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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第21章

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第93話 来週には出てきますわ

 同じ夜会の広間の奥では、別の噂がもうひとつ歩いていた。


 ――ブランシャール家のコラリー様のあの詩、どなたかの写しだったのですって。


 ――ヴィオレッタ様が見抜いて、恥をかく前に止めてさしあげたそうよ。


 ――ラフォン様がそうおっしゃっていたもの。


 壁際に、あの日の詩の令嬢が立っている。誰も話しかけない。近づこうとする者もいない。心の色は、あの日の赤から、くすんだ灰に変わっていた。


 ――書いたのに。


 ――三晩かけて、自分で書いたのに。


 ヴィオレッタは、そちらへ歩いていく。人垣が、ひとりでに割れた。


「コラリー様」


 令嬢の肩が、びくりと跳ねる。


「あの小川の詩、どなたかの写しだそうですわね」


「ち、違います。あれは、わたくしが」


「ええ。存じておりますわ」


 ヴィオレッタは、周りにも聞こえる声で続けた。


「同じ小川をあれほど何度も流せるのは、お書きになったご本人だけですもの。人の詩を写すなら、もう少しましなものを選びますでしょう。あれは正真正銘、コラリー様ご自身の、下手な詩ですわ」


 広間のあちこちで、誰かが吹き出しかけて、咳に変える。


 コラリーは真っ赤になり、それから、ぽかんと口を開けた。心の色が、ぐちゃぐちゃに混ざっていく。恥ずかしい。腹が立つ。なのに、あの灰色だけが、どこかへ消えている。


 ――助けて、くださった?


 違う、とヴィオレッタは思う。下手な詩を下手と言い、写しでないものを写しでないと言った。それだけのことだ。それで誰が浮かぼうと沈もうと、知ったことではない。


 踵を返すと、柱の陰で、桃色が眩しく灯っていた。


 ――ほら、やっぱり。ヴィオ様は優しい。


 ――私の言ったとおりになった。


 噂を撒いた当の本人が、その噂を打ち消されて、自分の手柄のように喜んでいる。ヴィオレッタは扇の陰で、ほんの少しだけ眉を寄せた。


 この娘の中では、何が起きても、筋書きのほうが正しいのだ。


   ◇


 その娘の心の声が筋書きを語り始めたのは、同じ夜会の終わりのことだった。


 帰りの馬車を待つ回廊ですれ違ったとき、ジュスティーヌは心の中で何かを指折り数えていた。


 ――宝石箱の3段目。真珠の髪飾り。


 ――アルヴェール家の下働きの、ニノンって子。お給金の3か月分で、引き受けてくれた。


 ――来週のうちのお茶会で、マリアンヌにお菓子の箱をあげる。底を二重にして、髪飾りはそこ。


 ――うちの侍女が、うっかりぶつかって箱を落とす。みんなの前で、髪飾りが出てくる。


 ヴィオレッタは、柱の向こうで足を止める。


 ――ヴィオ様は傷つくと思う。それは、ごめんなさい。


 ――でも、マリアンヌは盗人として暇を出されるだけ。牢には入らないように、私がちゃんとお願いする。子爵家に帰って、静かに暮らせばいい。


 ――原作では、マリアンヌの証言でヴィオ様が断罪される。それに比べたら、誰も不幸にならない。


 ――うん。みんなにとって、いちばん優しい結末だ。


 桃色が、どこまでも柔らかく灯っていた。


 盗みの濡れ衣を着せて、主のそばから追い出す。それを数えながら、この娘の心には一点の濁りもない。子爵家の娘が盗人の汚名を背負って帰ったあと、その家にどんな目が向けられるか。妹たちの縁談がどうなるか。ジュスティーヌの算段には、そこから先の頁がなかった。


 本の中で、マリアンヌは名前のある脇役でしかない。脇役の家族は、本には出てこない。


   ◇


 翌日、ヴィオレッタは用もないのに台所の脇を通った。


 洗い桶を運んでいた下働きの娘が、廊下の端に寄って頭を下げる。そばかすの浮いた、まだ若い娘。


 ――3段目。真珠。月が替わる前に。


 ――お給金の3か月分。お母さんの薬代になる。


 ニノン。


 ヴィオレッタは足を緩めずに通り過ぎた。


 止めるのは、たやすい。今夜のうちに宝石箱を別の部屋へ移せばいい。ニノンを呼びつけて、3段目には何が入っているかと尋ねるだけでもいい。それだけで、この筋書きは紙切れになる。


 けれど、紙切れにしたところで、ジュスティーヌは止まらない。


 悪意のある人間は、企みが潰れれば怯える。次はもっと用心するか、手を引く。だが、この娘には怯える理由がない。自分は善いことをしようとしただけなのだから。筋書きが一枚破れたら、次の一枚を書くだけだろう。そのたびに、わたくしの名をかぶった善行が王都に増えていく。


 止めるなら、人前で。


 それも、この娘自身の口で。


 それに、とヴィオレッタは思った。


 あの子が人前で青ざめるところを、一度くらい見ておくのも、悪くない。


   ◇


 月が替わる3日前の朝、鏡台の前で、マリアンヌの櫛が止まった。


「お嬢様。真珠の髪飾りが、見当たりません」


「そう」


「3段目にしまっておいたはずでございます。お探しいたしましょうか」


「いいえ」


 ヴィオレッタは鏡の中の自分を見たまま、答える。


「来週には出てきますわ」


 マリアンヌの心が、怪訝そうに揺れる。


 ――来週。


 ――なぜ、そう言い切れるのだろう。


 けれど侍女はそれ以上は訊かず、別の髪飾りを選んで、いつもどおり正確に髪を結い上げた。


   ◇


 ラフォン家の茶会は、よく晴れた午後だった。


 庭に白い卓が並び、20人ほどの令嬢と、その母親たちが集まっている。ラフォン伯爵夫人は上座に陣取り、娘が主催する茶会を満足げに眺めていた。


 その心は、娘とはまるで似ていない。


 ――公爵令嬢が来た。これでうちの格も上がる。


 この母親からどうやってあの娘が生まれたのか、ヴィオレッタには少しだけ興味があった。


「ヴィオレッタ様、ようこそおいでくださいました!」


 ジュスティーヌが駆け寄ってくる。それから、一歩後ろに控えるマリアンヌへ、リボンのかかった小箱を差し出した。


「これは、マリアンヌさんに。いつも、ヴィオレッタ様に尽くしていらっしゃるから」


 周りの令嬢たちが、まあ、と声を漏らす。侍女にまで心を配る、優しい伯爵令嬢。そういう絵だった。


 マリアンヌは、ためらう。


 ――受け取りたくない。


 ――けれど、この場で断れば、お嬢様の顔に泥を塗る。


「……ありがたく、頂戴いたします」


 両手で箱を受け取る侍女の横顔を、ヴィオレッタは黙って眺める。


 ジュスティーヌの心が、安堵の色にふわりと広がる。


 ――よかった。これで、全部うまくいく。


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