カーテンコール ロザリーと恋人の義兄、夢の終わり
リシャール=ボネの作品は評価に比べて知名度が低い。
理由はいくつかあるが、もっともよく言われているのは作品数が少ないことだろう。
活発であった作品の制作が全く止まってしまった時期があった。
彼の日記には、理由として薔薇が枯れてしまったからとだけ記されているという。
リシャールは何も描かれていないスケッチブックを前に、ただぼんやりとたたずむ。
窓の下には芳香を漂わせる赤やピンクの薔薇が揺れていた。
……薔薇は薔薇だ、でも私の薔薇じゃない。
ほんの五日ばかり、姉の家族と旅行に行っていただけなのだ。
戻ってきたら、愛する薔薇が枯れていた。
ロザリーが部屋で亡くなっていたのだ。
警察官は私と姉の家族が旅行にいっている間に、病にかかって亡くなったということだけを教えてくれた。
第一発見者ではあるけれど、表向きは隣人にすぎないリシャールへ死因まで教えてくれたのは憔悴した姿があまりにも哀れだったからだろう。
遺体は家族が引き取りを拒否したため、共同墓地へ葬られるという。
そして、部屋の私物もお金になりそうなものは家族が引き取っていったそうだが、残されているものはガラクタだからと置いていったそうなので友人で分け合うか処分してほしいとのことだった。
大家が明日には全て廃棄するとのことだったので、リシャールが引き取れるものは一旦引き取った。
家族によってガラクタと呼ばれたものは、ロザリーが大切に使い続けていたものばかりだ。
『彼女が、一体何をしたっていうんだよ……!』
家族という言葉を聞くと、彼女がいつも寂しげに笑う理由がわかったような気がした。
虚しさと哀しみが涙となってこぼれ落ち、握りしめた彼女の作品にシミをつける。
彼女の腕前はデザイナーの卵たちの間で評判だった。
レースやフリル、小物にドレスまで。
頼めば期待以上の仕上がりにしてくれる、と。
洋裁の腕前だけでなく顔立ちも容姿だって決して悪くない。
それなのになぜか彼女は目立つことを恐れて地味に装い、極度に人目を怖がりながら暮らしていた。
そんな彼女の姿が目に留まったのは偶然だった。
窓際に立つ姿が想像以上に美しかったからだ。
まるでキャンバスに描かれた一枚の絵画のようだと思った。
咲いているだけで人を惹きつける、これこそ薔薇だ。
彼女の内面から漂う色香と滲み出る気品がそれを思わせる。
家族は陰気だと彼女の容姿と性格を嫌ったそうだが見た目の華やかさだけが美ではない。
隠されたものこそ描き出す価値がある。
リシャールは彼女を中心に置き、彼女の内側に咲く美をイメージして薔薇を描いた。
面白いように筆が進んで、いくつもの新たな作品が生まれる。
そして季節の移り変わりと共に彼女との親密さが増し、できあがった作品のうちから特に気に入ったものをロザリーに贈るようになった。
リシャールの贈ったティーカップは隠すように置かれていたから家族による略奪を免れたらしい。
一つ一つが彼女の作品であるパッチワークの台座の上に置かれ、まるで宝石のように輝いている。
それを見て、さらに涙がこぼれた。
彼女が、いかに自分を大切に思っていてくれたのかがわかったからだ。
……せめて婚約でもしていたら彼女を自分の手で葬ってあげられたのに。
この国のルールでは、友人の立場で遺体を引き取ることは許されていなかった。
悲しみに暮れるリシャールの部屋の扉が、突然、激しく打ち鳴らされる。
驚いたリシャールが扉を開けると、そこには先日別れたばかりの義兄が真っ青な顔色をして立っていた。
『セルジュ義兄さん、どうしたの?』
『先日の女性は、どこにいるんだ!』
『女性って、誰のこと?』
『リシャールの恋人だって言っていた、あの女性のことだよ!』
ロザリーのこと?
なぜセルジュ義兄さんがロザリーに会いに来るのか。
しかも帰国したはずなのに、どうしてわざわざ戻ってきた?
