番外編 見たものだけ 〜侍女マリア ンヌの手記〜
ヴィオレッタ付きの侍女、マリアンヌの一人称です。
第二編(第十三話〜第二十二話)の裏側にあたる、他愛のない話を集めました。
筋には関わりませんので、読み飛ばしても差し支えありません。
感想は要らない、と申しつけられている。
孤児院から戻った翌朝に、今後は見たものだけを申しなさい、と仰った。かしこまりましたと申し上げて、それきり守っている。
守っているが、私は帳面をつけている。
申し上げないだけで、書いてはいけないとは仰らなかった。書くなと仰らなかったものを書くのは、嘘ではない。この理屈は、あの方から習った。
◇
まず、菓子のことを書く。
あの方は、人前でどなたかを潰した日の夜、必ず厨に菓子をご注文になる。
七種類である。
六でも八でもなく、七だ。お仕えしてから、一度も違わない。
それをお部屋にお運びして、あの方は全部ひとくちだけ召し上がる。ひとくちずつ、七つ。そして残す。
残りは、私が片づける。
◇
おかげで、私は明らかに肥えた。
◇
なぜ七つなのか、なぜひとくちなのかを、私はずいぶん考えた。
はじめは、味をお確かめになっているのだと思った。厨の腕を測っておいでなのだと。違った。同じ菓子が出た日も、あの方は同じようにひとくちで置かれる。
次に、ご機嫌の悪い日の癖だと思った。これも違う。潰した日のあの方は、たいそうご機嫌がよろしい。
とうとう、思いきって伺った。
「お嬢様。お菓子は、なぜ七つでございますの」
「……七つですの?」
◇
ご存じなかった。
◇
「勘定が、速くなりますのよ」
あの方は、そう仰った。
「甘いものをひとくち頂きますと、頭のうしろのほうが少し軽くなりますの。二つめですと、もう効きませんわ。ですから、ひとくちずつ、順に」
「それで、七つ」
「数は、厨にお任せしておりましたわ」
◇
その週から、私は数を六つに減らしてみた。
あの方は、何も仰らなかった。
翌週、五つにした。何も仰らなかった。
四つにしたところで、こう仰った。
「マリアンヌ。足りませんわ」
◇
五つが下限である。
私は帳面にそう書いた。見たものだからだ。
◇
厨は、私より賢い。
あるとき、下働きの子が笑って言った。七つのご注文が参りますと、その日の昼にどなたか落ちておいででしたね、と。
噂は、翌日にならないと下まで降りてこない。厨の者だけが、その晩のうちに知る。
私はそれを、あの方に申し上げていない。
感想ではない。見たものだ。だから申し上げてもよかったのだが、申し上げると、あの方はご注文をおやめになる。
やめられると、私の取り分がなくなる。
◇
次に、扇のことを書く。
あの方が扇をお開きになると誰かが落ちる、というのは、いまや城の常識である。
開いてから畳むまでが短いほど重い、二度お開きになったら公爵家に関わることだ、三度目は宮廷が動く。そこまで体系ができている。
女官控えでは、これで賭けをしている。
胴元は、私だ。
◇
種を明かすと、扇と落ちる者には、何の関わりもない。
あの方は、手が冷えると扇をお開きになる。それだけである。
冬に賭け率が荒れるのは、そのためだ。
◇
いまのところ、そこそこ勝っている。
これは、あの方が倍の給金をお出しになる理由とは別の話だ。倍の給金は、前の侍女を補充しておいでにならないからで、要するに二人分である。私はそう申し上げた。二人分働いておりますでしょう、と仰った。
嘘ではない。
◇
名前のことを書く。
あの方は、洗濯場の女の名を三日で十人覚えられた。
三日である。
城じゅうが、恐ろしい方だと言った。私も、はじめは恐ろしいと思った。
◇
二日目の夜のことである。
湯をお持ちして、扉の前で止まった。
中から、お声がした。
「マルト。ジャンヌ。ロズ」
◇
「……マルト。ジャンヌ。ロズ。ベルト」
◇
「マルト。ジャンヌ。ロズ。ベルト。……マドロン」
◇
半刻、そこにいた。
湯が冷めた。
◇
私は湯を入れ替えて、改めて扉を叩いた。
あの方は、いつものお顔でいらした。
翌日、洗濯場ですらすらとお呼びになったとき、女たちは息を呑んだ。私も、女たちと同じ顔をしておいた。
◇
あの方は、二日ぶん練習しておいでだった。
これを書いておきたかった。
恐ろしい方ではある。ただ、天から降ってきた恐ろしさではない。夜中に一人で、マルト、ジャンヌ、ロズ、とやっておいでの恐ろしさである。
私はいまでも、あの方が嫌いだ。
嫌いだが、あの晩のことは、少しだけ、なんと言えばよいのかわからない。
◇
ヴァレンヌ様のことを書く。
あの方は、季節ごとに贈り物をお送りになる。一度も絶えたことがない。
春に花、夏に果物、秋に菓子、冬に手袋。
うちのお嬢様は、全部お受け取りになる。
◇
問題は、礼状である。
「嬉しゅうございました、とお書きになれば、それで済みますでしょう」
「嘘ですわ」
「……嬉しくないのでございますか」
「わかりませんの」
あの方は、そう仰った。
「わからないものを、嬉しいと書くわけには参りませんわ」
◇
結果、これまでの礼状は、すべてこうである。
――頂戴いたしました。
◇
一行だ。
◇
ヴァレンヌ様は、それでもお送りになる。
