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悪役令嬢は、嘘だけはつかない ~悪気はございませんの~  作者: 桜野結
第20章

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第90話 申し上げたことは、ございませんわね


 ソランジュが、卓の端からこちらを見ていた。


 何か言いたそうな顔である。礼を言いたいのか、詫びたいのか、娘自身にも分かっていない。


 ヴィオレッタは、娘のほうを見なかった。首飾りが質から戻るわけではない。止まった縁談が動き出すわけでもない。そこまで面倒を見るつもりは、はじめからなかった。


   ◇


 茶会が果てて広間を出るとき、ボワシエ男爵夫人が、廊下の端で頭を下げた。


 娘の肩を抱いている。頭を下げたまま、何も言わない。男爵夫人の内側には、質屋の帳場と、縁談の相手の家の門が、かわるがわる浮かんでいた。


 ヴィオレッタは、会釈も返さずに通り過ぎた。


   ◇


 玄関の手前で、シャトラン侯爵夫人に呼び止められた。


「公爵令嬢様。雷のこと、本当でしたのね」


「本当ですわ」


「わたくし、ファビアンは今日かぎりにいたします。ほかの皆様も、きっとそうなさるでしょう」


   ◇


「ファビアンは、口の堅い男ですわ」


 侯爵夫人が、扇の手を止めた。


「では、どなたが」


「存じませんわ」


 本当のことである。誰なのかは、まだ知らない。知っているのは、主ではないということだけであった。


   ◇


 侯爵夫人は、しばらくヴィオレッタの顔を見ていた。それから、ゆっくりと扇を開いた。


「公爵令嬢様がそう仰るなら、そうなのでしょうね。嘘をおつきにならない方ですもの」


 内側で、侯爵夫人は少しだけ悔しがっている。悪女の言うことを、王都でいちばん確かな言葉として扱わなければならないのが。


   ◇


 二日後、ファビアンが屋敷へ来た。


 ひとりであった。籠を抱えた弟子の娘は、いない。


 長い指が、帽子のつばを握りしめている。茶会から二日で、髪結いの頬は少しこけて見えた。


「この二日で、お屋敷を七つ、断られました」


「でしょうね」


   ◇


「シャトラン侯爵家の執事から、茶会のことを伺いました。それで、店の者をひとりずつ呼んで、訊きました」


 髪結いが、深く頭を下げる。


「ルイーズは、暇を出しました。ドゥラージュ伯爵家の侍女に、話をひとつ売るごとに銀貨を一枚もらっていたと申しました。ピンを渡しながら、ずっと聞いていたのだと」


   ◇


 ヴィオレッタは、あの日の娘の内側を思い出していた。


 ピンの順番と、窓の外の雲。あの娘は、雲を見ていたのである。主人の客が、何を気にしているのかを。


   ◇


 内側に、それ以外のものは浮かんでいなかった。


 悪いことをしていると思っている者は、口と内側がずれる。ずれれば、色が立つ。けれども、あの娘にはずれがなかった。聞いて、覚えて、売る。娘にとって、それはピンを順に渡すのと同じ、手の仕事だったのである。


 ヴィオレッタの目は、ずれを見る目である。ずれのない者が何を売っているかまでは、見分けられない。


 だから、三軒にひとつずつ、本当のことを置いたのであった。


   ◇


「その娘、どこへやりましたの」


「田舎へ帰しました。銀貨は、残っていたぶんを全部取り上げて、ボワシエ男爵家へ届けました。首飾りが戻るほどの額では、ございませんでしたが」


 ヴィオレッタは、何も言わなかった。届けたのは髪結いの勝手である。止めることも、褒めることもない。


   ◇


 ヴィオレッタは、鏡台の前に座った。


「では、このあいだの続きを、結ってくださいな」


 ファビアンが、顔を上げる。


「お嬢様。あの日、途中でお帰しになったのは」


   ◇


「ひと筋、引っぱりましたでしょう」


「……はい」


「それだけですわ」


 髪結いは、しばらく黙っていた。それから、櫛を取り出した。


 今度は、ひと筋も引っぱらない。


   ◇


 結いながら、ファビアンがぽつりと言った。


「あの日、ルイーズがピンを一本、渡し違えました」


「そう」


「雷のお話のときでございます。鼈甲を出すところで、銀を出しました。わたくしの指が、それで迷いました。あの娘が順を違えたのは、あれが初めてでございました」


 ヴィオレッタは、鏡の中で、髪結いの手を見ていた。


 ピンの順番を一度も違えたことのない娘が、あのときだけ違えたのである。雷の話に、耳を取られたのであろう。これは売れる、と手より先に耳が知った。


「それでも、ひと筋はひと筋ですわ」


「はい。わたくしの手でございますから」


   ◇


 結い終わると、ファビアンは鏡の中のヴィオレッタに向かって言った。


「来週も、お呼びいただけますか」


「呼びますわ。王都でいちばん腕のいい髪結いですもの」


 ヴィオレッタは、仕上がった髪に指をあてた。


「ほかの家が呼ばないのなら、わたくしの好きな日に、好きなだけ来られますわね」


   ◇


 髪結いは、何か言いかけて、やめた。


 内側で、ありがたいのか、ありがたくないのか、決めかねている。決めかねたまま、深く頭を下げて帰っていく。籠は、自分で抱えていた。


   ◇


 ドゥラージュ伯爵家への招きは、その月のうちに、ひとつもなくなった。


 払いの早かった三軒の店も、夫人の注文を受けなくなったという。マダム・オードランは、伯爵夫人のために取り置いていた紺の布地を、棚から下ろしたと聞く。ルグランの老人は、伯爵家から届いた手紙を、封も切らずに返したらしい。


   ◇


 ファビアンを断った家は、ひと月もしないうちに、ひとつ、またひとつと戻ってきたという。王都に、あれより腕のいい髪結いはいないのである。ヴィオレッタの好きな日は、少しずつ取りにくくなった。


   ◇


 ベルナールの話では、伯爵家は持参金の残りも、もう使い切ってある。


 色をつけて払う金は、どこからも出てこない。払いのいちばん早かった家は、半月で、王都でいちばん払いの遅い家になった。


「銀器を、もう一揃い手放されるそうでございます」


「そう」


 ヴィオレッタは、それ以上は訊かなかった。袖口に匙の形が浮いていたと、誰かが言いはじめるころであろう。


   ◇


 月の終わりに、ボワシエ男爵家から書状が届いた。


 差出人は、ソランジュである。ヴィオレッタは封を切らずに、盆に戻した。


「お読みにならないのですか」


「礼か、詫びでしょう。どちらでも、わたくしのすることは変わりませんもの」


 マリアンヌは、黙って書状を引き出しにしまった。捨てなさい、とは言われていない。


   ◇


 その晩、雷が鳴った。


 窓が白く光る。ヴィオレッタは、寝台の上で目をあけたまま、数えはじめた。ひとつ、ふたつ、みっつ。


 扉が、そっとあいた。


「お嬢様」


 マリアンヌが、燭台を持って立っていた。


   ◇


「眠れないのでございましょう」


「申し上げたことは、ございませんわね」


「存じております」


 侍女は、寝台の脇の椅子に腰を下ろした。燭台を、窓から遠い卓に置く。それきり、何も言わない。


 窓が、また光った。ヴィオレッタは、もう数えなかった。


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公正な人だな。ヴィオレッタ様。
( ゜∀゜)o彡°(/_;)
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