致死量のシロップ『溺愛』で溺死したい
珍しく早めに仕事が片付き、今日は良い気分だ。
せっかくだ、ちょっと贅沢してみるのも良いかもしれない。
なんて目論見を立てながら、駅のホームで帰りの電車を待っていると、一組のカップルが目についた。
恥というものが無いのだろうか。
人目を気にせず密着し、イチャイチャしている。
……憎い。
先ほどまでのささやかな幸福感が、サラサラと消え去っていき、代わりに心の中に湧き上がってくるのは嫉妬と憎悪。
リア充は爆発しろ!
結局、野生カップルの不意打ち精神汚染を受けた私は、まっすぐ帰宅することにしたのだった。
普段よりも早く帰宅できた我が家にて、荒んだ私の心と指は、いつにも増してジャンクを求めていた。
ああ、愛が欲しい。
この独り身の冷え切った心と身体をすべて包み込んでくれるような、圧倒的な『甘さ(糖分)』が欲しい。
ウェブ小説界隈にて、恐るべき質量を持って君臨する巨大な潮流。
それが『悪役令嬢』や『シンデレラ』の皮を被った、純度100%の『溺愛モノ』だ。
そこでは、冷徹無比と恐れられる氷の公爵や、誰にも心を開かない孤高の騎士様が、なぜかヒロイン(=つまり読者)の前に出た瞬間に、恋に盲目な忠犬へと変貌する。
「君の髪一筋さえ、他人に触れさせたくない」
「世界を敵に回しても、私は君の味方だ」
ヒロインがどれだけ地味で、どれだけ不器用で、どれだけ失敗を繰り返そうとも、彼らはそのすべてを「愛らしい」と全肯定し、息が詰まるほどの重い愛で包み込む。
――これは、『ガムシロップ』大量のフローズンドリンクだ。
インスリンショックを起こして卒倒しかねないほどの、過剰なまでの糖分。
かつて私は、男性向けの「何もしなくても美少女たちが勝手に群がってくるハーレム小説」を見て、「安易だな」と鼻で笑っていた。
だが、女性向けの『溺愛』も、構造的なエグさは完全に同等、いや下手をすればそれ以上だ。
主人公は愛されるための努力をほとんどしない。
ただ「そこに存在しているだけ」で、ハイスペックな男たちから無条件の、そして全財産を投げ打つような全肯定の愛を浴びせかけられるのだから。
割り切れない恋の機微も、複雑な心の綾もありはしない。
あるのは「無条件で、無制限に、私のすべてを全肯定して愛してほしい」という、大人の皮を被った私たちが抱える、極限まで肥大化した『愛されたい欲求』という名の自己愛の塊だ。
現実を生きる私たちは、いつだって条件付きの愛の檻の中にいる。
成果を出さなければ会社に愛されず、愛想よく振る舞わなければ友人に愛されず、まともな人間でいなければ誰からもパートナーとして選ばれない。
大人の世界における愛とは、常に等価交換の取引であり、値札のついた商品だ。
ありのままの自分を差し出せば、待っているのは拒絶と無関心だけ。
私たちは日々、誰かにとっての都合の良い存在を演じることで、辛うじて居場所を確保している。
だからこそ、この致死量のシロップが、愛に飢えた私たちを狂わせる。
自分が何者でなくても、どれだけ傷ついていても、どれだけ惨めでも、文字の向こうの彼は「君が君だから愛している」と囁いてくれる。
その甘言を網膜から流し込んでいるときだけ、傷だらけで誰からも必要とされない自意識が、世界で一番甘やかされたお姫様になれるのだ。
「胸がぽかぽかする……。これが……心……? 愛の……温もり……?」
これは恋愛小説を読んでるのではない。
日常の中で『無条件の愛』を摂取する機会を失った大人が、それを受け取らなければ明日を生きられないからこそ貪るように飲み干すのだ。
しかし、この『溺愛』を飲み干した後に訪れるのは、最悪の現実だ。
時計の針が12時を過ぎれば魔法は解け、薄暗い部屋の中に、現実の私が一人孤独にぽつんと取り残される。
誰の特別でもなく、誰からも愛を向けられることのない、ただの労働者。
寝て起きたら、誰の記憶にも残らない有象無象の一人として、また満員電車に詰め込まれる。
作中で世界の半分を差し出してくれた魔王様も、現実の家賃には1円の足しにもならない。
「……こんなのリアルじゃない」
自嘲の言葉が、乾いた唇から零れ落ちる。
それでも、私の指は『激重ヤンデレ公爵』のページを無意識に開き、スクロールしている。
現実から目を背けているだけなのは、わかっている。
だが、せめて物語の中だけでも、愛に溺れていたいのだ。
※この作品はAIちゃんとの共同作品です。




