↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第21章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
106/111

第94話 善いことを、なさったのでしょう?

 箱が落ちたのは、茶会の半ばだった。


 焼き菓子の皿を運んでいたラフォン家の侍女が、芝生の縁でつまずいた。よろけた肩がマリアンヌの腕に当たり、小箱が手を離れて卓の脇に転がる。


 蓋が外れた。


 砂糖をまぶした木の実が、白い卓布の上に散らばる。その下から、二重になっていた底板がずれて、ころりとひとつ、光るものがこぼれ出た。


 真珠の髪飾り。


 大粒の真珠を3つ、銀の葉で留めた品。去年の夜会で、ヴィオレッタが髪に挿していたものだ。


「それ……」


 隣の卓の令嬢が、扇を口元に当てた。


「ヴィオレッタ様の、では」


 ざわめきが、庭の端まで波のように走った。


 マリアンヌの顔から、血の気が引いていく。


「存じません」


 声が掠れていた。


「わたくしは、何も……この箱は、いま、いただいたばかりで」


 心は、もっと正直だった。


 ――終わった。


 ――お嬢様は、庇ってなどくださらない。そういう方だ。


 ――今日のうちに、暇を出される。盗人として子爵家に戻される。妹たちが。


 水色が、凍って、ひび割れていく。


 ヴィオレッタは、椅子に座ったまま動かなかった。


 何も言わない。扇も開かない。ただ、侍女が青ざめていくのを、最後まで眺めていた。


 怯えている人間の色は、いつ見ても混じり気がない。この娘がここまで剥き出しの色を見せるのは、侍女になってから初めてのことだった。


 ――お嬢様が、何もおっしゃらない。


 ――やはり。


 沈黙が長くなるほど、周りの心が勝手に結論を出していく。


 ――盗んだのね。


 ――子爵家の娘だもの。お金に困っていたのでしょう。


 ――ヴィオレッタ様の侍女なんて、まともな娘が務まるはずがないわ。


 そこへ、ジュスティーヌが進み出た。


 目に、涙を溜めている。


「ヴィオレッタ様、どうか、お許しくださいませ」


 膝を折り、ヴィオレッタの足元にすがるような姿勢になる。


「この方も、きっと出来心で……。おそばにいるのがおつらくて、つい、魔が差したのだと思います。どうか、官憲にだけは。お暇を出すだけで、どうか」


 ヴィオレッタは、その心を覗いた。


 ――ここで、ヴィオ様が切る。


 ――少しだけ傷ついて、でも、裏切り者がいなくなって、ヴィオ様は救われる。


 ――ごめんね、マリアンヌ。でも、これがいちばん優しいから。


 桃色だった。


 涙は本物で、マリアンヌへの哀れみも本物で、その哀れみの手でマリアンヌを突き落としている自覚だけが、どこにもない。


「マリアンヌ」


 ヴィオレッタは、ようやく口を開いた。


「この箱、どなたからいただいたの」


「……ラフォン様から。茶会が始まってすぐに」


 ざわめきの質が、わずかに変わった。


 何人かが、さっきの光景を思い出しているのが分かる。皆の見ている前で、伯爵令嬢が侍女に箱を手渡した、あの場面を。


 ――え、そこ?


