カーテンコール ソフィアと護衛騎士①
ダレルはいい人枠でした。執着心は強いタイプで、自分の好きな人以外はわりとどうでもいい人でもあります。
王家の裏事情もここで明らかになります。ご都合主義のところもありますが、お楽しみいただけると嬉しいです。
たった一人の死が、全てを変えてしまう。
稀代の悪女と呼ばれたソフィア・グレース・シュワルツェもその一人だった。
聖代ヴィリデレオ国国王夫妻の末の娘で、妖精姫とも呼ばれるゾーイ・サラ・シュワルツェは、侍女を従え、沈痛な面持ちで廊下を急ぎ足で歩いている。
『姫様、そう急がれてはお体にさわります』
『……でもお姉様があんな無惨に殺されて、お父様やお母様はさぞ辛い思いをされていると思うわ。そう思うと私の体のことなど気にしていられないのよ』
『ああ、なんとお優しい……ですが姉姫は冷酷で残忍な性格をされていたのです。あのような亡くなり方をするの当然のことでしょうに、それをここまで気にされるとは、姫様は慈悲深く妖精のようと民から愛されるのも当然ですわ』
侍女達はうっとりとした視線でゾーイを見つめていた。
表向きの表情は沈痛な面持ちでも、ゾーイの内心は違う。
姉のソフィアをかばうほど、ゾーイの評判は上がっていくのだ。
これ以上、面白いことはなかった。
きっかけが何かは覚えていない。
最初は、あの澄ました表情が気に入らなかった。
姉は決して取り乱すこともなく、声を荒げることもしない淑女の鏡と呼ばれていた。
礼儀作法の勉強も専門的な知識の習得も表情一つ変えることなく容易にこなしているように見えたのだ。
容姿だって豪奢な金の髪と透き通るような肌を持っていて美しく、瞳は家族の誰よりも輝く王家の色。
自分の薄ぼんやりした銀の瞳とは大違いだ。
気に入らない、何もかもが気に入らなかった。
だから侍女に唆されるまま、ちょっとだけ大袈裟に騒いだだけだ。
姉から冷たくされていると。
それを侍女が大袈裟に話して、それを聞いた城内の人間が仲間に話して。
それがさらに脚色されて、気がつけば、いつの間にか姉は冷酷で残忍な『血塗れソフィア』になっていた。
血塗れなんて、一体誰がつけたのかしら?
私はあくまでも冷たいと、酷い人だとしか言っていないのにね。
火のないところに煙は立たないのだから、姉自身にそう言われても仕方ないような残忍な一面があったのだろう。
両親や兄姉も積極的に否定しないから、それが事実として余計に広がっていく。
だから私は悪くないの。
ソフィア姉様が殺されたのは、自業自得よ。
両親や兄姉だってソフィア姉様を嫌っていた。
そして表情に乏しく愛嬌のない姉よりも可愛いと優先して私を溺愛してくれたのだ。
姉を心底嫌っている彼らは、失った悲しみよりも評判の悪い娘が亡くなったという安堵で盛り上がっているに違いない。
それとなく混じって彼らに褒めてもらおうと思っていたゾーイは意気揚々として扉を開けた。
そして扉の先に広がっていた思わぬ光景を見て固まる。
誰もが青白い顔で、押し黙っていたのだ。
ただ痛いほどの沈黙が場を支配していた。
『お父様、お母様。お兄様もお姉様も……どうしたのですか?』
お父様が視線を上げた。
普段の威厳ある姿が嘘みたいに萎れて見える。
そして顔には、いまだかつて見たことのない冷ややかな表情を浮かべていた。
何かが違うという予感に、背筋にゾクリと悪寒が走る。
『お前には関係のないことだ、去れ』
『お、お父様? なぜそんな冷たいことを言うのですか⁉︎ 私達は家族ではありませんか! こういう辛いときこそ支え合う……』
『だからお前は関係ないのよ』
いつも慈愛に満ちた表情を浮かべているお母様が視線をさまよわせたまま、ぽつりと呟いた。
そしていつもなら率先してかばってくれるはずのお兄様も、お姉様も……黙ったまま何も言わない。
あまりの変わりようにうろたえて、気がつけば心の声がそのまま口から出ていた。
『ねえ、だってソフィアお姉様が亡くなったのよ? なんで喜ばないの?』
内心では喜んでいるに違いないとそう思った。
使用人が控えている手前、顔に出せないだけなのだと。
だからわざわざそう言ってあげたのに、家族全員が弾かれたように顔を上げた。
『いい加減にしろ!』
頬に痛みを感じ、勢いよく床に倒れた。
呆然と見上げればお兄様が憎らしげにこちらを睨みつけている。
……まさか、お兄様が叩いたの?
