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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第1章

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15/27

番外編 置いてくださいませ 〜侍女マリアンヌの手記〜

 城は、三日で片をつけた。


 公爵令嬢が、侯爵令嬢を一人壊した。宮廷が語ったのは、その一行だけである。


 一行で済ませられるのは、見ていない者だけだ。


 私は、見た。


   ◇


 見たものは申し上げてよい。感想は申し上げてはならない。前に、そう申しつけられた。


 守っている。


 守っているが、帳面のことは何も仰らなかった。書くなと仰らなかったものを書くのは、嘘ではない。


   ◇


 これから書くものには、二種類ある。


 見たものと、聞いたもの。それから、私の見立てである。


 混ぜると、あとで私に区別がつかなくなる。だから、分けて書く。見立てのほうは、そう断ってから書く。


   ◇


 建国祭の夜のことを、まず書く。


 回廊は暗かった。私は灯りを持って、三歩うしろを歩いていた。


 あの方は、こう仰った。


「わたくし、この世で唯一美しかったものを、自分の手で汚しましたわ」


   ◇


 私は、答えなかった。


 忠義でも、遠慮でもない。あのとき申し上げたかったことは、全部が感想だったからである。


   ◇


 その晩、厨から菓子が七つ参った。


 あの方は、ひとくちずつ召し上がって、残された。いつもと同じである。


 いつもと同じであったことが、私はいちばん嫌だった。


   ◇


 ここからは、証のある話を書く。


   ◇


 広間で読み上げられたぶんは、私も末席で聞いた。


 ヴァレンヌ侯爵家に、アニェスという洗濯場の者がいる。十年である。その方に旦那様のお手がついて、娘が一人生まれた。娘は七つで嫡出に直された。


 ここまでは、届に書いてある。届は嘘をつかない。書いていないことがあるだけだ。


   ◇


 十年前、その方に暇が出た。


 王都の織物商への後添えの話で、持参が十二ポンド。悪い話ではない。嫁げば、姓がいただける。


 支度をしておいでだったそうだ。


 十日で、取り下げられた。


 理由の欄は、空白である。


   ◇


 空白の中身は、私が聞きに行った。


 メルシエ様のお邸に、ヴァレンヌ様から移った洗濯女が一人いる。うちのお嬢様が会いにおいでになって、半刻かけて、ひと言も引き出せなかった女だ。


 私が参ると、喋った。


   ◇


 自慢ではない。


 お嬢様がおいでになったのは、建国祭の前である。私が参ったのは、あとだ。


 あの女が黙って守っていたものは、そのあいだに、二百人の前で読み上げられている。


 守るものが無くなった者は、喋る。それだけのことだ。


   ◇


 聞いたことを、順に書く。


 一つ。十日目の朝、廊下で、七つの子が旦那様のお手を取って膝をついた。お屋敷に置いてくださいませ、と。屋敷中の者が見ていた。


 二つ。その日のうちに、届は取り下げられた。


 三つ。翌日、家令が奉公人を集めて申し渡した。アニェスは御前へ出ぬこと。奥方様の前へも、お客様の前へも、お嬢様の前へも。


 四つ。同じ場で、もう一つ申し渡された。この話は、するな。


 五つ。織物商へは、別の理由が伝えられた。――本人が望まぬ、と。


   ◇


 五つとも、私の見立てではない。人が言ったことである。


   ◇


 五つ目を、もう一度書く。


 本人が望まぬ、である。


 アニェスは、望むとも望まぬとも言っていない。訊かれていないからだ。


 母の口を借りたのは、娘が先ではない。


   ◇


 うちのお嬢様は、これを広間で仰らなかった。


 ご存じなかったのか、要らなかったのか。


 たぶん、要らなかったのだ。あの方は、勝つのに要らない札を、一枚もお出しにならない。


   ◇


 三つ目と四つ目を並べれば、旦那様が何を惜しまれたかは、書くまでもない。


 洗濯場の者に手をつけて、子まで生した。その女を王都へ嫁がせれば、口が屋敷の外へ出る。織物商の後添えなら、身分がつく。身分がつけば、人と口をきく。


 十二ポンドは、その口を買う値である。


 高くはない。安くもない。


   ◇


 十日目に、その値を払わずに済む道ができた。


 旦那様は、娘のために取り下げたのではない。


 取り下げる口実を、娘にいただいたのだ。


   ◇


 屋敷中が見ている前で、情け深いお父上ということになった。十二ポンドも戻った。口は屋敷の中に残って、誰の前にも出なくなった。


 三つとも、取れている。


 これは見立てではない。勘定である。勘定は、合うか合わないかしかない。


   ◇


 城では、この話がこう伝わっている。


 あの令嬢は、母を隠しておいでだった。洗濯場に落として、恥を伏せておいでだった、と。


 女官控えでも、厨でも、同じことを言う。私の聞いたかぎり、十人が十人そう言う。


   ◇


 違う。


   ◇


