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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第4章

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第27話 持参金は要らぬ、と書いてまいりましたので

 返書は、雪の残る朝に届いた。


   ◇


 南の封蝋であった。この国では使わない、赤の濃すぎる蝋である。指で押せば跡が残りそうなほど厚く盛ってあり、盛り方に慣れがなかった。


  ――上等の蝋を、はじめて使った者の盛り方。


   ◇


 ヴィオレッタは自分で封を切った。


 自分で切るのは、自分で出した書状の返事だからである。


 半年前、彼女は南の小国へ縁談を持ちかけた。


 リュエル王国。山を二つ越えた先にあり、版図はこの国の三十分の一ほどしかない。それでも王家は王家であり、王太子は王太子であった。


   ◇


 持ちかけた相手は、王都に逗留していたリュエルの使節である。


 書状を三度やり取りし、あとは向こうの返事を待つだけになっていた。花嫁は、侍女のマリアンヌ。


   ◇


 始まりは、去年の秋の茶会である。


 ラフォン伯爵令嬢が扇を鳴らして言った。公爵家の侍女どのは、もう二十二におなりでしょうに、と。


 周りの令嬢が笑った。


   ◇


 ヴィオレッタは笑わなかった。


 笑わなかったが、腹も立てなかった。腹が立つほど、あの令嬢に値打ちはない。


   ◇


 ただ、気にくわなかった。


 その月のうちに、南への書状を書きはじめた。


 王都の令嬢が束になっても届かぬ座を、自分の侍女にくれてやる。それだけのことである。マリアンヌのためではない。


   ◇


 後添えの口であった。


 前の妃は二年前に死んでいる。階段から落ちたのだと使節は言い、書状にもそう書いてあった。


   ◇


  ――階段。


   ◇


 返書には、承諾とあった。


 丁寧な字で、この国の言葉で、日取りの案も、迎えの人数も、細かに書いてある。よく整った書状であった。


 最後に、一行あった。


 持参金は求めぬ、と。


   ◇


 持参金の要らぬ縁談というものがある。


 金より欲しいものが向こうにある縁談か、金を出す値打ちが花嫁にない縁談かの、どちらかである。後者ならば、承諾の返書は来ない。


   ◇


  ――では、何が欲しい。


   ◇


 マリアンヌを呼んで、書状を渡した。


 侍女は読んだ。読み終えて、もう一度はじめから読んだ。二度目のほうが長かった。読み返す者は、たいてい、都合のよすぎる行を探している。


「なんと書いてありますの」


「……承諾、と」


「ほかには」


「持参金は、求めぬと」


「そうですわね」


   ◇


 この侍女は、二年、ヴィオレッタのそばにいる。


 主人の悪名がどれほどのものかを承知しており、承知したうえで辞めなかった。辞めない理由を、ヴィオレッタは訊いたことがない。


「よい話でございますわね」


「……はい」


「よすぎますわ」


「……」


「持参金は要らぬと書く相手が、なぜ書状を三度も寄越しますの。惜しくない娘なら、一度で足りますでしょう」


 マリアンヌは黙った。この侍女は、主人の言葉の後半を聞き逃さない。


   ◇


 マリアンヌは子爵家の長女である。


 兄には借財があり、下に妹が三人いる。嫁ぎ先は、あって二つか三つ。そのうち二つは後妻の口で、一つは相手が六十を越えている。


「輿入れの支度は、わたくしが調えますわ」


「そのようなもの、いただく謂れが」


「あなたにやるのではございません」


「では、どなたに」


「あちらに見せるのですわ」


   ◇


「持参金は要らぬ、と向こうは書いてまいりました。わたくしの侍女に、値をつけずに済ませるつもりでございます。こちらから積んでおけば、値がつきますわ」


「……」


「わたくしのものが安く見られるのが、気にくわないだけでございます。あなたのためではございませんから、礼は要りませんわよ」


   ◇


 輿入れの支度には、南の織り手を入れることにした。


 その織り手は、ラフォン伯爵令嬢の婚礼のために押さえられていた。婚礼は三月後に迫っていた。ヴィオレッタは引き上げさせた。


 伯爵夫人は、その日のうちに公爵家へ来た。


 応接の間に通し、茶を出させ、ヴィオレッタは終始おだやかに聞いた。夫人は泣きはしなかったが、扇を持つ手が白くなっていた。


   ◇


「娘の婚礼でございます」


「存じております」


「三月しかございません」


「ええ。三月もございませんわね」


「なぜ、うちの織り手を」


「わたくしの侍女が嫁ぎますの」


「侍女の輿入れのために、伯爵家の婚礼から取り上げると仰せですか」


「ええ」


「そのようなことが、通ると」


「わたくしの侍女は、王太子妃になりますのよ。お宅のお嬢様は、何におなりですの」


   ◇


 夫人は答えなかった。


 答えられることが一つもなかったからである。相手は男爵家の次男で、婚礼のあとは領地に引っ込む。


   ◇


 あの令嬢は、去年の秋、ヴィオレッタの前で扇を鳴らした。


 理由はそれだけである。


 三日後、子爵家から兄が来た。


 挨拶に参上したという名目であった。妹の主人に礼を述べるのに、馬を借り、上着を新調して来る兄である。


   ◇


「妹には、もったいないほどの話でございます」


「そうですわね」


「家の者一同、感謝いたしております」


「そうでございましょうね」


 男の内側は、よく喋った。


 安堵が半分。残りの半分は、勘定であった。妹一人で三人が片づく、という勘定である。勘定そのものは正しい。正しいから、この男は自分を責めずに済んでいる。