そして瞳に怒りを宿したお姉様が、私を冷たく見据えながら吐き捨てた。
『もういいわ、どちらにしても家族ごっこは終わりなのだから私が全てを話します』
『お、お姉様?』
『馴れ馴れしく呼ばないで。あなたのせいで、どれだけソフィアの尊厳が傷つけられたことか!』
『……いや、私が話そう。それがソフィアの父親であり、この国の王たる者の務めだ』
怒りに震えるお姉様の肩を、お父様が優しく抱きしめた。
そして温度のない視線で、崩れ落ちたままの私を見下ろした。
『お前は、預かり子だ』
『……預かり子?』
『王家と王家に近しい者だけに伝わる話だ。国ができてしばらく経ったころのこと、みすぼらしい老婆が赤子を抱いて城門の前に突然現れた。対応した兵士によると、この娘は老婆の孫らしい。そして老婆はこう言い残した』
この子を預ける。
彼女には神から分け与えられた不思議な力があり、この力を使えば王国はより豊かになり栄えるだろう。
ただし、力を借りるには対価が必要となる。
『ひとつ、望みを叶えてやること』
『ひとつ、一番歳の近い娘よりも大切に扱うこと』
『ひとつ、預かり子と娘にはこのことを知られぬようにすること』
『ひとつ、預かり子であることは秘匿すること』
そして最後に、まるで呪いのような言葉を残して老婆は立ち去った。
当時、たしかに王族には生まれたばかりの王女がいた……つまり捨て子を姫よりも大事にしろということか。
馬鹿馬鹿しいと誰もが思った。
兵士と使用人によって何も起きなかったことにされ、捨てられた娘は孤児院へと引き取られた。
それで終わればよかったのだが……。
『そのあと、どういうわけか国に悪いことが続いた。原因不明の病が流行り、隣国との関係が悪化、突然現れた虫によって農作物が荒らされた。そこで例の兵士は思い出したのだよ、老婆が最後に口にした呪いのような言葉を』
……この娘を粗末に扱えば国に悪いことが起きるだろう。
『兵士は覚悟を決めて娘のことを証言した。最初は誰も取り合わなかったが、状況が深刻になるにつれて藁にだってすがりたくなるもの。そこで娘を探し出して保護し、もてなした。その結果がどうであったか、ここまで説明すれば想像はつくだろう。病はいつの間にか収束し、隣国との緊張状態も解け、虫はいずこかへと去った。以降、娘は神の子として王女よりも優先されるようになったのだ』
王女と、王女でない者の立場を入れ替える。
預かり子をつつがなく迎え入れるため、秘密裏にそれは行われた。
しかも狙ったかのように王族に女の子が生まれたと同時に姿を現すのだ。
そのせいで本来なら国を挙げて祝福されるべき王女は、出生と同時に地位を奪われた。
彼女たちは侍女の娘とされたり、王族に近い貴族に養子としてもらわれていったそうだ。
ただ稀に、子の少ない時代は血を絶やさぬためと王家にそのまま残される者もいたという。
そんなときは王女でない者が望むままに、残された王女の権利を奪うこともあったそうだ。
だが約束事があるために、その事情を本人達には知られてはならない。
『王女からすれば事情もわからず奪われるだけ、なぜかと理不尽に思われただろうよ』
ただ、孫娘を連れた老婆が現れる周期は不定期だった。
前回は二百年以上も前のことで、誰もが忘れかけていたという。
『そんなとき、老婆に連れられてお前は姿を現した。しかも今までは赤子のうちに預けられていたものが、どういうわけか、もう三歳になるというではないか! 今まで存在しなかったはずの王女がいきなり姿を現したとあっては、何か理由をつけなくてはならない。そこでお前は生まれつき体が弱く、今まで存在を公にできなかったことにしたのだ』
いつ死ぬかもわからない、だから公表を差し控えていたことにしたのだ。
ゾーイが思い返してみれば、民衆にお披露目したのは、たしか六歳のときだった。
そして、すでに存在を知られているソフィアと入れ替えることもできない。
こうしてソフィアは致し方なく王家に残されたのだ。
『では私の体が弱いというのは……』
『おまえは全くの健康体だ。よく体調が悪いと言っては礼儀作法や勉強を休んでいたが、それは怠けていただけだ』
『で、ですが私はお父様の指示で定期的にお医者様からの診断を受けておりましたが?』
『おまえは健康でなくてはならない。病気になどさせたら、どんな災いが降りかかるかわからないからな』
……ではこの胸の苦しさや疲れやすいのは思い込みだというの?
