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めくるめく世界の果て  作者: ゆうひかんな


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めくるめく世界の果て


仕事が終わったのは、夜も更けたころ。

繁忙期と重なっていたので、伝票の処理に思いの外、時間がかかってしまった。

クラウスさんと約束はしたけれど、待ち合わせ場所を聞きそびれてしまったわ。


「イライザ、こっち」


慌てて店を出たところで、街灯の近くに立つクラウスさんが手を振った。

駆け寄ると、そのまま手を繋いで引き寄せられる。


「じゃあ、行こうか」

「どこへ行くんですか?」

「ラムールデイツ港だよ。橋の改修工事が終わったんだ」


覚えていてくれた、そのことが何よりもうれしい。

導かれるように車に乗って港を目指す。

店からは第二ギルテ港よりもラムールデイツ港のほうが近く、車で三十分ほどのところにあった。

秋から冬にかけて、気温が下がりつつある今の時期は空気も澄んでいて車窓からも景色がよく見える。

見晴らしのよい場所でクラウスさんは車を止めた。


「うわ……! すごい!」


ラムールデイツの夜景は、まるで宝石箱だ。

人工の灯りと、人々の暮らしからこぼれる街の明かりが相まって夢の世界にいるみたいに幻想的だ。


『今度は二人で夜景を見にこよう』


時を経て、ようやく果たされた約束に胸が熱くなって涙がこぼれた。

あとから来たクラウスさんは何も言わずに背後から私の体を抱きしめる。

気持ちが落ち着くのを待って涙を拭うと、静かに彼のほうへ振り向いた。


「ここへ連れてきてくださってありがとうございます」

「気に入ってくれたみたいで、よかった」

「疲れているところで申し訳ないのですが、クラウスさんに聞いていただきたいことがあるのです」

「君の流した涙の理由ということかな?」

「はい、長い話になりますが大丈夫ですか?」

「平気だよ、最後まで聞くから」


このままでは寒いだろうと促されて車に戻った。

フロントガラスの向こう側は万華鏡ような世界が見える。

憧れた世界をガラス越しに見ながら、ようやくクラウスさんに全てを話した。

私だけが知る、四回のやり直し人生の全てを余すところなく。

伝えたいという思いが先にあって、できるだけ冷静に話そうとしているのに言葉が詰まってしまう。

それでもクラウスさんは辛抱強く最後まで聞いてくれた。

そして最後まで話し終えたとき、安堵と疲れから、私は黙り込んでしまった。

居心地の悪い沈黙が車内を満たした。

この沈黙が怖い、何を考えているのだろう?


顔を上げる勇気もなく、うつむいたままの私の傍で、空気が動いた。


「……そんなにもたくさん、悲しい思いをしたんだね」


いつもと変わらないクラウスさんの手が、私の頭を撫でる。

弾かれたように顔をあげた。


「変だとは思わないのですか?」

「ん? いや、むしろ安心したよ。自分より歳下なのに知識も経験も俺以上に持っているように思えたから、ずっと不思議に思っていたんだ。だから納得した、そういうことかって」


その言葉に、次々と涙がこぼれ落ちる。

まるで四回分の悲しみを流すように涙はとめどなく流れた。

クラウスさんは泣く私を抱きしめて、ただ優しく背中を撫でてくれる。

そうしているうちに規則正しい鼓動と温もりに包まれて安心してしまった私の瞼が徐々に下がっていった。

男性と二人きりだという危機感も、睡魔には勝てなかったらしい。

だって朝っぱらから、薬を嗅がされ拉致されて命の危機に晒されたうえに、ダリルさんやアレックスさんとも話して夜遅くまで伝票の整理をしたんだもの。

今日一日だけで、何日か分の仕事をしたのだから仕方ないわ。


「……イライザ?」

「……」

「嘘だろう、この状況でも寝ちゃうのか? 危機感というものが……いやまあ、俺の前ならいいけれど、って言うか役得? そもそも寝顔まで可愛いのは反則だろう? それとも、まさか理性を試されているのか?」


そして、彼の指が試すように鼻を軽く摘まんだ。

夢うつつの私は、その手をうるさいとばかりに振り払う。

押し殺した忍笑いが響いて、おやすみと囁く声が聞こえて……。

記憶にあるのはそこまでだった。


ボーーッ……。


遠くから汽笛のような音が聞こえて、目が覚める。

ぼんやりとした意識が覚醒すると、一気に現実が押し寄せてきた。

横倒しになった車の座席からガバリと起き上がる。

かけられた上着がはらりと膝に落ちた。


「えっ、寝ちゃった⁉︎」

「……おはよう、よく寝てたね。」


外から気だるげな声がして開いた窓から頭を出すと、車体にクラウスさんが寄り掛かっていた。

眠たそうな表情とゆるめた襟元から、男の色気のようなものがダダ漏れていて思わず視線を逸らす。

クラウスさんは目元を押さえて、深くため息をついた。


「一応、俺の名誉のために宣言しておくけれど何もしてないからね」

「……っ!」

「危機感が薄いと叱るべきか、心を許してくれたことを喜ぶべきか迷っているところだ」


なんてことをしたのよイライザ! 

