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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第21章

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第95話 明日も、御髪をお結いいたします

 ラフォン伯爵夫人の動きは、早かった。


 茶会がはねるより前に、夫人は自らヴィオレッタの前に進み出て、深々と頭を下げた。娘は熱病の名残でまだ心が弱っている、本日をもって北の修道院へ預ける、アルヴェール家にはあらためて夫とともにお詫びに上がる、と。


 ――公爵家を敵に回したら、うちは終わる。


 ――あの子ひとりで済むなら、安いもの。


 母親の心に、娘を案じる色は、ほとんどなかった。


「お好きになさいませ」


 ヴィオレッタはそれだけ答えた。官憲を呼べとも、呼ぶなとも言わない。どちらでも、彼女には同じことなのだ。


   ◇


 屋敷に戻ると、ヴィオレッタは下働きを全員、台所の前に並ばせた。


「ラフォン家から、お給金の3か月分を受け取った者は、前へ出なさい」


 誰も動かない。


 けれど、列の端で、そばかすの娘の心が悲鳴を上げていた。


 ――ばれた。なんで。なんで。


 周りの下働きたちが、少しずつ、その娘から距離を取っていく。人の心は面白い、とヴィオレッタは思う。誰も何も言っていないのに、罪のある者のまわりには、勝手に空白ができる。


 ニノンが、膝から崩れた。


「お、お許しください。お母さんの、薬代が」


「そう」


「もう、二度としません。本当です」


「ええ。二度とはできませんわね」


 ヴィオレッタは、娘を見下ろした。


「今日限りで結構よ。荷物をまとめなさい」


「お嬢様……!」


「3か月分のお給金で主を売る者は、4か月分で、次の主も売りますもの」


 薬代の事情は、本当なのだろう。心がそう言っている。


 だから何だ、とヴィオレッタは思った。それはこの娘の事情であって、わたくしの事情ではない。


   ◇


 その夜、鏡台の前で、マリアンヌは長いこと櫛を動かしていた。


 昼間の青ざめた顔は、もう跡形もない。手つきはいつもどおり正確で、けれど心は、ずっと同じところを回っていた。


「お嬢様」


「なに」


「なぜ、庇ってくださったのです」


「庇っておりませんわ」


 ヴィオレッタは鏡の中の自分を見たまま答えた。


「わたくしの侍女を、わたくし以外の者が勝手に切るのが、気に食わなかっただけよ」


「……左様でございますか」


 櫛が、また動き出す。


 しばらくして、マリアンヌがもう一度口を開いた。


「髪飾りが見当たらないと申し上げた朝、お嬢様は、来週には出てくるとおっしゃいました」


 ヴィオレッタは答えなかった。


「ご存じだったのですね。わたくしが、人前で盗人にされることを」


「ええ」


 嘘はつかない。


 鏡の中で、侍女の顔がわずかに歪んだ。心の色が、ひと息に赤く濁る。怒り。それから、屈辱。主に見捨てられかけたのではなく、主に分かっていて使われたのだと知った者の色。


 ヴィオレッタは、その色を美しいと思った。


 マリアンヌは櫛を置き、両手を膝の前で揃える。


「わたくし、お嬢様が大嫌いでございます」


「知っておりますわ」


「ですが」


 侍女は、少しだけ言葉を探している。


「わたくしを好きだと言いながら、わたくしの家ごと泥に沈めようとした方よりは、ましでございます」


「そう」


「明日も、御髪をお結いいたします」


「真珠のを使ってちょうだい」


 マリアンヌの手が止まる。鏡台の端には、昼間の騒ぎをくぐり抜けた髪飾りが、何事もなかったような顔で置かれていた。


「……あれを、でございますか」


「ええ。わたくしの物ですもの。人の手を渡ったくらいで、しまい込む理由がございませんわ。来週には出てくると申しましたでしょう。出てきたのだから、挿しますの」


 ――この方は、本当に。


 侍女の心が、呆れたような水色に戻っていく。


「かしこまりました」


 マリアンヌは一礼して、燭台の火を半分落とした。


   ◇


 ジュスティーヌを乗せた馬車が王都を発ったのは、3日後の朝だった。


 その馬車が門の前を通るとき、ヴィオレッタはたまたま窓辺にいる。


 幌の隙間から、蜂蜜色の髪がのぞく。修道院へ向かう娘は、アルヴェール家の窓を見上げ、そこにヴィオレッタの姿を見つけると、小さく手を振った。


 心の声が、まっすぐに届く。


 ――ヴィオ様、今は分かってもらえなくても大丈夫。


 ――いつか、きっと分かってくれる。私、待ってるから。


 桃色だった。


 あの茶会のあとでさえ、その色は少しも濁っていなかった。後悔も、恨みも、学んだ痕も、なにひとつない。下に何もない、春の花のような色。


 ヴィオレッタは、人の心から目を逸らした。覚えているかぎり、これまで一度もなかったことだ。


 これまで、数えきれないほどの醜い色を視てきた。母の慈愛の下の嫌悪も、父の威厳の下の保身も、聖女の祈りの下の筋書きも。どれも汚く、どれも人間らしかった。


 けれど、二層目のない色を視たのは、これが最初で。


 それが、いちばん、たちが悪かった。


 馬車が角を曲がって見えなくなるまで、ヴィオレッタは窓辺に立っていた。それから、カーテンを引く。

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― 新着の感想 ―
( ゜∀゜)o彡° 聖女よりやっかいだったね、ただ王子に3人目いたよと報告せんでもええんかな?
( ゜∀゜)o彡°セシリアVSジュスティーヌがあったら
( ゜∀゜)o彡° うーん、これはヴィオレッタ的には試合に勝って勝負に負けたという心境かも。 好悪の感情を超えて信頼できる人というのは居て、ヴィオレッタとマリアンヌはお互いにそういう感じなんでしょう。…
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