 七つの子どもは、隠すという言葉を知らない。


 言えるのは、行かないで、である。それを屋敷で言えるだけ丁寧に言えば、置いてくださいませ、になる。


 あの子が言ったのは、それだけだ。


 条件をお付けになったのは、旦那様である。翌日、家令が読み上げている。


   ◇


 置いてくださいませ、の一言が、十年の檻になった。


 言った子は、それを知らない。


   ◇


 ここまでが、証のある話である。


 閉じ込めたのは、旦那様だ。


   ◇


 ここから先は、私の見立てである。証はない。


   ◇


 五年前、また話があったそうだ。旦那様のご縁者から、女中頭にとお声がかかった。


 娘は、こう申し上げた。


 ――母は、お屋敷を離れとうないと存じます。


 十二である。


 十二なら、隠すという言葉を知っている。


   ◇


 四つ考えた。


 一つ。まだ七つのままだった。行かないで、以外のことを、思いつかなかった。


 二つ。母が屋敷を出れば、女中頭になる。女中頭は、人と口をきく。口をきけば、いつか、誰かに、何か言う。


 三つ。屋敷でそう言うものだと思っておいでだった。母は望まぬ、という断り方を、あの屋敷は一度使っている。


 四つ。十年そう申し上げてきたので、本当にそう思っておいでだった。


   ◇


 どれだかは、わからない。


 わからないが、どれであっても、母は洗濯場にいる。


 わからないままにしておく。埋めると、私はあの令嬢を嫌いになるか、気の毒に思うかしなければならない。どちらも面倒である。


   ◇


 見立ては、ここまでだ。


 もう一つ、証のあることを書き足しておく。


   ◇


 あの令嬢は、条件をご存じなかった。


 広間で、存じません、と仰った。嘘であれば、うちのお嬢様が黙っておいでにならない。


 ご存じないのだから、行けたのだ。廊下を曲がって、階を下りるだけである。


 十年、行かなかった。


   ◇


 行かなかった理由は、書かない。


 わからないからだ。


   ◇


 うちのお嬢様は、これを全部ご存じで、そのうえでなさった。


 助けるおつもりは一片もございませんでしたわ、と後に仰った。嘘ではない。あの方は嘘をおつきにならない。


 ただ、施与簿には、ご自分の手でお書きになった。


 続柄の欄に、なし、と。


 あそこで筆が止まるかどうかを、私は末席から見ていた。止まらなかった。


   ◇


 最後に、これを書く。


 先日、半日の暇をいただいて、王都の第四教区へ行った。


 十年前の届に、行き先としてその教区が書いてあった。十年遅れで、届のとおりの場所においでになる。


 物見に行っただけである。そう書いておく。


   ◇


 なんとお呼びすればよいのかが、わからなかった。


 身分は解かれている。姓はない。届の欄が空いていたのは、あの日、書ける者がその場にいなかったからだそうだ。


 だから、アニェス、と書く。


   ◇


 アニェスは、洗っておいでだった。


 年金がついている。洗う必要はない。


 何をお洗いですかと伺った。見たものを訊いたのだから、これは感想ではない。


「お隣のご家の、下着でございます」


 他にできることがございませんので、と仰った。


 その一言は、十年前から使い回されている一言である。


   ◇


 それから、向こうから一つ訊かれた。


「あの子は、息災でおいででしょうか」


   ◇


 私は、見たものだけを申し上げた。


 広間でお倒れになりました。お父上が腕をお取りになって、お連れになりました。それだけでございます、と。


 嘘は、言っていない。


「……左様でございますか」


 そう仰って、また洗い始められた。


   ◇


 帰りの道で、気がついた。


 見たものだけを申せ、という申しつけは、たいそう酷い代物である。


   ◇


 うちのお嬢様は、あれきりアニェスのことをお訊きにならない。


 訊かれていないので、私は申し上げていない。


 これは、申しつけを守っているだけである。


   ◇


 私は、ヴィオレッタ・ド・アルヴェール様が嫌いだ。


 嫌いなまま、あの方が汚したものを、私が見に行っている。


   ◇


 この帳面には、二種類のことが書いてある。


 証のあることと、私の見立てである。


 見立てのほうを全部消しても、話は変わらない。


 閉じ込めたのは、旦那様だ。


   ◇


 ――お屋敷に、置いてくださいませ。


 七つの子が言えたことは、それだけだった。


 私が書いておきたかったのも、それだけである。


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人の感情を白黒で分け切らない、そんなお話ですね。 人物の感情や言動の理由を、全て言葉で説明しきらないし、そもそもはっきり言葉で説明できるとも限らないものである。そんな風に読みました。 エステル自身に…
この話とコーヒー(マンデリン)の苦味をじっくり味わっている。 孫から貰ったミスドのドーナツと共に。
( ゜∀゜)o彡°
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