マヨネーズ直飲み系『ざまぁ』の誘惑
今夜も私は、青白い光の中でジャンクの海を泳いでいる。
総合ランキングのトップを寡占するそれらの作品には、一つの様式美がある。
追放や婚約破棄の後に、スカッと反撃する。
俗に言う『ざまぁ』と呼ばれるジャンルだ。
構成は至ってシンプル。
開始数ページで、主人公は長年尽くしてきたパーティーや組織から不条理に切り捨てられる。
「お前のような無能は我がギルドに不要だ」と。
そして数話後には、実は隠されたチート能力を持っていた主人公が圧倒的な無双を演じ、自分を捨てた悪役たちを社会的・物理的に文字通り”破滅”させる。(あるいは、勝手に落ちぶれていく)
この一連の流れを、ウェブ小説界隈では親しみを込めて『ざまぁ』と呼ぶ。
――これは、小説の形をした『マヨネーズの直飲み』だ。
文学を嗜む人間なら、眉をひそめて目を背けるだろう。
あまりにも下品で、安易で、倫理的な栄養価はマイナス。
だが、一度その味を覚えた脳は、深夜の狂気の中でそのボトルを強く求めてしまう。
通常の物語におけるカタルシスとは、じっくり時間をかけて発酵させるものだ。
主人公が理不尽な苦難に耐え、己の未熟さと向き合い、血の滲むような努力の果てに、ようやく数巻かけて宿敵を打ち倒す。
それは丁寧に仕込まれた、コク深いデミグラスソースのような味わいがある。
しかし、『ざまぁ』にはそんなまどろっこしい調理工程は存在しない。
口に入れた瞬間に強烈な塩気と酸味、そして暴力的なまでの油分で脳の報酬系をダイレクトに、かつ最速で殴りつける。
そこにあるのは、純度の高い”攻撃の味”だ。
現実を生きる私たちは、日々、理不尽という名の薄味の砂を噛まされている。
会社のために尽くしても手柄は上司に奪われ、理不尽なクレーマーに頭を下げ、SNSを開けば自分より遥かに恵まれた他人のキラキラした日常が嫌でも目に入る。
私たちのプライドは、毎日少しずつ、確実にやすりで削られるように摩耗している。
だが、現実世界において『ざまぁ』を実行することは、極めて困難でリスクが高い。
むかつく上司に暴言を吐けばこちらがクビになり、嫌な同僚を陥れようとすれば自分の社会的な信用が死ぬ。
現実は、どんなにストレスを溜め込んでも、合法的な復讐の機会など早々都合よく巡ってはこないディストピアなのだ。
だからこそ、私たちは文字のボトルを傾ける。
追放された主人公が、かつて自分を虐げた者たちを冷徹に見下ろし、「もう遅い」と言い放つ瞬間。
その物語のテキストを凝視しているときだけ、私の脳内にはドバドバとチープなドーパミンが分泌される。
作中で無様に這いつくばる悪役の姿は、そのまま現実世界で私をすり減らすあいつらの身代わりとなり、最も安価に、かつ合法的に私の傷ついた自尊心を慰めてくれる。
カタルシスが、脳の血管にダイレクトに染み込んでいく。
そんな錯覚さえ覚える。
これは小説というシステムを利用した、精神の緊急麻酔だ。
症状がひどい時には、長期連載作品の『ざまぁ』パートだけを追いかける。
もはや本筋の内容などどうでもいい。
ただ求めるのは、あいつらが、いかに落ちぶれ、無様を晒し、破滅するのか。
しかし、そんな『マヨネーズを直飲み』した後の夜がどうなるか、私は知っている。
読み終えた瞬間に訪れる、あのひどく冷めた虚無感。
スマホの画面を閉じれば、暗転した液晶に映り込むのは、他人の没落を娯楽として消費し、束の間の全能感に浸っていただけの冴えない凡人の顔だ。
現実の私の立場は一ミリも好転していないし、明日になればまた、今日と同じ理不尽が待っている。
読後特有の胸焼けの感覚。
「……うわ、本当に品がないな」
そう毒づきながらも、私の指はすぐに次の『ざまぁ』を求めてスクロールを始める。
現代社会にすり減らされた夜、この強烈な麻酔無しで、どうやって明日を迎えるための正気を保てというのか。
ディストピアを生きる私たちは、架空の中で、憎いあいつらへ復讐をする他ないのだ。
※この作品はAIちゃんとの共同作品です。




