世界の終わりと、新しい世界へ②
「私には、この指輪がたどる未来が見えないの。だから善きものか、悪しきものであるかもわからない」
ふつりと音が消えた。
エレナさん達がうろたえた姿を、はじめて見たかもしれない。
「……それは初耳ね」
絞り出したような声は、ルーテさんのものだ。
未来など見えないのが当たり前という感覚からすると大袈裟な気もするが、それだけレジーの未来視の力は抜きん出ていたのだろう。
「聞かせてもらおうか」
レイさんがレジーの頭をなでたあと、私に視線を戻した。
……どういうわけかレイさんがレジーのお父さんに見える。
豪快な戦闘スタイルを見たせいもあって、もはやかっこいい男性としか思えなかった。
「ええと、イライザちゃん?」
「すみません、ちょっと思考が暴走していました。話を戻しますね」
「うふふ、もしかして惚れちゃったかなー、イデッ!」
ニヤニヤしているケイトさんの頭をレイさんが軽く叩く。
可愛らしいじゃれ合いを見なかったことにして、もう一度指輪の写真をさした。
ここから先は史実には残されていない話であり、今となっては間違いなく私しか知らないことだ。
「この指輪が国宝である理由は権力の象徴というだけではありませんでした。もう一つ、重要な役割を果たしているのです」
「この指輪が?」
「はい、『聖代ヴィリデレオ地下書庫』の話はご存知ですか?」
「……失われた黄金の国の叡智が詰まっているとされる伝説の大書庫。研究者を狂ったように発掘へと掻き立てる遺物の一つだと聞いているよ?」
「その大書庫の鍵とされるのが、この三つの指輪です」
皆の視線が、指輪に釘付けとなる。
そう、商会からするとただの高価な指輪であるが賢者の末裔にとっては宝の山へ至るための鍵だった。
「だが鍵だけあっても場所がわからなければ……」
「大書庫を作った人間は考えました。国や境界線は変わる、目印となる建物も朽ちれば役に立たない。ですから時を経ても、そう大きくは変わらないものを書庫の目印にすることにしました」
私は鞄から地図を取り出した。
とある国を上空から見下ろしているように描かれたものだ。
「それは地形です。ヴィリデレオは『緑の獅子』という意味を持つ言葉になります。それをふまえて、この地図を見ていただけますか?」
「嘘、こんなことが……」
「学生のころ、参考書の写真を見て思い出しました。そのときはそういえばくらいの気持ちでしたが、今、こんな形で将来に結びつくとは思いもしませんでした」
示した先には荒野に咆哮する緑色の獅子のような横顔だけが、くっきりと浮かび上がっていた。
周囲は荒れ果てて石や枯れた土に囲まれているのに、その場所だけは、なぜか今でも唯一緑を保っている。
「現在、聖代ヴィリデレオ国がどこにあるのかわかってはいません。ですが私が知る限り、この緑の獅子がいる場所こそ失われた黄金の国の一角になります。賢者の資質を持つアルスさんであれば、大書庫のある場所と判断がつくでしょう。……かつての、私のように」
「なぜそこまで言い切れる?」
「聖代ヴィリデレオ国の王都は緑の獅子を中心に建てられました。この場所を次代の賢者へと引き継ぐためにです」
「もしアルスがこの場所に行ったとして、その先はどうすればいい?」
「アルスさんが導くままに。アルスさんは賢者の資質を持つ者としてある程度の知識を持っているようです。でしたら無意識であっても大書庫へとたどり着くようにできていると言い伝えられています」
裏を返せば、賢者の資質を持つ者でなくては、たどり着けない場所にそれはある。
口をつぐんだ私にレイさんがほんの少しだけ鋭い視線を向ける。
「それならどうしてアルスではなく、この話を私たちに?」
「理由は二つあります。一つは、アルスさん自身のことです」
「アルス自身?」
「私は皆さんよりもアルスさんを知りません。ですが、ほんの少しだけ感じるものがあるのです。たとえるなら賢者の資質を持っていたころの感覚に近いものでしょうか?」
「それはなに?」
「アルスさんは、たぶん歳を取りにくくなっているのではないですか? 薬品の効果か、それとも効果を発揮する道具を開発したのか、それはわかりません……ですが不死ではない」
エレナさんの目が見開かれる。
肩がびくりと跳ねて、隣に座るルーテさんがとっさに彼女の肩を抱いた。
そう、エレナさんは死ぬことはなくともアルスさんはそうではない。
そのことに気がついたのは、いつのことだったろうか。
