番外編 置いてくださいませ 〜侍女マリアンヌの手記〜
城は、三日で片をつけた。
公爵令嬢が、侯爵令嬢を一人壊した。宮廷が語ったのは、その一行だけである。
一行で済ませられるのは、見ていない者だけだ。
私は、見た。
◇
見たものは申し上げてよい。感想は申し上げてはならない。前に、そう申しつけられた。
守っている。
守っているが、帳面のことは何も仰らなかった。書くなと仰らなかったものを書くのは、嘘ではない。
◇
これから書くものには、二種類ある。
見たものと、聞いたもの。それから、私の見立てである。
混ぜると、あとで私に区別がつかなくなる。だから、分けて書く。見立てのほうは、そう断ってから書く。
◇
建国祭の夜のことを、まず書く。
回廊は暗かった。私は灯りを持って、三歩うしろを歩いていた。
あの方は、こう仰った。
「わたくし、この世で唯一美しかったものを、自分の手で汚しましたわ」
◇
私は、答えなかった。
忠義でも、遠慮でもない。あのとき申し上げたかったことは、全部が感想だったからである。
◇
その晩、厨から菓子が七つ参った。
あの方は、ひとくちずつ召し上がって、残された。いつもと同じである。
いつもと同じであったことが、私はいちばん嫌だった。
◇
ここからは、証のある話を書く。
◇
広間で読み上げられたぶんは、私も末席で聞いた。
ヴァレンヌ侯爵家に、アニェスという洗濯場の者がいる。十年である。その方に旦那様のお手がついて、娘が一人生まれた。娘は七つで嫡出に直された。
ここまでは、届に書いてある。届は嘘をつかない。書いていないことがあるだけだ。
◇
十年前、その方に暇が出た。
王都の織物商への後添えの話で、持参が十二ポンド。悪い話ではない。嫁げば、姓がいただける。
支度をしておいでだったそうだ。
十日で、取り下げられた。
理由の欄は、空白である。
◇
空白の中身は、私が聞きに行った。
メルシエ様のお邸に、ヴァレンヌ様から移った洗濯女が一人いる。うちのお嬢様が会いにおいでになって、半刻かけて、ひと言も引き出せなかった女だ。
私が参ると、喋った。
◇
自慢ではない。
お嬢様がおいでになったのは、建国祭の前である。私が参ったのは、あとだ。
あの女が黙って守っていたものは、そのあいだに、二百人の前で読み上げられている。
守るものが無くなった者は、喋る。それだけのことだ。
◇
聞いたことを、順に書く。
一つ。十日目の朝、廊下で、七つの子が旦那様のお手を取って膝をついた。お屋敷に置いてくださいませ、と。屋敷中の者が見ていた。
二つ。その日のうちに、届は取り下げられた。
三つ。翌日、家令が奉公人を集めて申し渡した。アニェスは御前へ出ぬこと。奥方様の前へも、お客様の前へも、お嬢様の前へも。
四つ。同じ場で、もう一つ申し渡された。この話は、するな。
五つ。織物商へは、別の理由が伝えられた。――本人が望まぬ、と。
◇
五つとも、私の見立てではない。人が言ったことである。
◇
五つ目を、もう一度書く。
本人が望まぬ、である。
アニェスは、望むとも望まぬとも言っていない。訊かれていないからだ。
母の口を借りたのは、娘が先ではない。
◇
うちのお嬢様は、これを広間で仰らなかった。
ご存じなかったのか、要らなかったのか。
たぶん、要らなかったのだ。あの方は、勝つのに要らない札を、一枚もお出しにならない。
◇
三つ目と四つ目を並べれば、旦那様が何を惜しまれたかは、書くまでもない。
洗濯場の者に手をつけて、子まで生した。その女を王都へ嫁がせれば、口が屋敷の外へ出る。織物商の後添えなら、身分がつく。身分がつけば、人と口をきく。
十二ポンドは、その口を買う値である。
高くはない。安くもない。
◇
十日目に、その値を払わずに済む道ができた。
旦那様は、娘のために取り下げたのではない。
取り下げる口実を、娘にいただいたのだ。
◇
屋敷中が見ている前で、情け深いお父上ということになった。十二ポンドも戻った。口は屋敷の中に残って、誰の前にも出なくなった。
三つとも、取れている。
これは見立てではない。勘定である。勘定は、合うか合わないかしかない。
◇
城では、この話がこう伝わっている。
あの令嬢は、母を隠しておいでだった。洗濯場に落として、恥を伏せておいでだった、と。
女官控えでも、厨でも、同じことを言う。私の聞いたかぎり、十人が十人そう言う。
