カーテンコール オフィーリアと侯爵子息②
『……クロード』
『これは、これは。アレクシス=グラナード様、お久しぶりでございます』
クロードは貴族に対する礼の姿勢をとった。
アレクシスとは同じ学院に通った同級生であり、名を呼び合い、互いの家にも足繁く通った仲だ。
それがオフィーリアとの出会いでもあり、婚約を結ぶきっかけとなった。
そんな相手の浮かべる不穏な笑顔の意味に気がつかないほど、アレクシスは恥知らずではない。
目線を下げ、体全体で謝罪の意を示す。
『すまなかった』
『謝罪は不要です、許しませんから』
クロードは、鉄壁の笑顔を保ったまま吐き捨てた。
『婚約解消にともない、拠点を国外に移す旨を伝えたら何も知らなかったようで担当者の顔が青褪めていましたよ。おかげで事情聴取のため王城に留め置かれて散々ごねられて。そのあいだに家族の誰にも看取られることなくオフィーリアは亡くなりました。どれだけ寂しく、不安であったことか……』
『……!』
『私の人生で最大の汚点は、あなたをオフィーリアに引き合わせたことです』
彼は丁寧に一礼すると、船の方角へと踵を返す。
離れようとする彼の腕をアレクシスは掴んだ。
クロードが不愉快そうな色を隠すことなく振り向いた。
『……何か?』
『それなら、せめてお礼だけでも言わせてくれ』
『……』
『取引先となる商会を一箇所だけ残しておいてくれたことに感謝している』
ありがとう、と最後にそう伝えてアレクシスは手を離した。
いくらオフィーリアの残した温情があろうと、次期モリンズ商会の会頭であるクロードの意向の前では無に等しい。
彼がその気になれば国内の商会全てに手を回し、取引しないようグラナード家を追い詰めることだってできた。
だが先ほど訪れた商会だけは、彼女の意思を遺志として引き継ぎ、取引きをしてくれると答えたのだ。
それがそのままクロードの意向なのだろう。
クロードは掴まれた手の跡をじっと見て、深くため息をついた。
『あの子の頼みだったから残した、理由はそれだけです。それでも頭を下げたら仕方なく応じてやれと言ったのですが……侯爵子息であるあなたがそうしたのですか?』
『それだけのことをした認識はあるから当然だろう』
『……そういえば昔から妙に潔いところがありましたよね、前提条件を間違えました』
クロードは、失敗したらよかったのにという表情を、あからさまに浮かべていた。
敵と認定した者には容赦ない彼の一面を垣間見て、かろうじてでも首の皮一枚が繋がったことに安堵する。
だがこれではっきりした。
フォアメルンの狙いはモリンズ商会ではなくシューゲルンという国そのもの。
グラナード家は踏み台の一つに過ぎない。
『オフィーリアからも言われていたでしょう? マーティン卿には気をつけるようにと。ご存知でしたか? あなたの婚約者であるゾーイ嬢は、マーティン卿の隠し子ですよ』
『は……そうなのか⁉︎』
『モリンズ商会の情報網をなめないでいただきたい。あんな貴族然とした容姿の人間が、何の理由もなく下町に転がっているわけがないじゃないですか。手をつけた侍女との間に生まれた娘を下男に押し付けたのです。その代わりに店の開業資金として退職金を奮発したらしいですよ? 父親のほうが娘の尻に敷かれているような歪な親子関係でしたからね、オフィーリアが調べたらしく、すぐにわかりました』
『……オフィーリアが?』
『ええ。あの子は結婚後にゾーイ嬢が妾となるかもしれないと思って身辺調査をしたそうです』
『妾⁉︎ そんな馬鹿なことがあるか!』
『グラナード様には馬鹿げたことであってもオフィーリアにはそう見えていたということですよ。あなたは他人の視線に無頓着すぎる。だから足元をすくわれたのです』