父の言うことが事実なら、健康体でありながら、私には毎日医師から飲み薬が処方されていた。
そして体調を管理する看護婦まで常駐していたのは、父の愛情からくるものではなかったのか?
混乱するゾーイに、さらなる言葉の刃が突き刺さる。
『王女としての務めが果たせるなど、はなから期待しておらぬ。怠惰に過ごすというのならそれでもよかった。表に出ずとも、安穏と惰眠貪っていてもいい。それがお前の望みだというのなら、いくらでも叶えてやっただろう。だがお前は……浅ましくも、恐ろしい願いを口にした』
『わ、私が何を?』
『お前が七歳のとき、私に直接こう言ったのだ』
……私、ソフィアお姉様になりたいの。
思わず口元を手で覆った。
小さいころは、美人で優秀な姉をうらやましいと思う時期があったことを思い出したからだ。
『でもそんなこと、誰だって思うことじゃないの⁉︎』
『普通は、そうだな。だが我々は、お前の望みを全力で叶えなくてはならない』
そうでなければ国に災いが降りかかるからだ。
国のためにそこまでするなんて馬鹿じゃないの?
唖然としてゾーイは床にへたり込んだ。
『だからおまえがソフィアのものを望むようになったら王の権限で全て与えるようにと、指示を出した。本来ならソフィアに与えるはずの権利や報償も、考えなしに欲しがるから全ておまえのものになってしまったのだ。おまえはソフィアの部屋に行ったことがあるか? 一国の王女とは思えないほど粗末な家具に、流行遅れのドレスが数枚。公的な場で着けるはずのティアラやジュエリーも、おまえが見境なしに欲しがるから一つも手元に残らなかったのだぞ?』
『そ、そうなのですか?』
『それに奪ったものを身につけたことがあったか? 部屋からあふれるほどの宝石やドレスを買ったお前が、ソフィアから奪ったドレスやジュエリーを趣味に合わないからと侍女に下げ渡したと聞いて、どれだけソフィアが傷ついたことか』
『そ、そんなこと、いちいち覚えていられないわ!』
『そう、おまえはすぐ忘れる。おまえが我々にソフィアを貶すよう願ったこともな』
……ソフィアお姉様ばかり褒めるなんてずるいです!
……貶すところがないのなら、些細なことでもいいから見つけて教えてあげるべきだわ。
……それができないのなら、この国はお姉様のせいでおしまいになりますよ?
ゾーイは息を飲んだ。
違う、そういう意味じゃない。
褒めるだけでは傲慢に育ってしまう。
成長すれば本当に最悪の王女になってしまうと、侍女がそう言っていたから……。
でも、とそこで立ち止まる。
ソフィアお姉様の、どこに貶すところがあっただろう?
凛とした立ち姿も美しく、教養深く聡明で優しい。思い返してみれば全く非の打ち所がなかった。
では私のせいでソフィアお姉様の悪評がたったとでもいうのか?
ではお姉様が殺された原因となった悪評は……。
『そ、そんなこと私は望んでいないわ!』
ほんの少しだけ、困らせてやろうと思っただけだ。
ドレスだって宝石だって、お姉様の着るあれが欲しいと言えばすぐに手に入った。
それはたくさん持っているから、いらないのだと思っていたのだ。
昔はともかく、今は悪評のたった姉が夜会に姿を現すことはほとんどない。
だから参加しない本当の理由が身を飾るドレスや装飾品を一つも持っていなかったせいだなんて思いもしなかったのだ。
お父様の傍らに立つお母様が、どこか遠くを見ながら呟いた。
『ソフィアは王女として生まれた。だから王女として義務を果たすのは当然のことよ? だけど、義務とは対価となる権益を得るために必要なもの。当然の権利も与えられず、何の利益もないのに、それでもあの子は淡々と義務を果たした。ただ、この王国のためだけに、私達のために……その罪のない一人の王女の命を、おまえは軽んじたのよ。自分は彼女になら何をしてもよいと勘違いをしてしまった。自分が怠けてできないことを人のせいにして、私の大切な娘の名誉と尊厳をさんざん踏みにじり、それでも傲慢に育つとは、よくいったものね?』
滑るようにゾーイの前まで移動する。
そして優雅な仕草で腰を屈めると、ゾーイの顔を見てお母様は嗤った。
『おまえが、ソフィアを殺したの』
『いやあああああああ! どうして、どうして今になってそんなひどいことを言うのよ!』
そうだ、今までは何をしても怒られたこともなく、非難されることもなかった。
それは国に災いが起こるからなのだろう。
それをどうして今になってこんな真実を暴露するようなまねを……!
『そんなの、この国が間もなく消滅するからに決まっているじゃないか』
お兄様から、いつもの甘く包み込むような優しいものとは違う声がした。
……この国が、消滅?
