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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第2章

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第21話 同じ声

書状が来た。


 教会からの書状というのは、ふつう請求への返答か、儀式の日取りである。この二年、ヴィオレッタが受け取ったものは全部そのどちらかだった。


 今度のものは、どちらでもなかった。


 大司教クレマンより。霜月の十一日、午後の三つ刻、大聖堂にてお目にかかりたい。


「お嬢様」


 マリアンヌが、書状を戻しながら言った。


「呼ばれるのは、初めてでございますね」


「そうですわね」


 ヴィオレッタは、扇を開かなかった。


 この二年、彼女は必ず呼びつける側にいた。礼拝堂に呼び、執務室で待たせ、登記所へ人をやった。盤は、いつでも自分が並べたものだった。


 並べたものの上でしか、彼女は勝ったことがない。


   ◇


 大聖堂は、王城の礼拝堂より三倍広い。


 聖具室は、その奥にあった。祭服を掛ける棚と、香炉の箱と、卓が一つ。窓は高い位置に一つだけで、午後の三つ刻でも薄暗かった。


 助祭が二人、扉の外に立った。


 入ってくるときに、右のほうが足を引いた。右足である。ヴィオレッタは、それを見た。


 見て、覚えた。覚えるのは、簡単だった。


 扉が閉まった。


   ◇


 クレマン大司教は、卓の向こうに座っていた。


 七十に近い。背が高く、姿勢がまっすぐで、声が低い。


「お呼び立ていたしまして」


「いいえ」


「お掛けくださいませ」


 ヴィオレッタは、腰を下ろした。


 下ろして、その内側を覗いた。


   ◇


 ――お若い。


 ――さて、どこから申し上げるか。


   ◇


 困ったことに、全部あった。


 この男は、何ひとつ伏せていない。これから何を言うつもりかも、なぜ言うのかも、畳んでそこに置いてある。置いてあるものを、彼女は好きなだけ覗くことができる。


 覗いても、何も起こらない。


 弱みというのは、本人が弱みだと思っているものを言う。この男は、自分の持ち物を一つも弱みだと思っていない。


 ――やりにくいこと。


   ◇


「選定記録を、ご請求になりましたな」


 クレマンは、そこから入った。


「レナールが、上申して参りました。……あれは、そういう男でございました」


「規則どおりに」


「はい。規則どおりに出し、規則どおりに報せて参りました」


「では、わたくしが何を見たかも」


「存じております」


 男は、静かに言った。


「ですから、お呼びいたしました」


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を膝に置いた。


 この男は、隠しに来たのではない。


 隠しに来た人間なら、まず彼女が何を掴んでいるかを測る。測ってから、こぼれた分だけを埋めに来る。二年、彼女が相手にしてきたのはそういう連中だった。


 この男は、測っていない。


   ◇


「聖女は、教会が選ぶのではございませぬ」


   ◇


「見つけるのでございましょう」


   ◇


 男の言葉が、止まった。


   ◇


「変容が先で、選定はあとでございますわ。教会は、起きたものを二月から四月遅れて見つけて、その日を変容の日とお書きになりますの」


 彼女は、そのまま続けた。


「聖名を授けますのも、儀式ではございませんわね。……前の名を、簿から外す手続きでございましょう」


   ◇


「さようでございます」


 クレマンは、頷いた。


   ◇


 三月前、干し場の板から札を外して、彼女は自分でそこまで辿り着いた。辿り着くのに、二千枚の札と、二晩の名寄せと、侍女の目が一つ要った。


 突きつければ、たいていの人間は色を変える。二年、彼女はそれで足りてきた。


 この男は、変えなかった。頷いて、次を待っている。


   ◇


「猊下は、それを二百年、お書き留めになりましたのね」


「書き留めるのが、務めにございます」


   ◇


 聖具室が、静かになった。


 ヴィオレッタは、そのあいだ、この男の内側を見ていた。


 揺れなかった。


 罪悪でもない。開き直りでもない。二百年やってきた作業の手順を、手順として述べただけの色である。


 ――ロズリーヌ。


 彼女は、その名を思い出した。


 塔で告げたとき、あの娘は何も跳ねなかった。跳ねる場所が、もう無かったからである。


   ◇


「猊下」


「はい」


「外されたお名前は、どちらに」


「どこにも」


 クレマンは、あっさりと言った。


「書き写す欄が、ございませぬゆえ」


   ◇


「あの女は、じきに何も覚えなくなります。歴代、皆そうでございました」


   ◇


 ヴィオレッタは、扇の縁を指でなぞった。


 三月前、あの娘は自分の名前を二つとも落とした。落としたことを、彼女は自分の目で見ている。


 この男は、それを最初から知っていた。


「そのあとは」


 彼女は訊いた。


「記録は、こちらで終わらせております」


   ◇


 答えるまでに、一拍もなかった。


 問われたから答えた、という速さである。用意していたのでもない。この男の中では、それは隠す種類の話ではないのだ。


 ヴィオレッタは、しばらく黙っていた。


 黙りながら、いま自分の中で何が起きたかを点検した。


 腹は、立っていなかった。


   ◇


「猊下」


「はい」


「終わらせる、と仰いますのは」


「記録を、でございます」


 男は、少し首を傾げた。


 訊かれた意味が分からない、という顔だった。


「あなた様は、何をお思いになりました」


「……」


「わたくしどもは、記録の話をいたしております」


   ◇


 この男は、嘘をついていない。


 二百年、教会がしてきたのは記録の管理である。娘たちがそのあとどこへ行ったかは、この男の担当ではない。担当でないものについて、この男は何も感じない。感じないものは、色にならない。


