あなたが、私の全て
「手加減しなくていいっていうのは本当に素敵なものね!」
「いや手加減しなくていいなんて誰も言っていないぞ?」
アルスさんがエレナさんの浮かれた様子にため息をつく。
それをエレナさんは心底楽しいという顔で笑った。
「だって彼らは混じりものと揶揄するけれど術を受ける側にとっては相手が混じりものであるほうが幸せなの。混じるものがあれば威力に限界があるし、がんばれば逃げる隙が作れるかもしれないじゃない?」
キラキラと瞳を輝かせる。
そしてエレナさんを取り巻く空気が変わった。
明るく澄んだものから……暗く濁ったものへと。
「でもね、誰もが混じりものというわけじゃない。そうでもない相手も世の中にいるのよ」
浅はかね、とエレナさんは嘲笑う。
純度の高い力によって行われるのは情け容赦ない一方的な蹂躙。
力の差が、そのまま自らに苦しみとして跳ね返る。
「それなのに、私達の全力が経験したいだなんてね。間違いなく今後の人生で糧になることを約束できるわ」
手を出してはならない存在がいることを知るがいい。
見たほうがわかりやすいかしらと、エレナさんは護衛官の男に視線を止めた。
彼女と共にエレナさんを襲ったという、あの男性だ。
エレナさんは笑顔を浮かべて口を開く。
「おまえは自らの手で命を断つだろう」
まるで預言者のような、不吉でしかない言葉。
その声を聞いた途端に、護衛官の男の目が見開かれた。
そしてエレナさんの言葉どおりに、ためらうことなく自らの首にナイフを当てる。
「そんな、どうして!」
「意識は残るように調整したわ。体にだけ、私の力が及ぶように」
本人の意志とは関係なく、震えるナイフの先が男の皮膚を薄く切った。
そしてためらうことなく男の腕に力がこもる。
私は結末を想像して、思わず視線を逸らした。
「たのむ、やめ!」
「やめていいわ、だってあなたたちと違って私は血が嫌いなの」
すかさず響いたエレナさんの声。
視線を戻すと、男は肩で息をしながらナイフを下ろしていた。
操られている間の意識があったせいで男の目から恐怖のあまり涙がこぼれ落ちる。
エレナさんは唇を歪めた。
「体だけが操られる気分はいかがかしら?」
「醜い魔女め! 世界のために滅ぼしてやる!」
「……あ、なんだと?」
中傷する男の言葉にアルスさんが噛み付いた。
空気が気怠いものから一気に剣呑な雰囲気へと変わる。
睨み合う二人の間を割って入るエレナさんは苦笑いを浮かべた。
「アルス、ありがとう! あなたが強いのは知っているけれど、それは私だけが知っていればいいことだから今は手を出さなくていいわ。どうやらさっきの余興では彼のお気に召さなかったみたい……そうね、次は愚者に相応しく、あなたには隅っこのほうで一発芸でもやっててもらいましょう!」
エレナさんの嬉々とした言葉に男の顔が絶望に歪む。
泣き喚く男の意志とは裏腹に、体はエレナさんの声に従って歩き出した。
そして、部屋の端にたどり着くと全く冴えない一発芸と思わしき何かを次々と繰り出した。
……どうしよう、これは別の意味でキツいかも。
誰もが別の意味で恐怖を感じているのがヒシヒシと伝わってくる。
意識は残っているようだが、自分の意識に逆らって動く体の不気味さに耐えきれず男は涙と鼻水を垂らし続けた。
それでも体は止まることなく一発芸を繰り返す。
エレナさんが術を解いたあと、彼が正気を保っていることを祈ろう。
とうとう我を失って薄笑いを浮かべ始めた男の姿にケイトさんは肩をすくめた。
「あのさ、全くウケないというのも見ているほうがツラいんだけど?」
「だって混じりものでない純粋な力の威力を見たいっていうから、しょうがないでしょう? これなら血も流れないし、平和的! ……でもそうねえ、なんならお仲間を増やしましょうか! 人数増やせばもしかしたら盛り上がるかも!」
ウキウキした顔で振り向いたエレナさんから、全員が視線を逸らす。
……あの男のようになるならば、本気で死んだほうがマシとか思っていそう。
慄いた私に、ケイトさんが苦笑いを浮かべた。
「あらら相当怒っているのねー、しょうがないな……余興は終わりみたいだし、イライザちゃんは私の隣にいてね」