この指輪が見つかって、余計なことと思いながらずっと悩んでいたのだ。
私は視線を下げて、謝罪の姿勢をとった。
「驚かせて申し訳ありません。そこまでは立ち入りすぎだと、今までのことも含めてお伝えするか迷いました。ですが繰り返しの人生の中で私が一番辛かったことは選択肢がないことだったのです。死ぬと知りながら抗う術がない。裏切られたことよりも、そのことが最も堪えたような気がします。ですがこの大書庫にならば、もしかするとアルスさんの求める答えがあるかもしれません」
漫然と生きながらえていくことがいいこととは思えない。
ただ、目的があるのなら別だと思うのだ。
エレナさんたちは、途方もない時間を私のような魔女の血を引く女性を陰ながら守るために生きている。
彼女たちが自分を支えるような人が欲しいと願うのは当然だと思うのだ。
アルスさんのようにエレナさんが人と違う存在であることを知りながら、求めて愛してくれる相手は少ない。
なおさら失いたくないと願うのは当然だろう。
レイさんが、ふっと瞳を伏せた。
何を思っているのか予想はつくけれど表情の翳りには気がつかなかったふりをする。
彼女だって、そう望んでいるはずだ。
「それに理由はもう一つあります。商会は相手が誰だろうと対価さえきちんと支払えば売るでしょう。もし、この指輪がエレナさん達と敵対するような勢力の手に渡ってしまったらどう使われるのか……なんとなくですが皆さんにとって、いいことにはならないと思うのです。それどころか私たちのようにわずかばかりしか魔女の血を引かない人間にも危険が及ぶのではないかとまで思うのは考え過ぎでしょうか?」
レイさん達はハッと面を上げ、じっと私を見つめる。
逃げたい、逃げなければ。
指輪の写真を見たときからずっと、この焦燥は決して消えることはなかった。
「いくら賢者の資質を持つ者が稀でもアルスさんだけではないかもしれません。そしてその人が、ある程度分別のある心の優しい人であるとも限りません。賢者の知識が、もし簡単に人を害することのできる人の手に渡ったらと思うと不安でならないのです」
一呼吸置いて、私は六人の魔女と視線を合わせた。
「私が提示できるのは選択肢だけです。選ぶのも、選ばないのも皆さん次第、無理に協力をお願いするつもりもありません。ただエレナさんたちだったら賢者の知識ごと指輪を託せます。波風を起こすことはなくても、降りかかった火の粉は倍返しで振り払ってくれそうな気がするから」
嘘偽りもなく、正直な気持ちを言葉に乗せる。
「賢者の資質を持つ者と、この三つの指輪。そして大書庫に繋がる私の知識。条件の全てが揃わなければお伝えするつもりはありませんでした。でもどういう運命か、今こうして揃ってしまったのです」
指輪は、世界に二つとない鍵。
さらに血は薄まって、アルスさんのような王の目を持つ者は希少となった。
それらが稀であるうえに私の知識だって本来なら失われていたはずのものだ。
アルスさんに限らず、もし偶然が重なって賢者の知識を持つ者と指輪が出会ったとしても、指輪が大書庫に繋がる鍵となることまでは知らずにいた可能性が高い。
……私のやり直し人生がなければ。
……やり直し人生のはじまりであるエレナさんとの出会いがなければ。
指輪がアルスさんにたどり着くこともなかっただろう。
「偶然か、必然なのか私にはわかりません。ですがこうなると私のやり直し人生は大書庫に繋がる知識を皆さんに伝えておくためでもあったのではないかと、そう思えてならないのです」
その瞬間、ふっとエレナさん達の視線が上に向いた。
窓もなく締め切った屋内に、一瞬だけ風が吹く。
「珍しい、精霊の祝福だ」
「えっ、なんですか?」
「精霊が喜んだときに、ほんの少しだけ空気が変わる。その場にいる者が気がつかない程度のささやかな幸運を与えてくれるものだ」
「そう言われると、なんだか急に心が軽くなったみたいです。やり残した仕事が片付いたときのように、清々しい心持ちですね!」
伝説によると三賢人は祝福を贈るために遠き彼方へ旅をしたとされている。
ようやく長い旅が終わった。
私がしたことは、ただレイさん達に記憶を引き継いだだけであるのに、なぜかそう思える。
天井付近にある何かを目で追っていたレイさんは、ほんの少しだけ口角を引き上げた。
そして納得したように大きくうなずく。
「もしかすると君の人生には、エレナの言霊の力以外にも干渉するものがあったということかもね」
「そうなのですか?」
「さあ、どうだろうね? 真実は神のみぞ知ることだ」
