
◇
始まりは、去年の秋の茶会である。
ラフォン伯爵令嬢が扇を鳴らして言った。公爵家の侍女どのは、もう二十二におなりでしょうに、と。
周りの令嬢が笑った。
◇
ヴィオレッタは笑わなかった。
笑わなかったが、腹も立てなかった。腹が立つほど、あの令嬢に値打ちはない。
◇
ただ、気にくわなかった。
その月のうちに、南への書状を書きはじめた。
王都の令嬢が束になっても届かぬ座を、自分の侍女にくれてやる。それだけのことである。マリアンヌのためではない。
◇
後添えの口であった。
前の妃は二年前に死んでいる。階段から落ちたのだと使節は言い、書状にもそう書いてあった。
◇
――階段。
◇
返書には、承諾とあった。
丁寧な字で、この国の言葉で、日取りの案も、迎えの人数も、細かに書いてある。よく整った書状であった。
最後に、一行あった。
持参金は求めぬ、と。
◇
持参金の要らぬ縁談というものがある。
金より欲しいものが向こうにある縁談か、金を出す値打ちが花嫁にない縁談かの、どちらかである。後者ならば、承諾の返書は来ない。
◇
――では、何が欲しい。
◇
マリアンヌを呼んで、書状を渡した。
侍女は読んだ。読み終えて、もう一度はじめから読んだ。二度目のほうが長かった。読み返す者は、たいてい、都合のよすぎる行を探している。
「なんと書いてありますの」
「……承諾、と」
「ほかには」
「持参金は、求めぬと」
「そうですわね」
◇
この侍女は、二年、ヴィオレッタのそばにいる。
主人の悪名がどれほどのものかを承知しており、承知したうえで辞めなかった。辞めない理由を、ヴィオレッタは訊いたことがない。
「よい話でございますわね」
「……はい」
「よすぎますわ」
「……」
「持参金は要らぬと書く相手が、なぜ書状を三度も寄越しますの。惜しくない娘なら、一度で足りますでしょう」
マリアンヌは黙った。この侍女は、主人の言葉の後半を聞き逃さない。
◇
マリアンヌは子爵家の長女である。
兄には借財があり、下に妹が三人いる。嫁ぎ先は、あって二つか三つ。そのうち二つは後妻の口で、一つは相手が六十を越えている。
「輿入れの支度は、わたくしが調えますわ」
「そのようなもの、いただく謂れが」
「あなたにやるのではございません」
「では、どなたに」
「あちらに見せるのですわ」
◇
「持参金は要らぬ、と向こうは書いてまいりました。わたくしの侍女に、値をつけずに済ませるつもりでございます。こちらから積んでおけば、値がつきますわ」
「……」
「わたくしのものが安く見られるのが、気にくわないだけでございます。あなたのためではございませんから、礼は要りませんわよ」
◇
輿入れの支度には、南の織り手を入れることにした。
その織り手は、ラフォン伯爵令嬢の婚礼のために押さえられていた。婚礼は三月後に迫っていた。ヴィオレッタは引き上げさせた。
伯爵夫人は、その日のうちに公爵家へ来た。
応接の間に通し、茶を出させ、ヴィオレッタは終始おだやかに聞いた。夫人は泣きはしなかったが、扇を持つ手が白くなっていた。
◇
「娘の婚礼でございます」
「存じております」
「三月しかございません」
「ええ。三月もございませんわね」
「なぜ、うちの織り手を」
「わたくしの侍女が嫁ぎますの」
「侍女の輿入れのために、伯爵家の婚礼から取り上げると仰せですか」
「ええ」
「そのようなことが、通ると」
「わたくしの侍女は、王太子妃になりますのよ。お宅のお嬢様は、何におなりですの」
◇
夫人は答えなかった。
答えられることが一つもなかったからである。相手は男爵家の次男で、婚礼のあとは領地に引っ込む。
◇
あの令嬢は、去年の秋、ヴィオレッタの前で扇を鳴らした。
理由はそれだけである。
三日後、子爵家から兄が来た。
挨拶に参上したという名目であった。妹の主人に礼を述べるのに、馬を借り、上着を新調して来る兄である。
◇
「妹には、もったいないほどの話でございます」
「そうですわね」
「家の者一同、感謝いたしております」
「そうでございましょうね」
男の内側は、よく喋った。
安堵が半分。残りの半分は、勘定であった。妹一人で三人が片づく、という勘定である。勘定そのものは正しい。正しいから、この男は自分を責めずに済んでいる。
◇
用件は、金であった。
妹が王太子妃になるのだから、その名で借りられるはずだという。借りられるはずだ、という言い方を、この男は三度した。
「いくら」
「は」
「いくら要るのかと、伺っておりますの」
◇
男は額を言った。
言うのに、少しも時間がかからなかった。来る前から決めてきた額である。
「マリアンヌを呼びなさい」
「お嬢様——」
「呼びなさいと申しました」
マリアンヌが来た。