『姉さんやサリーたちはどうしたの?』
『彼女たちは関係ない!』
『は? 何言ってんだ、自分の妻と娘だろう⁉︎』
『なんでリシャールの部屋に彼女がいたんだ⁉︎ どうして彼女がリシャールを選ぶ? だって、彼女は俺の……俺のものなのに!』
何一つ言っていることの意味がわからなかった。
そのうえ、どういうわけか義兄のこちらを見る目に憎しみがあふれている。
普段のセルジュ義兄さんは落ち着いた雰囲気の穏やかな人だというのに、どうしたのだろう?
まるで狂わされたかのようにロザリーを求めている。
獲物を奪われまいとする獣のようじゃないか……何者かが取り憑いたような姿に背筋を悪寒が走った。
『ちょ、ちょっと落ち着いて! 何言ってるかわからないよ!』
『まさか、彼女を隠す気か?』
『違うよ、そうじゃない! そうではなくて……今更どれだけ求めても、彼女はもういないんだ!』
『バレるような嘘をつくな!』
リシャールは義兄の手で派手に突き飛ばされる。
壁にぶつかった勢いで、その場に崩れ落ちた。
彼の頬に、涙が伝う。
感じる体の痛みすら、今の彼には虚しい。
『ロザリーは亡くなったよ』
どれだけ求めても、もう遅いのだ。
誰よりも近くにいたはずのリシャールですら助けられなかったのだから。
呆気に取られた顔の義兄と視線が合う。
憔悴しきったリシャールの表情にようやく気がついたようだ。
『……そんな、なぜだ?』
『病気にかかったらしい。誰も看取ることなく、そのまま一人で……信じられないのなら、大家さんに聞いてみれば? 彼女はもういないと答えてくれるよ』
そう、薔薇は散ってしまったのだ。
どうやら嘘ではないらしいと理解できた義兄は立ち尽くす。
『隣の部屋が、彼女の部屋だった。今から行ってみればいい、誰もいないから』
『……ようやく見つけたというのに。どうして、今まで出会わなかった? ……ゾーイの、あの女のせいか?』
『セルジュ義兄さん? ゾーイ姉さんと喧嘩でもしたの?』
また間に合わなかった。
渦巻くような激しい怒りと哀しみ。
受け入れがたいとする拒絶反応によって画面に亀裂が入る。
バキン!
夢が砕け散る衝撃に巻き込まれて、ぐらりと視界が揺れた。
意識が、過去の世界から弾かれる。
ここまでみたいね。
冷静な思考とは裏腹に、呼吸が大きく乱れる。
全身が勢いよく海面に叩きつけられたような衝撃を受けて……レジーは目覚めた。
「……っ、はっ!」
「大丈夫か、レジー!」
大きく息を吐き出して跳ね起きると、青い顔をしたレイ姉さんが身を乗り出す。
ベッドの背もたれに枕を立ててくれたので寄りかかると、ほっと息を吐いた。
「うん、大丈夫よ。心配かけてごめんなさい、最後に弾かれてしまったの」
「手伝ってくれるのは嬉しいが、無理はしないでくれ。過去を遡るのはリスクが高いのだろう?」
姉はこの力を使いすぎると過去の記憶から戻れなくなると聞いているから心配するのだ。
レジーは自分なりに肉体と精神の状況を把握する。
何百通りもの世界を遡ってもレジーは、今まで一度も戻れないと思ったことはなかった。
混じるもののない自分の力は、一切の無駄を排除し、危険を感じさせない。
唯一の危険は、さっきのように拒絶されたら弾かれるくらいだ。
ただ、こういうときは特に優しい姉に甘えたくて、無言のままに添えられる手へと頬を寄せた。
「それで、何か見えたのかい?」
「ええ」
先ほど見た夢の詳細を語る。
発端であるクラウスに起きた出来事。
