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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第21章

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第92話 あの子は、わたくしが大嫌いですもの

 ジュスティーヌは、まず親切から始めた。


「マリアンヌさん、でしたわね」


 アルヴェール家の庭で、ヴィオレッタが薔薇の剪定を眺めているあいだに、ラフォンの娘は侍女のほうへ回り込んでいた。声は柔らかく、手つきは丁寧で、心はどこまでも澄んでいる。


「もしよろしければ、うちへいらっしゃいませんか。母が、気の利く方を探しておりますの。お給金は、今の倍をお約束しますわ」


 マリアンヌは、教本どおりの角度で膝を折った。


「もったいないお言葉にございます。ですが、わたくしはアルヴェール家にお仕えしておりますので」


「でも、ここは……おつらいでしょう?」


 ジュスティーヌは、ちらりとヴィオレッタのほうを見た。


「あの方はお優しい方ですけれど、お言葉がきつくていらっしゃるから。毎日おそばにいるのは、大変だと思うのです」


「お気遣い、痛み入ります」


 口ではそう答えながら、マリアンヌの心は固く閉じている。


 ――なぜ、わたくしに。


 ――ラフォン家のあの女が、子爵家の娘ひとりを倍の給金で欲しがる理由がない。


 ヴィオレッタは、剪定鋏の音を聞きながら、扇の陰で口の端を上げた。マリアンヌは、ほかの何を疑わなくても、理由のない親切だけは必ず疑う。妹を3人抱えた子爵家の長女にとって、うまい話はたいてい、あとから請求書がついてくるものなのだ。


 ――断られちゃった。


 ジュスティーヌの心が、少しだけしょげた色になる。


 ――でも、そうだよね。原作のマリアンヌも、最後まで本心を見せない子だった。


 ――なら、ヴィオ様のほうに分かってもらうしかない。


   ◇


 次の機会は、すぐに来た。


 ジュスティーヌは庭の東屋で、ヴィオレッタと二人きりになるのを待っていたらしい。マリアンヌが茶の支度に下がった隙に、向かいの椅子へ身を乗り出してきた。


「ヴィオレッタ様。差し出がましいことを申し上げてもよろしいでしょうか」


「差し出がましいと分かっていて、おっしゃるのね」


「はい」


 ジュスティーヌは、まっすぐな目をしていた。


「あの侍女の方には、お気をつけくださいませ。……あの方は、いつか、ヴィオレッタ様を裏切ります」


 東屋の外で、風が薔薇を揺らしている。


 ヴィオレッタは、茶器の縁を指でなぞる。


「知っておりますわ」


「え」


「あの子は、わたくしが大嫌いですもの」


 ジュスティーヌが、目を瞬く。


「嫌っていることを、隠しもしませんのよ。毎朝わたくしの髪を結いながら、腹の中では、わたくしを罵っておりますわ。見ていれば分かりますもの」


 見ていれば分かる、とは言った。何で見ているかは言っていない。嘘はひとつもない。


「でしたら、なぜ、おそばに」


「髪を結うのが上手いからですわ」


 それも本当だった。


 ジュスティーヌの心が、ぎゅっと縮むように色を濃くする。


 ――強がってる。


 ――原作どおりだ。ヴィオ様は、誰も信じられないから、裏切られても平気なふりをする子なんだ。


 ――やっぱり、私が守らなきゃ。


「ジュスティーヌ様」


「は、はい」


「あなた、わたくしの何をご存じですの」


「全部、ではありません」


 少しはにかんで、ジュスティーヌは笑う。


「でも、ヴィオレッタ様が本当はお優しいことは、知っております。誰にも分かってもらえなくても、わたくしだけは知っております」


 ヴィオレッタは声を上げて笑った。


 これほど的外れなことを、これほど真剣な目で言われたためしがない。


 ジュスティーヌも、つられたように笑う。心の色は、嬉しさで眩しいほどに輝いていた。


 ――笑ってくれた。私の前でだけ。


 違う、とヴィオレッタは思う。あなたが可笑しかったのよ。


 けれど、それを言っても届かないことは、もう分かっていた。この娘の耳には、ヴィオレッタの口から出たものはすべて、本の中の誰かの台詞に置き換わって聞こえるのだ。


   ◇


 半月後の夜会は、王都の西にある侯爵邸で開かれた。


 広間に入って幾らも歩かないうちに、ヴィオレッタは呼び止められる。


 灰色の僧衣を着た年配の女が、人垣を分けて近づいてくるところだった。王都の東の外れで孤児院を預かる院長だと、周りの心がささやいている。


「アルヴェール公爵家のヴィオレッタ様でいらっしゃいますね。このたびは子どもたちのために毛布を……まことに、ありがとう存じます」


 深々と下げた頭の下で、心は別のことを言っていた。


 ――一枚も、届いていないけれど。


 ――ここで皆さまの前でお礼を申し上げておけば、公爵家も引っ込みがつかなくなる。冬までに、本当に届くかもしれない。


 なるほど、とヴィオレッタは思う。届いていない毛布は、こうして値札に化けるのだ。


「届いておりませんでしょう」


 院長が顔を上げる。


「わたくし、毛布など一枚もお贈りしておりませんもの。冬までお待ちになっても、届きませんわ」


 院長の心が、すとんと底へ落ちた。


 けれど周りの令嬢たちは、扇の陰で目を見交わしている。


 ――まあ、ご謙遜を。


 ――人知れず善行を積む方は、決してお認めにならないものだと聞いたわ。


 ――ラフォン様のおっしゃったとおりね。


 ヴィオレッタは、もう一度だけ言った。


「贈っておりませんの」


「ええ、ええ。存じておりますわ、ヴィオレッタ様」


 隣にいた子爵夫人が、何もかも心得ているという顔で頷く。


 本当のことを言っているのに、通らない。わたくしについての嘘のほうが、よほど滑らかに人の耳へ入っていく。嘘をつかないと決めてから、これほど言葉が届かない夜はなかった。


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