聖女と魔女、さあ闇へおかえり
呆然とした私は、エレナさんの背中を見つめる。
それは、まさかそんなことが……。
言葉を失った私の代わりにアルスさんが口を開いた。
「……かつて彼女も言霊の力を有していたのか」
「イライザは愛のために自分の命を捧げることを選んだ。でも彼女は、己が欲望のために彼の運命を捻じ曲げることを選んだのね。しかも知識なく中途半端に力を有していたものだから、正しい手順を踏まなかった。おかげで歪な形でしか願いは叶わず、彼の運命が正しい道筋に戻ろうとする強制力にも勝てないでいた。だから何度繰り返しても最後には愛は破綻して望みが叶うことはなかったわけね。それでも抗い続けて、ついにはここまで堕ちた」
彼女もかつては言霊使いだった。
言霊の力を使い、彼の道筋が自分と重なるように縛りつけたのだ。
クラウスさんに力を使ったのがいつの時代のことか、それはわからない。
ただ語る言葉から想像するに、彼女もまた記憶を持ち、私と同じように転生を繰り返す者なのだろう。
だから出会ってすぐ、クラウスさんが自分の愛した人の魂を引き継ぐ者と気がついた。
結局のところ、彼女と私は似た者同士。
たった一つの魂を、二人の女が奪い合ったことになる。
己の業の深さに表情を歪めた私を、彼女は憎しみを込めた瞳で睨んだ。
「だから彼があの女を選ぶのは間違っているの! 神をも恐れぬ悪行、彼を悪の道に引き摺り込もうとする悪い魔女なのよ! だから私はあの女を排除しようとした。そして神に生贄として捧げるためにブライトン公の奥様の依代として選んだのよ! 私は悪くない、絶対に私は悪くないの! だって私はクラウスの伴侶として神に選ばれたのよ?」
私は正しい、神の定めた相手は自分なのだと彼女は強く主張した。
小さく震えるエレナさんの肩を、アルスさんがそっと撫でる。
エレナさんが感じるのは、悲しみか、怒りか……レイさんが、エレナさんの隣に並んだ。
「もういいんじゃないか? 君がこれ以上傷つく必要はない」
「……まさか同族の悪行を裁くことになるなんて思わなかったわ」
「彼女が使い方を誤ったというだけだ、君が責任を感じることはないよ」
エレナさんは足元で夢見るように微笑む彼女を睨みつける。
そして深くため息をついた。
「おしまいにしましょう。同族である私の手で裁く、それがせめてもの慈悲よ」
何をする気なのだろう?
振り向いたエレナさんは微笑んでいた。
だけど思っていたよりも、ずっとずっと深く傷ついているような顔だった。
「襲われた日、これから聞こうとしたことを彼女に尋ねたの。そうしたら、いきなり襲われたわ。よほど守りたかったのね……」
それは、彼女にとって最大の秘密である証。
人の命を奪うほどに価値のある秘密とは何か。
エレナさんはしゃがんで、彼女と視線を合わせる。
そして真っ赤な唇の端をつり上げて、三日月のような弧を描いた。
「あなたの名前は、なあに?」
一瞬にして、思考が止まる。
何を言い出したかと思えば……彼女の名前なんて今更どうして聞くのだろう?
だって彼女は、彼女の名前は……。
「……え、なんで?」
とまどう私の心を見透かしたように、ケイトさんが唇を歪める。
「彼女の名前、知らないでしょう?」
「そんな、だって彼女は……あれ?」
ケイトさんは紫色の瞳を滲ませて、ふふっと笑った。
「そう、誰に聞いても同じ。あの女のことを彼女としか呼ばないの。エレナが違和感に気がついてね、私達が調べた。その結果、彼女の本名を誰も知らないことがわかった。取り巻きの男性達も、そのほかの商会の人間も、ここに並ぶ研究者達や護衛官、協力者であるブライトン公も、彼女にとって運命の恋人であるはずのクラウスさんまでも……だあれも、彼女の本名を知らない」
真っ白になった頭を必死に働かせる。
そんな馬鹿な……商会でも有名人で存在感があって皆に好かれていて、誰もが愛さずにはいられない完璧な彼女の名を、付き合いの浅い私だけでなく、誰も知らないなんていうことがあり得るだろうか?