そこから二人目の護衛騎士、三人目の侯爵子息そして四人目は恋人の義兄へと繋がる魂の道すじをたどった。
イライザの死を起点として過去をたどったことになる。
これが純粋な血の恩恵を受けたレジーの隠された力だ。
四人目である義兄の状況をレジーから聞いたレイは天を仰いだ。
「完全に捻れているじゃないか。今世で呪いが解かれたイライザは運がよかったとしか言いようがないな。ひとつ前の状況から判断して、今世が解呪できる最後の機会だった」
言霊の呪いによって、世界はゆるやかに捻れて狂っていく。
捻れた先の世界では、場合によって彼女だけでなく周囲の人間も巻き添えになって死んでいたかもしれない。
誰もが運命に翻弄されていると気づきながら目には見えない、それこそが言霊の力の怖さでもあった。
レジーも、人にとって言霊こそ最強の力だと評した姉たちの言葉がようやく理解できた気がする。
「それで、欲しい情報は得られたのかい?」
「ええ、ちゃんと皆に話すわ」
クラウス=アンダーソンの魂の行方はエレナ姉さんへ、失われた黄金の国の賢者の情報はアルスさんに。
そしてフォアメルンとシューゲルン、そしてザルツセンとカテリアの繋がりは他の姉たちへ。
「それにしても、まさかイライザに繋がる全ての人生にゾーイという名前の女性が絡んでくるとはな」
「クラウスさんのたどる道すじを歪めたのはどのゾーイなのかしら?」
「どの女性も疑わしいが、判断はつかないな」
情報が足りなかった。
レジーは、しゅんとして肩を落とす。
ベッドの端に腰を下ろしてレイはレジーの肩を優しく抱き寄せた。
「できることを精一杯がんばったことはみんな知っている。レジーが過去を見に行かなければ、クラウス=アンダーソンの魂を引き継ぐ者の周囲にゾーイという女性が存在していたことすら誰も知らなかった。大収穫だよ、ありがとう」
単純だなとは思うけれど、気分が一気に浮上する。
大好きな姉に褒められてレジーは花が咲くように微笑んだ。
「どうやらイライザの人生に干渉した魔女の血を繋ぐ者はゾーイだけではなかったらしいな」
「その情報はルーテ姉さんに話すわ。彼女達を無に還すのに使えるはずだから」
レイ達によって石にされた者の中に、魔女の血筋に生まれた娘を王家に押しつけては育てさせるという悪しき心根を持つ一族がいたのだ。
彼女たちは自分の娘に孫が産まれると、さまざまな理由をつけて王家に押し付けていた。
そして城の侍女となり、娘のかたわらに侍っては、貴重な情報や宝石などの貴金属を横流しさせていたらしい。
一族の者は魔法薬を作るのが得意だったそうで、目をつけた王に娘の存在を知らしめたのち、国に毒を撒き、薬で虫を寄せ災害を起こした。
そして王が娘を保護すると、それらの災いを魔法薬を使って解消するのだ。
自らの作るのものだけに、調整も加減もお手のもの。
そうやって災いを演出することにより、ほとんどの王は娘が神の力を持つと信じるのだという。
そして娘が大人になると、才能ある娘だけは再び手元に戻して、魔法薬の知識を学ばせ後継者として育てるのだ。
ちなみに愚かな娘を王のもとに預けたままにしたのは愚かな娘なんていらないから。
黄金の国と呼ばれた聖代ヴィリデレオ国が失われた背景には彼女たちの暗躍があったようだ。
あの一族の厚かましさには姉さんたちも呆れていたから、ちょうどいい。
レジーは無垢な笑みを浮かべた。
悪いことをすると魔女が石にしてしまうよ?
