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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第22章

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第97話 もっと長く、と仰いました

 二度目の仮縫いの日は、朝から雨である。


 それでも、ジラールの表の間には客が多かった。長椅子に四人。ヴィオレッタは、縫い直しの済んだ緑の衣を受け取りに来て、奥の幕の陰にいる。


   ◇


 この日を選んだのは、店主であった。表の間がいちばん混むのは、雨の日だという。外を歩けない奥方たちが、ここぞとばかりに仮縫いへ来る。


   ◇


 長椅子の端に、若い令嬢がひとり座っていた。


 ルソー伯爵家のエミリーである。母親の付き添いで来たらしく、退屈そうに手袋の指を引っぱっている。


 カルノー子爵夫人が入ってくると、令嬢は手袋から顔を上げた。


   ◇


「まあ、袖をこんなに短くして」


 夫人は、鏡の前で両腕を広げた。肘から先が、むき出しになっている。


「どなたが、こんな」


「肘まで、と仰せでございましたので」


 店主の声は、落ち着いていた。


   ◇


 夫人が、わずかに眉を上げる。


  ――あら。今日は言い返すのね。


   ◇


 けれども、それ以上は袖のことを言わなかった。言えば、先週の自分の言葉に触れる。長椅子の客たちが、こちらを見ている。


「……袖は、それでよろしいわ。裾が短いのよ。もっと長く」


「仰せのとおりに」


   ◇


 店主は、そのひと言しか返さなかった。


 夫人の内側が、少しだけ揺れる。


  ――素直すぎるわ。


  ――まあ、いいわ。どこまで直させれば音を上げるか、見てやりましょう。


   ◇


 ヴィオレッタは、幕の隙間から長椅子を見ていた。


 四人の内側が、順に聞こえてくる。


 いちばん奥の老婦人は、居眠りの手前であった。その隣の奥方は、自分の番がいつ来るかしか考えていない。


 ルソー伯爵夫人の内側は、固く閉じていた。


  ――わたくしは、何も聞いていない。何も。


 聞いたからこそ、そう唱えているのである。この奥方は、来月もカルノー子爵夫人の茶会に呼ばれたいのだ。


   ◇


 エミリーは、手袋を引っぱるのをやめていた。


 母親の袖をつついて、何かささやいている。何を言ったのかは、聞こえない。内側だけが、はっきりと聞こえた。


  ――肘までの袖を見て、それでよろしい、って。


  ――先週は、長すぎるって怒っていたのよね。


 母親が、娘の手を膝の上で押さえた。押さえられても、娘の目は鏡から離れない。


   ◇


 黙っていられるのは、母親のほうである。娘は、黙っていられない性分らしい。


 ヴィオレッタは、その横顔を覚えておくことにした。


   ◇


 夫人が帰ると、ヴィオレッタは幕を出た。


「マダム。次の仮縫いは、いつになさるの」


「来週の、同じ曜日でございます」


「では、わたくしの手袋の採寸も、同じ刻限に入れてくださいな」


 店主は何も訊かずに、控えへ書きつける。


   ◇


 三度目の日は、晴れていた。


 それでも、長椅子は埋まっている。店主が、前の日から客に声をかけていたらしい。お客の多い日になさいな、と言われたことを、そのまま守っているのである。


   ◇


 ヴィオレッタは、奥の小部屋で手袋の採寸を受けていた。指の一本ずつに、巻き尺が回る。壁際には、マリアンヌが控えている。幕の向こうの声は、ここまで全部届いた。


 長椅子には、またルソー伯爵家の母娘がいる。表の間の隅の台では、ブランシュ男爵夫人が胴の採寸を受けていた。


   ◇


「裾が、まだ短いわ」


 鏡の前で、カルノー子爵夫人が言った。


 裾は、もう靴の先を隠している。夫人が一歩動くたびに、床をこすって、さらりと鳴った。


「もっと長く。それから、この飾り紐。地味ですこと」


「何色に、いたしましょう」


「黄色よ」


   ◇


 ブランシュ男爵夫人の内側が、ぎょっと跳ねた。


  ――黄色。あの深い青に。


 長椅子の扇も、そろって止まる。止まったまま、誰も何も言わない。


「黄色に、いたします」


 店主が答えた。それきりである。


   ◇


 夫人の内側に、はじめて小さな棘が立った。


  ――この店、わたくしを試しているのかしら。


 夫人は、鏡越しに店主の顔を見た。店主は待ち針の箱を抱えて、目を伏せている。手が、少しだけ震えていた。


  ――いいえ。怯えているだけね。


 棘は、すぐに引っこんだ。


   ◇


 壁際で、マリアンヌの眉が、ほんの少しだけ上がる。


「……あの女、本気でございますか」


 針子に聞こえないほどの声である。


「本気ではないから、困るのですわ」


 ヴィオレッタも、同じだけの声で返した。


「本気なら、黄色の衣で茶会に出るでしょう。着ないつもりだから、何色でも言えますのよ」


 マリアンヌは、それきり黙った。黙ったまま、幕のほうへ一度だけ目をやる。あの女の顔を、覚えておくつもりらしい。


   ◇


 ヴィオレッタは、採寸の針子に、小指をもう少しきつく、と言った。


 怯えているのは本当である。夫人の読みは、そこまでは当たっていた。外れているのは、怯えた店が何をしているかのほうであった。


   ◇


 帰りぎわ、夫人が長椅子の前で足を止める。


「ジラールも、近ごろは、言われたことしかできなくなりましたのね」


 奥方たちに向けた言葉である。誰も笑わない。


 エミリーだけが、小さく首をかしげていた。


  ――言われたことしか、って。言われたとおりにしたら、いけないのかしら。


   ◇


 幕の陰で、ヴィオレッタは扇を開いた。


 言われたことしかできない店。結構な評判である。あの夫人が自分の口で広めてくれるなら、なおよい。


 あと一度か二度、言わせればよかった。

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