「これが余興?」
「うん、これからが本番。見ていればわかるよ」
視線の先ではエレナさんがアルスさんを従えて、床に転がされた人達のほうへと歩いていく姿が見えた。
次は何をするのか、恐怖に震える彼らの前でエレナさんが口を開く。
「さあ、私の目を見て声を聞きなさい?」
美しいエレナさんの声が鼓膜を震わせた途端、背筋がゾクリとした。
今は背中しか見えていないけれど、エレナさんとは絶対に視線を合わせたくない。
視線が合えば、間違いなく心を奪われるだろう。
そして歌声で人を惑わせるセイレーンのように、魂そのものを差し出すに違いない。
そんな私の予想を裏切ることなく、エレナさんの甘く伸びやかな声は媚薬のように彼らの脳の奥へと忍び込んだ。
「もう大丈夫よ?」
エレナさんの声でアリアさんが拘束を解いても、誰も暴れないし、逃げようとしない。
ブライトン公も、彼女も、皆が揃ってエレナさんを見つめて恍惚とした表情を浮かべていた。
再び、背筋を悪寒が走る。
ただ淡々と、エレナさんは媚薬のような声を注ぎ続ける。
「私の言葉が理解できたのなら返事をなさい」
「はい、わかります」
「いい子ね」
異様な光景に言葉を失う。
二十人以上いる人間が一字一句違うことなく、同じ速度で同じ言葉を答えたのだ。
暗示?
洗脳?
そんなレベルじゃない。
彼らは今、自ら望んでエレナさんに従っている。
個人の意思や思考を奪われたのに幸せを感じている哀れな人形の姿がそこにはあった。
「嘘偽りを許さない、答えないという選択肢も許さない。聞かれたことには全て正しく答えるように」
「はい」
満足そうに頷くと、エレナさんはブライトン公に視線を止めた。
ブライトン公は視線を受けた喜びに身を震わせる。
先程までの傲慢で強気な態度が嘘のように、好意的で従順だ。
「あなたはどうしてこんな研究を始めたの? そして奥様に何をしたの?」
「妻は生来、身体が弱かった。だがこの国には賢者の血を繋ぐことのできる人間が私と彼女しかいなかったのだ。だから彼女を娶った。そして後継者である賢者の資質を持つ者を残すまでは彼女を死なせるわけにはいかなかったのだ。ところが、ようやく子を授かったものの、たった一人を産んだだけで彼女の命は燃え尽きかけてしまった。ああ、なんという不幸! もっと子を成さねば次の世代に血を繋ぐことはできないのに……そこで望みをかけて瀕死の彼女に開発途中であった霊薬を飲ませたのだ。もう一度、彼女に子供を産めるような身体を取り戻すために」
「そこまでしなくても一人いれば十分でしょう? その子供が、次の世代に血を繋げてくれる」
「生まれた子は金の眼を持たなかった。純血とはいえ、金以外の瞳は力弱い証とされる。そんな人間がさらに力の弱い人間と掛け合わされば生まれてくるのは、ただの混じりものではないか!」
「混じりもの、ね」
「せめてもう一人、彼女のような金の眼を持つ子が生まれれば……それだけで濃い血が次代へと繋がる」
「研究の実態を知れば禁忌を犯してまで繋げる価値があるとは思えないけれどね」
エレナさんは冷ややかな視線をブライトン公へと向ける。
金の眼とはアルスさんのような瞳の色のこと……たぶん、王の色のことだ。
金色の瞳は錬金術を想像させる色でもあり、必要以上に重要視されたのだろう。
ただ残念なことに私の知識では、賢者になれるかは血の濃さだけではない。
金の色が出る確率はたしかに血と関係があるけれど、それ以上に賢者となるために必要なのは資質だ。
守護石のような魔法石をつくり出すことのできる才能。
私が王女であったころの王家は妹を除く全員が王の色を持っていたのに誰も賢者にならなかったのが証拠だ。
もしこの思い込みが悲劇の根本にあったとしたら……とても残念でならない。
エレナさんは冷ややかな表情を崩さぬまま、口を開いた。
「サジタリウス商会や彼女とは、どうやって知り合ったの?」