レイさん達に見えるものが私には見えない。
でもその見えない力に後押しされ、方針は決まったらしい。
「その指輪は今どこに保管されている?」
「商会の金庫にしまってあります。純度の高い金を使っているとのことで希少価値が高く持ち出しはできませんでしたが普通にお客様としてご来店いただければ直接見ていただくことは可能です」
「こうして話している間にも売れているんじゃないの?」
「商品回収の一件もあってバタバタしていたので、まだ商品の存在自体を表に出していません。たぶん大丈夫だと思います。支店長にも私が戻ってくるまで販売は待ってもらうようにお願いしました」
「つまりチャンスは一度きりということだね」
「すみません、力不足で……」
「いや、こうして直接話を持ち込んでくれただけで十分だよ」
レイさんが私の頭を撫でる。
そしてまずはエレナさんに顔を向けた。
「エレナ、どうする?」
「善は急げよ、すぐに行きましょう!」
「つまり欲しいということだね」
それからルーテさんとケイトさん、アリアさんの顔を見る。
全員が揃えたようにうなずいた。
「イライザさんの心を読まなくてもわかるわ。彼女に嘘をつく理由はないし、いいんじゃない?」
「私も欲しいー、終わったら分解したいー!」
「分解じゃなくて分析にしておきなさい、職人が泣くわよ?」
最後にレイさんはレジーに視線を合わせた。
「君はどうしたい?」
「もし叶うなら、私には見えなかった未来の先を見てみたいわ」
虹色の瞳が瞬き、輝いた。
未来がわからないからこそ期待に胸が高鳴る。
今のレジーの表情には怯えよりも、希望や喜びがあった。
仕方のない子だとでもいうようにレイさんの手が優しく彼女の髪をなでた。
「このまま二号店に伺ってもいいかい?」
「はい、そのつもりで来ました。ですが一応商談のつもりなので値段だけは確認していただけますか?」
さすが賢者自ら錬成したものだけある。
指輪には、あり得ないほど純度の高い金が使われていた。
希少価値も高く、それだけお値段も高い。
レイさんはチラリと見て、頷いた。
「大丈夫」
「……ありがとうございます」
安堵した途端、深くため息をついた。
ここまで説明してダメだったらなんて想像しただけでも心が折れる。
そう思っていたらエレナさんが笑顔で私の肩を叩いた。
「大丈夫、お金ならいくらでも作り出せるから!」
「……へ?」
「……エレナ、口を閉じてこっちへ来なさい。ルーテとアリアは今の台詞が二度と口から出てこないようエレナの再教育な。ケイトは財布を持って私についてくるように」
「了解ですー」
「姉さん、私は?」
「レジーの可愛らしさで虫が湧くから今日はお留守番な?」
「今日もでしょう……姉さんは過保護よ」
むうと唇を尖らせたレジーの可愛らしさは、もはや暴力だった。
直撃したレイさんは膝から崩れ落ち、間近で被弾した私は手を組み天を仰いだ。
ああ、なんて尊い……。
魂を飛ばした私の服の端をレジーが軽く引いた。
ほんの少し頬を染めた美少女が視界に映る。
もう、今日はなんていい日なのかしら!
「今日は我慢する。その代わり、別の日にイライザと一緒にお出かけしたいの……いい?」
「うん、私はいいけどレイさんたちが……」
レジーは特殊な能力とその神がかった美しさから、気軽に出歩けないのだという。
視線を向けると、ほほえましそうにこちらを眺めるレイさんたちの姿があった。
「保護者同伴なら、かまわないよ」
「姉さんありがとう! イライザ、今度お泊まりに来て? そのときに予定決めようね!」
「うんいいよ、連絡するね」
ちなみに保護者同伴なのは、ところかまわず寝てしまうという癖があるからだとか。
普段の態度は大人びているのに、どこでも寝ちゃうなんて、小さい子供みたいでより愛らしさが増す。
なんだかほっこりした気持ちになって、思わず彼女の頭を撫でる。
艶やかな髪は、とても触り心地が良かった。
こ、これは……一級品の絹糸ね!
レイさんが思わずレジーの髪をなでてしまうという癖も理解できるというもの。
嬉しそうになでられているレジーと、感触に頬を緩める私。
すると背後に立つレイさんの声が震えた。
「二人揃うと二倍可愛いってどういうことだ? イライザ、ぜひうちの子になりなさ」
「はいはーい、珍獣とのふれあいタイムは終わりですよー。大人はさっさと仕事しましょうねー」
ケイトさんが渋るレイさんを引きずって、無造作に転移の穴へと放り込む。
え、あんな細いのにケイトさんも力持ちなの?
