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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第1章

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12/21

第11話 規則

 紙で分かることは、二日で尽きた。


 王城の記録は、退屈なほどよく残っている。3年前の十一月九日、教会主催の慈善会。開催の届出、費用の按分、当日の献立、貸し出された燭台の数。ヴァレンヌ侯爵の名も、納めた額も、席次も残っていた。


 残っていないものが、一つだけあった。


 誰が、誰に、何を言ったか。


 ヴィオレッタは、その帳面を閉じた。


 あの言葉を口にした女の顔を、彼女は覚えていなかった。妃教育の休憩で茶を運んできた誰かが、「3年前の慈善会で、とんだ失礼を申し上げましたわね」と言った。言葉のほうは、抑揚まで正確に残っている。運んできた人間のほうが、残っていない。


「マリアンヌ」


「はい」


「女官所で、慈善会当日の配置表を出させてらっしゃい。給仕と取次の割り当てですわ」


「……またお使いでございますか」


「お前は、字が読めますでしょう」


 侍女は、しばらく黙っていた。


 ――なぜ、わたくしが。


 ――……知りたいのは、こちらも同じだけれど。


 結構な色ですこと、と彼女は思った。


   ◇


 名は、二十ばかり並んでいた。そのうち三人が、いまも王城にいた。


 一人目は、慈善会そのものを覚えていなかった。二人目は、覚えていたが厨から出ていなかった。


 三人目が、部屋に入ってきた瞬間に、ヴィオレッタは思い出した。


 茶を置く手つきだった。


   ◇


「3年前の十一月九日。教会の慈善会に、お前は広間へ出ておりましたわね」


「……はい」


 いつもの手だった。日付を投げてやれば、頭のほうが勝手に動く。


 女の内側で、その日が持ち上がった。雨の色。濡れた外套の匂い。皿の音。


「順に仰い。朝から雨でしたわね」


「はい。午後の会でございましたが、皆さま馬車をお待たせになって……」


「エステル・ド・ヴァレンヌ様に、お前は失礼を申し上げましたわね」


 色から、血が引いた。


 ――知っている。


 ――なぜ、いまさら。


「……申し上げました」


「何と」


 女は、床を見た。


「腕章はどちらへ、と」


「腕章」


「ヴァレンヌ家の使用人は、左の手首に布を巻いております。あの日は侯爵家からも人が出ておりまして、その布の者が、厨と広間を行き来しておりましたので」


「その布を、あの方が巻いていらしたと?」


「いいえ」


 女は、首を振った。


「巻いておいでではございませんでした。……ですが、侯爵様の三歩うしろを歩いておいででした。半歩でも、二歩でもなく」


 彼女は、そこで一度言葉を切った。


「令嬢の歩き方では、ございませんでした」


   ◇


「それで」


「わたくしは、あの方の左の手首を掴みまして、厨へお回りなさい、と」


「人前で」


「……広間の入口でございます」


「何人おりまして」


「存じません。……三十人は」


 ヴィオレッタは、扇を膝の上に置いた。


「侯爵は」


「すぐに参りました。娘だ、と仰って」


「お前は」


「膝をつきましてございます。床に額をつけて、お詫び申し上げました」


 女の内側は、真っ直ぐに恥だった。3年、色が褪せていない。この女はこの話を、誰にも喋っていない。


「あの方は、何と」


「……悪気はございませんの、と」


 ヴィオレッタの指が、扇の縁で止まった。


「それだけ?」


「わたくしの手を取って、お立たせになりました。それから、袖を直しておいででした」


「袖」


「左の、袖口を」


   ◇


「そのあと、あの方はどちらへ」


「存じません。ただ、しばらくお姿が見えませんでした。一時間ばかり」


「戻られたときは」


「フェリクス司教様と、ご一緒でございました」


 女は顔を上げた。


「お二人とも、庭のほうから。……夕方でございます。雨が、霙になっておりました」


   ◇


 女は最後に、自分の名を名乗った。処分を待つ者の作法である。


 ヴィオレッタは頷いて、部屋を出た。


 名は、廊下を曲がるまでに落ちた。