 ジュスティーヌの心に、小さな波紋が立った。


 ――大丈夫。箱は渡しただけ。中身は、マリアンヌがあとから入れたことにすればいい。


 ヴィオレッタは、それを追わなかった。


 この娘の心が何を数えているかを並べたてたところで、証拠にはならない。わたくしの目は、昔から証拠にならないのだ。


 だから、訊くことにした。


「わたくし、ひとつ分からないことがございますの」


 ジュスティーヌのほうへ、まっすぐに顔を向ける。


「この子がわたくしの髪飾りを盗ったとして、それをわざわざ、いただいたばかりの菓子箱の、それも二重の底にしまって、ラフォン家の茶会へ持ってくる理由が」


 庭が、静かになった。


 言われてみれば、と誰かが思った。その心の声が、あちこちで重なる。盗んだ品を、他家の茶会へ。人前で開けるかもしれない、貰いものの箱に。


「ですから、こう考えたほうが筋が通りますわ」


 ヴィオレッタの目は、ジュスティーヌから動かない。


「どなたかが、わたくしのために、この子をそばから遠ざけようとなさった」


 ジュスティーヌの心が、ぱっと灯った。


 ――気づいてくれた。


 ――ヴィオ様が、分かってくれた。


 追い詰められた者の色ではない。長い片思いの末に、ようやく相手が振り向いた娘の色だ。


 ヴィオレッタは、静かに尋ねる。


「わたくしのために。……善いことを、なさったのでしょう?」


 礼は言っていない。喜ぶとも言っていない。ただ、問うただけだ。


 ジュスティーヌの目から、涙がこぼれた。


「……はい」


 庭のどこかで、誰かが息を呑んだ。


「はい、ヴィオレッタ様。わたくしです」


 ラフォン伯爵夫人が、上座で凍りついた。


 ――黙りなさい。


 ――黙りなさい、ジュスティーヌ。


 母親の悲鳴のような心の声は、娘には届かない。


「その方は、いずれヴィオレッタ様を裏切ります。わたくしは、ヴィオレッタ様に、これ以上傷ついてほしくなかったのです」


 ジュスティーヌは、胸の前で手を組んだ。誇らしげに、と言っていい顔だった。


「髪飾りは、お屋敷の方にお願いして、持ち出していただきました。箱の底は、わたくしが作らせました。侍女にぶつかってもらったのも、わたくしの頼みです。……でも、牢には入らないように、ちゃんとお願いするつもりでした。誰も、不幸にならないように」


 言い終えて、ジュスティーヌは晴れやかに顔を上げる。


 庭には、物音ひとつない。


 令嬢たちの心が、一斉に色を変えていくのが視える。哀れみでも、怒りでもない。もっと原始的な、得体の知れないものから身を引くときの色。


 ――この人、何を言っているの。


 ――人の家の物を盗ませて、侍女に罪を着せて。


 ――それを、笑いながら。


 ――ブランシャール家のお嬢様の詩を、写しだと言い回ったのも、この方だったわね。


「皆さま、お聞きになりまして?」


 ヴィオレッタは、ようやく扇を開いた。


「ラフォン家のジュスティーヌ様が、わたくしの髪飾りを人に盗ませ、わたくしの侍女に盗人の罪を着せようとなさったそうですわ。……わたくしのために」


 ジュスティーヌが、きょとんとする。


「ヴィオレッタ様?」


「わたくし、喜ぶとは一言も申しておりませんわ」


「え……」


 桃色が、ぐらりと揺れる。


 ――なんで。


 ――救済ルートなら、ここでヴィオ様は泣いて、「ありがとう」って。


「この子がわたくしを裏切ること? 存じておりますわ。前にも申し上げましたでしょう。あの子は、わたくしが大嫌いですの」


 青ざめたまま立ち尽くしている侍女に、ちらりと目をやる。


「嫌っていることを隠しもしない者を、わたくしは、分かったうえでそばに置いておりますの。いつ裏切られてもいい。裏切るなら、わたくしの目の前でどうぞ、と。……それを、どこのどなたが、わたくしの代わりに片づけてよいと決めましたの」


「わたくしは、ただ、本当のヴィオレッタ様を」


「本当のわたくしは」


 ヴィオレッタは、微笑んだ。


「いまここで、あなたを笑っておりますわ」


 ジュスティーヌの唇が、震えた。


「ついでに申し上げておきますわね。施療院への寄進も、孤児院の毛布300枚も、わたくしは一度もいたしておりません。わたくし、お優しくなどございませんの。あなたがどれほどお望みでも」


 庭の隅で、誰かがこらえきれずに吹き出した。


 ジュスティーヌは、まだ分からないという顔をしている。分からないまま、心の奥で、何かを必死にめくっていた。本の頁を。どこかに、この場面の続きが書いてあるはずだと。


 ヴィオレッタは、扇を閉じた。


「あなたが好きなのは、わたくしではありませんわね」


 静かな声で。


「本の中の女ですわ」


 ジュスティーヌの心から、初めて、色が抜けていく。


 ――本の、中。


 ――なんで。なんで、それを。


 蜂蜜色の髪の娘は、膝をついたまま、ヴィオレッタを見上げていた。その目に映っているのが誰なのか、ようやく、少しだけ分かりかけたような顔で。



お読みいただき、ありがとうございました!

皆様にお願いです

ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に

応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
( ゜∀゜)o彡°(^^)v
( ゜∀゜)o彡°
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。