私が代筆いたしましょうかと申し上げたら、断られた。お前の字で嘘を書かせるわけには参りませんわ、と仰った。
私の字は、嘘に使ってよい字ではないらしい。
悪い気は、しなかった。
◇
社交のことを書く。
あの方は、お世辞が仰れない。
舞踏会で、ご令嬢が新しいドレスをお召しになっている。よくお似合いですこと、と仰ればよい。それだけだ。
仰れない。
似合っているかどうかが、あの方にはわからないからである。似合うという言葉が何を指すのかを、たぶん本気でご存じない。
◇
代わりに、こう仰る。
「布地が、お高うございますわね」
◇
これが、困ったことになっている。
いまや宮廷では、これが最上級の賛辞ということになっているのだ。アルヴェール公爵令嬢に布地を褒められた、と言えば、その晩の勝ちである。
褒めておいでではない。値を仰っただけだ。
◇
先月、あるご令嬢が、あの方の前でわざと裾を広げてお立ちになった。
あの方は、しばらくご覧になってから、こう仰った。
「よくお仕立てになりましたこと」
◇
ご令嬢が、真っ赤になって下がられた。
あとで伺った。
「お褒めになりましたの?」
「いいえ」
あの方は、扇を畳んだ。
「あれは、去年のお召し物を直したものですわ。袖の縫い代が足りておりませんの。……よくお仕立てになった、と申し上げましたのよ」
◇
褒めておいでではなかった。
ご令嬢も、周りの三人も、誰も気づいていない。
私は、その晩の菓子を七つ運んだ。
◇
ソレル夫人のことを書く。
人前で潰されてから、夫人は洗濯場の女の名を覚え始めた。
必死である。
六十を過ぎた女官頭が、干し場に立って、一人ずつ名を訊いて回っておいでだと聞いた。
◇
うちのお嬢様は、月初めの配置の場で、抜き打ちにお訊きになる。
「絞りの三人目は」
「……マドロンでございます」
「よくできましたこと」
◇
夫人は、そのたびに震えておいでである。
悔しいのだと思う。悔しくない道理がない。
あの方は、辞めさせるおつもりがない。あと二十年、あの女官頭に名を覚えさせて、月に一度ずつ抜き打ちで訊くおつもりなのだ。
二十年である。
◇
この方は、めったに人を辞めさせない。
辞めさせると、見物できなくなるからだ。
◇
私の知るかぎり、例外は一人だけである。
名簿方の老女だ。三十年勤めて、通いの職人の帳面を「紙屑のようなもの」と申し上げて、その場で切られた。
私は、あの女に字を教わっている。
だから、口を挟んだ。三十年でございます、お戻しになりませんの、と。
感想である。二度しか破っていない申しつけの、その一度目だ。
◇
「三十年お勤めになった方が、三十年ぶんの手つきで省かれましたのよ」
あの方は、そう仰った。
「戻しましても、また省かれますわ」
◇
三月のちに、噂を聞いた。
あの女は、隣のご家中に雇われたそうだ。
そこでも、要らぬと思った帳面を一冊省いて、切られたそうだ。
◇
私は、それをあの方に申し上げなかった。
申し上げれば、「ほら」と仰る。
二文字だ。二文字が聞きたくなかった。
◇
あとになって、一つ思い当たった。
あの方が人を辞めさせないのは、そばに置いておけば見物できるからである。
辞めさせたということは、見物する値打ちがないと思われたということだ。
三十年お勤めになった方に、これはずいぶん酷い話である。
◇
最後に、これを書く。
西の施療院に、名のない方が三人おいでである。
南の窓際の方、奥の方、廊下側の方。院長は、そう呼んでおいでだった。
裏の畑の外れに、何も彫っていない平たい石が十九ある。
あの方が数えて、十九と仰った。私は、言われてもいないのに数え直した。十九だった。
◇
帰りの馬車で、私は申し上げた。
あの方々は、どなたにも会いに来ていただけないのでございますね、と。
これが、二度目である。会いに来ていないことを、私は見ていない。見ていないものを申し上げたのだから、感想だ。
◇
あの方は、咎めなかった。
◇
その晩、菓子のご注文はなかった。
どなたも潰しておいでではないのだから、当たり前である。当たり前なのだが、私はなんとなく、厨から七つ運んでみた。
あの方は、六つお召し上がりになった。
ひとくちずつではない。六つとも、全部である。
◇
私の取り分は、一つだった。
◇
私は、いま帳面にこう書いている。
――施療院、三人。南の窓際、奥、廊下側。名はない。
――畑の外れ、平たい石が十九。何も彫っていない。
◇
これは感想ではない。見たものである。だから、書いてよい。
なぜ書いているのかは、書かない。
書けば、感想になるからだ。
◇
私は、ヴィオレッタ・ド・アルヴェール様が嫌いだ。
お仕えするようになってから、一度も好きになったことがない。
嫌いなまま、あの方が数えなかったものを、私が数えている。
これを忠義と呼ぶ方がいたら、私はその方も嫌いになると思う。
◇
あと、菓子は減らしていただきたい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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