 ――なるほど。


 ヴィオレッタは、そこで初めて、この男を読む方法がないことを納得した。


   ◇


「本題に入りましてもよろしゅうございますか」


「どうぞ」


 クレマンは、卓の上で指を組んだ。


「城の内に、もう一人おられます」


   ◇


 聖具室の空気が、動いた気がした。


「……なぜ、そうお思いに」


「二百年、書き留めて参りました」


 男は、言った。


「城の内では、二十年から三十年に一度でございます。前の代から、二十六年が経っております」


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を膝の上で止めた。


 合わない。


 二百年で三十二代なら、六年に一度である。しかも四年前に、この国は一人見つけている。


「猊下。数が合いませんわ」


 彼女は言った。


「三十二代で、二百年でございましょう。六年に一度でございますわ。……二十年から三十年と仰いますのは、どちらの数でございますの」


「別の簿にございます」


 クレマンは、あっさりと言った。


   ◇


「聖女に立てられました者が、三十二代。これは、修道院で拾えた数でございます」


 男は、指を組み替えた。


「立てられなかった者が、別にございます。男であった者。身分の高すぎた者。……見つけましたときには、既に亡くなっていた者」


「そちらも、お書き留めに」


「見つけましたぶんだけは。……二百年で、八人でございました」


   ◇


 ヴィオレッタは、そこで一度、息を吸った。


 修道院の娘は、拾える。同じ屋根の下に置き、布を洗い、日を数える相手がいる。


 城の中の者は、拾えない。


「八人で、二百年」


「はい」


「……二十五年に一度でございますわね」


「さようでございます」


 クレマンは、頷いた。


「前の一人から、二十六年でございます」


   ◇


「では、見つけられなかったぶんは」


「数えようがございませぬ」


 クレマンは、答えた。


「八人と申し上げましても、それは我々の目の届いた分でございます。……実のところ、城の内に何人おられるかを、教会は存じませぬ」


   ◇


 嘘は、なかった。


 二百年ぶんの帳簿を持っている男が、二百年ぶん数え落としている自覚を持っている。持っていて、恥じてもいない。


 ヴィオレッタは、その簿を見たいと思った。


 思って、口にしなかった。


 欲しいと言えば、値がつく。この男は、まだ値を言っていない。


「それだけですの」


「いいえ」


 彼は、首を振った。


「三年ほど前から、記録の書き方が変わっております。……上からの指図で」


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を止めた。


「どなたの」


「存じませぬ」


 嘘は、なかった。


   ◇


「ヴィオレッタ様。あなた様のお耳を、教会にお貸しくださいませ」


   ◇


 来た、と彼女は思った。


 この男が二百年ぶんの手の内を並べたのは、これを言うためである。並べる価値があると判断したのだ。


「わたくしの耳、と仰いますと」


「城の中で、お一人だけ、声の違う者をお聞き分けになると伺いました」


「どちらから」


「レナールが」


   ◇


 ヴィオレッタは、目を伏せた。


 塔から戻った日、彼女はアルベールに一時間かけて全部話した。話した相手はあの男だけである。


 だが、塔の門を開ける書状は教会の管轄にはない。閲覧請求は教会に出した。請求の項目を並べれば、何を探しているかは分かる。


 あの男は、規則どおりに出し、規則どおりに報せた。


 規則を守る男というのは、こういう形で人を売る。


   ◇


「お断りいたしますわ」


 彼女は言った。