一体何を言っているのかしら?
いつもと変わらず、のんきに自室で過ごしてきたゾーイには全く想像がつかなかった。
意味がわからなくて、ポカンと口を開く。
お兄様は深々とため息をついた。
『こんな愚か者のせいで聡明なソフィアが殺されなくてはならなかったなんて私には許容できるものではない』
『お、お兄様?』
『ソフィアがまだ小さい頃、この国を守りたいと願ったから……せめてその願いだけは叶えてやりたくて今まで必死で国を守ってきたのだ。ところが守ってきたはずの国民からこんなひどい仕打ちを受けることになるなんて、あの子は思いもしなかっただろう。かわいそうに、こんなおかしな国なんて捨ててしまえばよかったのだ。そうすれば自ら犠牲になることはなかった。変なところで真面目な義理堅い子なのだから、ソフィアは……』
激しく憎んでいたはずの兄が、ソフィアをかわいそうですって⁉︎
動揺するゾーイの前で、兄は悔しそうに唇を噛んだ。
だけど次の瞬間、城の外を見つめて笑みを浮かべる。
『でも民衆はソフィアを捨てた、だからもういいんだ。こんな国、我々と共に滅びてしまえばいい』
『えっ、どういうことですか! 私たちはどうなるのです?』
『このままだと、王族は見せしめに処刑されるだろうね』
『……処刑』
『私はかまわないよ。家族として、ソフィアにだけ苦痛を味わわせるわけにはいかない』
そんな馬鹿な、なんで何もしていないのに処刑されなくてはならないのよ⁉︎
それなのにうろたえているのは私だけ。
お父様もお母様もお姉様も揃ってお兄様と同じ幸せそうな微笑みを浮かべている。
『い、いやです! 私は死にたくはありません』
『だったら好きにしたら?』
冷たく言い放ったお兄様はもう私を見ていない。
今度はお姉様が私の前に膝をつく。
優しく慈悲深いと評判のお姉様、一抹の望みをかけてお姉様に縋りつく。
『……お姉様!私は家族ですよね?』
『ねえ、不思議に思わなかったの?』
『えっ?』
『その金を濁らせたような薄茶色の髪、ぼんやりとした灰の瞳。私たちに全く似ていないじゃないの』
『……っ!』
『私たちと同じ金の髪と瞳を持つソフィアのほうが、よほど妖精姫と呼ばれるに相応しいわ。……ああそう、だから民衆を煽って排除しようとしたのね。自分よりもどんどん美しくなっていくあの子に嫉妬したから』
『ち、違うわ!嫉妬だなんて、そんなこと』
『妖精のように可憐で天真爛漫と評判の妖精姫。あなたは本当に美しいのかしら? おとぎ話のように、鏡の妖精にでも聞いてみたらどう?」
鏡よ、この国で一番美しいのはだあれ?
歌うように呪いの言葉を紡いだ姉を見つめてゾーイは言葉を失った。
ずっと目を背けてきたのだ。
客観的に見て、美しいと讃えられる自分よりも姉のほうがずっと美しい。
どうして美しい姉を差し置いてまで自分が美しいと讃えられるのか不思議だった。
不思議には思っていたけれど理由を聞いたことはない。
それは真実を知るのが怖かったからだ。
『でも妖精姫という呼び名は皆が勝手に付けたものよ? 私が望んだわけではないわ!』
『これも忘れてしまったの⁉︎ あなたが妖精のようだと評判になったソフィアを見て、ソフィアになりたいって望んだのでしょう? あなたが望んだあの日から妖精という形容詞はあなたのものになったの。評判すらも奪い取って、さぞ満ち足りた気持ちでしょう?』
『だからそんなつもりで言ったのではないの!』
『あらそう? でも私は……あなたが妖精と呼ばれていて良かったと思うけれどね?』
『えっ、どうして?』
『だってあなたが童話に出てくる妖精や魔女なら、私たちと同じ人間じゃないもの。人間でないのなら、当然家族でもないわ』
もちろん妖精や魔女だからといってソフィアにした仕打ちを許したわけではない。
そう吐き捨ててお姉様は立ち上がると、家族のもとへと戻った。
取り残されたゾーイは膝をついたまま、浅い呼吸を繰り返す。
……呼吸が上手くできない。
これは間違いなく体調の悪い兆候だろう。
私は体の弱い末姫、彼らの溺愛する妖精姫だ。
長く共に暮らした相手だもの、愛してくれるのは当然よね。
最後の望みをかけて、彼らに手を伸ばす。
『どうしてそんなひどいことを言うの? ……私たちは家族なのに』




