第19話 欠け
二度目の請求は、一度目と一字も変えなかった。
公爵家の名で、教会に選定記録の閲覧を請求する。歴代の選定について、変容、上申、選定、聖名の各日付を含む一切。
同じ形式で、同じ宛先へ、同じ月のうちに出した。
◇
写しは、六日で届いた。
三十一枚あった。
◇
「同じものを、二度お取り寄せになりましたのは」
マリアンヌが、束を置きながら訊いた。
「一度目が本当かどうかを、確かめておりますの」
「本当でなければ」
「二度目が違いますわ」
ヴィオレッタは、封を切った。
「人は、同じ嘘を二度、寸分違わずにはつけませんのよ。……嘘をついている自覚がある者は、二度目に必ず親切になりますの」
◇
彼女は、二つの束を卓に並べた。
一枚ずつ突き合わせる。日付も、順序も、書き癖も同じである。二度写せば、たいてい一枚くらいは並びが変わる。変わっていない。
同じ束から、同じように写している。
◇
――過失では、ございませんのね。
落とした一枚なら、二度目に出る。出ないということは、写す元に無いということである。
◇
送り状も、二通とも取ってあった。
教会の書式で、日付と、宛名と、件数が書いてある。
――選定記録 写 三十一件。
二通とも、同じ数字だった。
◇
数えている。
この男は、三十一枚を数え、三十一と書き、二度そうした。
◇
三十二人めの名は、干し場の板にあった。
紙屑である。品目と、枚数と、年月日と、返す先の名。
――聖女 セシリア 御用。
◇
ヴィオレッタは、その札を一枚、抽斗にしまった。
◇
しまってから、三日ほど、彼女は誰にも何も言わなかった。
◇
いつもなら、そこで礼拝堂に呼び出している。
紙を三枚並べて、内側の色が全部抜けるのを眺めて、一日で片をつける。二年、それで足りた。
今度は、足りない気がした。
◇
あの司教が一枚抜いたのだとして、抜いてどうなる。
王都司教は、三年前に着任した男である。四年前の変容も、三年前の選定も、あの男の代の出来事ではない。恥をかくのは前任者で、前任者はもう死んだも同然だ。
抜く理由が、無い。
◇
――わたくしが伺いたいのは、抜いた者ではございませんの。
彼女は、扇を膝に置いた。
――抜ける者ですわ。
◇
簿から一枚外せるのは、簿を持っている側である。
そして、この件について簿を持っている側は、教会だけではなかった。
◇
王家にも、記録がある。
召し上げの届。俸の書付。城の部屋の割り当て。女官の配置。二年ぶん、あの女は王家の費えで生きていた。
教会の簿には、いない。
王家の簿には、いる。
◇
どちらかが、間違っている。
ヴィオレッタは、そこで初めて面白いと思った。
二年、彼女は他人の簿ばかり検めてきた。教会の会計、教区の登記、屋敷の帳面。自分の座っている側の簿を開いたことが、一度もない。
◇
評議の間に人が集まるのは、月に一度である。
円卓に、国王、王妃、宰相、アルベール。教会からレナール司教。壁際に王家の記録官が一人。
議題は秋の献納で、退屈だった。
ヴィオレッタは末席に立っていた。座は、いまも与えられていない。
◇
献納の割り当てが決まり、司教が礼をして下がりかけたところで、彼女は声を出した。
「司教様」
男が、足を止めた。
「先だって、二度、選定記録の写しを頂戴いたしましたわ」
「はい」
「あれは、簿にあるだけ全て、でございましたわね」
「はい」
「一枚も、お残しになっておりませんの」
「残しますと、規則に反します」
レナールは、はっきり答えた。
「請求は、一切、と書いてございました。ですから、一切をお出しいたしました」
◇
――規則どおりに。
その色は、動かなかった。
この男は、いま自分が何を差し出したのかを、まだ数えていない。
◇
「ありがとう存じます」
ヴィオレッタは、礼をした。
それから、円卓のほうへ向き直った。
◇
「陛下。宰相閣下。……一つ、お尋ねいたしますわ」
国王が、窓から目を戻した。
「聖女セシリアと申す者を、王家は二年、召し上げておりましたわね」
「おった」
「部屋を賜り、女官がつき、布は城の洗い場で洗われましたわ。費えは王家が持っております。……届も、書付も、ございますでしょう」
「ある」
宰相が、答えた。
◇
「教会の簿には、ございませんの」
◇
円卓が、止まった。
◇
――なんと申した。
――聖女が、簿にない?