「わたくしの耳は、証拠になりませんの。御前会議に出せぬものを、お貸しする筋がございませんわ」


「さようでございますか」


 クレマンは、頷いた。


 落胆も、脅しもなかった。断られたという事実を、事実として受け取っただけである。


 ヴィオレッタは、立ち上がりかけた。


   ◇


「レナールは、こちらで切りましてございます」


   ◇


 彼女は、立ち上がらなかった。


   ◇


「……いま、何と」


「あの男は、記録をお渡し申し上げましたゆえ」


 クレマンは、同じ調子で続けた。


「規則どおりでございます。ですが、渡してよいものと、渡してはならぬものがございます。それを分けられぬ者を、王都に置いてはおけませぬ」


「……」


「あなた様が動かれるのを、待っておりました」


   ◇


 ヴィオレッタは、卓の縁を見ていた。


 三十一枚。


 選定記録は、三十一枚しか来なかった。札の名は三十二ある。一枚足りない。彼女はそれを人前に置いた。置いた先は教会ではなく、王家の簿のほうだった。


 降りたのは、レナールである。


 狙っていない男が、三日後に降りた。あのとき彼女は、教会の後始末だと読んだ。


   ◇


 ――違いましたのね。


 あの一枚が欠けていたのは、レナールのしくじりではない。


「……欠けておりましたのは」


「二年前から、欠けております」


   ◇


 聖具室が、静かになった。


   ◇


「あの女の記録は、断罪の折に終えましてございます。抜いたのではございませぬ。……終えたものは、簿に残りませぬゆえ」


「では、なぜ二度、同じものを」


「二度とも、簿にあるだけをお出しいたしました」


 クレマンは、指を組み替えた。


「一枚足りぬことに、あなた様は必ずお気づきになります。気づけば、必ず人前にお出しになる。……それを、お待ち申し上げておりました」


   ◇


「ヴィオレッタ様は、規則をよくお使いになります」


 彼は言った。


「規則を使う方は、規則どおりに差し出されたものを、疑いませぬ」


   ◇


 ヴィオレッタは、しばらく動かなかった。


 ――道具は、動いた。


 一年ほど前、彼女は馬車の中でそう思ったことがある。登記所へ侍女をやった夜だった。あのとき、自分がどちら側にいるかを数えなかった。


 いま、数えられた。


   ◇


「猊下」


「はい」


「わたくしが動かなければ、どうなさいましたの」


「動かれます」


 クレマンは、あっさりと言った。


「二年、拝見しておりました。……あなた様は、口になさったことを、なさらなかったことがございませぬ」


   ◇


 ヴィオレッタは、椅子から立った。


 立って、扉のところで足を止めた。


「一つ、伺ってよろしくて」


「どうぞ」


「猊下は、なぜ全部お話しになりましたの」


 クレマンは、少し考えた。


 考えて、本当に分からない、という顔をした。


「隠す話ではございませぬゆえ」


   ◇


 扉が開いた。


 助祭が二人、立っていた。右のほうが、足を引いて下がった。


   ◇


 城に戻ったのは、日が落ちる前だった。


 馬車を降りたところで、小姓が待っていた。国王が呼んでいる、という。


 教会の件の後始末である。司教が一人降り、大司教が城まで来た。何も訊かれないほうが、おかしかった。


   ◇


 国王の私室は、狭い。


 卓が一つ、椅子が二脚、暖炉が一つ。壁の書棚は半分が空いている。この城でいちばん飾りのない部屋だった。


 国王は、暖炉のそばに立っていた。


「教会に、呼ばれたそうだな」


「はい」


「何を言われた」


 ヴィオレッタは、口を開こうとした。


 開いて、そこで止まった。


   ◇


 ――聞いたことを、全部私に話せ。


   ◇