ヴィオレッタは、その前で兄に金を渡した。数え、渡し、受け取ったのを確かめさせた。
兄は受け取った。妹の顔を、一度も見なかった。
◇
「このご恩は、生涯忘れませぬ」
「恩ではございませんわ」
「これは妹御の代金でございます。あなたはいま、妹を売った金を、妹の前で受け取っておいでですわ」
兄は真っ赤になり、それから青くなって、帰った。
金は、持って帰った。
◇
「なぜ、わたくしの前で」
「見ておいたほうがよいでしょう」
「……」
「あなたが何のために嫁ぐのか。あの男の手つきで、はっきりいたしますもの」
マリアンヌは何も言わずに下がった。
その夜、湯の温度が少しぬるかった。ヴィオレッタは何も言わなかった。
◇
輿入れの支度は、はじめから品で調えることにしてあった。
衣装、織り、櫃、馬具。金では渡さない。金で渡せば、いまの男がまた来る。
迎えの使者は、その月の末に着いた。
驚いたことに、王太子本人が来ていた。
◇
小国の王太子が、他国の公爵家へ、侍女ひとりを迎えに来る。
礼としては重すぎる。重すぎる礼を積んでくるのは、値切りたい者と決まっている。積んだぶんだけ、こちらは断りにくくなる。
◇
ティボー・ド・リュエル。二十九。
背が高く、声が低く、よく笑った。この国の言葉を丁寧に使い、公爵にも執事にも同じ調子で礼を返した。
「アルヴェールの姫君にお目にかかれるとは」
「わたくしはただの婚約者でございます」
「王太子妃であられると伺いましたが」
「まだでございます。まだのものを、あるように申し上げるわけには参りませんわ」
◇
ティボーは笑った。感じのよい笑い方であった。
広間にいた令嬢が幾人か、扇の陰でその笑い方を見ていた。
ヴィオレッタは、その内側を見た。
何も立たなかった。
色が立つには、表と内にずれが要る。
伏せているもの、隠しているもの、思っているのと違うことを言っている、その差が色になる。差の無いところに色は立たない。
この男には、差がなかった。
◇
――何も隠していない。
◇
連れは二人であった。
侍従長のドニ卿。五十がらみで、髪が薄く、書き物の指をしている。女官のアデル。四十ほど。手の甲に古い火傷がある。
ドニは立った。薄く、途切れずに、ずっと立っていた。
アデルは立った。強く、一瞬だけ立って、すぐに沈んだ。
◇
――伏せている者が二人。伏せていない者が一人。
◇
その晩、王城に上がった。
アルベールは書き物の手を止めずに聞き、聞き終えてから顔を上げた。
「リュエルか」
「山を二つ越えた先の」
「そなたがまとめた話だそうだな」
「わたくしが持ちかけました」
「前の妃は二年前だ」
「階段だそうでございます」
◇
「そなたは、そう思っておらぬ顔をしている」
「顔でございますか」
「顔だ。心は視えぬのでな」
ヴィオレッタは何も答えなかった。
答えなければ嘘にならない。この男はそれを知っていて、それ以上訊かなかった。訊かずに、書き物に戻った。
◇
晩餐の席は長かった。
ティボーはよく喋った。自国の葡萄の話をし、山の道の話をし、この国の冬の長さを褒めた。褒め方が上手であった。褒められた側が、褒められたと気づかぬくらいには上手であった。
◇
「リュエルの城は、階段が急だと伺いましたわ」
ヴィオレッタはそう言って、卓の向こうを見た。
「よくご存じで」
ティボーは笑った。
「古い城でしてね。段が高く、幅が狭い。慣れぬ者はよく転びます。私も子供のころに二度落ちました」
「まあ。お怪我は」
「額を切りましたよ。ここに、まだ残っております」
◇
男は前髪を上げてみせた。
白い筋が、たしかに残っていた。
男の内側は、動かなかった。
アデルが跳ねた。
顔は動いていない。手も動いていない。給仕に酒を注がせる仕草も止まらなかった。内側だけが跳ねて、すぐに押し込まれた。
押し込むには力が要る。力の要るものには、値打ちがある。
◇
ドニ卿の色は、そのあいだ、変わらなかった。
薄いまま、ずっと立っている。
晩餐のあと、ヴィオレッタはドニ卿を廊で捕まえた。
「二年前の書状は、あなたがお書きになりましたの」
「……と、申されますと」
「前の妃が亡くなられたときの、各国への触れでございます。よく整った文でございました」
「恐れ入ります」
◇
「階段、と書かれましたのね」
「事実でございますれば」
「ええ。書かれたことは事実でございましょう」
男は答えなかった。
書いたことは事実である。事実でないとは、ヴィオレッタも言っていない。
◇
「よくお眠りになれておいでですの」
「……歳でございます」
「二年ほど前から」
ドニ卿は一礼して、去った。去るときの色が、いくらか濃くなっていた。
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