番外編 余白の多い本でございました 〜侍女マリアンヌの手記〜
お嬢様は、夜な夜な本をお読みになります。
難しい本ではございません。王都の貸本屋で借りてくる、薄くて安い恋愛小説。借りにいくのも返しにいくのも、わたくしの役目です。
寝台の灯りが消えるのは、たいてい真夜中を過ぎてから。翌朝のお嬢様がいつもより少しだけ不機嫌なら、前の晩の本が面白かったのでございます。
安い本に夜更かしをさせられたのが、お気に召さないのでしょう
◇
この冬、王都でいちばん借りられているのは、『春告げ鳥は、王子の窓辺で』という本でした。
男爵家の娘ミレイユが王太子殿下に見初められ、意地の悪い公爵令嬢イヴォンヌにさんざんいじめられたあげく、最後に幸せになる。そういうお話です。
借りるときから、嫌な予感はいたしておりました。
イヴォンヌは王太子殿下の婚約者で、扇で口もとを隠して笑い、紅茶がぬるいと言ってはその日のうちに侍女を下げてしまう。
どう読んでも、お嬢様でございます。
紅茶のくだりまで入っているのですから、書いた者は、よほどこの家の噂に詳しいのでしょう。
◇
困ったのは、返す朝のことです。
表紙を拭いておこうとして、何気なく頁をめくりましたら、余白に字がございました。細いペンの、几帳面な字。見間違えようがありません。
四章、イヴォンヌが王太子殿下の前でミレイユの悪口をでっちあげる場面の横に、こう書いてございます。
この女は、ここで嘘をつくから負けるのです。
ほかにも、いくつか。
ここで泣くのは下策。
扇は、そう使いません。
この紅茶は、ぬるくございません。熱すぎるのです。
◇
「お嬢様。本に、書き込みが」
「ございますわね」
「貸本屋の本でございます。弁償になります」
「払っておきなさい」
それで、おしまい。払うのは公爵家のお金で、頭を下げるのはわたくしです。
◇
貸本屋のブノワは、頁を一枚ずつめくって、長いこと黙っておりました。
それから、弁償の額を半分にしてくれたのです。
「この版元は、紙を惜しまないもんでね。余白の多い本なんですよ。余白が多いと、書きたくなるお客がいる」
書き込みのある本は、たいてい売り物になりません。それなのに、ブノワはその一冊を、棚の奥ではなく、いちばん手前に戻しておりました。
◇
ラフォン伯爵夫人の茶会に呼ばれたのは、その月の末でございます。
席が温まったころ、伯爵夫人が扇を半ばまで開いて、こう仰いました。
「ヴィオレッタ様は、近ごろ何をお読みになりますの」
卓のまわりで、扇がいっせいに止まります。
皆さま、あの本をご存じなのです。題を言えば、自分を笑う本を夜な夜な読んでいる女になる。別の題を言えば嘘になる。
お嬢様は、嘘をおつきになりません。
壁際で、わたくしは盆の縁を握りしめておりました。
◇
「『春告げ鳥は、王子の窓辺で』ですわ」
客間が、しんといたしました。
「まあ。あの、悪役のご令嬢が出てくる……。お気を悪くなさいませんでしたの」
「いいえ。よく似ておりますもの」
伯爵夫人の扇が、そこで止まる。
「負けるところのほかは」
「……負けるところ」
「あの女は、四章で嘘をつきますでしょう。あれで負けますの。わたくしなら、あそこでは嘘をつきませんわ」
お嬢様は、茶碗をお取りになって、ひと口だけ召し上がる。
「それと、伯爵夫人。こちらの紅茶は、熱すぎますわね」
伯爵夫人の扇は、帰りの馬車が出るまで、一度も開きませんでした。
◇
あとで知ったことを、書いておきます。
ラフォン伯爵家の末のお嬢様は、筆名で本を書いておいでです。原稿を版元へ届けるのは、あの家の従僕。その従僕と、うちの厨の下働きが同じ村の出でございました。
茶会の翌週、その従僕がブノワの店に来て、こう申したそうです。
「書き込みのあるほうを」
◇
春になって、二巻目が出ました。
イヴォンヌは、もう嘘をつきません。嘘をつかないまま、意地悪のかぎりを尽くし、最後にはやはり負けます。負けますが、ミレイユより人気が出てしまいました。貸本屋の帳面には、二巻目の順番待ちが十何人と並んでいるそうです。
お嬢様は二晩でお読みになって、翌朝は、ずいぶん不機嫌でいらっしゃいました。
返す前に、頁を全部めくっております。
余白は、白いままでございました。
「二巻目は、いかがでございましたか」
「イヴォンヌが、よく書けておりましたわ」
「……ミレイユは」
「存じませんわ。そちらは読んでおりませんもの」
ミレイユが出てくる頁は、半分を越えております。それを全部飛ばして、二晩かかったのでございます。
書いた方がこれを聞いたら、どんな顔をなさるでしょう。わたくしは、それを書いた方に伝える口を持っておりません。
◇
最後に、ひとつだけ。
一巻目は、わたくしが買い取りました。
お嬢様の字が、王都じゅうのお客の手から手へ渡るのは、侍女として見過ごせません。そう申しましたら、ブノワは笑って、弁償の残り半分と同じ額で譲ってくれました。お給金から出しております。
その晩、わたくしははじめて、あの本を頭から読みました。
◇
七章に、ミレイユの侍女が出てまいります。
井戸端でうっかり主人の秘密を喋ってしまい、それがイヴォンヌの耳に入る。いじめの半分は、この侍女の口から始まっております。
その頁の余白に、一行だけ。
この侍女は口が軽い。うちのとは違います。
◇
本は、寝台の下の箱にしまってございます。
お嬢様には、申し上げておりません。
口の軽い侍女ではございませんので。
お読みいただき、ありがとうございました!
皆様にお願いです
ブックマークや下の【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】に
応援していただけますと励みになります! よろしくお願いいたします(^^♪