◇
違う。
◇
七つの子どもは、隠すという言葉を知らない。
言えるのは、行かないで、である。それを屋敷で言えるだけ丁寧に言えば、置いてくださいませ、になる。
あの子が言ったのは、それだけだ。
条件をお付けになったのは、旦那様である。翌日、家令が読み上げている。
◇
置いてくださいませ、の一言が、十年の檻になった。
言った子は、それを知らない。
◇
ここまでが、証のある話である。
閉じ込めたのは、旦那様だ。
◇
ここから先は、私の見立てである。証はない。
◇
五年前、また話があったそうだ。旦那様のご縁者から、女中頭にとお声がかかった。
娘は、こう申し上げた。
――母は、お屋敷を離れとうないと存じます。
十二である。
十二なら、隠すという言葉を知っている。
◇
四つ考えた。
一つ。まだ七つのままだった。行かないで、以外のことを、思いつかなかった。
二つ。母が屋敷を出れば、女中頭になる。女中頭は、人と口をきく。口をきけば、いつか、誰かに、何か言う。
三つ。屋敷でそう言うものだと思っておいでだった。母は望まぬ、という断り方を、あの屋敷は一度使っている。
四つ。十年そう申し上げてきたので、本当にそう思っておいでだった。
◇
どれだかは、わからない。
わからないが、どれであっても、母は洗濯場にいる。
わからないままにしておく。埋めると、私はあの令嬢を嫌いになるか、気の毒に思うかしなければならない。どちらも面倒である。
◇
見立ては、ここまでだ。
もう一つ、証のあることを書き足しておく。
◇
あの令嬢は、条件をご存じなかった。
広間で、存じません、と仰った。嘘であれば、うちのお嬢様が黙っておいでにならない。
ご存じないのだから、行けたのだ。廊下を曲がって、階を下りるだけである。
十年、行かなかった。
◇
行かなかった理由は、書かない。
わからないからだ。
◇
うちのお嬢様は、これを全部ご存じで、そのうえでなさった。
助けるおつもりは一片もございませんでしたわ、と後に仰った。嘘ではない。あの方は嘘をおつきにならない。
ただ、施与簿には、ご自分の手でお書きになった。
続柄の欄に、なし、と。
あそこで筆が止まるかどうかを、私は末席から見ていた。止まらなかった。
◇
最後に、これを書く。
先日、半日の暇をいただいて、王都の第四教区へ行った。
十年前の届に、行き先としてその教区が書いてあった。十年遅れで、届のとおりの場所においでになる。
物見に行っただけである。そう書いておく。
◇
なんとお呼びすればよいのかが、わからなかった。
身分は解かれている。姓はない。届の欄が空いていたのは、あの日、書ける者がその場にいなかったからだそうだ。
だから、アニェス、と書く。
◇
アニェスは、洗っておいでだった。
年金がついている。洗う必要はない。
何をお洗いですかと伺った。見たものを訊いたのだから、これは感想ではない。
「お隣のご家の、下着でございます」
他にできることがございませんので、と仰った。
その一言は、十年前から使い回されている一言である。
◇
それから、向こうから一つ訊かれた。
「あの子は、息災でおいででしょうか」
◇
私は、見たものだけを申し上げた。
広間でお倒れになりました。お父上が腕をお取りになって、お連れになりました。それだけでございます、と。
嘘は、言っていない。
「……左様でございますか」
そう仰って、また洗い始められた。
◇
帰りの道で、気がついた。
見たものだけを申せ、という申しつけは、たいそう酷い代物である。
◇
うちのお嬢様は、あれきりアニェスのことをお訊きにならない。
訊かれていないので、私は申し上げていない。
これは、申しつけを守っているだけである。
◇
私は、ヴィオレッタ・ド・アルヴェール様が嫌いだ。
嫌いなまま、あの方が汚したものを、私が見に行っている。
◇
この帳面には、二種類のことが書いてある。
証のあることと、私の見立てである。
見立てのほうを全部消しても、話は変わらない。
閉じ込めたのは、旦那様だ。
◇
――お屋敷に、置いてくださいませ。
七つの子が言えたことは、それだけだった。
私が書いておきたかったのも、それだけである。
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