――王家だけが書いておったということか。
◇
「わたくしが申し上げたいのは、一つだけですわ」
ヴィオレッタは、扇を開かなかった。
「この国には、あの方について簿が二つございます。片方に載っていて、片方に載っておりませんの」
彼女は、円卓を見回した。
「教会が書き落としたか、王家が書き足したか。……どちらかでございましょう」
◇
彼女は、壁際へ目をやった。
「記録官殿」
王家の記録官が、顔を上げた。五十がらみの、痩せた男である。二十年、この城の書付を書いてきた。
「四年前の召し上げの届は、あなた様がお書きになりましたわね」
「……はい」
「教会の推挙をお受けになる形でございましょう。……推挙の写しは、綴じてございまして」
◇
男の口が、開いた。
◇
――綴じておらぬ。
――要らぬからだ。教会が推すものを、こちらが検める筋はない。
◇
「ございません」
男は、そう答えた。
「では、あの方が聖女であることを、あなた様はどちらでお確かめに」
「……教会が、そう申しましたゆえ」
「その教会の簿に、ございませんのよ」
◇
円卓が、鳴った。
◇
――二十年、あの男が書いてきた。
――他の届は、どうなのだ。
◇
記録官は、立っていた。
膝はつかない。この城に、その作法はない。ただ、二十年ぶんの書付が、いま一度に疑われている。
ヴィオレッタは、その内側を覗いた。
――なぜ、私が。
◇
――ええ、そうでございましょうね。
彼女は、扇を畳んだ。
悪いことは、何一つしていない男である。書けと言われたものを、言われたとおりに書いた。二十年、それで足りた。
足りていたものが、本日から足りなくなった。それだけの話だった。
◇
宰相の手が、書付の束へ伸びた。
◇
――召し上げの届は、四年前の。
――署名は、どなたが。
◇
ヴィオレッタは、その色を読んだ。
召し上げの届には、必ず署名がある。教会が推し、王家が受ける形式である。受けた側の署名は、一人しかいない。
彼女は、口を開こうとした。
◇
「知っておる」
◇
国王の声だった。
◇
円卓が、鳴らなくなった。
◇
「……陛下」
「教会の簿に、あの女がおらぬことだ」
国王は、宰相の手のほうを見ていなかった。
「二年前から、知っておる」
◇
ヴィオレッタは、動かなかった。
◇
「畏れながら」
彼女は言った。
「二年前から、と仰いますと」
「断罪の翌日だ。教会に問い合わせた」
国王は、あっさりと答えた。
「戻ってきたのは、簿にないという返事だった」
「……それを、お伏せに」
「伏せた」
◇
円卓は、誰も動かなかった。
◇
「聖女でなければ、あの裁きが立たぬ」
国王は言った。
「聖女が公爵家の娘を陥れようとした。あの夜は、その形で裁いておる。……陥れた側が聖女でないなら、裁きの形が崩れる。崩れれば、あの夜の裁きを全部やり直すことになる」
彼は、そこで初めてヴィオレッタのほうを見た。
「そなたの潔白も、やり直しだ」
◇
誰も、何も言わなかった。
言う必要が、なくなったからである。
筋が通っていた。国王が伏せた理由は、この場の全員が納得できる種類のものだった。王家は裁きの形を守った。守られた側に、末席の公爵令嬢が一人立っている。
「この儀は、終いだ」
国王が言った。
「教会の簿にないものを、余が二年、養った。……余の落度だ。それでよい」
◇
ヴィオレッタは、その内側を覗いた。
◇
濁りが、なかった。
◇
嘘をつく人間は、心のどこかで自分が嘘をついていることに怯えている。その怯えが濁りになる。
この方には、濁りがない。
――殿下と、同じ作りですのね。
彼女は、そう読んだ。
王というのは、たぶんそういうものなのだ。嘘をつくと承知して嘘をつき、それを恥じない。息子がそうなのだから、父もそうなのだろう。
彼女は、そこで読むのをやめた。
◇
礼をして、末席へ下がった。
下がりながら、一つだけ引っかかった。
あの方は、宰相が届の日付を繰る前に口を開かれた。
繰られては困る日付があったのではない。伏せていたことを、自分から言われたのである。
――お強いこと。
彼女は、そう片づけた。
◇
三日後、大聖堂から書状が来た。
◇