どこまでも冷ややかな口調と他人行儀な態度。
クロードは友人としての情からではなく、罪を罪と知らしめるために、あえて舞台裏を教えてくれるのだ。
『しかもオフィーリアが、あなたにゾーイ嬢のことを教えようと訪ねたら面倒くさそうに対応されたそうですね? そのうえ身分の違いを指摘したらあなたに軽蔑された、と。当たり前じゃないですか、平民と貴族は与えられる教育も違えば課される義務も違う。その溝を埋める努力もなく結ばれたいなんて、どんだけ夢見てるんだってやつですよ。グラナード様だってご存知でしょう? 侯爵家の要望に従って、オフィーリアが毒や媚薬を飲まされていたことを。健康な体にわざわざ毒を入れた家族が苦しむ。それを見守ることが家族にとってどれほどの苦痛か想像したことはありますか? 家族全員で何度も婚約を解消してしまえと諭しましたよ! それでもあの子はどうしてもあなたの役に立ちたいからと婚約の継続を望んだ。それがこんなことになるなら……一生許されなくてもいいから私の手で婚約を破棄してしまえばよかった』
沸々とたぎる怒りの感情そのままに、クロードの口調は乱れ、声が震える。
今のアレクシスには彼の怒りを黙って受け止めることしかできなかった。
そのクロードの唇が、歪に弧を描く。
『第二王子殿下がいうには、あなたもゾーイ嬢との婚約を望んでいたそうですね?』
『……は? なんだって⁉︎』
『殿下はオフィーリアに税の優遇措置をちらつかせ、契約の反故を迫ったそうです。どれだけ商売を舐めているのか……これはモリンズ商会全体への侮辱と受け取らせていただいた。優遇措置などいただかなくても、モリンズ商会は求める商品をお客様にお届けできるという自負があります。ですから当主である父が王城で直接王と王太子殿下に殿下の気遣いを不要のものと回答させていただいたうえで、力不足とされたモリンズ商会はシューゲルンより撤退させる旨を申し入れております』
あの沈黙はこれが理由か!
暴走を許したのはアレクシスだが、一国の王子がこれほど愚かだと誰が予想できただろう。
『ちなみに王と王太子殿下はたいそう驚かれたご様子だったと聞いておりますよ? そもそも税の優遇措置など、殿下の指示だけでできるものではありません。おそらくグラナード様がなんとかしてくれると、許可も受けず根回しもなく話を大きく広げたのでしょう』
エリオットの顔を思い浮かべる。
やっていないと言えないところが辛いところだった。
『それでは、ザルツセンの関税が上がるというのも……』
『おやまあ、それはお気の毒! ザルツセンと関係の深いモリンズ商会を切り捨てたことで、シューゲルンがフォアメルンについたと判断されたのでしょうね。主食となる小麦の値段がどう上昇するか、いやはや想像もできませんな!』
お気の毒と言いながら、クロードはとてもいい笑顔だった。
間違いなくザルツセンにはこちらの内情が筒抜けなのだろう。
もちろん情報提供者はモリンズ商会、おそらくこの男自身だ。
クロードは心底滑稽とばかりに、笑いながら涙を滲ませた。
『それだけでなく婚約解消後のオフィーリアを憐れんで殿下がご自身の妾として召し上げようかと申し出てくださったそうです。いやはや、どこでどう捻じ曲げるとそういう気持ち悪い発想ができるのか! もちろん、それも謹んで辞退させていただきました。娘を思う親の気持ちをどれだけ軽んじていらっしゃるのか、機会があれば是非伺ってみたいものですね』
『……なんだって?』
自分でも驚くほどの低い声が出た。
そんなことまで言ったのか、あいつは!
