↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/19

第10話 見える人

 南街区に女がいることなら、ひと月あまり前から知っている。


 晩餐の席で、あの男の内側から拾った。献金の一部が城の外れの家へ流れ、そこに女が囲われている。脅すには、じゅうぶんだった。実際、ひと月そうしてきた。あの男は自分がいつ切られるか分からないまま、毎晩天井を睨んでいたはずだ。


 だが、人前で殺すには足りない。


 噂は、噂と言い返せる。人の頭から拾ったものを、円卓に出すことはできない。


 だからヴィオレッタが最初にしたのは、父に手紙を書くことだった。


 公爵家は、毎年500ポンドを教会に納めている。献金者は、会計の報告を請求する権利を持つ。誰も請求しないので、その権利があることを覚えている者もいない。


 写しは、四日で届いた。


 彼女は三晩かけて、それを読んだ。


   ◇


 教会の帳簿は、想像していたよりよくできていた。


 流用の痕跡がない。数字は合っている。慈善基金の支出は、施療院、孤児院、修道院の修繕、貧民への配給。どれも実在し、どれも金額が妥当だった。


 ヴィオレッタは、そこに感心した。


 ――上手ですこと。


 人は、盗むときに数字をいじる。いじれば必ず歪みが出る。この帳簿には歪みがなかった。つまり、この男は数字をいじっていない。


 いじらずに抜いているのだ。


 実在する支出の中に、実在しないものを一つ紛れ込ませている。それが最も安全な手口で、最も見つけにくい。妃教育の帳簿演習で老女官が並べた架空の領地にも、同じ形の穴が一つあった。