「サジタリウス商会には私のほうから接触した。彼らを取り込んだのは、研究に必要な場所と資材を提供させるためだ。大量にある入荷に紛れ込ませれば、どのような商品でも取り寄せることができるだろう。そして彼女とはパーティーに呼んだサジタリウス商会の商会長から紹介され、知り合った。非常に優秀な女性だと……未来が見える稀有な才能を持っていると、商会長から教えられたのだ。そして未来が見えると聞いてすぐに察した。この女は魔女の血を引く者に違いない、と」
「私はあなた達が魔女という存在を憎んでいることを知っている。どうしてそんな相手と協力することにしたの?」
「最初は体調を崩した妻のためにその体を利用しようとした。だが、妻の存在を知った彼女から逆に提案されたのだ。『はるか未来には、瀕死の病人すら生き返らせる霊薬が存在する。なぜ私がそれを知っているかといえば、現物を見てきたからだ』と。そして『今のあなた達には生成できない。なぜなら魔法薬は魔女の専売特許、魔女にしか作れないものだからだ。賢者の知識と魔女の技術、そして予知能力があれば完成できるのだ、同じ利用するならば私と手を組むべきではないか』と言われたのだ。試しにと未来を予測させれば、一定の効果を上げた。私の財を増やすのも一役買ってもらったし、それならと採用したのだ」
「見返りは?」
「完成させたら私の望みを叶えてほしいと言われた。だから素材や資金を与え霊薬を作らせる代わりに、望む男を与える準備をしていた」
あらゆる弱みにつけ込んで、クラウスさんを囲い込む気だったと。
こんな権力者にまで狙われていたなんて、よくぞ無事に生き残れたなと思う。
もし霊薬が完成していたら……今頃彼は、抵抗虚しく囚われていたかもしれない。
「……もういいわ、次はあなたよ」
エレナさんは彼女へと視線を向ける。
彼女は魅入られたようにエレナさんを見つめていた。
そう、媚を売るような姿勢でエレナさんへ微笑んでいたのだ。
体だけでなく、完全に魂まで支配されているのだろう。
これが、言霊の持つ力。
先ほどまでの刺々しい態度とは極端な変わりように、ほんの少しだけ彼女を可哀想だと思ってしまった。
彼女はエレナさんのにじり寄ると、足元に縋りついた。
「私に何をお聞きになりたいのですか? 嘘偽りなく全てお答えしますわ!」
「……あら嫌だ、ちょっと効きすぎたかしらね?」
エレナさんは嘲笑するように唇を歪めた。
そんな彼女をアルスさんは嫌そうな顔でエレナさんの足から引き剥がす。
「ああ、ひどいわ!こんなにお慕いしているのに……どうぞなんでもご命令ください!」
「それでは教えて、あなたがクラウス=アンダーソンに執着する理由はなに?」
ついに彼女がクラウスさんへ執着する理由が明らかになるのだ。
その瞬間が訪れるのを私は固唾を飲んで見守っていた。
彼女はクラウスさんの名前を聞いて幸せそうに微笑んだ。
顔に浮かんだのは少女みたいに無垢な微笑みで……それがかえって不気味だった。
「あの方は私の運命なのです」
「へえ、運命ね……」
「はい! クラウス=アンダーソンは、かつて私が愛した人の魂を引き継いでいるのです」
「……は? 魂ってどういうことなの?」
「はるか昔、私とあの方は熱烈に惹かれ合い、障害を乗り越えて結ばれたことがあるのです。私達の恋物語は小説にもなって、純真な乙女達の心を震わせました……これを運命の恋と呼ばずして、何と呼ぶのでしょう?」
「そんなことはどうでもいいわ、それでどうやって魂を引き寄せたというの?」
「別れ際に彼と約束したのです。あなたは私のものだから誰にも渡したくない。もし今世で離れ離れになろうとも次の生は共に生きようと深く約束したのですわ。だって私達は国が認めた運命の恋人同士ですもの、当然でしょう? そうしたら、次に出会ったときに彼のことがわかるようになったのです! これこそ神のお導き、そう、私達は国だけでなく神によって運命の恋人同士と認められたのです! ですから私とクラウス=アンダーソンが結ばれるのは必然であり、彼が私を選ばないのは神の意思に反する行為、つまり悪でしかありません!」
彼女は熱に浮かされたように、熱く語る。
最後まで話を聞いたエレナさんは驚いたように目を見開いて、不愉快とばかりに吐き捨てた。
「生まれ持った言霊の能力を使って、無理矢理彼の魂を自分の運命に縛りつけたのね」