   ◇


 その夜、彼女は妃教育の教室に入った。


 誰もいない。卓が二つ、同じ向きに並んでいる。燭を一本だけ立てて、彼女は自分の側の席に着いた。


 帳簿を読むときと、同じ姿勢だった。


 順に並べる。


 午後。人前で使用人と間違えられる。庭へ出る。一時間。司教のところへ行き、頭に一文を入れる。司教はそれを3年、自分の言葉だと思って使い、その一文で盤を作った。


 ここまでは、動きの形である。罪ではない。


 彼女が引っかかっているのは、そこではなかった。


   ◇


 礼拝堂で、彼女はあの老人の内側に「盗んだ」という色を探した。借りた、でもよかった。人のものを使っているという自覚が一片でもあれば、そこに濁りが立つ。


 無かった。


 あのとき彼女は、無いと思った。


 ――ちがいますわね。


 燭の芯が、細く鳴った。


 無かったのではない。あの男が、自分の言葉だと本気で思っていたから、立たなかったのだ。


 嘘に濁りが出るのは、嘘をついている本人が、自分は嘘をついていると知っているからだ。


 知らなければ、出ない。


   ◇


 ――読めるのは、本人が嘘だと知っている嘘だけ。


 自分の声だった。


 北の塔で、数を数える女を前にして、彼女は確かにそう考えた。あの女は自分の記憶を正典としていて、現実のほうが誤っていると信じている。それは信仰であり、信仰は崩せない、と。


 考えて、その場に置いてきた。


 あの女にだけ当てはまる話だと思ったからだ。


   ◇


 ――それ、その人が嘘ついてないだけじゃないの?


 同じ女が、卓に肘をついて、あっさりとそう言った。人の心が一片も読めない女が。


 ヴィオレッタは笑った。そのようなものがこの世におりますものか、と。


 訂正する。


 嘘をついていないのではない。


 嘘だと思っていないのだ。


   ◇


 彼女は、卓の上に指を三本立てた。


 一。表と内がずれるから、色が立つ。


 二。ずれが生まれるのは、本人が「これは本音と違う」と知っているからだ。


 三。知らなければ、ずれない。


 指を折った。


 自分の嘘を本気で信じている人間は、読めない。


   ◇


 ひと月あまり前の夜のことを、彼女は思い出した。窓硝子に指を当てて、朝まで転がした問いである。


 あの娘の内側に悪意がなく、それでいて動きが計算だったとしたら、それは何なのか。


 両方が正しいとしたら?


 ――両方、正しいのですわ。


 外から見れば計算で、内から見れば善意である。矛盾しない。書き換えた本人が、書き換えたことを覚えてさえいなければ。


   ◇


 彼女は、拾って名前をつけずに捨てた形を並べた。


 礼を言うとき、こちらの目を見ない。


 出自を訊かれると、言葉が一拍だけ速くなる。


 右手が、左の手首に触れる。


 3年前の会の中身は忘れて、日付と天候だけを覚えている。


 四つとも、内側には何もない。外にだけ出ている。


 ――出ますのね。


 内側で処理しきれなかったものは、体に出る。処理しきれたと本人が思っているだけで、残りが袖口から漏れている。


 マリアンヌは、それを見ていた。心の読めない娘が、外側だけを見て、見せる動きだと言った。


   ◇


 ヴィオレッタは、燭を吹き消さずに立ち上がった。


 彼女は、あの娘を正しく読んでいた。一度も間違えていない。憐憫も、敬意も、当惑も、たしかに全部そこにあった。


 読んで、わかっていなかった。


 ――では、他に何人おりますの。


 二百人の顔が浮かびかけた。


 彼女は、そこで止めた。数え始めれば、17年ぶんの目から何枚か剥がれる。今夜、それをしている場合ではなかった。


   ◇


 三日後、大広間に献物が並べられた。


 建国祭に教会へ納める品である。布、蝋、麦、銀器。目録と現物を突き合わせる作業で、令嬢が十人あまり、老女官が二人、教会からレナール司教が立ち会っていた。


 証人は、多いほうがよかった。


 エステルは、卓の端で蝋の箱を数えていた。


「エステル様」


「はい」


「3年前の十一月九日でございますけれど」


「はい」


 即答だった。この娘は、日付にはいつも即答する。


「あの日、あなた、厨へ回るようにと言われましたわね」


   ◇


 広間の音が、落ちた。


 ――何を仰るの。


 ――使用人と間違えられたということ?