「たぶん誘導して、相手に知っていると思い込ませたのだろうねー。知っている人の名前をわざわざ聞かないでしょう? 名前は肉体に魂を縛るもの、家名は魂の歩んで来た道を示すもの。真名を知られることで、力を封じられることを恐れたのかも知れないわね。彼女が持つ過去の記憶がそうさせたのか、知識を学ぶ過程で得た情報によってそうしたかはわからないけれど、意図的にであることは確かだ」
「お、思い込ませたってどうやって?」
「現世の彼女は未来視の力を持っているとされていたけれど、それだけじゃない。微弱だが幻術使いの力も持っている」
未来視の力だけでなく、現在進行形でアリアさんと同じ能力を持っているなんて。
二つの魔女の力を有する人が、現実にいるものなの?
驚き固まってしまった私に気がついて、ケイトさんは苦笑いを浮かべた。
「力の弱い娘さん達にはごく稀にしか現れないのだけどね。そうだなぁ、たとえば先祖返りとでも呼ぶべきなのかな? 魔女の血脈というのは厄介でね、たまに弱いけれど複数の能力を持って生まれる娘さんがいるんだ。大抵の場合、普通の人と比べれば強すぎる力が災いして自然と人間界から淘汰されるのだけど、稀に上手く適合できてしまう者もいる。それ自体はたぶん悪いことではないのだろうけれど、多くの場合、彼女のように自分は選ばれた者だと驕って道を踏み外してしまうんだ」
満月の女王が与えられた闇の力は、元々神の力の一端。
人にとって強すぎる薬が毒となるのと同じで、力を使ううちに、人を人とも思わない傲慢な性格に育ってしまう。
「弱くても複数の力を有する人間を『混じりもの』と呼ぶのだけれど、そのなかでも道を踏み外して隔離が必要な人間であるかは私達が選別する。各国に散らばる六つの月は、そのために存在するの」
各国で情報を集めて、その中から気になる人物を選別する。
そしてその人物が魔女の血統であるかを遡って調べるのだ。
「魔女の血を引くという証のようなもの……たとえば『まんげつのおはなし』みたいな判断材料というか、そういうものがいくつかあるのだけれど、そういうものを知らない人間もたまにいるから調査には時間と手間がかかる。彼女達の中には能力を上手く調整し、無意識のうちに我々の目を欺くしたたかな者もいたりして、そういう人間ほどけっこう厄介なんだよ。たとえば彼女の場合、先読みの魔女と名乗らなければ私たちに見つかることもなかっただろうしね……それほど上手く適合して能力を隠していたんだ」
「もしかして、彼女は元々自分が魔女の血を引くことを知っていたから力を隠していたのでしょうか?」
「それは知らなかったと思うよ? 知っていれば決して魔女とは称さない。魔女であることを知られるのはリスクしかないからね。彼女の場合、賢者の末裔と知り合ったことで、自分が魔女の血を引くらしいことを知った。そしてその能力の一つに未来視の力があるために、賢者達からそそのかされて、愚かにも先読みの魔女と称したのではないかな」
「賢者があえて魔女と名乗らせたのですか?」
「彼らにとっては賢者の末裔が魔女を使役しているという構図が好ましかったのだろうね。優越感に浸れるし、ゆくゆくは魔女の血を受け継ぐ者達を探し出して、自分達に隷属させようと画策していたらしい。陰険で、粘着質、気持ち悪いことするよねー」
吐きそうという仕草か、ケイトさんは不快そうに眉を寄せて口元を覆った。
「なんでそんな面倒なことを……」
「なんとなくは感じただろうけれど、賢者と我々は昔から仲が悪くてね。夢みがちな者が多い賢者は、とかく理想を追求するから現実主義の私達とは根本から相容れないのだよ。それに我々の対極にあるような、聖女という存在を担ぎたがるのさ。しかも光の象徴とするにふさわしいような容姿に惑わされて力の強弱に関係なく役目を押し付けるからタチが悪いよ。なんかこう自分好みに育てようとする意図が透けてて……ごめん、これ以上は気持ち悪くて無理。とにかく、彼らに選ばれた娘さんのほうも聖女と呼ばれれば悪い気はしないから、おだてられるままに不相応な力を振りかざして人々の暮らしを混乱させちゃったりするわけ。挙げ句、始末に困ると自分達の愚行の尻拭いを悪の象徴として勝手に祭り上げた魔女に押し付けるんだ、全くもって迷惑な話だよ」
ケイトさん曰く、聖女として祭り上げたものを不要となれば魔女と断じて処罰するという手を使うらしい。
それはたしかに浅はかというか、知を探求する使命を負った賢者には相応しくない行いだ。
だがそれなら目の前にいる賢者の末裔にとって必要なのは魔女ではなく、聖女ではないのだろうか?