いつぞや目の前で机を持ち上げたルーテさんの姿が脳裏を過ぎる。
魔女の血を濃く引くと、基本力持ちなのかしら?
「はいはい、イライザちゃんも行きますよー」
「あ、すみません。お客様なのにお待たせしてしまいました」
「いいのいいの、本日の主役はイライザちゃんなんだから」
「そんな、主役なんて畏れ多い……」
「ううん、期待以上だったなって思うよ。一人きりで戦いながら、挫けることなく勤勉に学んだね。この私に知識を与えるなんて相当なものだ。生まれ変わりや魔女の血の恩恵なんて関係なく、君はもっと自分自身の努力を誇っていい」
嬉しそうに紫の瞳を滲ませて、ケイトさんが私の手を握る。
自分にも人にも厳しい彼女が、私を褒めてくれた。
そのことが嬉しくて私の視界が涙で潤んだ。
「滅多にない機会だし、他にも良いものがあったら買おうかな! 店員さん、よろしくね!」
「はい、お任せください!」
このあと、私に連れられて二号店に足を踏み入れた二人は最速で指輪を手に入れた。
いつの間にか身だしなみを整えたレイさんは身分の高い人物から委託された交渉人、眼鏡を装着し気配を消したケイトさんは付き添いの社長秘書という雰囲気で違和感なく応接室に馴染んだ。
そしてその身分の高い人物とは、私が前の支店長と共に呼ばれたブライトン公の邸宅で会ったことにした。
そうすることで身分を明かさない偉い人が上流階級の人であると店側は勝手に推測するだろう。
それ以上の身元には踏み込まないはずだ。
レイさんたちは目の前に指輪が並んだ瞬間、即決で購入したから一目で本物だということがわかったのだろう。
支店長であるマリッサ先輩とサポートとしてクラウスさんが対応してくれたのだが、マリッサ先輩はレイさんの美貌と、言葉遣いまで秘書風に変えたケイトさんの辣腕ぶりに上客と判断してくれたらしい。
とんでもない高額品をさっさと購入してくれたサービスとして、ケイトさんが申し出た倉庫にある在庫の閲覧を許可してくれた。
ちなみにレイさんはマリッサ先輩と共にお留守番だ。
応接室の扉の前にはコーヒーセットを手にした女性の商会員が列をなしている。
ただどういうわけか、私の目には洗練された服に身を包んでいるはずのお姉様達が百戦錬磨の狩人に見えた。
手には絶対にないはずの弓や槍が見える。
レイさん、女性だけどかっこいいものね。
うっかりでも捕獲されないことを祈りつつ、ケイトさんを連れて倉庫へ行った。
手近にある素材を手に取った瞬間、ケイトさんの瞳が輝く。
「うおおおおおおお宝の山っ! イライザちゃん、でかした!」
「すみません、ほとんど私が買い付けたものではありません。ですが私から先輩達に伝えますね」
「真面目だねー、イライザちゃん。でもそこが彼は好きなのねー!」
さらりとクラウスさんのことを匂わされて顔を赤くしたまま固まる。
ニヤリと笑ったケイトさんは弾むような足取りで商品を見て回ると、めぼしいものに売約済みの印をつけていく。
購入リストは、あっという間に一杯になった。
「すごいですね」
「うん! こういう眠っていたような倉庫は商品が動かないから思わぬ掘り出し物が多いよね。つい買いすぎちゃう」
「配送になさいますか?」
「うん、そうしてー」
指輪以外の郵送先を確認してレイさんとケイトさんを送り出す。
あの指輪は、ケースに収まった状態でケイトさんが抱えていた。
それにしても、心なしかレイさんがやつれているのは気のせいだろうか?
