カーテンコール イライザとクラウス②
クラウスはゾーイに誘われ、アンダーソン家の庭を散策していた。
他人の耳を気にすることなく今後のことを話し合うためだ。
謹慎の処分が解かれたところで、二人は貴族籍を捨て、平民の夫婦となる予定だった。
イライザのときは反対した父も、今回は平民になることを反対しなかった。
邪魔が入らないということは、こうなる定めであったということだろう。
ゾーイによると、傷害事件はクラウスが謹慎した途端にピタリと被害が止んだそうだ。
それが余計に疑惑を深めているが、逆に彼がやったという証拠も一切出てこない。
容姿が美しく目立つクラウスの顔は誰もが知っている。
だが犯行現場付近で彼を見たという証言が、全く上がらなかったのだ。
『捕らえるほどの証拠はないが、無罪とする根拠もない。微妙なところだな』
『ですがそろそろ尋問されるかもしれません、騎士団の尋問は厳しいと聞きますが大丈夫でしょうか?』
『大丈夫もなにも、悪いことはしていないのだから話すことはないよ』
『怪我でもされたらと、心配で……』
『優しいね、君は』
ゾーイの頬に唇を寄せる。
彼女は蕩けるような顔で微笑んだ。
今の二人は、誰が見ても幸せそうな恋人同士に見えるだろう。
そんな幸せな時間は、半ば強引に表門が開かれたことによって突然終幕を迎えた。
『動くな!』
武器を手に険しい表情をした兵士が二人を取り囲む。
とっさにゾーイを背後に庇った。
……ついにこのときがきたか。
自分を捕らえにきたのだとクラウスは覚悟を決め、できるだけ落ち着いた声で彼らに話しかけた。
『私だって元は騎士だ、抵抗はしない。それにこれ以上、家人に迷惑をかけたくないんだ。だからこのまま大人しく君達についていくから、剣を下ろしてくれ」
すると背後から騎士団の同僚が顔を出した。
謹慎中に何度か騎士が所在を確認に来ていたが、彼もそのうちの一人だ。
『クラウス、連行するのは君じゃない』
『……は?』
眇められた彼の目が、クラウスの背後を睨んだ。
なぜか背筋が凍りつく。
だって、そには今一人しかいないじゃないか。
『連れて行きたいのは、背に庇うその女だ』
『……なぜ、ゾーイを? それとも彼女が私を庇ったのが罪だというのか⁉︎』
彼女だけが信じてくれた、そんな彼女を失うわけにはいかない。
必死の形相を浮かべるクラウスに、固く引き結ばれた彼の口元が動いた。
『違う。全部はじめから違うんだよ、クラウス。彼女が君をはめた』
『は……な、にを言って?』
『彼女こそ、今回の事件の黒幕だったということさ』
背を駆け上がった悪寒は一体何だったのだろうか?
恐怖か、それとも嫌悪か?
振り向けないでいる私の背後からゾーイが顔を覗かせた。
『私ではありませんわ』
意味がわからないと、心底困惑したような顔でゾーイは首をかしげた。
微塵も邪気を感じさせない少女の態度に騎士達も呆気にとられたような顔をしている。
見上げながら、彼女はクラウスにすがりついた。
『クラウス様は信じてくださるでしょう? 私が、あなたを信じたように』
そうだ、信じなければ。
彼女だって私を信じてくれたのだから。
だが同僚は冷ややかな口調で言い放った。
『彼女が関与したという証拠と証言がある。両方とも、おまえのときにはなかったものだ』
証拠と証言がある、だと?
開きかけた口を閉じ沈黙した。
この状況で、どちらを信じればいいのか?