 彼女は、支出の一覧を家屋の名で並べ替えた。


 王都南街区、柳小路。教会が借り上げている家作が一軒ある。用途は「貧民救済のための宿坊」。年に48ポンド。


 柳小路に、庭のある家は一軒しかない。


   ◇


「マリアンヌ」


「はい」


「王都の登記所へお行きなさい。柳小路の家作の、借主の名を写してらっしゃい」


 侍女は、しばらく動かなかった。


「……わたくしが、でございますか」


「顔を知られておりませんもの。子爵家の娘なら、書記官も警戒いたしませんわ」


「お断りしたら」


「なさいませんでしょう」


 ヴィオレッタは、髪を梳きながら言った。


「お前は、この話の続きが見たいはずですわ」


 マリアンヌの内側が、真っ赤に染まった。


 ――この人は。


 ――本当に、人を使うのがうまい。


 いい色ですこと、と彼女は思った。


   ◇


 名は、二日で戻ってきた。


 ジョゼフ・ドロワ。フェリクス司教の甥。


 その男は、5年前に死んでいた。


   ◇


 礼拝堂を選んだのは、そこが最も静かだったからだ。


 夕刻の祈りが終わり、蝋燭が半分落とされ、人の色が消えていた。壁が厚いせいか、この城で唯一、外の声が届かない場所である。


 フェリクス司教は、扉のところで足を止めた。


 ――なぜ、この女が。


「司教様。お呼び立ていたしまして」


「……なんの御用でございましょう」


「柳小路の宿坊のお話ですわ」


 男の内側から、色が全部抜けた。


 ヴィオレッタは、それを丁寧に味わってから、紙を三枚、祭壇の縁に並べた。


「教会の会計報告。柳小路の家作の登記。それから、ジョゼフ・ドロワ様の埋葬記録でございます」


「……」


「死んだ方が、5年にわたって家を借りていらっしゃいますの。家賃は慈善基金から。年に48ポンド。5年で240ポンドですわね」


 沈黙が落ちた。


「宿坊とは名ばかりで、貧民は一人も泊まっておりませんわ。庭のある家に住んでいるのは、お一人だけ。……女ですわね」


「……」


「わたくしの目は、証拠になりませんわ」


 彼女は言った。


「ですけれど、紙は証拠になりますのよ」


   ◇


 司教は、崩れなかった。


 膝もつかず、言い訳もせず、ただ祭壇の縁の紙を見ていた。ヴィオレッタは、その内側を覗いた。


 ――終わった。


 ――ああ、終わった。


 諦めの色だった。純度が高く、乾いていて、抵抗の意思がどこにもない。


 この男はひと月のあいだ、いつ切られるかを考えながら眠ってきたのだ。切られる瞬間が来て、むしろ楽になっている。


 悪くない色ですこと、とヴィオレッタは思った。


 思いながら、少しだけ間が悪かった。


   ◇


「ひとつだけ、伺いますわ」


「……なんなりと」


「エステル・ド・ヴァレンヌを、どこでお見つけになりまして」


 司教が、顔を上げた。


 その内側に、初めて別の色が入った。困惑である。


「見つけた、とは」


「教会が推された娘でございましょう。誰かがどこかで見出したはずですわ。……何年、ご覧になっておいでですの」


「3年」


「3年」


「はい」


 司教は、少し考えるように言った。


「3年前の、慈善会でございます。……ですが、見つけたのではございませぬ」


「では」


「あの娘のほうから、参りました」


   ◇


 ヴィオレッタは、扇を止めた。


「向こうから?」


「はい。侯爵家の御息女が、御一人で。……教会に、寄付をなさりたいと」


 司教は、遠くを見た。追想の色だった。今この瞬間、彼は本当にそのときのことを思い出している。


「額は、大きなものではございませんでした。ですが、あの娘はこう申しましたのです」


 彼の口が動いた。


「――教会が案じておられるのは、金子ではございませんでしょう。この国の未来を担われる方が、どのようなお心をお持ちであるか。そればかりだと存じます、と」


   ◇


 礼拝堂の空気が、動いた気がした。


 ヴィオレッタは、その言葉を知っていた。


 この冬の慈善晩餐で、この男が四十人の前で述べた口上である。杯を掲げ、下座を睨みながら、いかにも自分の言葉として。


「司教様」


「はい」


「その台詞、先日の晩餐でも仰いましたわね」


 司教は、きょとんとした。


 それから、当たり前のように頷いた。


「さようでございましたか。……年寄りは、同じことを申しますゆえ」


 彼の内側には、何もなかった。


 盗んだ意識がない。借りた意識すらない。3年前に人から入れられた言葉を、自分の言葉として3年使い、そのことに一度も気づいていない。


   ◇


「では、もうひとつ」


 ヴィオレッタの声は、平坦だった。


「あの方の中身を、司教様はご存じですの」


「中身」


「本性でも、腹の内でも、何でもよろしくてよ。3年ご覧になって、何をお知りになりまして」


 フェリクス司教は、答えるまでに時間をかけなかった。


「清らかな方でございます」


 嘘は、なかった。


「わたくしは、六十年生きてまいりました。人の欲を、飽きるほど見てまいりました。……あの方には、欲がございませぬ」


 ――だから、あれを立てた。


 ――誰にも叩けぬ。この女にも叩けぬ。


 ――それだけは、間違うておらぬ。


 ヴィオレッタは、祭壇の縁に手をついた。


 この男は、六十年ぶんの目で見ている。自分は17年ぶんの目で視ている。二人とも同じ結論に達していて、二人とも同じところで止まっている。


 ――何も、出てこない。


   ◇


 彼女は、しばらく黙っていた。


 黙りながら、勘定をしていた。


 この男を潰しても、エステルについては何ひとつ手に入らない。潰さずに帰れば、この男は明日から自分に忠実な駒になる。恐怖で縛られた駒ほど、扱いやすいものはない。


 どう計算しても、潰さないほうが得だった。


 彼女は、口を開いた。


「明日、これを陛下に上げますわ」


   ◇


 言ってから、少しおかしくなった。


 得なほうを選べない。


 礼拝堂に呼びつけた時点で、彼女は「潰す」と決めていた。決めた以上、潰さずに帰るという道は残っていない。口にしたことをやらなかったことが、この娘には一度もない。


 二年前、まだ公爵邸にいたころ、彼女は父にこう言われたことがある。


 ――お前は、賢いのに損をする。


 そのときは意味が分からなかった。


「司教様」


「……はい」


「ひとつ、申し上げておきますわ」


 ヴィオレッタは、紙を三枚まとめて拾い上げた。


「わたくし、性格が悪いんですの。ですから、嘘だけはつきませんのよ」


   ◇


 三日後、フェリクス司教は職を解かれた。