   ◇


 用件は、金であった。


 妹が王太子妃になるのだから、その名で借りられるはずだという。借りられるはずだ、という言い方を、この男は三度した。


「いくら」


「は」


「いくら要るのかと、伺っておりますの」


   ◇


 男は額を言った。


 言うのに、少しも時間がかからなかった。来る前から決めてきた額である。


「マリアンヌを呼びなさい」


「お嬢様——」


「呼びなさいと申しました」


 マリアンヌが来た。


 ヴィオレッタは、その前で兄に金を渡した。数え、渡し、受け取ったのを確かめさせた。


 兄は受け取った。妹の顔を、一度も見なかった。


   ◇


「このご恩は、生涯忘れませぬ」


「恩ではございませんわ」


「これは妹御の代金でございます。あなたはいま、妹を売った金を、妹の前で受け取っておいでですわ」


 兄は真っ赤になり、それから青くなって、帰った。


 金は、持って帰った。


   ◇


「なぜ、わたくしの前で」


「見ておいたほうがよいでしょう」


「……」


「あなたが何のために嫁ぐのか。あの男の手つきで、はっきりいたしますもの」


 マリアンヌは何も言わずに下がった。


 その夜、湯の温度が少しぬるかった。ヴィオレッタは何も言わなかった。


   ◇


 輿入れの支度は、はじめから品で調えることにしてあった。


 衣装、織り、櫃、馬具。金では渡さない。金で渡せば、いまの男がまた来る。


 迎えの使者は、その月の末に着いた。


 驚いたことに、王太子本人が来ていた。


   ◇


 小国の王太子が、他国の公爵家へ、侍女ひとりを迎えに来る。


 礼としては重すぎる。重すぎる礼を積んでくるのは、値切りたい者と決まっている。積んだぶんだけ、こちらは断りにくくなる。


   ◇


 ティボー・ド・リュエル。二十九。


 背が高く、声が低く、よく笑った。この国の言葉を丁寧に使い、公爵にも執事にも同じ調子で礼を返した。


「アルヴェールの姫君にお目にかかれるとは」


「わたくしはただの婚約者でございます」


「王太子妃であられると伺いましたが」


「まだでございます。まだのものを、あるように申し上げるわけには参りませんわ」


   ◇


 ティボーは笑った。感じのよい笑い方であった。


 広間にいた令嬢が幾人か、扇の陰でその笑い方を見ていた。


 ヴィオレッタは、その内側を見た。


 何も立たなかった。


 色が立つには、表と内にずれが要る。


 伏せているもの、隠しているもの、思っているのと違うことを言っている、その差が色になる。差の無いところに色は立たない。


 この男には、差がなかった。


   ◇


  ――何も隠していない。


   ◇


 連れは二人であった。


 侍従長のドニ卿。五十がらみで、髪が薄く、書き物の指をしている。女官のアデル。四十ほど。手の甲に古い火傷がある。


 ドニは立った。薄く、途切れずに、ずっと立っていた。


 アデルは立った。強く、一瞬だけ立って、すぐに沈んだ。


   ◇


  ――伏せている者が二人。伏せていない者が一人。


   ◇


 その晩、王城に上がった。


 アルベールは書き物の手を止めずに聞き、聞き終えてから顔を上げた。


「リュエルか」


「山を二つ越えた先の」


「そなたがまとめた話だそうだな」


「わたくしが持ちかけました」


「前の妃は二年前だ」


「階段だそうでございます」


   ◇


「そなたは、そう思っておらぬ顔をしている」


「顔でございますか」


「顔だ。心は視えぬのでな」


 ヴィオレッタは何も答えなかった。


 答えなければ嘘にならない。この男はそれを知っていて、それ以上訊かなかった。訊かずに、書き物に戻った。


   ◇


 晩餐の席は長かった。


 ティボーはよく喋った。自国の葡萄の話をし、山の道の話をし、この国の冬の長さを褒めた。褒め方が上手であった。褒められた側が、褒められたと気づかぬくらいには上手であった。


   ◇


「リュエルの城は、階段が急だと伺いましたわ」


 ヴィオレッタはそう言って、卓の向こうを見た。


「よくご存じで」


 ティボーは笑った。


「古い城でしてね。段が高く、幅が狭い。慣れぬ者はよく転びます。私も子供のころに二度落ちました」


「まあ。お怪我は」


「額を切りましたよ。ここに、まだ残っております」


   ◇


 男は前髪を上げてみせた。


 白い筋が、たしかに残っていた。


 男の内側は、動かなかった。


 アデルが跳ねた。


 顔は動いていない。手も動いていない。給仕に酒を注がせる仕草も止まらなかった。内側だけが跳ねて、すぐに押し込まれた。


 押し込むには力が要る。力の要るものには、値打ちがある。


   ◇


 ドニ卿の色は、そのあいだ、変わらなかった。


 薄いまま、ずっと立っている。


 晩餐のあと、ヴィオレッタはドニ卿を廊で捕まえた。


「二年前の書状は、あなたがお書きになりましたの」


「……と、申されますと」


「前の妃が亡くなられたときの、各国への触れでございます。よく整った文でございました」


「恐れ入ります」


   ◇


「階段、と書かれましたのね」


「事実でございますれば」


「ええ。書かれたことは事実でございましょう」


 男は答えなかった。


 書いたことは事実である。事実でないとは、ヴィオレッタも言っていない。


   ◇


「よくお眠りになれておいでですの」


「……歳でございます」


「二年ほど前から」


 ドニ卿は一礼して、去った。去るときの色が、いくらか濃くなっていた。

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