 一言残らず。要約も、省略も許さん。


 あの条件は、王太子が出したものである。国王ではない。


 この場で答えれば、王太子への復命より先に、国王が中身を知る。順番が入れ替わる。


 入れ替えて、まずいかどうかが、彼女には分からなかった。


「……教会の内向きのお話でございますわ」


 それは、嘘ではなかった。全部でもなかった。


   ◇


 国王は、それ以上訊かなかった。


 暖炉の火を見ていた。


 この男を、ヴィオレッタは二年見てきた。四十半ばで、口数が少なく、決めるのが遅い。決めたことは覆さない。宮廷の誰もが、扱いやすい王だと思っている。


 彼女も、そう思っていた。


   ◇


「ヴィオレッタ」


 国王が、呼んだ。


   ◇


 その一拍前に、鳴った。


   ◇


 遠かった。


 石を一枚どころか、壁を三枚隔てたところで鳴っていた。歪んでいて、遅れていて、意味の取れない音が三つか四つ。


 塔で、同じものを聞いたことがある。


 二百と七段の階段を上った先の、栗色の髪の女の中で鳴っていたのと、同じ響きだった。


   ◇


 ヴィオレッタは、目を伏せた。


   ◇


 覗かなかった。


 覗けば、この男が何を考えているかが読める。読めば、いま自分の顔が動く。動けば、この男がそれを見る。


 この部屋には、二人しかいない。


 彼女は、床の一点を見ていた。


「……はい」


「教会には、しばらく近づくな」


「かしこまりました」


   ◇


 国王は、それだけ言った。


   ◇


 自室に戻って、ヴィオレッタは椅子に沈んだ。


 沈んで、しばらく動かなかった。


   ◇


 約束を、彼女は三つ数えた。


 一つ。聞いたことを、全部話せ。一言残らず。要約も、省略も許さん。


 話せば、王太子は父の中身を知る。知った男が次に何をするかを、彼女は考えてみた。考えて、二つ以上の道が浮かばなかった。


 二つ。誰かの同じ声を見つけたら、必ず教えて。


 教えれば、塔の女は自分が一人ではないことを知る。知って、どうするのかは分からない。あの娘は、もう値をつけられない。


 三つ。あなたの耳を、教会に貸せ。


 これは、断った。断ったが、断ったことが相手の勘定を狂わせた様子はなかった。


   ◇


 三つとも、果たせば誰かが死ぬ。


 果たさなければ、彼女が嘘をつくことになる。


 嘘は、つけない。


   ◇


 彼女は、扇を膝に置いた。


 置いて、そこで一つだけ、まだ自分の手に残っているものに気づいた。


   ◇


 いつ言うか。


 どこで言うか。


 どちらから先に言うか。


   ◇


 二年、彼女は「全部は言わない」で戦ってきた。黙るという選択肢を、いつも一等はっきりした返事として使ってきた。


 その手は、もう使えない。三つとも、期限のない約束である。期限がないものは、いつまでも果たさずにいられる。いられるが、いずれ果たさねばならない。


 残っているのは、順番だけだった。


   ◇


 三日後に、新しい司教の叙任がある。


 大聖堂で。大司教が来る。王家が出る。


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を開いた。


   ◇


「……順番は、こちらで決めさせていただきますわ」

 



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>「城の中で、お一人だけ、声の違う者をお聞き分けになると伺いました」 >「どちらから」 >「レナールが」 心の声が聞こえることは、主人公がやけに感が鋭いことから推測できたとしても、「響きが違う」ことを…
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