『異世界通販』という名の、思考停止スローライフ
突発的な業務に追われ、いつもよりもはるかに遅い時間帯の電車に揺られて、ようやくの帰宅。
……疲れた。
もはや何の感情も沸かない。
ただただ、何も考えたくない。動きたくない。
呼吸すら誰かに代行してほしい。
そんな限界の夜。
私の指が辿り着くのは、怒り(ざまぁ)でも、承認欲求(内政無双)でもない、徹底的にアクティビティを排した究極のユートピアだ。
それが『異世界通販』あるいは『現代文明チート』と呼ばれるジャンルである。
主人公は剣も魔法も磨かない。
それどころか、戦うことすら拒否して『スローライフ』を決め込む。
彼が持つ唯一の力は、異世界にいながら現代日本のネット通販やインフラと繋がれるという、ただそれだけの能力だ。
段ボールから取り出したレトルトカレーを温めて出し、サランラップや100均の包丁を現地人に渡す。
すると、異世界の住人たちは目を剥いて驚愕するのだ。
「な、なんだこの美味な料理は!」「この透明な膜は神の道具か!?」
主人公はただボタンをポチッと押しただけなのに、至高の賢者か聖者のように崇め奉られる。
――これは、ベッドから一歩も出ずに食べる『デリバリーピザ』だ。
割り箸を割るのすら面倒で、そのまま豪快に手で食べられれる究極のずぼら飯である。
このジャンルが内包する最大の歪みであり、同時に最高の蜜の味は、主人公が血の滲むような”努力を一切していない”という点にある。
彼らが異世界でドヤ顔で披露しているのは、彼ら自身の才能でも努力の結晶でもない。
日本の先人たちが血汗流して積み上げてきた現代インフラという名の、いわば親の資産だ。
主人公はその恩恵をただ横流しし、安全圏からマージン(極上の称賛)だけを回収している。
文学的なカタルシス? あるわけがない。
ここにあるのは『努力もリスクも背負いたくない。だけど、誰よりも楽して全肯定され、ちやほやされたい』という、現代人の極限まで肥大化した、甘やかでドロドロとした怠惰のツボだ。
現実を生きる私たちは、何かを得るために、常に過剰なリスクと努力を求められている。
資格を取るために睡眠時間を削り、業績を上げるために身を粉にして働き、人間関係を円滑にするために神経をすり減らす。
何か一つ成果を出すだけでも、コストがかかりすぎるのがこの現実世界だ。
もう、頑張るためのエネルギーの在庫が残っていない。
だからこそ、この思考停止のスローライフが、疲れ切った脳に信じられないほど優しく染み渡る。
何のリスクも背負わず、ただ現代の既製品を並べるだけで、可愛い獣耳の少女や高潔なエルフが「すごいです!」と涙を流して感謝してくれる世界。
そこには、主人公の行動を批判する者も、理不尽なノルマを課してくる上司も存在しない。
このぬるま湯のような快感は、自立を諦め、すべてを甘やかされた幼児退行の多幸感に近い。
文字の形をした宅配ずぼら飯が、疲れ果てた脳のしわをアイロンがけするように伸ばしていく。
しかし、食べ終わった後の箱(容器)をゴミ箱に捨てる瞬間に、襲い掛かる後悔や罪悪感と同じように。
「……これ何が面白いの?」
読了後の闇の中で、私は我に返る。
そこにいるのは、他人が作った文明の利器を横流しする主人公に自分を重ね合わせ、寝転がったまま「楽して人生逆転できないかな」と妄想しているだけの、底辺の消費者だ。
明日になればまた、1を成し遂げるために100の努力を搾り取られる現実が待っている。
明日は絶対に自炊する……と絶対に守られない決意を胸に、私の指は『次の話へ』をタップしている。
面白いか、面白くないか、など些細なことだ。
今日だけは、何も考えずただ物語を流し見したい(もはや読んでいるのかも疑わしい)。
自力ではもう立ち上がることもできないディストピアで、明日も消費されるために、ズボラに今日を消費していく。
※この作品はAIちゃんとの共同作品です。