調べれば、オフィーリアに何の瑕疵もないことくらいすぐわかる。
噂だけで悪女に仕立て上げられた娘の尊厳を踏みにじるような悪意に満ちた申し出だ。
しかも脚色され悪意に満ちた噂になるよう意図的に広めたのはおそらくエリオット自身。
間違いなく、噂の出どころをモリンズ家は気づいている。
エリオットは愚かにも彼らの逆鱗に触れたのだ。
そしてそれ以上に、アレクシスは自分の婚約者に手を出されたことが心底不愉快だった。
白く滑らかな肌も、柔らかく跳ねる髪も、夢見るような瞳に宿る熱情も。
……オフィーリアの全ては私のものだ、誰の手が触れることも許さない。
かつて味わったことのない胸の痛みと焦燥がアレクシスを支配する。
アレクシスの態度に思うところがあったようで、クロードは皮肉げに口元を歪めた。
『おや、これもご存じなかったと? オフィーリアは第二王子殿下より、アレクシス様も承知のことだと言われていたようですが……あなたになら何をしても許されるとでも思っていたのでしょうか? ずいぶんと甘く見られていたものだ』
『……』
『いやはやあなたも殿下も何様のつもりなのか! あの子の価値を全くわかっていない! どうせご存知でないでしょうからついでに教えておきますが、今までザルツセン経由で仕入れていた小麦の量が安定していたのもオフィーリアのおかげなのですよ?』
『……そうなのか?』
『魑魅魍魎の跋扈するフォアメルンはあの子に荷が重いですから、主にザルツセンの対応を任せていたのです。だからそのあたりの調整は全てあの子の差配でした。安定して供給できるように彼女に与えられた権限を使って手を回していたのですよ。忙しいグラナード様の手を、これ以上、煩わせることがないようにと、ね』
『そんなことまで……』
『ありがたいことにザルツセン側の人々は真面目で努力家のオフィーリアをたいそう気に入ってくださっていましてね。王族や高位貴族の方からもあの子には婚約者がいるにも関わらず、是非にと望まれたことが一度ではありませんでしたよ』
現に、ザルツセンの王子の一人は、王家を通じて婚約者の変更を望もうとしたのだという。
国同士の繋がりを強固にするため、国を跨いで婚姻を結ぶのはよくあることだ。
特にモリンズ家は他国に嫁ぐことも前提にして教育を施しているから、文化や儀礼も習得しているし問題はない。
もし実現していれば他国の王子と侯爵子息のどちらに嫁ぐかなど一目瞭然。
『それを退けたのは、オフィーリア自身です。婚約者を愛しているからご容赦くださいと、必死で懇願したからこの話は流れ、婚約は継続されたのです。ですがもし王子に嫁いでいれば、誰よりも愛されて、ゆくゆくは大公妃か公爵夫人になっていたかもしれません』
おまえにはもったいないと、そう言われているようだった。
アレクシスの知らないところで、オフィーリアは男性たちに愛され大切にされてきたのだ。
そしてようやく気がついた。
この胸を焦がすようなどろりとした熱が、嫉妬という感情であることを。
……意外だね、君がそんな卑しい感情を抱くなんて。
オフィーリアに向けたはずの自分の言葉が突き刺さる。
献身的に尽くしてくれたオフィーリアへ、一時の感情に任せて、なんとひどい言葉を投げつけたのか。
そしてザルツセンの要求が報復であることに、ようやく気がついたのだ。
『何が運命の愛ですか? 人の命をなんだと思っているのです? この国も民も、そんなもののために罪のない少女の名誉を傷つけて、それでも残された人間が幸せになれると思っていたのでしょうか?』
めでたく物語が終幕したあと、幸せになったのかは誰も知らないというのに。
無知とは恐ろしいものだと、クロードはため息と共に熱を吐き出した。
そしてようやく清々したという顔で微笑んだのだ。
『でも、もういいのです。この国も民も、あなたも……あの子なしで幸せになれるものなら、なってみればいい』
モリンズ商会は、二度とこの地を踏むことはありません。
はっきりとそう伝えてクロードは礼の姿勢を取ると、今度こそ迷いのない足取りで船に乗り込んだ。
他国へと渡る彼とは、もう会うことはないだろう。
アレクシスは、オフィーリアだけでなく心から信頼する友人までも失ってしまった。
なぜこうなってしまったのか。
過去のどこに分岐点があったのか、いまだアレクシスはわからずにいる。