 ――今それを、この場で。


 ヴィオレッタは、そちらを聞いていなかった。彼女は、一点だけを見ていた。


 色が、立った。


 濁っていた。名前がない。憎悪でも、屈辱でも、恥でもない。まだそのどれにもなっていない、生まれたばかりの何か。


 瞬きより短かった。


 それが、変わった。


 上から塗ったのではない。塗るなら、下の色が透ける。そうではなく、そのものが別の色になった。澄んだ、暖かい、見慣れた色に。


   ◇


 エステルは、微笑んだ。


「はい。覚えておりますわ」


 ――あの日は、雨でしたわ。


「父が参りまして、あの方が膝をおつきになりましたの。……お可哀想でしたわ。床に、額をおつけになって」


「お前は」


 ヴィオレッタは、言い直した。


「あなたは、何をなさいましたの」


「広間に戻る気になれませんでしたので、庭へ出ておりました」


 エステルは、両手を胸の前で合わせた。


「雨が霙になるまで、立っておりましたわ。……そのあいだに、教会へ伺おうと決めましたの」


 彼女は、まっすぐに言った。


「あの一時間がなければ、わたくしは今日ここに立っておりません。ですから、あの方には感謝しております」


 嘘は、なかった。


   ◇


 周囲の色が、一斉に暖まった。


 ――なんという。


 ――あんな目に遭われて、なお。


 ――ご立派な。


 レナール司教が、静かに頷いた。


 ――やはり、この方だ。


 整った色だった。読める。掴めるものはない。


 エステルは、少し困ったように付け足した。


「あの方には、悪気はございませんの」


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を開いた。


 開いた陰で、いま視たものをもう一度なぞった。


 一瞬。名前のつかない色。それから、感謝。


 ――有りましたわね。


 あの日、孤児院の白い広間で、彼女は同じものを探した。計算を、策略を、この娘が自分を殺した自覚を。探して、何もないと思った。


 無かったのではない。


 速かったのだ。


 10年やっていれば、速くもなる。


   ◇


 ――ヴィオレッタ様は、なぜあんなことを。


 ――人の古傷を、皆の前で掘り返して。


 ――司教様を葬られたばかりですのに。


 結構ですこと、と彼女は思った。


 今日ここで欲しかったものは、評判ではない。


   ◇


「聞いたことを、全部話せと仰いましたわね」


「言った」


 東棟の執務室で、ヴィオレッタは一時間かけて話した。


 女官の名だけは落ちていたので、そこは配置表の三人目の女、と言った。アルベールは何も訊き返さなかった。


「エステル嬢は、嘘をついているのか」


「いいえ」


 彼女は言った。


「あの方は、本当のことしか仰いませんわ」


「では、何だ」


「本当のことのほうが、書き換わっておりますの」


   ◇


「証拠になるか」


「なりませんわ」


 ヴィオレッタは、扇を膝に置いた。


「わたくしの目は、円卓に出せませんもの。……それに今度は、紙が一枚もございませんの」


 アルベールの内側で、算盤が動いた。いつもの速さだった。


「ヴィオレッタ」


「はい」


「君の目は、壊れていなかったのか」


「壊れておりませんわ。最初から」


「では、何が壊れていた」


 彼女は、少し黙った。


 言いたくない答えだった。言いたくないので、そのまま言うしかなかった。


「……読み方ですわ」


 アルベールは、それについて何も言わなかった。


 彼は書類を引き寄せた。


「建国祭まで、ひと月だ」


   ◇


 東棟を出ると、回廊は白かった。窓の外の雪が、燭よりも明るい。


 ヴィオレッタは、歩きながら考えていた。


 あの娘は10年やってきた。屈辱を感謝と呼び、呼んだそばから本気で信じ、信じたぶんだけ内側が澄んだ。誰かに見せるための澄み方ではない。見せる相手がいないところでも、そうなっている。


 ――上手ですこと。


 この冬、同じことを思ったのは、二度目だった。


 一度目は、歪みのない帳簿を前にしたときである。人は盗むときに数字をいじる。いじれば必ず歪みが出る。あの帳簿には歪みがなかった。だから、あの男は数字をいじっていなかった。


 いじらずに、抜いていた。


 あの娘も、いじってはいない。


 書き換えているのは、数字ではない。


 ――項目のほうですわね。


 雪が、窓を白く塗っていた。


 書き換えられる前の項目に、何と書いてあったのか。


 その一項だけが、どの帳簿にも載っていない。


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― 新着の感想 ―
もしかしてヒスらないメンヘラ女とかいう無敵属性なのか?
おお?!ええ!!? そうきましたか!!! エステルは、じぶんを騙す?のが、上手すぎる????てこと???嘘が上手な詐欺師の手口じゃん… え、でもまだ全然先の展開が読めません。現実だと、普通の人間がそん…
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