『彼女を連行しろ。それからクラウスも一緒に来い。聞きたいこともあるし、何より説明が必要だと思う』
『クラウス様……』
『大丈夫だ、このとおり私も一緒に行く。なにもしていないのだからゾーイが怖がる必要はないよ?』
とにかく証拠と証言がどのようなものかを知りたい。
優しく諭して、彼女の背に手を添えた。
だが彼女はクラウスの手を激しく振り払う。
『嘘つき、全然信じてくれないじゃない!』
突然、豹変した彼女が牙を向いた。
今までの穏やかな表情が嘘のように険しく歪められる。
なりふりかまわず奇声を上げて、ゾーイは激しく抵抗していた。
そして現実感に乏しいまま、ゾーイと共に馬車に乗せられ詰所へ連れて行かれる。
そこで同僚から聞いたのは衝撃的な事実だった。
『あの女の犯行には目的が二つあった。一つはクラウスに接触する女性を排除すること、もう一つはクラウスを孤立させて自分に依存するように仕向けることだった。被害にあった女性たちはクラウスに話しかけたから標的にされたのさ。そしてあの女の家族……シスレー伯爵家も彼女の異常性を知りながら放置した。クラウスさえそばにいれば彼女の異常行動は抑えられるようだったから、このまま結婚させればバレないと踏んだのだろう。事件がおきてしまったあとも黙っていればクラウスが引き取ってくれるし、除籍したあとは平民となった娘のことで無関係だと言い切れる。伯爵家は妹が婿をとって跡を継げばいいし、問題が一気に片付くと考えたのかもな。それにしてもゾーイの両親は彼女によって傷つけられた娘が婚約解消となることを見越して、婚約者を失った家に妹の釣り書きを送りつけていたというのだから闇が深いよ』
知らなかったどころか、事前に犯行に及ぶことを承知していたのではないか。
他家より先んじたいという焦りもあったのかもしれないが、釣り書きを送りつける時期があまりにも早過ぎたために、シスレー伯爵家そのものに疑惑の目が向いたのだという。
なんてことだ、家ぐるみで犯行を隠していたのか。
脳裏に浮かぶ温厚で物静かな印象であった義両親の姿が、得体の知れない生き物のように思えてならなかった。
貴族とはそういう生き物と言い切った父の言葉が、じわりと身に染みる。
『当主も当主夫人も気がつかなかったと言い張っているが、犯行には使用人も関与していたから言い逃れはできない。管理責任を問われて爵位を落とすか、最悪取り潰しになるだろう』
『そうだな』
『それに今回は被害者に貴族や裕福な商人の娘といった社会的に影響力のある家も含まれていた。完全なとばっちりとはいえ、婚約を結んでいた以上はアンダーソン家も無傷というわけにはいかないかもしれない』
『とばっちりということは、私に掛けられた容疑は晴れたのか?』
『ああ。実は今回の事件があったのと同じ時期に平民の女性が一人亡くなっていてな。実際には今回の事件とは無関係で、強盗の犯行だったことがわかっているし、犯人もすでに捕まっているのだが、念のため再調査したんだ。そこで当時の状況を聞きに行ったらクラウスの話が出て、死んだ娘から聞いていたという内容を父親が証言した。クラウスが身分を隠して孤児院へ慰問に訪れているらしい、と。そこで該当しそうな孤児院を片っ端から調べたら領地の外れにある孤児院へおまえに似た容姿の人間が訪れていることが判明した。そこの院長に似顔絵を見せて確認したら間違いなくクラウスだという証言が取れたうえに、院長の日記から訪れた日と時間まで判明したんだ。結果的に、犯行が行われた日付と、おまえが領地に戻っていた日付が全て一致した。つまり王都から離れた領地へと戻っていたクラウスに犯行は完全に不可能だったということがこれで証明されたんだ。ところが、今度は別の意味で疑問が生じた』
『別の疑問?』
『犯行の日とクラウスが領地に戻る日を、どうやって完全に一致させたのかだ』
『まさか、ゾーイが!』
『婚約者だものな、領地へ戻る日付くらいは事前に伝えるだろう。その予定をもとに犯行の予定をたてた』
『なぜ、そんなことを……』
『なんとなく気がついているんじゃないのか? 確実に無実であるという証拠を握っておいて、万が一クラウスが捕らえられてしまったときに証明するためだろう。そうすれば最後まで信じ抜いた婚約者の鏡として美談になるし、より一層クラウスの信頼を得られる。だが結果的にはクラウスの予定を知る者という基準に引っかかって、俺たちの目に留まってしまった。策士が策に溺れるってやつか』