おとぎ話にある魔女の鉄鎚そのままに、人を人とも思わない魔女は女王の娘達によって石にされてきた。
一度石にされてしまえば、人の体を失ってしまい、自らの口で罪を語ることができない。
ただ、読心の力を持つルーテだけが彼女たちの心の声を聞いて知ることができるのだ。
石になった彼女達の心の声を聞き、罪状を明らかにして石を浄化する。
レジーの情報は彼女たちの心の闇を紐解いてゆくのに役立つだろう。
ほっとして、深く息を吐き出した。
「ねえ、レイ姉さん」
「ん、なんだい?」
「私にも恋はできるのかな?」
「……突然どうした?」
過去と未来の両方を見ることのできるレジーは、いくつもの恋の始まりと終わりを見てきた。
望むと望まざるとに関わらず、恋を知識として知ってしまった彼女には、いつの間にか移ろいやすい恋に対する不信感が根付いていたのだ。
姉たちが、それを知れば悲しむだろう。
だから口にはしないけれど、美しい鳥籠に閉じ込められたような自分に恋は無理だと思っていた。
そんなレジーの目に、イライザの恋は鮮烈に映った。
時を超えて一人の男性を追い、ただ一人の男性に追いかけられる。
自分もそんな恋ができたら……。
心に渦をまく不信感が、渇望からくるものなのだとようやく気がついた。
でも、どうしたらいいのかわからないの。
不安にうつむいたレジーの頭を温かい手のひらが撫でる。
いつの間にかレジーの周囲には、頼り甲斐のある五人の姉が揃っていた。
「もちろんできるわよ、こんな素敵な女の子に恋をしない男はいないわ」
「エレナ姉さん……」
「なんならとっておきの媚薬もあるよー。しかも体内に残らないし、証拠も残さない優れもの!」
「ケイト、証拠はなくともそれは犯罪だ。アリア、共闘する気満々らしいが秩序の名が泣くぞ? そしてルーテ、その手に持つピラピラしたド派手な衣装はなんだ?」
「……私の本気を見せようと思って?」
「いらん、無駄に本気出すな。かわいい妹の愛らしい台詞に萌えてるのはわかるが、別にこれから狩りに行くんわけじゃないんだぞ? なんで吹っ飛んでいるはずのエレナの言葉が一番マトモに聞こえるんだろうな?」
レイは我が道を突っ走る妹たちをなだめたあと、レジーの顔を見て柔らかく目を細めた。
レジーは頭に置かれた手のひらの温度を感じるように、そっと目を閉じる。
「なあ、レジー。私が知った恋は決して甘く美しいものではなかった。苦く醜いと思うときすらあったよ」
レイは過去の自分を思い浮かべる。
彼の運のなさを嘆いたこともあった。
勇気のない自分を恨んだこともあったし、恋に溺れる女性達を羨むこともある。
それでも……。
「誓って、恋をした自分を後悔することはなかった」
レイと視線の合ったケイトが、なんとなく気まずそうな表情で視線を逸らす。
アリアが彼女の肩を優しく叩いた。
「レジーが望むなら、きっと同じように誰かを愛することができる。今度、私たちと一緒に世界を見て回ろう? 恋とまではいかなくても、新しい出会いがあるかもしれない」
「嬉しい、絶対一緒に行くわ!」
「レイ姉は、レジーにとことん甘いよねー」
「……ただし、いいなと思う男ができたらまずは私に紹介するようにな?」
「疑問なんだけどレイ姉と手合わせなんかして生きていられる人っているのかな?」
「あら、アルスは生き残ったわよ! 希望を捨ててはいけないわ!」
「いやー、あいつは規格外だからね。そこいらにホイホイ落ちてるような人ではないでしょう?」
「ならケイト、穏便にすますためにも自白剤を用意しておきましょうよ。浮気対策は万全にしなくてはね」
「ナイスだよ、アリア! 特別によく効くやつ作っておく!」
「ねえエレナ、どうしてかしら? 越えなければならない肉体と精神の壁が高すぎると思わない?」
「でもなんか面白そうだからありだと思うわよ? 旅行に行くならアルスにも声掛けようっと」
いつもと変わらず賑やかな姉たち。
男たちに囲まれて、知りたくもない未来を見せられる悪夢は終わったのだ。
こんなにも愛されて幸せだと、レジーは微笑んだ。
リシャールは、お気に入りのキャラでした。おかげで、ふわっと登場して終わったリシャールの義理のお兄さん。再登場したくせに、目立つこともなく終了。豹変前の性格は、現在のクラウス=アンダーソンに近い設定です。温厚で、なんでもそつなくこなす人。イライザの磨かれた回避能力のおかげで出会うことができず、出会ったときには時すでに遅く既婚者で、しかも彼女との甘酸っぱい記憶を取り戻してしまいます。ある意味で、一番悲劇的かも知れません。
最後に魔女たちの歓談タイムを書きました。
お楽しみいただけると嬉しいです。