「光の象徴が欲しいなら彼女に聖女と名乗らせればよかったのに」
「それは無理だったろうね、だって聖女はすでにいただろう? 見目は変わってしまったけれど、先ほどまで賢者の血を濃く受け継ぐという美しい奥様がいた。あの方を押し退けてまで聖女を名乗ることは雇い主であるブライトン公が許さない」
ブライトン公は妻を光と称した。
つまり、この場にいる者は光の象徴である聖女を蘇らせようとしていたのか?
神の力の一端を使って、闇の領域を侵していると知りながら……。
「許せないよね、神の力は私利私欲のために使うものじゃない。そんなことをしたら世界の均衡が崩れてしまう」
小賢しい人間の考えそうなことだと、ケイトさんは眉根を寄せる。
……分を弁えず闇の領域を侵すのは賢者ではなく、愚者。
レイさんの罪を断ずるような言葉は、魔女を利用しようとしたことを咎めていたのか。
「さて。盛り上がりに欠ける喜劇も、そろそろ終幕だ」
ケイトさんの言葉に視線を向けると、今まさに彼女が口を開くところだった。
彼女は頬を赤らめ、相変わらず夢見る少女のような表情をしている。
もしかすると彼女の脳裏には微笑むクラウスさんの姿が浮かんでいるのかもしれない。
「ええ、いいわ。あなたにだけは名前を教えてあげる。あなたが、私の全てだもの」
その光景はまさに、少女が愛する男性に想いを伝えようとする瞬間だった。
ただ、その先にある結末が間違いなく期待を裏切るものと知るだけに少しだけ胸が痛む。
「あなたの名前は?」
「ゾーイ」
「家名は?」
「ラードナー」
「よし! ゾーイ=ラードナー、捕まえた!」
パシリ、とエレナさんが彼女の手首を掴む。
途端に夢から覚めたような表情をした彼女は、悲鳴を上げてエレナさんの手首を振り解こうともがいた。
言霊の力は残酷だ。操られたという記憶を残したまま、現実を犠牲者に突きつける。
彼女は……ゾーイ=ラードナーは自分が何をされたのか、理解してしまった。
魔女に真名を知られたのだ、その先には破滅しかない。
情け容赦なく、薄らと笑みを浮かべたアリアさんが杖の先で床に文字を綴った。
「あきらめなさい、ゾーイ=ラードナー。さあ闇におかえり」
秩序の魔女は、秩序を乱すのものを許さない。
瞬く間に術式が発動する。
黒い靄が湧き上がって、彼女の体を取り巻いた。
靄に巻かれながら、彼女は抗うように身を振り絞る。
「やめて、やめて! どうして私がこんな目に合うのよ! 私は何も悪いことはしていないわ! 私は神の意思に従って正しいことをしたのよ!」
「死という人の定めを踏み躙り、神の領域に手を出した。十分に重い罪じゃないか」
「神の僕である聖女を蘇らせようとした、それのどこが悪いのよ?」
「その聖女のために、神から分け与えられた闇の力を使って尊い人の命をどれだけ奪ったのか?」
レイさんは呆れたような顔で言い放ち、振り向いた。
「イライザ、もう二度と会うことはないから文句を言うなら今のうちだぞ?」
ちょっとだけ考えて、私は首を振った。
「何も言うことはありません。二度と会うことがないなら、正直あんな人どうでもいいです」
「なんですって!」
彼女は怒りに燃える視線を私に投げた。
どうせ何を言っても彼女の心には響かない。
好きの反対は嫌いではなく無関心とは、よく言ったものだ。
……ただ、これくらいは言っておいてもいいかな?
「クラウスさんのことは心配しないでください。私が幸せにしますから」
そして最高に幸せと見える顔で微笑んだ。
彼女は呆然と目を見開いて……絶望と怒りに塗れた顔で私を罵った。
目の前ではレイさんとケイトさんが顔を見合わせて苦笑いを浮かべている。
「的確に弱点を抉りにいったな……痛いところに大当たりじゃないか」
「まあ、それだけのことをされたからしょうがないかなー?」
意地が悪くてごめんなさい、でもやられたままは性に合わないのよ。
ハハッと笑い飛ばす二人に心からの笑顔を向ける。
やがて抵抗虚しくゾーイは悲鳴を上げながら靄に取り込まれ、その姿は煙のように消え去る。
あとには黒曜石のような鈍い輝きを放つ結晶石が一塊、残されるだけだった。