クラウスは絶望に表情を歪ませた。
愛と信じていたものは演出によって作られた模造品。
二人の間に、はじめから愛などなかったのだ。
『俺はこんな結末を望んでいない。なぜ彼女はそんな恐ろしいことをしたのか』
『犯行の理由は裁きの場で明らかになるだろう』
『……』
『だがもし今、俺からひとつだけ言えるとすれば、クラウスも被害者だったということくらいか』
同僚の顔に、なんともいえない憐れみの表情が浮かぶ。
……おまえは、怪物のような女に愛されてしまったらしい。
唐突に、少女の眼前に広がる景色が重苦しい雰囲気の議場へと切り替わった。
険しい表情をした裁判官の質問に、質素な服に身を包んだ女性が淡々と答える。
『婚約者のいる相手に色目を使うのは人間のすることではありませんわ。畜生と同じ、卑しい行為です。それがわからないようでしたので、教えて差し上げただけです』
『でも相手の身体を傷つけなくてもよかったのでは?』
『動物に躾は必要でしょう? それに命を奪ったわけではありませんもの』
『ゾーイ、あなたには命のように大切なものを奪ったという認識はないようですね』
続いて、アンダーソン家の応接間だろうか。
『従前より申し上げていたとおりに、家を出ます』
『……逃げるのか、クラウス!』
『兄上、先に見限っておきながらずいぶんな言い草ですね。そもそも私の婚約に私の意志は反映されていません。貴族とはそういうものだと諭されましたが……そうですよね、父上?』
『……残る気はないのか?』
『そのほうがお互い良い結果を生むでしょう? 次男に責任があるとして放逐すれば家は守れる。そして私は貴族のしがらみから解放されて自由に生きる。予定どおりに除籍すれば私達は他人です。二度と、ご迷惑をおかけすることはないでしょう』
『そんな、クラウス! どうしてあなたが、こんなことに……』
『泣かないで、母上。それから父上も兄上も……あなた達が嘆くのは私を心配しているわけではないことくらい、わかりますから』
『なんだって!』
『父上と母上、兄上は協力してクラウス=アンダーソンという傑作を作ったつもりだった。だからそれを台無しにした私が許せなかったのでしょう? 当時の私には孤児院へ慰問に行ったという証明があるにも関わらず、それを聞こうともしないで私がやったと思い込んでいた。傷がついた私に興味がなかったということでは?』
『違う、そんなことは……』
『では私があなた達の望みとは違う生き方を選んだとしても、問題はないでしょう』
『……』
『私はアンダーソン家の作品の一つじゃない、一人の人間なんです』
クラウスが欲しいと望んだのは地位や名誉ではなく、たった一つの愛だった。
少女の視界に、いくつもの場面が浮かんでは消える。
この揺らされる感覚は、もうすぐ目覚めのときが近いのかもしれない。
最後に見た景色はイライザの名が刻まれた墓の前で慟哭するクラウスの背中だった。
意識が暗転する。
薄ぼんやりとした視界の先に、夢で見た姉の顔があった。
「おはよう、レジー」
「ん、今何時?」
「もうすぐお昼ね、お腹すいた?」
「ええ、すいたわ」
寝癖を直してもらいながら、レジーはもそもそと起き上がる。
どこかぼんやりとした表情にエレナは眉を顰めた。
「大丈夫、無理しないでよ?」
「うん。そういえば姉さん、クラウス=アンダーソンの婚約者の名前はゾーイだったよ?」
「……ウソ、本当に?」
「でも身分違いというわけではなかったし、同一人物と断定するには無理があるかな」
「過去を見るのは疲れるでしょう? めぼしい収穫がないなら止めておきなさいな」
レジーの頬を心配そうな顔でエレナは軽く撫でる。
眠気を振り払い、レジーは淡く微笑んだ。
「エレナ姉さんは、どうしてイライザに言霊の力を使ったの?」
「それは、お肉が安……ではなくて、彼らの願いの行方が見てみたかったのよ。結局、見逃しちゃったけどね」
「私も同じ、なんとしても続きが見たいの」
「……正直なところ、その気持ちわかるわ! 今からだって見たいもの」
ふふっと照れたようにレジーは笑う。
そしてエレナも同じような表情で笑った。
クラウスは結局、最後までイライザが好きでした。理想で彩られた初恋の女性、越えられない高みでもあります。ゾーイはこの高い壁を崩したくて女性たちを襲いましたが、全員が見当違いの相手でした。しかもイライザは死んでしまっているから、どうやってもこの壁は決して越えられないのです。次のお話は、イライザが王女様の時代です。