冷静になってみると、想像以上に恥ずかしくて膝を抱えて下を向いた。

嫁入り前の娘が家族以外の男性に添い寝なんて、いつの時代の貞操観念でもダメな部類に入るわ! 

それどころか、お父さんに知られたら激怒されて軟禁間違いなしよ。

混乱して、ぐるぐると思考が迷走する。

そして結局、一番楽なほうへと流された。


「……内緒にしてください」

「うん、俺もそのほうがいいと思う」


何もなかったのだしね……顔を見合わせてへらりと誤魔化すように笑う。

とはいえ、気持ちを整理する時間は必要だ。


「夜景はちょっと見ただけで寝てしまったけれど、朝にもいいこともあるよ。ほら!」

「うわー! 絶景ですね!」

クラウスさんの指差す先には、朝日が昇っていた。

水平線を滲ませて、キラキラと世界が輝いて見える。

そして朝の光を浴びたクラウスさんの髪や瞳が金色に染まって、とても綺麗だと思った。


「世の中はそう悪いことばかりじゃなかった。夜の闇が明ければ、朝日は平等に世界を照らしてくれる」


クラウスさんは私の顔をのぞき込むようにして視線を合わせた。

そして、うれしそうに笑う。


「彼女に未来を決められて、雁字搦めに絡め取られたときは絶望したけれど、夜が明けた今は、こうして朝焼けみたいに輝くイライザがそばにいる。今の俺にはこれ以上望む奇跡はないよ」

「でも彼女のいない今、相手は私でなくても……」

「君を思うと胸が痛むのは、二度と離してはならないと誰かが教えてくれているからのような気がするんだ。過去の記憶はなくても、俺のどこかで君を覚えている。君は自分を変だとは思わないかと聞いたけれど、俺にすれば過去の記憶もない俺がここまで君に執着するほうが、よほど君よりも変わっていると思うよ」


真剣なクラウスさんの表情に、小さく息を飲んだ。

クラウスさんに過去の記憶はない、それでも彼の中には残渣のように彼らが潜んでいて……彼の中でずっと私達を求めてくれていたの? 

それを確かめる術はないけれど、もしそうだというのなら幸せだ。


『イライザはクラウス=アンダーソンと結ばれるように生まれ変わるでしょう』


脳裏に響くエレナさんの声が、厳かに願いの成就を告げる。

めくるめく世界の果てで、ようやく彼を見つけたのだ。

二度と放すものかと、自分の手を伸ばす。

引き寄せられるようにクラウスさんの手が私の手を強く掴んだ。

そして太陽みたいに笑って指先に唇を寄せる。


「どんな苦難があっても君を手放さないと誓う。だからあの日の返事を聞かせて?」

「あなたが好きです。でも約束を違えたら二度と捕まえられませんから、そのつもりで。過去にいろいろあったせいで寛容にはなれませんから誤解を招くようなこともダメですよ?」

