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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第21章

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第91話 本当はお優しい方だと存じております

今回は、最初の短編の設定に少しだけ戻ったお話です。


このお話には、もともと「転生者」や「本の中の世界」という設定がありました。ところが話が複雑になりすぎたので、本編では早めに畳んでしまっています。


その設定を使ってみたくなり書きました。本編とのつながりはあまり気にせず、温かい目で読んでいただけましたら幸いです。

 詩というものは、たいてい長すぎる。


 サン=ロラン侯爵夫人の午後の集まりで、若い伯爵令嬢がその日4つ目の詩を読み上げていた。春の小川がどうの、去った恋がどうのと、同じ言葉を言い換えて並べただけの12行。


 読み手の心は、朗読のあいだじゅう、ひとつのことしか言っていない。


 ――褒めて。誰か、褒めて。


 最後の一行が終わり、まばらな拍手が起きる。ヴィオレッタ・ド・アルヴェールは、扇を閉じた。


「ひとつ、お尋ねしてもよろしくて?」


「は、はい。ヴィオレッタ様」


「その小川、何度流れれば気が済みますの?」


 広間の空気が、薄い氷のように張る。


「4行目で流れて、7行目でも流れて、11行目でまた流れておりましたわ。よほど水の多い土地でお育ちになったのね」


 誰も笑わない。笑えば次は自分の番だと、全員が知っている。けれど心の中では、何人もが吹き出していた。ヴィオレッタにはそれが、くぐもった笑い声の重なりとして聞こえる。


 詩を読んだ令嬢の顔が、首まで赤く染まった。心の色は、それよりもっと濃い。恥と、怒りと、涙になる手前の熱。


 いい色、とヴィオレッタは思う。褒められたい一心で書いたものを笑われた人間は、取り繕う余裕もなく、まっすぐに傷つく。


「わたくし、退屈でしたの。それだけですわ」


 そう言って扇を開きかけたとき、広間の後ろから、ひどく場違いな声が届いた。


 ――出た、ヴィオ様の毒舌。はー、生で聞けた。


 扇を開く手が、途中で止まる。


 ――でも分かる。あれ、わざとだよね。あの子の詩、たぶん誰かの借り物で、人前で恥をかく前に止めてあげたんだ。原作でもそういう解釈あったもん。ヴィオ様は、本当は優しいから。


 平たい声。


 この国の言葉ではある。意味もちゃんと通る。ただ、抑揚がどこにも引っかからない。聞き覚えのある響きに、ヴィオレッタは視線だけを動かした。


 かつての聖女と同じ響きだ。別の国、別の時代から流れ込んできた者の声。


 声の主は、窓際の卓にいた。蜂蜜色の髪を緩く編み、丸い目をした令嬢。ラフォン伯爵家の三女、ジュスティーヌ。去年の春に重い熱を出し、しばらく人前に出ていなかったと聞く。


 ヴィオレッタは、その娘の心の色を視た。


 淡い金。ところどころに、春の花のような桃色が混じっている。


 それきりだった。


 どれほど覗いても、下に何もない。慈愛の下の嫌悪も、敬意の下の打算も、祈りの下の金勘定もない。人の心には必ず二層目がある。表に出す色と、沈めた色。生まれてこのかた、ヴィオレッタはその例外を一人も見たことがなかった。


 この娘は、自分に何も求めていない。値札がひとつも下がっていない。


 ヴィオレッタは、ゆっくりと扇を開く。


   ◇


 集まりがはねたあと、回廊で呼び止める声がある。ジュスティーヌだ。


「ヴィオレッタ様。先ほどのお言葉、とても……お優しかったです」


「優しくした覚えはございませんわ」


 ヴィオレッタは足を止めずに答えた。


「退屈だったから申し上げたの。それ以上の理由はなくてよ」


「はい。存じております」


 ジュスティーヌは、にこにこと隣を歩いてくる。


 ――照れてる。ツンの角度が原作どおり。解釈一致すぎる。


 意味の分からない言葉が半分ほど混じっていたが、言わんとすることは分かった。この娘は、ヴィオレッタが口にしたことを一言も信じていない。


「ジュスティーヌ様」


「はい!」


「わたくし、あなたのことを存じ上げませんの。お話しするのも今日が初めてですわね」


「はい。でも、わたくしはヴィオレッタ様のことを、少しだけ存じております」


 ジュスティーヌは胸の前で両手を組んだ。


「本当はお優しい方だと、存じております」


 ヴィオレッタは、返す言葉を探した。そんなことは、もう何年もなかった。


 嘘ではないのだ。この娘は本気でそう思っている。心の色と口の言葉に、髪一筋のずれもない。偽りなら笑い飛ばせる。けれど、ずれのない思い違いを前にすると、笑う足場がどこにもなかった。