 教会は速かった。切り捨てる決断に、一日もかけなかった。埋葬記録という紙一枚を突きつけられて争う気のない老人を、庇う理由がどこにもなかったからだ。


 王都には、新しい司教が来た。


 名をレナールという。四十がらみの、痩せた、目の細い男だった。ヴィオレッタは着任の挨拶でその内側を覗き、そして――何も掴めなかった。


 ――前任者の不始末は承知しております。

 ――教会の信用を、一日も早く。


 整っている。表と内が、ちょうどよく重なる程度にずれている。読める。読めるが、掴めるものがない。


 この男は、まだ何も抱えていない。抱える前に着任したのだ。弱みは時間が作る。


 時間が、ヴィオレッタにはなかった。


   ◇


「新司教は、エステル嬢を推している」


 東棟で、アルベールが言った。


「前任者よりも強く、はっきりと。教会は、これを機に一本化するつもりだ」


「……左様でございますか」


「ヴィオレッタ」


 彼は書類を置いた。


「君は、腐った司教を一人取り除いた。同時に、腐っていない司教を一人呼び込んだ。……差し引きを言え」


「損でございますわ」


「そうだ」


 アルベールの内側で、算盤が動いた。今度は、いつもの速さだった。


「建国祭まで、ひと月半だ」


   ◇


 その週、宮廷の色は一段悪くなった。


 ――とうとう司教様まで。

 ――教会に手を出す方が、王妃になられるのですか。

 ――あの方は、誰も残さぬおつもりよ。


 誰も、48ポンドの話をしなかった。


 死んだ甥の名で家を借りていた男の話も、5年で240ポンドの話もしなかった。宮廷が語ったのは、公爵令嬢が司教を一人葬った、という一行だけだった。


 回廊で、桃色に行き合った。


「ヴィオレッタ様」


 エステルの目は、赤かった。


「フェリクス様は、わたくしを見出してくださった方でしたの」


「……そうですわね」


 ――お寂しいこと。あんなにお年を召しておいでなのに。


「ヴィオレッタ様が、正しいことをなさったのは存じております」


 彼女は、まっすぐに言った。


「ですから、わたくし、どうお慰め申し上げればよいのか分からないのです」


 嘘は、なかった。


   ◇


 行きかけて、エステルは足を止めた。


「あの、柳小路のお家は、これからどうなりますの」


「教会が引き上げますわ」


「では、お住まいの方は」


 ヴィオレッタは、その言葉の意味を取るのに一拍かかった。


「……女が一人おりますわ」


「まあ」


 エステルは、両手を胸の前で合わせた。


「その方、どちらへいらっしゃるのかしら」


 ――5年、あの家にいらしたのでしょう。


 悪意はなかった。詮索でもなかった。この娘の内側にあるのは、行き先の分からない人間が一人いる、という事実に対する困惑だけだった。


「エステル様」


「はい」


「あなた、その女に会ったことがおありですの」


「ございません」


「では、なぜ」


 エステルは、きょとんとした。


 なぜ、と訊かれた意味が分からない、という顔だった。それから、思い出したように付け足した。


「ヴィオレッタ様は、お名前をご存じ?」


   ◇


 ヴィオレッタは、口を開いた。


 開いて、そこで止まった。


 彼女は帳簿を三晩読んだ。家賃を読んだ。借主の名を読んだ。埋葬の年月日まで読んだ。読んだものは、一つ残らず正確に頭に入っている。


「……存じませんわ」


 言葉は、そこにあるものしか出てこない。無いものを出すには、嘘をつくしかない。


「そうですの」


 エステルは、それだけ言った。


 責めなかった。悲しみもしなかった。ヴィオレッタが知らないと言ったことを、そのまま受け取っただけだった。


   ◇


 自室に戻って、ヴィオレッタは紙を三枚、暖炉の前に置いた。


 燃やす前に、もう一度めくった。


 教会の会計報告に、女はいなかった。登記にあるのは、5年前に死んだ男の名だった。埋葬記録にあるのは、その男が死んだ日付だった。


 名を書く欄が、どこにもない。


 誰も書かなかったのだ。書く必要がなかったから。家賃さえ落ちていれば済むものに、人は名前を付けない。


 彼女は、三枚を火に入れた。


   ◇


 燃えるのを見ながら、彼女は今夜手に入れたものを数えた。


 一。エステルは3年前、自分から教会に近づいた。

 二。そのとき、司教の頭に一文を入れた。

 三。司教はそれを自分の言葉だと思って3年使い、その一文を武器にして、この盤を作った。


 三つとも、罪ではない。


 寄付をした。正論を述べた。それだけである。誰に訊いても「立派な娘御ですこと」で終わる。ヴィオレッタが持っているのは、動きの形だけだ。いつだったか、マリアンヌが同じ種類のことを言った。


 ――見せる動き。


 彼女は、火を見ていた。


 3年前の慈善会。


 その言葉を、彼女はどこかで聞いている。ごく最近、この城で、まったく別の文脈で。


 誰かが「3年前の慈善会で失礼を申し上げましたわね」と言い、あの娘が微笑んで「忘れましたわ」と答えた。


 そのあと、自分が鎌をかけた。


 ――十一月の九日でございます。午後の会で、朝から雨でした。夕方には霙になって。


 ヴィオレッタは、椅子から立ち上がった。


「マリアンヌ。灯りを」


「まだお休みになりませんので」


「3年前の十一月九日に、あの方が誰と会ったかを調べますわ」


 彼女は、机に向かった。


「忘れた日のことを、あれは天気まで覚えておりましたのよ」



お読みいただき、ありがとうございました!

少しでも、

「面白い!」

「続きが気になる!」

と思っていただけましたら、ブックマークと

広告の下↓にある【☆☆☆☆☆】をタップして、

【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!

皆様の応援が、作品を書く最高の原動力になります!


なにとぞ、ご協力お願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
本当に面白いです。謎解き要素が前に出てきて、序盤を思うとまさかの展開です。 侍女頭とのやり取りは引っかかっていました。読み返しに行ったら、更新当初よりもかなり分かりやすく改めてあったので、読み返して良…
なんだろう? 洗脳? 予知? 主人公が特殊能力持ちだから他にいてもおかしくはないけれど。 それはそれとして。 負けてほしくないのとは別に。 別に王妃の座にしがみつく理由なんぞ、こちらにはないので、何…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。