「……君の背後にはエレナさん達がいるんだよね。彼女達、手強そうだもんな。そういう状況にならないよう全力を尽くすよ」

「でも、事前に言っておいてくれたら多少は許します」

「そういうところが甘いよね、イライザは。でもそこがまた可愛いところだ」


クラウスさんは蕩けるように微笑んで、ふと私の首筋のあたりに手を伸ばした。

彼の端正な顔が近づいて思わず目を閉じる。

やがて頬をふわりと手が掠め、耳元でクスリと笑う声がした。


「もう目を開けていいよ?」

「っと、あれ?」

「もしかして、何か期待した?」


少しだけ意地悪く笑った彼から盛大に視線を逸らす。

口づけをされるのかと思ったなんて、恥ずかしくて言えないわ。

赤らんだ頬を隠すために顔を背けるように動かすと、首元に少しだけ違和感を感じた。

手で触れてみると装飾品の細い鎖のようで、サイドミラーに映る自分の首筋を確認して驚いた。


「ネックレス……」

「うん、よく似合うよ。君のように蠱惑的な美しさを持つ女性にはそういうデザインが合うね」

「あまりそういうふうに褒められたことがないので……でもありがとうございます。鎖は金で石は七色、ということはアミュレットですね」

「そう異国では加護の意味を持つ装飾品のことだ。魔除けという意味もある」


魔除け……()()()()というわけではないと思うのだけど一瞬ドキッとしたわ。

朝日を反射して、七色の石がまばゆい光を放つ。

石はどれも小ぶりだけど上質なものを使っているらしい。

こういうところが、とてもクラウスさんらしいと思った。


「それに繊細で美しい装飾ですね。こんな良いものをいただいてもいいのですか?」

「君のために頼んで作ってもらった。気に入ってくれたら嬉しい」

「もちろんですよ! ありがとうございます、大切にしますね」

「本当は指輪がよかったけれど、……いろいろあったからね」


今のクラウスさんはゾーイの指にはまった指輪を思い出しているのだろう。

彼女が贈られたと吹聴していただけでクラウスさんとは全く無関係なのだが、そのときの記憶が鮮明で、指輪というだけで私も彼もなんとなく思い出してしまうのだ。

しばらくは(のろ)いにも似たこの記憶は続くに違いない。

同じ思いを共有するクラウスさんは労るように私の頬へと手を添わせた。


「一刻も早く君は俺のものだとという確証が欲しくて、こんなふうに連れ出してしまった」


連れ出して、囲い込んで。

しかも首には贈ったネックレスが輝く。

自分がこんなにも執着する質だとは思わなかったと、彼は苦笑いを浮かべる。

言葉の端々に罪悪感がにじんでいるのに気がついて、私は首を振った。

それを嫌だと思わない自分も相当だ。

クラウス様との恋が報われないなら来世でと願って、どれだけの時間を費やしてきたことか。

報われない虚しさに比べれば、この程度の執着なんて可愛いもの。

そう答えて微笑みを浮かべればクラウスさんが一瞬惚けたような顔をして、口元を手で隠した。

耳も頬も赤く見えるのは朝焼けのせいだろうか?


「どうして無邪気に煽るのか……わざとじゃないだけに、余計質が悪い」


クラウスさんは深々とため息をついたあと、車の窓枠に手をついてスッと腰を屈めた。

朝の光が遮られ、一瞬目の前が暗くなる。

まるでケイトさんの魔道が作り出す闇のような優しく包み込むような感覚に、そっと目を閉じた。

唇に触れる温かさ。

ここでようやく口づけをされていることに気がついた。

啄むように繰り返される口づけは徐々に深くなり、クラウスさんの手がいつの間にか首のうしろに添えられ、より深く侵食するように舌が絡む。

酸素を求めて唇を離すと、熱に浮かされながらも冷静に私を追い詰めていくような獣の視線とぶつかった。

逃がさないとばかりに、余裕のない表情をしたクラウスさんの唇が歪む。

その顔がとても色っぽくて、煽られた私の体が熱を帯びる。

再び強引に唇を奪う彼はクラウス様とも、ダレルとも、アレクシス様とも違った。

どこか一線を引いたような彼らのものとは明らかに異なる、全身全霊をぶつけるような()()の恋だ。

それこそが時を超えてまで、私が求めたもの。


私には運命の恋なんていらない、愛し愛されるような普通の恋で十分だ。


散々翻弄されたあと、満足したようにクラウスさんの唇が離れていく。

そこにいつもの穏やかな彼の姿はなく、ちらりと唇の端から覗いた舌の先が妖艶で目が離せない。

顔を真っ赤にした私の髪に口づけを一つ落として、クラウスさんは運転席に乗り込んだ。


「さあ帰ろう、家まで送るよ」

「ありがとうございます」

「落ち着いたら君のご両親に挨拶に行きたいな。それで君の心が決まったら結婚して欲しい」

「なっ⁉︎ ……そんな明日の天気みたいに軽い口調で言うことではないと思います!」


彼の軽やかな笑い声が弾けた。

食堂でアレクシス様が響かせていたような、なんの気負いもない心からのもの。

……やはりアレクシス様とは縁がなかったのね。

彼との苦い思い出が、少しずつ上書きされていく。

もうあのときの笑い声を思い出すことはないだろう。

そしてクラウス様やダレルとの思い出も、いつか遠くなるに違いない。

笑いのおさまったクラウスさんは、ほんの少しだけ不服そうにため息をついた。


「だって出会ってから半年くらいのはずなのにね、もう充分に待ったような気がするんだ」

「それは……私もそう思います」

「でも君の意思を尊重したい。待つことも悪いことではないと知っているから」


報われない恋がようやく実った喜びに満たされる心の片隅で、ほんの少しだけ胸が痛む。


運命の恋ではなくても、過去の私達が彼らに捧げた愛は本物だ。

王女はダレルに、伯爵令嬢はアレクシスに、名もなき女はリシャールに。

報われないとわかっていても、クラウス=アンダーソンではない誰かに全身全霊を捧げるような恋をした。


……でも、このことは私たちだけの秘密に。

いつか命が尽きるとき、彼らへささげた愛の墓標となるように、この痛みだけは覚えておきたい。


「いついかなるときも、君を愛している」


信号待ちのために停まった車内で。

私は言葉を返すかわりに、クラウスさんの頬へと口づけた。


一応タイトル回収回ですが、もう少し続きます。

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