「それは、ずいぶんと見る目のないことですわね」


 それだけ言って、ヴィオレッタは回廊を曲がった。背中で、金色の声が弾んでいる。


 ――うん、知ってる。最初はみんなにそう言うんだよね。大丈夫。私が、ちゃんと救ってあげるから。


   ◇


 それから半月ほどで、妙な噂が王都を歩き始めた。


「近ごろ、お嬢様が施療院に寄進をなさっている、という話がございます」


 鏡台の前で髪を梳きながら、マリアンヌが言った。


 侍女の顔は鏡の中で伏せられていて、櫛を動かす手には迷いがない。この娘を侍女にしてから、ヴィオレッタの髪が乱れたまま朝食の席に着いた日は一度もない。


 そして心も、いつもどおり。


 ――お嬢様が寄進。笑わせる。


「していないわ」


「存じております」


「ずいぶん早く答えるのね」


「お嬢様がそのようなことをなさる方なら、わたくしはここにおりません」


 ヴィオレッタは鏡越しに侍女を見る。マリアンヌは目を合わせない。心の色は、相変わらず冷えた水色。主を好いていない色だ。礼儀の下に沈めてはあるが、沈め方がひどく浅く、上からでも透けて見える。


 この娘のそういうところを、ヴィオレッタは気に入っている。


「出どころは」


「ラフォン家のお嬢様だと伺っております。あちこちの茶会で、お嬢様は人目につかぬところで善行を積んでおられる、と。……孤児院に毛布を贈っておられる、というお話もございました」


「毛布」


「はい。冬の前に、300枚」


 ヴィオレッタは目を閉じた。


 わたくしは嘘をつかない。それは、自分で決めたことだ。


 けれど、わたくしについての嘘を他人がつくことまでは、止めようがない。わたくしの名前をかぶった善行が、わたくしの知らないところで、勝手に歩き回っている。


 毛布、300枚。


「不愉快だわ」


「左様でございますか」


「ええ。ひどく」


 マリアンヌの手が、一瞬だけ止まった。


 ――お嬢様が、本気で腹を立てている。珍しい。


   ◇


 ジュスティーヌがアルヴェール家の屋敷を訪ねてきたのは、その3日後のことだった。


 手には、リボンをかけた籠。焼き菓子を自分で焼いたのだという。伯爵家の令嬢が台所に立つ話など聞いたこともないが、心の声を聞くかぎり、どうやら本当らしい。


 ――ヴィオ様、甘いもの好きなんだよね。設定資料に書いてあった。


 好きではない。


 応接の間に通す途中、扉の前でマリアンヌが一礼した。


 その瞬間、ジュスティーヌの足が止まった。


 金色の心に、初めて、細い冷たさが走る。


 ――マリアンヌ。


 ――やっぱりいる。原作で、断罪の場で最後にヴィオ様を売る子。


 ――ヴィオ様が本当に救われる隠しルートは、この子をそばから遠ざけないと開かない。


 ヴィオレッタは、その色の動きを最後まで見ている。


 冷たさは、すぐに消えていく。迷いも、ためらいも、後ろめたさも浮かばない。ひとりの人間を主のそばから追い払うと決めたあとでも、ジュスティーヌの心は、春の花のような桃色のままだった。


 ――大丈夫。マリアンヌにとっても、そのほうが幸せだよね。


「ヴィオレッタ様、お菓子、お口に合うといいのですけれど」


「ええ」


 ヴィオレッタは微笑んだ。


 この娘は、なにひとつ悪いことをしていないと信じたまま、人を踏む。そういう種類の人間を、彼女はまだ一度も相手にしたことがない。


 悪意のある人間なら、損をさせれば止まる。


 では、善意の人間は、何をされれば止まるのだろう。

お読みいただき、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
ちょっと転生者〜、何ヴィオ様からマリアンヌを取り上げようとしてんのよ〜!
( ゜∀゜)o彡°おおぅ、こりゃヴィオ様が嫌いそうな少女やな
( ゜∀゜)o彡° 毎日素敵な物語をありがとうございます
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