お姉様方のえらく満足したような微笑みが気にかかる。
……あとで何があったか聞いておこう。
レイさんとケイトさんは二号店で用意した送迎車の座席に身を委ねて、安堵したように息を吐く。
「今日はいい買い物ができた。良い商品があれば、引き続き君に担当をお願いしたい」
「こちらこそ、今後もよろしくお願いします」
「期待している。……それでは君に精霊の祝福がありますように」
私は微笑み、遠ざかる車を見送る。
前半はマリッサ先輩やクラウスさんだけでなく周囲の商会員にも聞こえるよう申し添えてくれたのだろう。
私には大口の顧客がついているという後押しだ。
そして後半は、私たちだけの秘密。
車体が見えなくなるところまで見送ったところで、クラウスさんが私の肩を軽く叩いた。
「これで今季のトップセールスになったね、おめでとう」
「……そういえば、そうでしたね!」
指輪の存在が気になって、そっちの意識が抜けていた。
マリッサ先輩……もう支店長と呼ばなくてはいけないが、彼女からもお褒めの言葉をいただいた。
それからこっそりと耳元で囁かれる。
「前の人事部長があなたを退職させようとしていた件は、これで完全に消えたわ。上層部も例の彼女がいなくなった以上、恩を感じる必要もないし、さすがにこんな状況で売り上げのよい商会員を辞めさせるような愚か者ではないわ。営業本部長も退職の話は絶対に潰すと息巻いていたから確実に残留よ。色々あった私から言うのも何だけど……これからも一緒に働いてもらえたら嬉しいわ」
眼差しと声音から申し訳ないという思いが感じられる。
ゾーイにも言ったけれど、もう終わったことだ。
「光栄です。これからもマリッサ支店長から色々教えていただきたいです」
「……こんな素直でいい子なのに、どうしてあんなに疑ってしまったのかしら? あのときの自分の頑なな態度が心底不思議だわ」
「本当に不思議だよね。イライザは最初から優秀だったし、素直で可愛らしかったよ?」
「なっ!」
店の前で堂々と私への賛辞を口にするクラウスさんに呆然とした。
たぶん聞こえたのだろう、商会員の何人かがこちらを見て小声で話している。
クラウスさんが彼女の婚約者であるという嘘を信じている人から消息を尋ねる電話や訪問者が今もあるというのに、私への態度を公にして大丈夫なのだろうか?
自分はともかく、クラウスさんの評判に関わるのではないかと心配する私の頭をクラウスさんが撫でた。
「もう終わったことだ。聞かれたら、堂々と付き合っていると答えるよ」
「!」
「もちろん婚約者と名乗るのは、ご両親に挨拶をしてからだけどね」
どうしよう、先行きがちょっと心配だけど嬉しい。
りんごみたいに顔を赤らめた私を見て、クラウスさんは面白そうに笑う。
それを見たマリッサ支店長は、心底うんざりという表情を浮かべた。
「……限度ってものを知らないわね、溺愛じゃないの」
「今まで思うように甘やかすことができなかったからね。これからは遠慮しないことにした」
「まさかクラウスが、のめり込むタイプだったとは思わなかったわ……たしかに、こんな姿を見せられたら彼女とは絶対にお付き合いしていなかったと確信できるわね」
「おや、ようやく信じてくれる気になったんだ?」
「あのときは悪かったわ、どういうわけか疑いもせず信じてたのよ。はー、しょうがないわね。噂を払拭するまでは、節度を保ってイチャついていいわよ」
「イチャつくって……!」
「イライザは知らないの? 仲良くしていいっていうことだよ。支店長公認だから、遠慮なく仲良くしないとね?」
「クラウスさん! な、なにを……」
「いいことクラウス、限度と節度を保ってよ! イライザに嫌われたって知らないから!」
「大丈夫、そこの加減はわかってきたから」
「はー、ねえイライザ。本当にこれでいいの? 見た目はきれいだけど、お腹は真っ黒よ?」
「……あ、それは大丈夫だと思います。そんなところも素敵ですから」
途端にクラウスさんが頬を赤らめて目元を手で覆った。
むず痒いような空気が二人を包む。
マリッサ支店長から深いため息とともに生温かい視線が注がれる。
「いいこと、二人共。サジタリウス商会は全体的に独身が多いのだから、うっかりでも呪われない程度にしなさいよ?」
彼女の言葉に、ひっそりと微笑む。
……呪いはもう解けたから、大丈夫。
それにエレナさんという最強の言霊使いが呪われることはないと保証してくれているものね。
それにしても今日はいいことが続いた。
もしかすると、これが精霊の祝福というものだったのかしら?
柔らかな風が私を包む。
目を閉じれば自分の中にある時計の砂が、ゆっくりと流れ落ちていくのを感じた。
これからは記憶を持ったまま生まれ変わることもなく、限りある人生を歩んでいくことになるだろう。
奥底を探っても心残りなんて何一つなかった。
「これからは、ずっと一緒にいようね」
背中に添えられた手の温度で目を開く。
目の前には、いつかのような温かい微笑みが広がっていた。
この微笑みが、全てのはじまりだった。
願いは成就し、ここから先の未来は作者によって描かれていない、新しい世界。
まっさらな世界は誰のものでもない、私自ら描くものになった。
「そうですね、さあ行きましょう」
ここから先は私の知らない物語。
世界の終わりは、私が、私の人生を取り戻した瞬間でもあった。