レナール司教は職を解かれた。理由は、王家に対する応対の不備。二日目に王都司教の座が空き、三日目に次の男が着任した。
名を、ジェルヴェという。
◇
王家の記録官は、その週のうちに書庫へ移された。
書く役だけが、なくなった。
◇
ヴィオレッタは、書状を二度読んだ。
二度読んでも、腑に落ちなかった。
◇
彼女は、あの男を狙っていない。
円卓で彼が言ったのは、規則どおりに一切を出した、ということだけである。落ちたのは王家のほうで、落ちた分は陛下がその場で拾われた。
誰も、あの司教を咎めていない。
◇
――なぜ、この方が降りますの。
◇
彼女は、免職の書状と着任の触れを並べた。
日付が、同じだった。
◇
――用意しておいででしたのね。
◇
一日で切る決断ができる組織があることは、二年前に見ている。あのときは速いと思った。
今度は、速いのではない。
揃えてあったものを、出してきただけである。
◇
何のために揃えてあったのかは、分からなかった。
分からないので、彼女はそれを頭の隅に置いた。置いて、勘定には入れなかった。
◇
教会が自分の駒を勝手に一つ捨てただけだ、と彼女は読んだ。
王家の御前で恥をかかせた男を、教会は置いておかない。二年前も、フェリクスがそうやって落ちた。
筋は、通っていた。
◇
あの男が降りたことは、彼女にとって損でも得でもなかった。
どちらでもないものを、彼女は数えない。
◇
東棟には、呼ばれなかった。
三日待って、彼女のほうから行った。
アルベールは、書類から顔を上げなかった。
「司教が、降りましたわ」
「読んだ」
「殿下。……陛下は、二年前からご存じでいらしたのですわ」
「そのようだな」
羽根ペンは、止まらなかった。
◇
ヴィオレッタは、その内側を覗いた。
算盤が、動かなかった。
◇
この男は、驚いていない。
驚くことではないのだろう、と彼女は思った。父が二年伏せたことを、息子が知っていた。王家とは、そういう作りの家である。
「殿下」
「なんだ」
「お尋ねになりませんの」
「何をだ」
「なぜ陛下が伏せられたのか、を」
◇
「陛下が伏せられたのなら、伏せる理由があったのだろう」
彼は、顔を上げなかった。
「私が訊く筋ではない」
◇
この男が、訊かないと言った。
この男は、値のつくものを一つも取りこぼしたことがない。
――そう。
ヴィオレッタは、礼をして下がった。
下がりながら、その一言を扱いあぐねて、結局どこにも置かなかった。
◇
「お嬢様」
その夜、マリアンヌが暖炉に薪をくべながら言った。
「お勝ちになったのでございましょう」
「いいえ」
「……いいえ」
「一つも取っておりませんわ」
◇
彼女が欲しかったのは、三十二枚目だった。
三十二枚目には、四つの日付が書いてあるはずだった。あの女が四年前のいつ来たのか。教会がいつ気づいたのか。
その一枚は、いまも出てこない。
出てきたのは、陛下のお言葉と、司教の首である。
どちらも、頼んでいない。
◇
「マリアンヌ」
「はい」
「わたくし、二年、人を潰して参りましたわね」
「……はい」
「潰したい相手を、狙って潰しておりましたのよ」
ヴィオレッタは、扇を膝に置いた。
「今度は、狙っておりませんの。狙っていない方が、勝手に落ちましたわ」
◇
侍女は、薪を置いた。
しばらく黙っていた。
◇
「では、どなたがお落としになったのでございましょう」
◇
ヴィオレッタは、答えなかった。
◇
三十二枚目は、出てこない。
あの女が四年前のいつ来たのかを、教会に訊く道は塞がった。訊ける相手が、もういない。
◇
残っているのは、紙屑だけである。
二千枚あまり、自室の床に並べたままにしてある。
◇
「札を、もう一度お出しなさい」
「……名寄せは、済んでおりますが」
「済ませたのは、御用の三十二だけですわ」
ヴィオレッタは、扇を開いた。
「外した束が、まだございますでしょう」
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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